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 ルキは客観的に見て非常に禁欲的な夫だった。
 同僚に飲みに誘われても、異性から熱心なアプローチを受けても、それらをことごとく断り、終業と同時にさっさと帰ってしまう。
 彼が半年前に結婚したのは周知の事実だが、あまり自分がことを話したがらない彼が自分の妻について口にすることは全くなく、同僚がふざけ半分で問うてみても、のらりくらりとかわしながらいつの間にか別の話にすり替えられてしまう。
 端麗な容姿と若手随一の手腕をふるう彼は女性の注目を集めて止まないが、そんな彼が美女たちの誘惑を物ともせずに振り切って直帰する家にはどんな妻が待っているのか。同僚たちによって様々な想像を掻き立てられていた。
 絶世の美女だとか。余命僅かな病弱な女だとか。はたまた人の心を喰う魔女だとか。
 そんな下世話な噂話など露ほども気にした様子を見せず、ルキは今日も真っ直ぐ家に向かっていた。道中商店街のスーパーマーケットに寄って今日の夕食の食材を調達する。
 今日は金曜日で、明日は休日だ。尚且つ、二週間に一度の夫婦ふたりきりで過ごす日でもある。だから彼女はルキの家にいるだろう。それを考えると彼の足も自然と早くなった。
 築三十年はゆうに超えている、防犯面に多分な不安が残る二階建てのアパート。踏むとカンカンと喧しい音を立てる階段を登って、二〇五号室を目指す。
 手練れの盗人なら針金やヘアピンで簡単に解錠出来そうな鍵を開けて、玄関扉を開くと、すぐそこにナマエが立っていた。
 首をこてんと傾げると、ゆるくウェーブのかかった金髪が揺れた。
「ルキ、おかえり」
 愛おしいなと、強く思う瞬間だ。
 そこにあるのは普段通りの澄まし顔で、旦那を迎える表情としてはあまりにも可愛げがない。しかし一旦本を読み始めると他への注意力が散漫になる彼女が、玄関の鍵が回される微かな音には必ず反応して、わざわざ玄関にきて出迎えてくれる。それだけで十分だった。一日の疲れも吹き飛ぶというものだ。
 なにせ、これを早く見たいがためにルキは会社から一直線に家に帰っているのだから。
「ただいま」
「ん」
 短く返事をすると、くるりと踵を返し、とてとてとリビングに向かう。出迎えで役目は終えたと言わんばかりの素っ気ない態度に内心苦笑しながら、ルキはその華奢な背中を追う。
 テーブルには先ほどまで読んでいたらしい本が伏せて置いてあった。見慣れない表紙だ。その側には以前買い与えた本が数冊積んであって、彼女が朝からずっと読書に耽っていたことを察せられた。この分だと昼食も摂っていないかもしれない。
 ナマエは椅子に腰を下ろすと、読みかけの本を手に取って読書を再開した。ルキはレジ袋の中身を冷蔵庫に戻しつつ背後に声をかける。
「その本、お前の家にあったものでもないだろう。どうしたんだ?」
「図書館行ってきた」
「お前の読書速度だとこの間渡した分だけでは足りなかったか。面倒をかけた、すまない」
「ううん。久しぶりに外に出て楽しかったよ」
「……」
 ぴたりと手が止まる。振り返ってナマエを見てみたが、手元の本に視線を落としたままで、表情に変化は見られない。何か特別な意図を込めた発言ではないようだ。
 それでも、何となく責められた気分になる。ナマエが大学を卒業してから結婚するとルキが三十路を超えてしまうだとか、数人養えるほど稼いでいるからお前は働く必要はないだとか。色々それらしい理由をつけて、自宅に閉じ込めるような真似をした自覚があったからだ。
 彼女は他人に関心が薄いのと同時に、自分自身への関心も薄い。自己主張の欲求がほぼないのだ。他人に強く押されれば、引くのが面倒になってそれを受け入れてしまう。そんな投げやりとも自分を大切にしないとも言える受動的な姿勢で大学や社会に出ればどうなるか。どこぞの男に押し付けるようなアプローチを受け、たとえ相手のことを好きでなくても断らずに交際や結婚をしてしまう可能性がある。そんなことを許せるはずがない。ルキ自身もこの手法を用いたわけだが、それはそれである。
