※説明文
※現代日本の倫理的な意味で胸糞悪い




 唐突に聞かされた告白とプロポーズに、私は驚きよりもまず、呆れ混じりの憐憫の情を抱いた。
 ユイはルキが好きで、ルキもユイが好き。ずっと前から変わらなかった構図。今のところ隣人という関係から進展はないように見えず、だからこそ彼は焦ったのだろう。
 私が大学に入学をし、ユイも高校に入学すれば、より学校に近い賃貸へ引っ越すかもしれない。ユイと一緒に居たい彼には不都合な話だ。しかしあの子はまだ十四歳で、結婚出来る年齢ではない。そこで姉の私を代わりに娶って、間接的にユイとの関わりを継続しようとしている。
 なんて回りくどい方法なのか。ユイがルキを慕っていることに、彼は気付いていないのだろうか。傍目から見ていれば二人が相思相愛なのは明らかだというのに。
 そう考えると、上手く噛み合わない二人の行動と、少し歪んだ方法を採ろうとしている彼に哀しみが浮かんだ。
 会ったばかりのころは胡散臭い男だと怪しんでいたけれど、五年間妹のように私たちの面倒を見てくれた彼を、人から外れた道に進ませるわけにはいかない。
「悪いけど、その話は受けられないよ」
 きっぱり拒否の言葉を口にすると、ルキの黒い瞳がすっと細められた。何故、と目が問うている。
 勝手に妹の恋心を暴露するのは気が引けて、何とか遠回しに、こんな回りくどい手段を選ばなくても良いことを告げるにはどうすればいいか、思考を巡らせた。けれど結局良い案は浮かばす、内心でユイに謝罪し、全てを話すことにした。
「高校を卒業するまでは五年近くあるけれど、ユイが結婚出来るようになるのはあとたった二年なんだよ。だから、待ってあげて」
「……どうしてここでユイが出てくるんだ?」
「君は、気付いていないかもしれないけど、ユイは君のことが好きなんだよ。君も同じ気持ちでしょ?」
「……」
「だから、私と結婚して間接的にユイと一緒に居ようとするなんて回りくどいことをしないで、ちゃんとユイにプロポーズしてあげて。その方がユイも喜ぶよ」
「……」
「ふたりには、幸せになって欲しいから。ね?」
 ルキはじっと押し黙っている。想い人と両想いなのだと告げてもそこに喜びは見当たらず、ちゃんと私の話を理解してくれたのか不安になる。
 長い長い沈黙のあと、いつもより幾分か低くなったルキの声が「つまり」と始めた。
「俺に、ユイと結婚しろということだな? それがお前の望みだと」
 その言葉に安堵する。一先ず私の意思は伝わっていたらしい。こくりと頷いて肯定の意を示す。
「……分かった。お前の望む通りにしよう」
「本当? 良かった」
 いつかふたりが結婚して、ユイが幸せになれる日が来るのだろう。あの子が心の底から幸福を感じて笑うのを見るのが今から楽しみだ。
 そんな『いつか』の想像をして頬を緩める私を見るルキの目は、ぞっとするほど冷たくて、底知れぬ闇を湛えていた。けれど、私はそれに気付かなかった。




 それから五年経って、ルキはユイにプロポーズした。ユイはそれを受けて、大学には進まず、高校卒業と同時に結婚して専業主婦になることになった。細やかな結婚式を開き、ふたりはアパートを引き払って新居のマンションに引っ越した。私は元のアパートで独り暮らしを続けようとしていたけれど、ユイに近くに住んで欲しいと寂しそうに懇願された。どうしようか悩んでいる間に、ルキが勝手にアパートを解約し彼らのマンションの隣のマンションに部屋を借りてしまった。幸い大学に近い場所だったので有難く借り受けることにした。
 ふたりの新婚生活は順調らしい。一週間に何日かは前のようにどちらかの部屋に集まって食事をしているが、その時のふたりは幸せ満点といった様子で、楽しそうに笑うユイの姿を見ているだけで私の胸は温かくなった。
 そんな新しい生活が二ヶ月ほど続いた頃、私の部屋にルキがやってきた。彼が一人で来るなんて珍しいなど思いつつ、見知った人を中に招き入れた。
 すると何故か、壁に押し付けられてキスをされた。
 自分が何をされているのか分からず、とにかく良くないことが起こっているのだという警報だけが頭の中で鳴り響き、その身体を押し退けようとした。けれど逆に腕を拘束され、抵抗も出来ないままずるずると寝室へ引きずられて、乱暴にベッドの上へ投げ飛ばされた。私に覆い被さってきたルキは、感情の読めない瞳で射抜くようにこちらを見下ろして「ナマエ、愛してる」と呟いた。
 その言葉を聞いた途端、頭が真っ白になって、背筋がぞっと冷えていった。
 彼は私を押さえ付けて身体を犯した。破瓜の痛みに泣こうと、心を引き裂かれるような苦しみで「やめて」と制止しようと、行為が止まることはなかった。
「これがお前の望んだことだ」
 そう唸るように吐き出した彼の瞳には、獣じみた情欲と憤怒の炎が灯っていた。
 抵抗も懇願も何もかもを捩じ伏せて、彼は何度も何度も私の身体を犯し、そうして中に精を放った。
 放心状態で口も利けない私の汚れた身体を清めながら、ルキは淡々と事務的な口調で説明した。
 ルキがユイを好きなのも、ユイがルキを好きなのも、全部私の勘違いだったのだと。五年前告げられたプロポーズは、ユイと間接的に関わりを持とうとするためでも何でもなくて、ただ私自身に向けられたものだったのだと。
 しかし私はそれを拒絶したばかりか、勝手な思い込みでふたりの幸せを願っているなどと宣った。それが彼の怒りに火を灯してしまったらしい。何も知らない顔をして、勝手な気遣いを働かせた私を心の底から憎悪したと、彼は言った。
「だが、もう今となっては些細なことだな。紆余曲折は経たが、やっとお前は俺のものになったのだから」
 ルキは優しく笑って、震える私の身体を抱きしめた。




