※出しゃばるオリキャラ




「こ、小森さん!」
 緊張のあまり声がひっくり返る。
 呼び掛けに反応して、金色の髪を背中に流した女がゆっくりと振り返った。
「……なに?」
 放課後の教室にはまだまだ生徒が残っている。その女の澄んだ声は喧騒の中でもよく通って耳に届いた。
 彼は手に浮かんだ汗をズボンを握って拭い、深呼吸をして気持ちを落ち着ける。それから意を決して口を開いた。
「小森さん、い、今から……暇かな? 君と話がしたいんだ、一緒にご飯でも食べに行かない……?」
 誘い方が露骨過ぎただろうか、けれど少し強引に接点を持たなければ、彼女とは一生かかっても距離を縮められない。
 彼は小森ナマエに恋心を寄せているのである。
 高校に入学した時から、人形のような作り物じみた美しい顔の女子生徒のことは噂になっていたし、彼も聞き及んでいた。二年生に上がってから初めてクラスが同じになり、いつの間にか彼女の姿を目で追うようになり、気付いた時には恋をしていた。しかし普段から誰とも交流を持たず一匹狼を貫く彼女である。会話など一度もしたことがなく、もしかすると彼女は自分の名前さえ知らないかもしれない。
 彼女のことがもっと知りたい。仲良くなりたい。あわよくば彼氏彼女となって一緒にデートをしたりキスしたりしたい。
 ゆっくり交流を深めようにもどんな戦略で攻めれば良いか分からない。まずは自分の存在を知ってもらい、一度も話したことがない段階では無謀だとも思うが、告白をし、振られるにしろ承諾されるにしろそこから距離を詰めよう。
 そして彼は勇気を振り絞って今、彼女に声を掛けた。
 彼女は彼の顔をじっと見詰めた。初めて真正面から向かい合い、彼の心臓は破裂してしまいそうなくらい高鳴る。
 沈黙が続く。やはり誘いが唐突過ぎただろうか、と不安が渦巻く。一度も話したことのない相手から、放課後にご飯に誘われるなんて、意図を疑わないはずがない。ここから親睦を深めようという作戦だったが、そもそも一匹狼の彼女が誘いに乗ってくれるかどうかも怪しい。
 ああ、もう少し冷静になって作戦を練っていれば。しかしいくら悩んだところで良い案は浮かびそうもない。彼女にじっと見据えられながら、ぐるぐるとそんなことを悩んだ。
「いいよ」
 けれど彼の不安に反し、思いの外軽い語調で承諾を得る。告白を受け入れられた訳でもないのに心の内が舞い上がった。
「ほっ、ほんと!?」
「うん」
「ありがとう! じゃあ、行こう!」
 逸る気持ちを抑えきれず、彼女の手首を掴みそうになってすんでのところで我に返る。慌てて誤魔化し、不思議そうに首を傾げる彼女を連れて教室を出た。




 高校から徒歩十五分ほどで着く繁華街、その中のファーストフードの有名チェーン店へやってきた。
 彼は夕食も兼ねてハンバーガーとポテトのLサイズとドリンクを、彼女はポテトのSサイズとストロベリーシェイクを注文し、二人掛けの席に向かい合って腰を下ろしている。
「……」
「……」
 そしてふたりは黙々と食事の手を進めていた。気不味い沈黙に彼は狼狽える。何から話して良いか分からなかった。
 舞い上がって高校を飛び出したは良いものの、此処にくる道中、勇気を振り絞って会話を振る彼に対し、彼女の返答は実に淡白で素っ気ないものだった。名前を名乗ってみたら案の定彼女は自分の名前を知らず、淡白な態度と相俟って自分への無関心さを痛感してしまい、意味もなく傷心したりした。やがて彼の勇気も徐々に萎んでいき、この店に着くころには彼女と同じようにすっかり黙り込んでしまっていた。
 居心地の悪い沈黙から意識を背けるように、ハンバーガーを貪る。それでも憧れ恋した女の子が目の前にいて、視線は自然と吸い寄せられる。赤い瞳を伏せ、桜色をした薄い唇がストローを加えてシェイクを吸い上げる様が、下品ないやらしさはないのに不思議と官能的に見えて、頬が熱くなった。
 ストローから口を話した彼女が、ふと彼を見る。唇に目を奪われていたことが暴露たのか、変態と罵られるかと冷や汗をかいたが、彼女の表情に不快や疑問といったものは浮かんでいなかったので、一先ず安心する。
「それで、君が私を呼んだ用事って、なに?」
 本題を切り出される。ついにきたか、という心持ちだ。