 大学進学という進路を潰され、就職もせず、高校卒業と同時に家に入るとなると、当然社会経験がほぼゼロになる。もしルキから離婚を言い渡され家から追い出されれば、聡明な彼女のことだからいずれは人生の軌道修正が出来るだろうが、やはり当分は苦労する羽目になる。この年齢の婚姻にはそんな危険性もあるのだ。もちろん、ルキの方から離婚を申し出ることはあり得ないし、たとえナマエが離婚したいと言っても別れてやる気などさらさらないが。
「家にいるだけなのは退屈か」
「ちょっと刺激が足りないって、たまに思うね」
「……やはり大学には行きたかったか。今からでも、進学するか?」
 久しぶりに外に出て楽しかった。
 それは読書だけをする閉鎖的な生活が退屈だということを仄めかしている。そんな暮らしを強いていることに少しだけ罪悪感を覚えて、償うような心持ちでそう口にしていた。
 ナマエが顔を上げて赤い双眸でルキを見据える。澄ました顔のまま、疑問を示すように首を傾げた。
「君が家にいてくれって言ったんでしょ。どうしたの、突然」
「……そうだな、変なことを言った。忘れてくれ」
 決まりが悪くなって視線を逸らした。
 半ば逃げるように寝室へ向かい、スーツから部屋着に着替える。
 リビングに戻るとナマエは心ここに在らずといった様子でぼんやり天井のあたりを見つめていた。恐らく先ほどのやりとりについて考えているのだろう。余計な話を振ってしまったと後悔しつつ、平然を装って夕食の調理を開始した。
 気まずい沈黙が下りたのはその時だけで、あとは普段通りの時間を過ごした。



 二週間後。
 ルキは終業と同時に会社を出て、真っ直ぐ家に向かった。カンカンと喧しい音を立てる階段を上って二〇五号室に向かう。安っぽい鍵を解錠し中に入った。
「ルキ、おかえり」
 いつもの出迎えに「ただいま」と返そうとして――その口が言葉を失った。信じられない光景に瞠目する。
 ナマエが半年前に卒業した高校の制服を着ていたのだ。飾り気のないワイシャツと、その上に羽織られたベージュのカーディガン。膝上十センチほどのプリーツスカートからはタイツに包まれた長い脚がすらりと伸びている。
 色々事態が飲み込めず呆然と立ち尽くすルキに、ナマエはどうしたの、とでも言いたげに首を傾げた。癖のある金色の髪がその動きに合わせて揺れる。
「ルキ? おかえり」
「あ、ああ。ただい――いや、そうじゃない。何だその格好は」
「何って、高校の制服だけど」
「そんなもの見れば分かる。半年前に卒業したお前がどうしてそれを着ているのかと訊いているんだ」
「君が卒業式の日に私を抱いたのって、制服で出来るのが最後だからなのかなって思って」
「……話が見えないんだが」
「君が制服好きな人なのかなって」
「……それが今のお前の姿とどう繋がるんだ」
「この前何だか疲れているみたいだったから、仕事で何かあったのかなって。それで、息抜きにどうかと思ったんだけど」
「…………」
 非常に分かりづらいが、要するに疲労したルキを労わる意図があるようだ。
 制服で喜ぶと思われているのは、自分に妙な性癖があると言われているようで釈然としなかったが、確かに普段着や寝間着とは違う魅力を感じてしまうのだから反論は出来ない。
 実際あの日にルキが苦悩していたのは、彼女が今の生活を退屈と感じている現実を直視してしまったからなのだが、ナマエは仕事の問題だと思っているようだ。しかし誤認を訂正するのは自分の恥を晒すようなものなので、説明する気はなかった。
「気に入らなかった?」
 黙り込むルキに何を思ったかナマエはそんなことを訊いてくる。労わりの方法としては色々間違っている気がしないでもないが、まあ、据え膳食わぬはなんとやらである。久々に見た制服姿に、それが自分のためだけに着替えたのだという要素が加わって、ルキの欲望は刺激された。
