※びっくりするくらいアズサが偽者
※吸血鬼エンドの話



 最近どうにも体調が悪かった。吐き気はするし身体は重いし頭がふらふらした。貧血かなと思ったけれど、どうもそうではないらしい。原因がさっぱりわからなかった。家事をしている時も身体が思い通りに動かず、昨晩なんて台所で調理をしながら倒れそうになった私を見たアズサくんにとても心配された。彼の心配をなくすためにも私は早く体調を治さねばならない。そう思って、病院へ行ったのだ。
 そこで告げられたのは予想だにしない事実だった。嬉しさと驚きで絶句している私に、年配の優しそうなお医者さんはおめでとうございます、と言ってくれた。結局体調は良くならなかったのだけれど、病院へ行く時の重い気分に反し、帰り道の足取りは弾むように軽かった。
 胸に抱えた紙袋にはパンや果物といった食料が沢山入っている。一刻も早く家に帰って、私の帰りを待ってくれているアズサくんと一緒にご飯を食べたい。それから今日のことを彼に報告するんだ。彼はどんな反応をしてくれるだろう? それを想像すれば自然と頬が緩み、足は早くなった。
 家に着いてドアを開けるなり、リビングに見えたアズサくんの姿に向かって一直線に駆け寄った。その勢いに驚いたように目をぱちぱちさせてから、ふわりと笑っておかえり、と声をかけてくれる。柔らかな彼の微笑みを見ていたら溢れんばかりの愛しさが胸にこみ上げてきて、ただいま、と返事を返しながら彼に抱きついた。

「病院……行ってきたの?」
「うん、体調はもう大丈夫だよ。心配かけてごめんね、アズサくん」
「いいよ。君が元気なら……俺はそれでいい」

 アズサくんはびっくりするくらい優しい。労わるように肩に添えられた彼の手の感触が嬉しくて、抱きつく腕に力を込めて更に強くしがみつけば、今度はアズサくんも私の背中に腕を回して抱きしめ返してくれた。彼の薄い胸板に顔を埋めれば幸せが胸一杯に広がる。

「ご飯買ってきたから一緒に食べよう。話したいことがあるの!」

 にこにこと笑いながら言えば、アズサくんは不思議そうな顔をして頷いた。

   *

 ふたりで並んで台所に立ちご飯の準備をした。毎日こうやって一緒に家事をしているけれど、改めて今の生活は幸せだなぁと実感する。食卓の向かいに座るアズサくんは、先ほどの私の言葉が気にかかるのかこちらの様子を伺いながら黙々とご飯を食べている。今の今まで肝心な話をしていないのだ。彼の様子にくすくすと笑いがこみ上げてくる。言ったらきっとびっくりするだろうなぁ。
 近所のパン屋さんが新しい商品を出していたことや、季節の変わり目で八百屋さんの品揃えに変化があったことを彼に語り、散々勿体ぶってから、「実はね」と話を切り出した。

「私、妊娠したんだ」

 お腹に手を当ててそう言うと、アズサくんがきょとんとした顔で私を凝視した。穴が空くほど、という表現がぴったりなくらいの視線を浴びせ続けて、たっぷり一分近く沈黙した後、思わずと言った調子で「え」と声を漏らす。

「妊娠したの。アズサくんと私の子供だよ」
「俺と、ユイさんの……子供……?」
「うん」

 お腹を撫でる。此処に彼と私の遺伝子を受け継いだ、小さな命が宿っているのだ。なんて幸福なことなんだろう。頬が緩みっぱなしになって、私は相当だらしない顔をしているんだろうなと思った。
 にっこり微笑んでアズサくんを見返していると、私の喜びとは対象的にアズサくんの顔は曇っていった。私の顔とお腹へ交互に視線をやると、苦しそうに唇を噛んで眉を寄せる。私の予想では彼も喜んでくれると思っていたのだけれど、一体どうしたというんだろう。

「アズサくん?」
「……、」

 アズサくんは耐え切れないといった様子で顔を逸らすと、ガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。私を見下ろす彼は何か言いたげに口を開きかけて、言葉が見つからないのか視線を彷徨わせた。もう一度彼の名前を呼ぶが、彼はやはり答えてくれない。

「ね、ねえどうしたの? ……え? ちょ、待って」

 アズサくんはそのまま早歩きでリビングを出て行ってしまった。遠ざかる背中に三度目の呼びかけをするが、バタンと大きな音を立てて閉じられたドアが私の呼びかけを拒絶する。
 アズサくん、どうして、そんな顔をするの。どうして喜んでくれないの?
 病院の帰り道で膨らみ続けていた嬉しさが急激に萎んでいった。あの辛そうな表情はとても私の妊娠を喜んでくれていたようには見えない。それどころかあれは私の言葉を拒絶したような表情だった。
 アズサくんならきっと喜んでくれると思っていた。新しい家族が増えるね、三人で仲良く生きて行こうねって、喜んでくれると。それは私の思い違いだったらしい。妊娠を告げられ涙が出そうなくらい嬉しかった私と違って、アズサくんは言葉を失うほど嫌だったようだ。
 もしかしたらアズサくんは、私が思っているほど私のことを好きじゃないのかもしれない。
 考えれば考えるほど悲しくなって、気が付けば溢れていた冷たい涙が頬を伝って行く。