 先ほどフルネームを名乗ったにも関わらず苗字さえ呼んで貰えないことに少し残念感を味わわされつつも、その問いにどう答えようと思案を巡らせる。
「俺、小森さんのこと、ずっと気になってて。仲良くしたいなって、思ってたんだ。けど、一度も話したことなかったし、それに君は俺の名前も知らなかっただろ?」
「……人の名前覚えるの、苦手で」
「うん、それは良いんだけど。だから俺の名前を知ってもらって、仲良く出来る切っ掛けを作れたらな、って」
 緊張とは裏腹に、すらすらと言葉が出てくる。本当は当たって砕ける勢いで告白をするつもりだったのだが、口に出しているのは友達になりたいと匂わせる内容だった。
 恐らく、と彼は考える。
 恐らく、一匹狼な女子生徒という印象から想像していたほど、彼女が排他的な人間では無かったからだ。淡白で素っ気ない返事をするものの、誘い自体には承諾してくれたし、話を無視するわけでもない。
 教室で初めて対面した時、自分に対して不快な印象を抱いていれば、誘いを即座に断っていただろう。こうして一緒に食事をしてくれるということは、少なくとも悪印象は持たれていないはずだ。ならば、今日から少しずつ親睦を深める正攻法でも彼女と特別な間柄になれるのでは、と作戦を変更したのだった。正攻法で攻略出来る可能性が見えているなら、玉砕覚悟の告白という最悪二度と話をして貰えないような戦法を選ぶ必要もない。
「こんなこと口に出して言うことでもないんだけど。俺と友達になってくれない、かな?」
 まずはね、と心の中でだけ付け足す。彼の最終目標は変わらず彼氏彼女の間柄になることである。
 赤い瞳をぱちぱちと瞬かせ、不思議そうに首を傾げつつ、彼女は「いいよ」と端的な承諾を口にした。
 まずは友達として受け入れて貰えた。あの誰も寄せ付けないような冷たい空気を醸し出している彼女に。それは彼に喜びと安堵を齎した。
「本当? ああ、良かった。すごく緊張した。突然こんなこと言って引かれるか心配だったんだよね、実は」
「そう」
「あっ、そうだ小森さん、携帯持ってる?」
「? うん」
「アドレスと電話番号教えてくれない? 連絡取りたいからさ」
「……いいけど」
 彼女が鞄の中を探って携帯をテーブルの上に置いた。メタリックピンクで角が角張っている折り畳み携帯だ。ストラップにビーズで作られた白い兎がついていた。クールな女の子だと思っていたのに持ち物は意外に可愛らしい。振る舞いと嗜好のギャップに彼は微笑ましい気持ちになった。
「私、使い方がよく分からないから、君がやってくれる?」
「もちろん。ちょっと借りるよ」
 現代っ子のくせに携帯の使い方が分からないとはどういうことだと一瞬疑問に思ったが、そんなことはおくびにも出さず彼はメタリックピンクの携帯を手に取った。
 老人や子供でも使えそうな、機能が最低限しかないシンプルなものだった。下手なフォルダを開いてプライバシーを侵害しないよう慎重に操作し、新規アドレス入力画面を開く。生憎彼のスマートフォンには赤外線通信機能が備わっていないので、面倒だが手打ちでアドレスと電話番号を入力させてもらう。フルネームもしっかり入力しておいた。彼も自身のスマートフォンに彼女のアドレス電話番号を入力した。
「登録しておいたよ。貸してくれてありがとう」
 携帯を差し出すと、白い手が受け取った。一瞬指先が触れてどきりとするものの、動揺を悟られないよう平静を装う。
「試しに今メールを送ってみるから、ちゃんと届くか確認してもらっていい?」
「うん」
 スマートフォンの新規メール画面を開き、新しく登録したばかりのアドレス宛に自分のフルネームを書いてメールを送る。十数秒の間を開けて、目の前の女の子の携帯がライトを光らせて震えた。彼女が携帯を開き画面を確認し「届いたよ」と報告する。無事にアドレスは交換できたようだ。
 それからふたりは雑談をし始めた。彼の口調が幾分気安いものに変わる。目の前にいる女の子はもう、一度も話したことのない憧れの想い人ではなく、友達なのだ。確実に縮まった距離に喜びと、ほんのちょっとの優越感を覚えた。