「……いや、悪くないな」
 華奢な身体を抱き寄せて深く口付けながら、やんわりと廊下の壁に押し付ける。奥に引っ込む舌を探り当てて擦り合わせ吸い上げると、甘さを含む吐息が細い喉の奥から漏れた。上目遣いの赤い瞳が熱を孕んでいるように思えて、いつになく積極的な態度に堪らなくなり、通勤鞄を適当に放り投げて寝室へ向かった。
 薄暗い部屋の中、ベッドにナマエを押し倒して上に覆い被さると、白い両腕が誘うようにルキの首に回された。形のいい唇に微笑を湛えながら、内緒話をするように囁く。
「ね、今日は、君の好きなように、最後までしていいよ」
 半年前までナマエは処女だった。初めての相手は当然ルキだ。それから幾度となく身体を重ねてきたが、行為に慣れない彼女は挿入するだけで痛がった。だからルキはこの半年間、自分の性欲そっちのけでナマエの開発を続けてきた。挿入することはあっても律動をしたことは一度もない。
 彼女の身体を労わるがゆえの気遣いだったが、それは欲望を抑えた上で成り立っていたものだ。その我慢を、もうしなくて良いと言っているのだ。
「そんな誘い方をしていいのか? 俺の好きなようにして言いなどと言われたら、お前が痛がっても途中でやめてやれない」
「いいよ。だから、ね?」
「……はぁ」
 困ったように溜息を漏らす。ルキは人一倍理性の強い人間だが、好きな女から強く誘われて耐えられるほど強靭な精神の持ち主ではない。理性の糸はぷつりと千切れ、「後悔しても知らないからな」とこぼすその顔は、すっかり情欲に塗れていた。
 至る所に口付けを落としながら、時折肌に赤い印を残したり、歯を押し当てて甘噛みする。滑らかな白い肌に自分が痕を残す行為は所有欲を満たした。
 身体のラインを確かめるように手のひらを這わせ、徐々に服を乱していく。ルキが触れるたびに、制服のワイシャツに皺が刻まれる。
 半年間根気強く身体を慣らしたおかげか、ナマエは気持ち良さげな反応を見せ、薄い桃色の唇を半開きにして上擦った吐息を漏らしていた。胸や脇腹に触れるとぴくりと身体を震わせ、耐えるように膝を擦り合わせる。片脚を掴んで膝を立たせながら、両脚の間に身体を滑り込ませた。スカートの裾が捲れ上がって、白くて細い腿が露わになる。酷く艶かしくて、噛み付きたい衝動に駆られる。
「半年前を思い出すな……。制服姿のお前を抱いていると、どうも悪いことをしている気分になってくる」
 カーディガンとシャツのボタンを半端に外して、可愛らしい色とデザインの下着をずらし、白く柔らかい胸に直接触れる。下から掬い上げるように揉み、時折先端を指で弄ぶ。
「んっ……私には、よく、分からないけど」
「背徳感というやつか。制服という清純の象徴をねじ伏せて穢すことに興奮を覚えているのかもしれない」
「ふうん……ひ、ぁ」
 先端を口の中に含んで舌で転がすと、腰をぴくりと跳ねさせて、両腕で抱え込むようにルキの頭を抱いた。
 長い時間をかけて愛撫を施していく。ナマエの白い肌がうっすらと赤く色付き、熱を帯びた。
 タイツの中に手を入れて下着の上から秘部に触れると、そこは十分すぎるほど濡れていた。
「……ルキ、もういいから」
 その言葉に促されるように、長い両脚からタイツと下着を抜き取る。ベルトを外して性器を押し当ててから、「本当に良いんだな?」と最後の確認をする。やめてと言われてもやめられる気はしなかったが。幸いナマエはこくりと頷いた。
 ゆっくりと性器を押し込んでいく。指で慣らしていないためきつかったが、なんとか奥まで挿入した。
「……っは、痛くないか」
「う、ん」
 確かに痛みに耐える表情は浮かんでいない。互いの身体が馴染むのを待ってから、律動を開始する。いやらしい水音が静かな部屋に響いた。
 徐々に腰を打ち付ける速度を早くする。より奥を抉るように、より深くまで繋がるように。体液の混ざる水音と、汗ばんだ肌がぶつかる音と共に、押し殺したようなナマエの嬌声が聞こえてくる。見れば切なげに眉を寄せて、懸命に快感を耐えていた。