 大学を退学させられ、ずっと自宅にいろと命令された。彼は仕事が終わると真っ直ぐ私の家にやってきて、泣こうが喚こうが無理矢理身体を重ね、そうしてユイの待つ家に帰る生活を始めた。
「どうしてこんなことをするの」
 そう聞いてみたことがある。あの時のプロポーズが本物であったにせよ、今の彼はユイの夫なのだ。不貞行為など許されるはずがない。
 すると彼は私の頬を撫でながら、
「好きな女を抱くのに理由が要るのか?」
 と答えた。
 その嘘で分かった。これは、あの時の恨みと怒りを晴らすために、彼が罰を下しているのだと。彼は私が苦しむ姿を見たいのだ。その執念に突き動かされて、こんな凶行に及んでいる。
 逃げようとしたのは一度や二度ではない。けれど家を抜け出して身を隠すと、何故か彼に必ず居場所を突き止められて、家に引きずり戻される。そしてお仕置きだと称して、声も涙も枯れるほどに犯される。それを繰り返すうちに、逃亡を企てる気力そのものを削られてしまった。
 ユイにはルキが「ナマエは大学の研究で忙しいから、暫くそっとしておいてやれ」と嘘を教えたらしく、あの日以来一度も電話がかかってきたことはないし、訪問もない。
 来る日も来る日も閉鎖空間で息の詰まるような時間を過ごし、ユイへの罪悪感を募らせ、そうして待ちたくもない客の来訪を待っている。
 偽りの愛情で成り立っている夫婦生活は、その存在自体が不幸だというのに、私がそこからユイを救い出そうと真実を告げてしまえば、あの子は更に絶望を味わうことになる。
 私が余計な助言などしなければ、彼がユイの人生を弄ぶようなことにはならなかったはず。幸せを願っていると言っておきながら、ユイを不幸にしたのは他でもない私なのだ。
 私の、せいで。
「……ぅ、」
 耐えきれずキッチンで胃の中のものを吐き出した。食欲が湧かず数日食事をしていないせいで、シンクを汚したのは胃液だけだ。口腔に広がる酸味にまた吐き気を催した。
 閉ざされた精神の中で、思考は空転する。罪悪感は日に日に強くなり、ユイとルキの両方から逃げ出したくなって、少しずつ死への望みが芽生え始めた。
 けれどきっと、彼は死という逃亡さえも許してくれない。彼は彼自身の手で、ゆっくりと地獄を味わわせながら、私の命を摘み取ろうとしているのだ。
 私が自分で命を絶ったとしても、彼の執念で蘇らされるような気がして、恐ろしくて堪らなかった。




「顔色が悪いぞ。大丈夫か? 体調でも崩したか」
「……思ってもいないこと、言わないで」
「心外だな、俺は本当にお前の身体を心配しているんだぞ」
 それなら、何もせず真っ直ぐユイの家に帰って欲しい。無言で睨み付けても伝わるはずがなく――いや、恐らくは伝わっているだろうが、ルキは意地の悪い笑みを浮かべて私の意思表示を黙殺した。
 寝室に連れて行かれて、獣じみた行為が始まる。幾度となく犯され、彼の手で開かれ切った身体は与えられる快楽に従順だ。私の意思に反して、半開きになった唇からは嬌声がこぼれ落ちる。なんて情けない。脳裏にちらつくユイの笑顔に責め立てられているような気分になって、何も考えられないほどに混乱する。そしてトドメを刺すように、耳元で低い声が「愛している」と囁く。耳を塞いでその悍ましい言葉を遮断しようとしても、両腕をシーツに縫い止められてそれは叶わない。何度も何度も、私の罪を知らしめるように、愛の言葉は紡がれる。
 ぞわぞわと背中に悪寒が走る。胃の中から何かがせり上がってくる。
「……っ!」
 ルキの身体を押し退けて咄嗟に口元を手で覆う。身体を捻って枕に顔を押し付け咳き込んでいるうちに、手のひらは胃液で汚れた。
「……おい、大丈夫か?」
 吐き気が止まらない。ゲホゲホと内容物もないのに胃液を吐き出し続けていると、流石にルキも萎えたらしく、行為は終わった。
 背中を摩られているうちに吐き気の波が収まる。行為が終わったのだから早く帰れば良いのに、ルキは私が汚したベッドの片付けをしていた。