 自分と同じように彼女に憧れ恋をしている人間はクラスメートは勿論同学年後輩先輩果ては先生まで数多く存在している。もっとも彼のように実際に接点を持とうとするのはごく僅かであるが。そして普段誰ともつるまず一匹狼を貫く彼女のことだ、きっと仲の良い友達はほとんど居ないだろう。そんな他の人間たちのなかで、自分は一歩前に出ている。そう思うと優越感を抱かずにはいられない。
 時折気不味い沈黙がおりたが、雑談は続いた。端的な肯定否定の返事しか返って来ずとも、彼女と会話出来ている、彼女が自分の話を聞いてくれているだけでそれは夢のような時間だった。
 その夢のような時間を途切れさせたのは、メタリックピンクの携帯が鳴らす着信音だった。彼女はディスプレイに表示された名前を確認すると、彼に軽く頭を下げて通話に出た。
「なに? ……。高校の近くの繁華街。……。クラスメートとご飯食べてた。……。うん。……。食べる。……うん。……。うん、じゃあね」
 通話終了のボタンを押して携帯を鞄に仕舞うと、赤い瞳が彼に向けられた。
「帰ってこいって言われたから、帰るね」
「あっ、もうこんな時間か。長々ごめん」
 腕時計で時間を確認すればもう八時を回っていた。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうものである。名残惜しいが仕方ない。
 鞄を肩にかけて立ち上がる彼女に倣って自分も帰る準備をする。二枚並べられたトレーのゴミを纏めて彼女の分も片付ける。
 店の出口へ向かいながら何の気なしに訊いてみる。
「さっきの、家族?」
 すると彼女は少し迷ったように視線を彷徨わせて首を横に振った。家族でないなら一体誰が「帰ってこい」などと連絡してくるのか。
「隣の部屋に住んでる人」
 直感とも言うべきか、正体不明の不安がふつふつと湧き始める。
「……もしかしてその隣の部屋の人って、男?」
「うん」
「…………」
 予想的中だった。
 彼は今年になって初めて彼女と同じクラスになった。一年生の時のことは勿論、中学時代や小学生の頃、幼少期について何一つ知らない。箱入り娘じゃあるまいし、十七年も生きているのだから仲のいい男の一人や二人いるだろう。
 それでも何故か電話の相手のことが気にかかった。彼女の電話相手への口調が、彼に対するものより遥かに柔らかいものに思えたからだろうか。
 携帯の使い方をあまり知らないというほど連絡を取る相手の少ない彼女。その彼女の電話番号を知り、尚且つ気安く帰宅を促せるような隣人の男。彼女の数少ない仲の良い人物、それも自分より遥かに年月の長そうな相手の存在に胸が騒ぐ。
 衝撃でガツンと頭を殴られたような感覚。そしてじわじわと焦燥感が広がっていき、彼の足が止まった。
 彼女は不思議そうに彼を振り返ったが、一緒に退店することを促したりはせず「じゃあね」と言ってあっさり置いて帰ってしまった。
 縮まった距離が急速に開いていく気がした。いや、縮まったと思ったこと自体錯覚だったのかもしれない。




 ナマエが駅に着くと、改札口には既にルキの姿があった。駆け足になったりはせずに普段通りの歩調で自分を待つ男に近寄った。改札を抜けて、並んで家路を歩き始める。
「ユイ、もうご飯食べた?」
「いいや、お前と食べたいからと家でずっと待っている。『お姉ちゃん遅いな、お腹空いた』と嘆いていたぞ」
「そう」
「自習するのも寄り道して買い食いするのも勝手だが、あまり遅くまで出歩くんじゃない。ユイも俺も心配する」
「うん、ごめん」
「いつもいつも返事だけは物分りがいいが、ちゃんと行動も伴ってくれないとな」
「ん」
 会話が途切れ、沈黙がおりる。けれど互いに気まずさを一切感じない沈黙だった。
 家に着くと、空腹より心配が勝っていたような顔でユイが出迎えた。
「もう、お姉ちゃん……遅くなるならメールしてよ、心配するでしょ?」
「うん、ごめんね」
「ご飯待ってたから一緒に食べよ?」
 ナマエがこくりと頷くと、後ろからルキが口を挟む。
「準備に少し時間がかかるから、先に風呂に入ってこい」
「わかった」
 ルキが手を伸ばしてきたので通学鞄を預け、ナマエは寝室から着替えを取ってきて浴室に向かった。
