家畜を今まで屋敷に閉じ込めていたのは、血眼になって家畜を探す逆巻の連中から目を欺くためだった。けれどそんなものは建前に過ぎない。学校へ行く程度なら、俺と弟たち、そして使い魔などを使えば、逆巻の連中への牽制など容易く出来たはずだ。では何故俺は彼女を屋敷に閉じ込めていたのかと問われれば、ただの気まぐれとしか言いようがなかった。
 あの方の目的のために必要な女。ただそれだけの存在。けれど自我を持つ生き物を無機物のように扱うのは土台無理な話で、それならばと暇つぶしがてら彼女で遊んでいたのだ。言うことを聞かない家畜を躾けるのは面倒な作業ではあるが、従順な家畜が出来上がるまでの過程が楽しいのも事実であった。
 人間としての尊厳を踏みにじり、精神的な揺さぶりをかけたうえで、飴と鞭を繰り返し与える。それは一種の洗脳の手法で、心の奥底に反抗心を抱え込んでいるあの女を洗脳し飼い馴らしてやろうと思っていた。そうすればあの方の目的を達成するのにも有利に事が運ぶだろうと。
 二度目に人間としてのプライドを打ち砕いた時だった。あの女は俺の靴を舐めながら倒れた。突然動きが止まったかと思えば、人形のように床に崩れ落ちたのだ。少々やり過ぎたかと俺らしくもない反省をしつつ彼女の回復を待っていた。やり過ぎた分飴の量を増やしてやろうと、思っていた。
 次に目を覚ました時、彼女の瞳に光はなかった。そこで俺は、二度にわたる精神への揺さぶりが彼女の心を破壊したのだと理解した。これでは面白くない。今の彼女に何を命じても、意思のない肉の塊は感情も抱かず俺の言うことを聞いただろう。別に俺は自分の思いのままに操れる人形が欲しいわけではない。そんなもの使い魔にやらせれば良いのだから。
 どうすれば彼女の気力が戻るような飴を与えられるか、それを考えた結果が学校へ連れて行くことだった。それだけだ。
 ……本当は認めたくないだけだ。瞳から光を失った彼女を哀れに思っただなんて。彼女の顔に浮かぶ死相に柄にもなく焦りを感じただなんて。認めたくないだけなのだ。

 学校に連れていってやると告げた時のあいつの表情は、この世で信じられるのは自分だけと訴えてくるような、悲壮感に満ちたものだった。俺を完全に敵として認識した目だった。勿論、ヴァンパイアと人間という種族の違いがある以上、俺はあの女を食糧にするし、あの女は俺に血を捧げるしかない。覆されることのない絶対的な力関係。そんなもの最初から分かりきったことだった。敵意を向けられるのは当然だ。
 なのにどうしてだろう。あの女が俺を見るその目が、どうにも気に入らなかった。胸を抉られるような不愉快な痛みが広がった。自分でも理解し難い感情が、家畜ごときが原因で湧き上がっている事実に苛立ち、自分を把握し切れていない自分自身の不甲斐なさに苛立った。

   *
 
 家畜を学校へ連れて行った日の帰り。車の中から窓の外の街並みを眺める瞳には羨望があった。きっと彼女は自分がそんな顔をしていることに気づいていない。彼女を屋敷に閉じ込めているのは俺だと言うのに、彼女のそんな顔を見ていると胸のあたりにざわざわと不快な感覚があった。
 ふと彼女が俺の顔を見る。いつまで経っても口を開かないものだからどうした、と問えば、彼女は頬を緩ませてこう言ったのだ。

「ルキくん、今日はありがとう」

 ありがとう。……ありがとう?
 お前の自由を奪ったのは俺だというのに。お前がついこの間まで当然のように享受していた日常のほんの一部を返してやっただけだというのに。どうして彼女がこんなに嬉しそうにしているのか、理解できなかった。

「学校に連れてきてくれて、本当にありがとう。すごく嬉しかった」

 ……そういえば、毎日嫌というほど顔を合わせているが、彼女のこんなに嬉しそうな顔は初めて見た気がする。随分と間抜けな顔で笑うらしい。

「……別に感謝されるようなことをした覚えはないが」
「それでも言いたいの。本当にありがとう」

 真っ直ぐに向けられる視線が心底居心地悪く感じて、俺は顔をそらした。
 家畜のくせになんだというのだ。



(20131108)
(20131122)加筆修正


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