 それから、吐き気に加えて倦怠感と熱っぽさを感じる日が何日も続いた。恐らく風邪か何かだろう。きっと今の生活のストレスに耐え切れず身体が悲鳴を上げているのだ。私も存外センシティブな人間だと、何だかおかしくなった。風邪なら水分を摂って寝ていればその内治るはずだ。幸い大学を辞めさせられたおかげで時間だけは山ほどある。
 私が泣こうが喚こうがお構いなしで身体を重ねるルキも、病人相手に無理強いをしない良心は残っているらしい。目的が果たせないのだから真っ直ぐユイの待つ家に帰れば良いのに、消化の良い食事を持って毎晩この部屋にやってきた。心配そうに体調を問う演技が上手いな、と感心した。




 また数日経ったけれど、体調は一向に回復しなかった。もしかしたら風邪ではなく何か重い病なのかもしれない。鉛のように重い身体をベッドに沈めて、ただ天井を見上げながら、それならこのまま死んでしまえれば良いのにと、そんなことを願った。
 そうすれば、歪な現実は正常な形に変わるはずだ。ユイは絶望しなくて済む。ルキの与える生かさず殺さずの悍ましい断罪からも逃げられる。
 視界の端から黒が侵食してくる。世界が閉じていく。死ぬって案外呆気ないんだな、なんて呑気なことを考えているうちに、ぷつりと意識は途切れた。




 次に目を覚ました時に視界に飛び込んできたのは、私を見下ろすルキの顔と、知らない天井だった。ここは何処だと問えば、病院だと返される。なるほど、あの後家にやって来たルキが連れてきたんだろう。
 なんだ、結局死ななかったのか。
「栄養失調だそうだ」
「ふうん……」
「淡白な反応だな。お前の身体のことだぞ」
「……うん、そうだね」
 原因を聞いてみれば呆気ないものだ。吐き気を覚える前の数日間はほとんど水だけの生活をしていたから、きっと胃が荒れたんだ。
 それにしても栄養失調って熱を出すって、そんなことがあるんだろうか。内心首を捻る。
「それから、先生からの忠告だ」
「なんて?」
「『お母さんなんだから、しっかりしないと。栄養失調で倒れている場合じゃないですよ』」
「――」
 それが何を示しているのか、よくわからなかった。わかりたくなかった。けれどそれは、私の疑問への答えのようでもあった。
 ルキが両手を私の頬に添える。
「妊娠五週目だそうだ。――俺とお前の子供だよ」
 優しく告げる彼の顔には、嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
 何か憑き物が落ちたようなその笑みからは、晴れやかささえ感じ取れた。これが、彼の復讐の果てなんだろう、私に与えた彼の罰なんだろうと、そう思った。




 ユイのことを考えれば、この子供を産むわけにはいかない。けれど母親の罪はこの子には関係ないのだ。無辜の子供を殺める勇気は、私には無かった。
 無情にも月日は流れ、お腹はどんどん大きくなり、堕胎出来る時期はとうに過ぎてしまった。足掻いたところでどうしようもなく、子供を産むしかない。
 自分の腹の中にもうひとつ命があると思うと、死を望む気持ちも次第に薄れ、この子と生きたいと思うようになった。
 あの時の晴れやかなルキの笑顔から鑑みれば、彼の私への復讐はもう終わったのだろう。だから、この子とふたり、ルキもユイも居ない場所で静かに暮らしたい。そうすればあのふたりは、正しい幸せを手に入れられる。
 妊娠八ヶ月を迎えた頃、妊娠させた責任感からか未だに毎日私の家へ足を運ぶルキが、唐突にこんなことを言い出した。
「ユイと別れようと思っている」
 息を飲んで瞠目した。
「……君、何言って」
「幸いあいつとの間に子供は居ないしな。離婚事由はまあ、性格の不一致といったところか。ユイの様子を見ていると拒むことはないだろう」
「拒むことはないって、なに? ユイに、何かしたの?」
「いいや? 昔から態度は何も変えていない。ただ、俺はあいつの兄にはなれるが、夫としては失格だと、俺もユイも同じように感じている、それだけの話だ」
「……そんな」
 ルキは私の頬に手を添えて顔を近付けると、触れるだけの口付けを落とした。
「ナマエ、愛してるよ。お前とこの子と三人で暮らせる日が待ち遠しい」
 私は最悪の形で、ユイの幸せを壊してしまうのか。もう、修復不可能なほどに。
 自分が犯した過ちと罪の多さに目が眩む。絶望に打ちひしがれる私とは対照的に、ルキはただ楽しそうに笑っていた。



20150513
ナマエは理系学部に進学していて、大学卒業後そのまま院に進んでいる。この話で辞めさせられたのは院のことで、最終学歴自体は大卒です。
高卒で知らず知らず軟禁されている専業主婦とこれ、どっちが悲惨なんだろうか。


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