仕事から帰ってきて自分の部屋に向かう途中、ルキくんの部屋から話し声が聞こえた。考えるまでもなくそれはルキくんとエム猫ちゃんの声で、なんとなく足を止めて聞き耳を立てていると、どうやらルキくんがエム猫ちゃんの説教をしているらしかった。篭った声が会話を続ける。

「正直、お前の節操のなさには失望した。これだけ俺が躾をしているというのに……まったく低脳な家畜を持つと主人は苦労する」
「う……で、でも私のせいじゃ」
「ほう。では、禁じたはずなのに逆巻の連中と会話をし、挙げ句の果てに吸血をされ、しかもそれを俺に報告をしなかったことについて、お前は一切悪くないというんだな?」

 うわあ、ルキくん結構怒ってる。声の端々に棘がこもっていて、彼が仁王立ちになりその前にエム猫ちゃんを正座させている姿が容易に想像できた。それにしてもエム猫ちゃんは本当に学習しないなぁ。せめて吸血されたことを報告していればねぇ。
 考えながら一人でうんうん頷いていると、ルキくんが溜息をついたのが聞こえた。

「……お前に罰を与えよう。いつものような吸血はしない、それではお前を喜ばせるだけだからな。それに、不愉快な逆巻の匂いをさせるお前の身体に興味なんてない」
「そんな……」
「自分の部屋に戻れ。俺が許すまでそこで生活しろ」
「……」
「返事はどうした」
「……わかった」

 悲しそうな声で言うと、エム猫ちゃんが部屋から出てくる気配がして、おれは咄嗟に走って逃げた。離れたところからとぼとぼと自分の部屋に向かうエム猫ちゃんの背中を眺める。哀愁が漂ってるなぁ。
 それにしても罰が「別々に生活する」だなんて。それは意味があるのだろうか? ルキくんの考えていることはよくわからない。


【一日目】

 ルキくんに命じられて、おれはエム猫ちゃんを部屋まで迎えに行き、彼女を連れてリムジンへ乗り込んだ。車が発進して嶺帝学院に向かう。そこでおれはふと違和感を覚えた。おれの隣にはエム猫ちゃんが座っている。彼女を連れてくる途中会話をしていたので、そのままの流れで隣に座ったのだ。まあ、それは良い。何がおかしいのかというと、普段ならエム猫ちゃんとルキくんは隣か、もしくは会話がし易い距離には座るはずなのだ。それがどうだ。まるで接触を拒否するように、ルキくんはエム猫ちゃんから最も離れたところに座り、読書に興じている。読書の邪魔をされたくないだけだろうか。おれには判断がつかない。エム猫ちゃんも何となく落ち着かないのかそわそわしていて、何度もルキくんに視線を送っていた。
 休み時間、ルキくんがおれの所にやってきて、放課後エム猫ちゃんを迎えに行けと言われた。「ルキくんは行かないの?」と訊けば「用事がある」らしい。ふうん、と相槌を打つと、ルキくんはさっさと自分の教室に帰ってしまった。
 放課後エム猫ちゃんを迎えに行きルキくんの言葉を伝えると、一瞬沈黙して「……そっか」困り顔で言った。学校の間一切ルキくんを見かけてないらしい。学年が違うのだから当然と言えば当然だが、登校時のこともあり不安が拭えないようだ。帰りの車内でもエム猫ちゃんの口数は少ない。

「エム猫ちゃんはさぁ、おれがお迎えじゃ不満?」
「そういう訳じゃないけど……今日はルキくんと一度も喋ってないから」
「ふーん、寂しいんだ」

 こくん、と頷いてエム猫ちゃんは俯いた。慰めるように彼女の手を握ると、彼女は困惑した様子でその手とおれの顔を交互に見た。

「ねえねえ、ルキくんに放っておかれてる可哀想なエム猫ちゃんを慰めてあげるからさ、血吸わせてよ!」

 普段なら真っ赤に顔を染めて拒否するのだが、今日のエム猫ちゃんはそれどころじゃないのか、「駄目だよ」とだけ言って再び俯いてしまった。うーん、調子狂うなぁ。こんなに大人しいと迫る気も失せるってもんだよね。


【二日目】

 今日のルキくんは迎えをユーマくんに頼んだらしい。登校時の車内でも同じ様子だったし、昨日覚えた違和感はいよいよ確信に変わりつつあった。
 現在は食事中。ユーマくんとおかずの取り合いをしたりしたが、今は全員メインは食べ終えていて、テーブルにはデザートが並んでいる。今日はチーズケーキだ。向かい側でユーマくんとアズサくんが学校の話をしながらフォークで乱雑にケーキを食している。ルキくんは相変わらず品のある動作で黙々とケーキを口に運ぶ。隣に座るエム猫ちゃんは憂鬱です、と表情で語っていて、全くフォークが進んでいなかった。ふと思い立っておれは自分のフォークでケーキを刺して、

