初日にやたら私の恐怖心と不安を煽った割に、ルキくんの私への扱いは意外にも普通のものだった。行動の決定権を奪われると言ったって、行きたい場所があればルキくんに「行ってもいい?」と訊けば良いだけなのだ。ルキくんは基本的に駄目とは言わないので、結果として私はこの邸宅の中であればある程度自由に動き回ることが出来た。ルキくんの自室に閉じ込められるとばかり思っていた私にとってこれは嬉しい誤算であった。
 それに、この家での生活も中々悪くない、と思い始めている自分が居た。ルキくんを始め、この家で暮らす者はヴァンパイアであるのに日中に生活したり人間の食事を摂ったりと、逆巻兄弟たちよりは人間に近い生活を送っている。逆巻家では否応なく夜型の生活を強いられていた私としては、普通の、人間らしい生活を送れるのは大変嬉しかった。食事に関しても、お父さんと暮らしているときはお父さんの仕事の都合で一人っきりで食事を摂ることも多かったし、逆巻家では理不尽に課せられた不本意な晩餐会のせいで皆ピリピリしていて、心おきなく食事を楽しむことが出来なかった。それにひきかえこの家では、各々食事のスタイルに違いはあれど皆楽しそうに食事を摂っていて、何だか家族が増えたような、そんな嬉しさがあった。ルキくんに言えば嘲笑されてしまうかもしれないけれど。
 これで学校に行ければもっと良いのだが、それは高望みしすぎかもしれない。ルキくんは言葉には出さないものの逆巻兄弟を警戒しているようだった。多分それは私の血を逆巻兄弟に渡したくないからだろう。それを考えれば、私がこの屋敷を出られないのも理解できなくはない。……納得は、出来ないけれど。


   *


「ルキくん、紅茶淹れてきたよ」
「ああ、ご苦労」

 ルキくんは読んでいる本から視線を上げないまま傍らに置いてあるテーブルを指差した。そこへ置け、ということなのだろう。トレーを置いてカップをルキくんに差し出してから、私も自分の分に口をつける。んん、今日は上手く淹れられた。色も香りも味も申し分ない。自分の仕事に達成感を抱いていると、ルキくんが小さく「悪くないな」と呟いたのが聞こえた。目線は相変わらず本に注がれているから、もしかしたら本の内容のことかもしれないけれど、ここは自分に都合よく紅茶の味のことだと思っておこう。
 ここ数日でわかったことだが、ルキくんはかなりの読書家だ。暇さえあれば本を読んでいる気がする。速度も異様に速い。こうして見ている間にも彼の指がページをめくった。

「はあ……」

 それにしても、暇だ。ルキくんは本に集中しているようで何となく声をかけるのを憚られる。雑談するにしても、部屋を出る許可を得るにしても、ルキくんに声をかけなければならないので、結局私は沈黙して部屋に居るしかなかった。
 何かないかな、と部屋の中を見回すが、あるのは必要最低限の家具と平均よりは多いであろう本だけだ。何とも殺風景な部屋だった。
 本当に、暇だ。服が汚れるのも厭わず床に腰を下ろす。壁に背中を預け膝を抱えて、ぼんやりと天井を見上げた。このまま寝てしまおうかな。ベッドは読書中のルキくんが使っているから近寄れないし。膝に額をつけて目を閉じた。その時だ。

「お前は、逆巻の連中とどんな生活を送っていたんだ?」

 ハッと顔を上げてルキくんを見る。彼は先ほどまでと変わらずに視線を本に落としていた。……私の幻聴だろうか。暇すぎてついに幻聴まで聴こえるようになったのか、とうすら寒いものを感じていたら、ルキくんがおい、と声をかけてくる。

「え?」
「お前の耳は飾りなのか。逆巻の連中とはどんな生活をしていたと訊いている」

 どうやら幻聴ではなかったらしい。私の耳は正常のようだ。

「どんなって、言われても……。嶺帝学院に転校させられてから、夜型の生活になって、あとは吸血されてたこと以外は普通に……」
「あいつらはどんな風にお前の身体を凌辱したんだ?」
「凌辱、ってそんな、大げさな」
「大げさだと思うのか、お前は。身体中に幾人ものキバの痕を残され、幾人ものヴァンパイアの匂いが染みついているというのに。それとも、何だ? お前にとって好きでもない男に身体を暴かれ吸血されるのは悦びだというのか。吸血されるのは快楽を伴うようだからな。とんだ淫乱だ」

 あまりに酷い言い草に閉口してしまう。返事をしない私を不審に思ったのかルキくんは本から視線を上げてこちらを見た。何故か目を細めて笑っている。

「そうぶすくれた顔をするな。からかっただけだ」
「……」
「とはいえ、逆巻の連中がどんな風にお前の血を吸っていたのか興味があるのは本当だ」

 逆巻家かあ。皆今頃どうしているだろう。私が突然いなくなって、心配……はしてくれないだろうから、怒っているだろうか。むしろ何とも思われていないというのが一番正解に近いかもしれない。
 所構わず吸血されたり心外なあだ名をつけられたり、それなりに酷い扱いを受けていたけれど、離れてみれば懐かしいと思ってしまうものだ。ここ数日外出していないのも相まってその懐かしさが増している。……さみしい、なあ、一人だけでも良いから逆巻兄弟に会いたい。
 突然始まった居候生活に、夜間学校への転校、そこからさらにこの無神邸に軟禁され、ここ数カ月で私の生活は目まぐるしい変化を遂げた。かつて親しみのあったものは全て失ったも同然だ。そんな中で最も馴染み深いのが逆巻兄弟の存在なのだ。いくら無神邸の方が居心地が良いとはいえ、やはり会って数日しか経っていない他人。四六時中気は抜けないし、なんというか、肩が凝ってしまうのだ。だから、別に吸血されたいわけではないけれど、私を酷く扱っていた逆巻兄弟でも会いたいと思うのは、自然な気持ちだった。
 それにしても、どんな風に吸血されていたか、か。吸血されている間は気持ちがいっぱいいっぱいで、意識をつなぐのも必死だったから、鮮明な記憶はあまりない。だからどんな風に吸血されていたかと訊かれても、覚えていないとしか言いようがない。けれど今考えていることをそのまま言ってしまえば、また「残念な脳みそだな」とか何とか言って罵倒されてしまうだろう。さて、私はルキくんの質問にどう答えたら良いだろう?
 そこまで考えた時だった。
 ばしゃっ、という音と共に突然頭に冷たいものがかかった。

「……え?」

 豊かな香りが鼻をくすぐる。少し変質しているとはいえ間違うはずもない、この匂いは先ほど私が淹れた紅茶のものだ。
 ポタポタと紙を伝って床に落ちて行く水滴を凝視する。全く状況が理解できず、取り敢えず冷たさがやってきた方へ顔を上げれば、すぐ近くにルキくんがいることにようやく気がついた。彼の右手には白いティーカップが握られている。数秒間頭の中が真っ白になったあと、何となく理解できた。
 ルキくんが、私の頭に、紅茶をかけた。

「え、ルキくん、どうして」

 私は彼に何かしてしまったのか。どうして彼はこんなに冷たく怖い瞳をしているのだ。無表情のルキくんは私の問いに答えてくれず無言で私を見下ろしている。もう一度どうして、と言いかけたところで、ルキくんは右手に持っていたカップを後ろに放り投げその手で私の首を掴んだ。

「ぐ、っ、くるし……ッ」
「当り前だろう。苦しいように絞めているんだ」
「ど……して」
「お前、さっき何を考えていた? 嬉しそうに顔を綻ばせて、逆巻の連中に与えられた快楽でも思い出していたのか」
「ちが……っ」

 何とか否定するけれど、ルキくんの目を見る限り信じて貰えた様子ではない。
 というか、何で私がルキくんに弁解しなければいけないのだ。理不尽な苦しみに少しだけ腹が立った。

「……ん? 今、生意気なことを考えたな。お前が俺に弁解しなければいけない理由などひとつしかないだろう」

 何で私の考えていることがわかったんだ。そう疑問に思うけれど、ルキくんの目を見れば、見透かされるのも当然かもしれない、なんて意味のわからない納得をしてしまう。それほどまでにルキくんの目は、なんでも知っているような光を持っているのだ。

「お前が、俺の家畜だからだ。その身体に流れる血は勿論、身体も心も、逆巻の連中なんぞに渡しはしない」

 私に言い聞かせるように言うと、ルキくんは首を絞める手を緩めないまま、鎖骨の辺りに舌を這わせてきた。そういえば今の今までルキくんに吸血されたことはなかった、とここ数日のことを思い返しながら、酸素が薄れ視界が白く染まる中でぼんやり考えた。がぶり、なんて音がしそうなくらい強く噛まれたかと思えば、ルキくんの喉が私の血を飲み下す音が聞こえる。

「……ん、これは確かに……美味いな、ふ」

 なんだこれは。血液と共に気力や体力まで吸い上げられているような錯覚に陥る。今まで何度も吸血されてきたが感じたことのない疲労感と倦怠感。それらが身体中を支配していく。頭が真っ白になって、もう何が何だか分からない。身体から力が抜けて今にも倒れそうなのに、ルキくんが首を掴んでいるせいでそれも出来ない。
 ついさっきまでそれなりに平凡な日常だったのに、どうしてこうなってしまったのだ。
 無神家での生活に安心感を覚え始めていたこともあり、私は忘れてしまっていたのかもしれない。彼らはれっきとしたヴァンパイアであり、私の血を手に入れるために、そのためだけに私を飼っているのだという事実を。
 突然信頼していた人に背後を撃たれたような、裏切られたという悲しさが胸を支配する。その信頼も私の勘違いだったのだというのがまた情けないことだった。
 息の出来ない苦しさと勘違いして勝手に裏切られた気分になっている自分への情けなさで涙が出てくる。んん、と唸りながらキバを抜いたルキくんは、唇についた血を舌で舐めとった。それからようやく私の首を解放する。私は床に倒れこんで咳き込み、勢いよく酸素を吸い込んだ。肩で呼吸を繰り返す私の顎を掴んで、ルキくんが無理やり目を合わせて来る。

「……良いか、覚えておけ」
「げほっ、はっ、うぁ」
「お前の全ては俺の物だ。俺の許可なく他人に分け与えるな」
「はぁっ……はっ、ふ」
「良いな?」

 声が出せない代わりに何度も頷けば、ルキくんは満足そうに微笑んで私の頬を撫で、涙の滲む目元に口づけを落とした。



(20131108)


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