 リビングに残されたユイは、料理の仕上げに取り掛かろうとしたが、ふとルキがナマエの鞄の中を見ていることに気がついた。彼は中からメタリックピンクの携帯を取り出し、何の躊躇いもなく開く。何度かボタンを操作して画面を眺めると、ユイの方を見た。
「悪い、先にやっておいてくれ。少し用事が出来た」
「……うん」
 微妙な顔をしてユイが頷くと、ルキはまたメタリックピンクの携帯に視線を戻し操作を始めた。
 ルキに背中を向けて言われた通り夕食の準備をする。何となく後ろめたさがあって彼がすることを見ていられなかった。
 彼は勝手にナマエの携帯を見ることがある。アドレス帳や画像フォルダやメールの履歴だって当然のように見てしまう。
 最初は断りを入れていた。携帯を見せてくれと言ったルキに、ナマエは何の疑いも躊躇いもなく携帯を手渡し、どんなデータを見られても気にした様子はなかった。ユイならいくら慕っている隣人相手でも、プライバシーを侵害されるのは嫌だし、携帯だって見られたくない。疚しいものがあるわけではないが、自分が誰とどんなメールをしたか、なんて覗かれるのは羞恥心を抱かずにはいられにない。けれどナマエにはそういった感情がないようなのだ。だからユイやルキが勝手に携帯を使ったり覗き見したところで一切気に留めない。
 それからルキは断りも入れずに勝手に携帯を見るようになった。そしてユイは彼がナマエの携帯で何をしているのか察している。
 ふと四十分ほど前のことを思い出す。いつになく帰りが遅いナマエを心配したユイの代わりにルキが電話をかけた。通話が終わると彼は手短に「高校の近くの繁華街でクラスメートと飯を食っていたらしい」と通話内容を教えてくれた。
 ナマエは学校のことを滅多に話さない。どんな友達がいるのか、そもそも友達がいるのかさえ知らせてくれない。お姉ちゃんとご飯を食べるような仲の友達ってどんな人だろう、と不思議に思いながら、ユイはナマエを迎えに行くルキを見送った。
 今のルキの行動を見て、食事相手を察した。
 きっと男の子だったんだ。それもお姉ちゃんのことが好きな男の子。
 ルキがナマエの携帯で確認しているのは、新しいアドレス登録者の名前である。恐らくは今日一緒にご飯を食べた相手の。
 そしてそれを確認したルキが、『ナマエに想いを寄せる男』相手にどんな行動に出るのかも、ユイはよく知っていた。
 なにせルキは、ナマエの周りに男の陰が出来るたびに、ナマエには気付かれぬよう、あの手この手を尽くして追い払っているのだから。
「(ルキお兄ちゃんがナマエお姉ちゃんのことを好きなのも、学校で勝手に恋人を作られたり男の子と仲良くされるのが嫌なのも分かるけど、でも、なんだかなぁ……)」
 何食わぬ顔で恐ろしい手段を用いる隣人に複雑な感情を抱く。もう少し正攻法で攻めれば良いのに。尚且つ、知らない間に自分の携帯でメールを送られているナマエがルキの行動に一切気付かず、たとえ気付いたとしても大して気にしないのが容易に想像出来るからこそ、三人の中では最もまともな常識の持ち主であるユイは微妙な気分にならざるを得なかった。
 頭を悩ませる間にも夕食の準備は終わり、食卓に三人分の皿を並べる。ちょうどナマエも風呂から上がったらしく、寝間着姿の彼女が濡れた頭をタオルで拭きながらリビングに戻って来た。
 まだウサギのストラップがついた携帯を手にしていたルキに気づいて、金色の頭を傾げる。
「何してるの?」
「ああ、少し借りていた」
「そう」
 お互いが当たり前のような顔でそう言葉を交わし、ルキが差し出した携帯をナマエが受け取った。
 三人ともいつもの定位置に座り、食卓を囲む。いただきますと合掌し、食事を始めた。
 他愛もない会話をしている大好きな姉と兄を見つめながら、「ルキお兄ちゃんはお姉ちゃんの携帯でとんでもないメールを送っていたんだよ」と何度も言いそうになり、口を噤んだユイだった。




 翌日の高校で。
 ナマエに想いを寄せるひとりであった彼は、昨晩届いたメールで意思を砕かれ、昨日勇気を出して声をかけ友達になった想い人に近づくことは二度となかった。
 そしてナマエはそれを欠片も気に留めた様子はなかった。




20150520
名前は佐伯ユウタくんです。


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