「エム猫ちゃん、はい、あーん♪」

 エム猫ちゃんは困惑顔でおれを見ている。もう一度あーん、と言って口を開けるよう催促すれば、彼女はさりげなく(と彼女が思っているだけで割とあからさまに)ルキくんに視線を向けた。しかしおれの声が聞こえているはずのルキくんがこちらを見ることはなく、やはり黙々とケーキを食べている。エム猫ちゃんは悲しそうな顔をして、殆ど無意識に口を開けたようなので、ケーキを突っ込んでおいた。
 ははぁん、なるほどね。


【三日目】

「ねえルキくん、いつまでエム猫ちゃんのこと無視するの?」
「さあな」

 ルキくんと二人になった時、唐突にそう訊いてみた。さあな、ねえ。楽しそうに薄く笑うルキくんの顔を見ながら、エム猫ちゃんはとんでもない人に飼われてしまったんだなぁと改めて思った。アズサくんも割と問題児だけど、全て自覚があって行動している分ルキくんも相当タチが悪いのだ。おれやユーマくんなんて可愛いもんだよ、ホント。

「お前も立ち聞きしていただろう? 駄目な家畜には躾をしてやらないとな」
「……あ、やっぱ気づいてた?」
「気づかないはずがない」

 お前も趣味が悪いな、なんて言われてしまう。ルキくんはおれが立ち聞きしているのを知っていて今の今まで言及してこなかったのかと思うと、少しだけ居心地が悪くなった。怖いなぁ本当に。


【四日目】

 放課後エム猫ちゃんを迎えに行くと、人気のない教室から彼女と逆巻さん家のアヤトくんの声が聞こえてきた。会話の内容は言わずもがな、吸血させろというものである。

「だ、だめ! 駄目だからね、触らないで!」
「チチナシのくせに何生意気なこと言ってやがんだ、ああ? この間だってオレに吸われて気持ち良さそうな顔してたじゃん」
「してない……っ!」
「嘘ついてんじゃねえよ!」

 さあて、これは助けてあげるべきなのかなぁ。ガタンガタンと机が動く物音とふたりの言い争う声を聞きながらおれは思案した。っていうかこの間怒られる原因作ったのはアヤトくんの吸血なのか。確かにふたりは同じクラスだもんね。機会も多いはずだ。
 まあ、放っておいてエム猫ちゃんがこれ以上ルキくんを怒らせるのを見るのも可哀想なので、助けに行ってあげよう。そう思って止めていた足を再び教室へ向けると、

「絶対駄目なんだから!」

 そう叫んだエム猫ちゃんが教室から飛び出してきた。服が乱れているが吸血された様子はなく、何とか逃げ出せたらしい。彼女はおれの姿を見つけると、助かった! と言わんばかりに安堵した顔を見せてこちらへ走り寄ってくる。本当に顔に出やすいよね、エム猫ちゃんって。

「おい待ちやがれチチナシィっ!」

 直ぐにアヤトくんが飛び出してきたが、おれが居るのに気がついて心底忌々しそうな顔をした。

「チッ……面倒せぇヤツがいやがる」
「ごめんねぇ、エム猫ちゃんはうちの家畜だからさ、さっさと諦めてよ」
「フン、誰がオマエらの言うことなんか聞くかよ!」

 覚えてやがれ! なんて今時珍しい古臭い捨て台詞を吐いて、逆巻さん家のアヤトくんは去って行った。


【五日目】

 エム猫ちゃんがついに折れた。
 彼女はおれの部屋にやってきた。相談があるから聞いて欲しい、と。内容は何となく想像がついたので、彼女を部屋に招き入れベッドに座らせると、暫く沈黙した後、彼女は耐えきれないといったように涙を見せた。

「ルキくんに……避けられてるの……」
「みたいだね〜」
「ここ五日ずっと吸血もされてない。……ねえ、コウくん達って吸血しなくても大丈夫なの? お腹空いたりしない?」

 逆巻さん家のように純血種のヴァンパイアなら、吸血をしないと途端に空腹感を覚えるだろう。それは人間の食事で紛らわせるものではない。一方元は人間のおれたちは、ある程度人間の食事で空腹を満たせる。彼女が訊きたいのは、五日吸血しなければどの程度人間の食事で誤魔化せなくなるのだろうか、ということのようだった。