「ユイさん」

 いつの間にか戻ってきたらしいアズサくんが私のすぐ傍に立っていた。とても彼の顔を見ることが出来ない。私は彼の足元を見つめながら、震える声を絞り出す。その震えはきっと恐れだ。

「アズサくんは私との子供、要らない……?」
「……ユイさんは、欲しいの?」
「当たり前だよ」
「……俺は、俺はね」

 そこまで言って言葉を区切る。言葉が上手く出てこないのかアズサくんは黙ったままで、彼の様子を伺うように恐る恐る顔を上げれば、困ったような顔をしたアズサくんが私を見ていた。

「……俺はね、怖いんだ」
「怖い……?」
「君が子供を産んでしまったら、君は俺から離れてく。俺は……ずっと君と一緒に居たいのに……子供が居たら、俺と居る時間が半分になっちゃう……」
「だから、嫌なの?」
「うん……君と一緒に居れないのは……嫌……」

 アズサくんは目をふせて俯いた。よく見れば彼の身体はカタカタと震えていた。左手で彼の右手を掴むと、縋るように握られる。
 アズサくんは人一倍寂しがり屋だ。それはきっと過去の出来事のせいだろう。親しい人が居なくなるのをとても嫌う。私のことを好きでいてくれるが故に、彼は新しい命という未知の存在に恐怖しているのだ。
 なんだ、こんな簡単なことだったのか。アズサくんはちゃんと私のことを好きで居てくれたんだ。そう思うと、先ほどまで落ち込んでいた気持ちが浮上してきた。

「アズサくん。私はね、病院でふたりの子供が出来たって聞いた時、すごく嬉しかった」
「……どうして?」
「だって大好きなアズサくんとの子供だもの。これから新しい家族が増えて、賑やかな生活になるんだなって考えたら、嬉しい以外の気持ちが湧いてこなかったよ」
「……」

 握った彼の手を引いて、私のお腹へ導いて、触れさせた。その行動に驚いたのかアズサくんの手がぴくりと震える。彼が腕を引っ込めてしまうのではと心配したが、彼の掌は私のお腹に添えられたままだ。

「子供が生まれても、私とアズサくんはずっと一緒だよ。この先ずっと。子供と三人で一緒に居たら、アズサくんと一緒に居る時間も半分にならないでしょ?」
「……うん」

 アズサくんの手を離した。

「私は、アズサくんとの子供、生みたい。三人で一緒に暮らして行きたい。アズサくんは、どうかな」

 お腹に添えられた手は、彼がヴァンパイアであるため冷たい。血液が流れているのに体温は低いなんて不思議なものだ。肉がほとんどない骨ばった手が私のお腹をゆっくりと撫でる。アズサくんは困惑した顔をしていて、何を考えているのかはわからなかった。
 もしかして、私の言葉は届かなかったんじゃないだろうか。お腹の中にいる命を拒絶されてしまうのではないか。長い長い沈黙に、そんな不安が募っていく。
 そして、彼の手が離れていく。ああ、だめだったのかな。じんわりと目に涙が浮かんだ、その時だった。
 アズサくんがぎゅっと私の身体を抱きしめた。骨を折られてしまうのではないかと思うくらい力強い抱擁に戸惑いを隠せない。彼の背中に手を回していいものか思案していたら、彼の身体がまた、微かに震えていることに気づいた。

「……俺も」

 身体と同じく震えた声でアズサくんがゆっくり語る。

「俺も、君との子供が欲しい」
「……本当?」
「本当だよ。……ごめんね、迷ったりして」

 ううん、謝らないで。そんな気持ちを込めてかぶりを振れば、彼が笑ったのが分かった。それから、今度こそ彼の背中に腕を回した。

   *

「家族……」

 抱き合って暫くすると、アズサくんがぽつりと呟いた。

「どうしたの?」
「家族って、ずっと一緒に居る、大切な人だよね……」
「そうだよ。世界で一番大切な人たちだよ」

 そう答えると、彼は少し考え込んだような素振りを見せてから、ねえユイさん、と何やら真剣な声色で言った。

「大切な人なら、つけたい名前があるんだ」
「……ん?」
「男の子ならジャスティンで、女の子ならメリッサが良い……」
「それって、」

 驚いて固まっている私から身体を離すと、アズサくんは自分の両手を私の両頬に添えて、ふんわりと笑った。

「幸せになろうね……ユイさん」





(20131121)
うわあああごめんなさい。アズサの偽者感とか話のメリハリのなさとか色々な意味でごめんなさい。
吸血鬼エンドの終盤でこそふたりは子沢山になっていますが、縄張り意識の強いアズサを鑑みると最初の子供を生む時は一悶着あったんじゃないかなぁ、という妄想でした。


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