 顔の両横に腕をついて、ぐっと顔を近づける。動きに合わせてナマエの細い両脚が空を蹴っていた。
「はっ……ん……、ん、あっ」
 両腕を伸ばして縋るようにルキの首に抱き着いた。熱い吐息が耳にかかり、甘さを含んだ声が譫言のように呟く。
「き、もちいい……ルキ、気持ち、いい」
「はは……、お前は俺を煽る天才だな」
 名残惜しいがナマエの抱擁から逃れる。白い太腿を抱えたその顔に、余裕は欠片も残っていなかった。情欲に突き動かされるまま、獣のように腰を打ち付ける。深く深くを抉られ、ナマエは限界が近づいたのか両脚に力がこもり始めた。
 今まで感じたこともない快楽に怯えたのか、かぶりを振って逃げるように身を捩る。その弱々しい姿に狩猟本能が掻き立てられ、逃げられないよう華奢な身体をシーツに押さえ付けた。
「あっ、……ルキ、もう……」
「は……、ああ、分かった」
「んっ、ん、あ……ッ!」
「……っ、く」
 背中をしならせて絶頂に達したその締め付けで、ルキも中に精を放った。




「大学に興味がないって言ったら嘘になるけど、私は今の生活も楽しいから、気にしなくていいよ」
 情事を終えて、乱れた衣服のまま、愛玩するようにルキがナマエの肌に口付けを落としていたとき、突然そんなことを言い出した。
 どきりと心臓が跳ねる。平然を装いつつ、怪訝そうにナマエの顔を見上げると、何もかもを見透かしたようなお澄まし顔がルキを見返していた。
「……なにを」
「この間大学のことを悩んで落ち込んでいたみたいだから」
「だから、俺を慰めるために制服を着て出迎え誘ったと? さっきは俺が仕事で悩んでいるように見えたからと言っていなかったか」
「君が帰ってくるまではどっちが原因か分からなかったんだけど、さっきの君の反応を見て、こっちだったんだなって思った。君って結構分かりやすいから」
 仕事の件は、ルキが内心ナマエの勘違いだと思っているのが表情に出ていたのだろう。普段はぼけぼけっとしているくせに妙なところで鋭い女である。
 図星を指されたことに恥を覚えて、内心を悟られないよう苦笑しつつ「お前に言われたら終わりだな」と誤魔化した。
 心地よい沈黙が下りる。ナマエの首筋を撫で、それからシーツに広がる金髪を指で弄びながら、もうこの際後ろめたい隠し事を残しておくのはやめようと思った。
「……責めないのか」
「なにを?」
「碌に社会経験も積ませないまま、家に軟禁のような形で閉じ込めていることをだ。家にいるだけなのは退屈だろう。刺激が足りないと言っていたしな」
 この状況を作り上げたことに後悔はないが、ナマエのことを考えれば得策だったとは言い難い。所詮独占欲を剥き出しにしたルキのエゴでしかないのだから。罪悪感はどうしても付きまとう。
 しかしナマエはきょとんと赤い瞳をまばたかせて、首を傾げた。
「大学進学の話じゃなくて、そんなことを気にしていたの?」
「……まあな」
「ふうん、君って変なところで律儀だね」
 ナマエがルキの頭に手を伸ばして、黒い猫っ毛を指先で弄ぶ。
「別に、だからどうして欲しいってほど退屈に苦しんではいないんだけど。君が後ろめたさを覚えているなら、そうだね、君がちゃんと私の相手をしてくれたら退屈しないから、それだけで大丈夫だよ」
「なんだ、そんなことでいいのか。それならお安い御用だ。お前が満足するまで、満足し切ってやめてくれと言っても、構い続けてやる」
「うん。じゃあ、大丈夫」
 そう断言して微笑む顔は、どこか嬉しそうだった。大して悔いのないルキの些細な罪悪感は、珍しいナマエの表情であっさりと払拭された。
 こうして彼は『本人が反対していないから良い』というめちゃくちゃな免罪符を手に入れたのである。




20150513
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