「まあ五日くらいなら我慢出来るけど、普段からエム猫ちゃんの美味しい血を吸ってるルキくんがどうかはわかんないなぁ」
「そう……」
「ねえねえ! 吸血されなくて物足りないならおれが吸ってあげよっか?」

 からかい半分本気半分でそう提案すると、エム猫ちゃんは力なく笑った。うーん振られちゃったよ。

「もし、もしルキくんがお腹減ってたら……他の女の子の血を吸ったりするのかな……」

 彼がそんなことをする訳がない。大体、エム猫ちゃんの美味しい血を日常的に吸っていたら、今更他の女の血なんて飲めたものじゃないだろう。彼女自身そう思ってはいるだろうが、ここ最近の冷たいルキくんの態度と、吸血していないにも関わらず特に空腹を覚えている様子もなく普段通りな姿に、頭の片隅に存在する懸念を無視できないみたいだ。ここでおれが安心しなよ、と言うのは簡単だが、それでは面白くない。おれはわざと困った顔をして、言いにくそうに告げてやる。

「さあ……おれにはわかんない」

 そっか、と呟くエム猫ちゃんの声は震えていた。


【六日目】

 仕事から帰ってきて自分の部屋に向かう途中、いつかのようにルキくんの部屋から話し声が聞こえた。やはりエム猫ちゃんとルキくんのものだった。

「用事があるなら早く言ったらどうだ」
「……」
「読書の途中なんだ。お前のだんまりに付き合ってやる時間はない。言うことがないならさっさと部屋に戻れ」
「……どうして吸血しないの? 話し掛けても直ぐ何処かに行っちゃうし、顔も合わせてくれない」
「何故だと思う?」
「……私が、アヤトくんに吸血されたから?」
「あまつさえそれを俺に黙っていたから、だな。なんだ、分かっているじゃないか。それなら、ここ数日の俺の行動の意味も分かるはずだが」
「……罰、なの?」
「そうだ」
「……」
「話が終わったなら部屋に戻れ」
「……他の女の子の血を吸ってるの?」
「さあ? お前に教える必要性は感じないが?」
「…………ね、が……」
「聞こえないな。言いたいことがあるならはっきり言え」
「お願い……だから……他の女の子の血なんて……吸わないで」
「ほう。ならばお前は、俺に餓死しろと言いたいのか。主人の俺が死ねば家畜のお前は逃げられるとでも? 随分生意気なことを言うんだな」
「ち、違うよ……!」
「……はぁ。お前は俺にどうして欲しいんだ」
「……他の女の子から血を吸わないで欲しい」
「それだけか?」
「……わ、私の血を、吸って欲しい……っ」
「口の聞き方がなっていないな」
「……お願い、します、私の血を……吸ってください……」

 衣擦れの音が聞こえてきて、ルキくんが立ち上がったらしいのがわかった。きっと彼の顔には悪ーい笑みが浮かんでいるに違いない。これから聞こえてくるであろう音から逃げるように、おれは自室へ戻った。ここ数日分とお仕置きを兼ねてたっぷり吸血されるのだろう、明日エム猫ちゃんは起きてこられるだろうか。彼女の苦労を憐れみ心の中で彼女に合掌した。


【最終日】

 結局エム猫ちゃんは一日中ルキくんの部屋から出てこなかった。食事中エム猫ちゃんが居ないのを不思議に思ってルキくんに問えば、最後に失神してから目を覚ましていないと言われた。最後に、ねえ。きっと快感のあまり失神したエム猫ちゃんを何度も何度も起こして吸血したんだろうなぁ、意外とルキくんは肉食っぽいしね。

「で、何処から何処までがルキくんの計画なの?」
「人聞きが悪いな。俺は罰を与えただけだが?」
「そーんな悪そうな顔で笑いながらよく言うよ。散々焦らされたエム猫ちゃんが自分から吸ってくださいって言うところまで計算の内だったくせに、さ」

 笑うだけで答えないところを見ると、それは事実らしかった。言及はされていないし知らせてもいないが、きっと、おれがエム猫ちゃんに吸血しようとしたことも、逆巻さん家のアヤトくんが迫ったことも、その全てをエム猫ちゃんが断ったことも全てお見通しだろう。それどころかそれさえ計算にいれていそうだ。エム猫ちゃんに食事を持っていくルキくんの背中を見ながら、本当に怖い人だなぁと、おれは思わずにはいられなかった。


全ては彼の思惑通り


(20131029)


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -