※もしユイちゃんが潔癖で淫乱じゃなかったら?


 穢された、穢された、穢された!!
 頭の中でその言葉がぐるぐる回り、徐々に現実逃避から戻ってくるにつれて、私の心を深く、暗い闇が支配した。絶望、だった。

「んっ、何だこの味……美味ぇ……」

 唇についた血を拭いながら感慨深げにそう言葉を漏らすアヤトくん。翠色の瞳に欲望の炎が燃えていて、得体の知れない感情を向けられていることに心底吐き気がした。

「や、やだ! 離して、来ないで!」
「チッ、暴れんじゃねぇ! まだ吸いたりねーんだよ、んなに暴れたら吸いづらいだろうが!」
「やだ気持ち悪い触らないで来ないで!!」
「い、ってぇ! 何しやがるチチナシっ、おい逃げんな!」

 アヤトくんを突き飛ばし、私を捕まえようと伸ばして来る手をすり抜けて私は走った。後ろで私を呼び止める声が聞こえるけれどそれどころじゃない。身体中に渦巻く嫌悪と不快感に頭がどうにかなってしまいそうだった。
 浴室に駆け込み蛇口を捻る。出てくる液体がお湯に変わるのも待って居られなかった。服が濡れるのも構わずに冷水を浴びて、私は首筋を擦った。
 何度も何度も擦る。キバの痕が開いて血がでてきたけれどそれでも構わずに擦った。何度洗い流しても、あの気持ち悪い、肌を這う舌の感触が、唾液の温度が残っている気がして、叫び出したくなる衝動に駆られた。
 穢されてしまった。

「ったく、このオレ様を突き飛ばして逃げ出したかと思えば、こんな所で水浴びかよ。オマエの血が流れちまってんじゃねえか、勿体ねえな。水に流すぐらいならオレに寄越せ」
「っ、アヤトくん……!?」
「あ? 何泣いてやがんだ」

 いつのまにか浴室にやってきていたアヤトくんが、床にへたり込んでいる私に歩み寄ってくる。震える身体でなんとか距離を取ろうと後ずさるが、二メートルもしない内に背中が壁に当たってしまう。そんな私の逃亡を見下ろしながらアヤトくんは喉の奥で嗤った。

「ククッ、後ろは壁だぜ? さあどうする? いい加減逃げんのは諦めろよ」
「だって、逃げなかったら血を吸うんでしょ……?」
「ったりめーだろ、何言ってんだ。どういう訳かオマエの血は信じらんねーくらい美味えからな、オレが満足するまで吸わせろ。もちろんオマエに拒否権なんかねーぜ?」
「いやだ!! 触らないで!!」

 既にお湯に切り替わっていたシャワーヘッドを掴んでアヤトくんに向ければ、服を濡らしたアヤトくんが殺意混じりに舌打ちをして私の手からシャワーを奪い取った。ギリギリと手首を締め上げられる。

「……随分生意気なことしてくれんじゃねえか、ああ? オマエ誰に向かってお湯かけてんだよ。おかげでビショビショになっちまったじゃねえか、気持ち悪ぃ」
「やだ、やだ、触らないで、手を離して!」
「うっせー騒ぐな! 何でそんなに頑ななんだよ、さっき血ぃ吸った時気持ち良かっただろ? オレは美味い飯が食える。オマエは気持ち良くなれる。万々歳じゃねーか」
「気持ち良くなんてない! 吐き気がするほど気持ち悪いからやめて血なんて吸わないで!!」

 穢されてしまった、今も触られている。掴まれた手首から得体の知れない毒が身体を侵食されているようで、とても気持ち悪い。ぼろぼろと零れる涙が止まらない。せめてもの抵抗とばかりにアヤトくんを睨めつけると、彼は突然私の手を離して溜息を吐いた。

「あーあ、萎えた。オマエの血があんなに美味くなかったらソッコー殺してるくれぇうぜぇわ。次オレが吸いたくなったときは覚悟しろよ、今日の借りを返してやる。せいぜい水でも浴びて風邪引いてろバーカ」

 浴室を出て行くアヤトくんの姿を見送って安堵した。シャワーが私の足元にお湯を浴びせるけれど、そんなことお構い無しに私は自分の身体を抱きしめた。此処に居たら穢されてしまう。これ以上私の身体に触られるなんて耐えられない。今夜中に出て行ってやる。


   *

「バカじゃねーのオマエ。教会に逃げ込むなんてよ。カミサマにお祈りでもするつもりか?」

 なんで、どうして?
 お父さんと暮らしていた教会に逃げ込んで一時間もしない内にアヤトくんはやってきた。何で此処がわかったのだろう。困惑で言葉を出せずにいる私をよそに、アヤトくんは物珍しそうに辺りを見回していた。そうだ、吸血鬼が今、神聖な教会を踏み荒らしているのだ。その事実を再確認するだけでぞっとした。こんなこと赦される訳がない。

「はっ、また泣きそうな顔してんな、オマエ。うるさく喚くのはうっぜーけど、そうやって涙目になってる顔は悪くねぇ」
「何で、追いかけてくるの……」
「オマエの血が吸いたりねえ。それから、そのオレを拒否する態度が気に食わねえからだ」
「や、やだ、出てってよ!」
「なあ、オマエ、カミサマとか信じてんのか?」
「な、に……? 信じてたら何だっていうの?」
「へえ。今こうやってヴァンパイアに襲われそうになっている子羊に手を差し伸べてくれず、そこからオマエを見下ろして高見の見物決め込んでる胸糞悪ぃカミサマを、信じてんのかよ、なあ?」
「そんな、こと」

 分かってはいる。これはただの挑発だ。このアヤトくんという人物は人を怒らせて楽しむ節がある。きっと私の逆鱗に触れることを言って楽しもうとしているだけなのだ。
 大体、神様はそんな都合の良い存在ではない。助けて欲しいと願って助けに来てくれるようなスーパーヒーローではないのだ。だから此処で私が神様に助けてと祈ったところで、状況が変わるはずもない。
 分かっては、いるのだ。なのに何故なんだろう。私の心には曇りが生まれていた。何で、助けてくれないの。こんなに困っているのに。そんな、神様を恨む気持ちが生まれていた。なんて罪深いのだ、私は。芽生えた気持ちに嫌悪するけれど、自覚すればするほどに、恨めしい気持ちが増していく。

「オマエのそのカミサマへの信仰心。ぐちゃぐちゃに踏み潰してゴミ箱に投げ捨ててやりてえ」
「お願い、許して……許してください」
「やだね。オマエが自分から吸血されて気持ち良い、吸ってください、って求めてくるまでオレはオマエを絶対逃がさない」
「……っ!」
「そんなにカミサマが大事なら、今ここで捨てさせてやるよ。オマエが吸血に快感を見出してぐちゃぐちゃになるまで、ここで血を吸い続けてやる。オマエの大事なカミサマは、オマエの純潔がヴァンパイアに穢されていく姿を見てどう思うんだろうな?」

 怯える私を床に引き倒して馬乗りになると、舌舐めずりをしながら私の服を引千切った。誰もいない教会にアヤトくんの高笑いが響く。
 こみ上げてくる吐き気に耐えきれず、私は意識を手放した。


(20131105)
教会で聖職者が異種族に汚されるのって萌えますよね、という話。もしユイちゃんが行きすぎた潔癖ならそれはそれで面白かったなぁと思います。


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