ユイは腕に頭を載せ、テーブルに突っ伏してすやすや寝息を立てていた。はしゃぎ過ぎて疲れてしまったのだろう。自分が卒業した訳でも無いのに、本人以上に嬉しそうだった。昔からこの子の純真無垢な優しさは変わることがない。まだ幼さの残る寝顔にかかった髪を軽く払ってやると、隣から名前を呼ばれて肩に手を置かれた。
「な、――」
 何? と問おうとして、声が出なかった。反応する間もなく肩を引き寄せられると、見慣れた顔がごく近くにあり、唇には何か柔らかいものが触れていた。たっぷり十数秒思案してようやく、キスされているんだ、と理解した。驚きに瞠目する私とは対照的に、長い睫毛は伏せられていた。
 やがてゆっくりと唇が離れていく。けれど距離は内緒話でもするような近さのまま、彼は囁くような小声で「俺の部屋に来てくれないか」と言った。
「……どうして?」
 首を傾げると苦笑が返ってくる。肩を掴んでいない方の手が私の頬に添えられ、親指が下唇を撫でた。
「言わないと分からないのか?」
「…………」
 青みがかった黒い瞳はどことなく熱っぽさを孕んでいて、いつも冷静さを崩さず柔和な笑みを浮かべる隣人だった彼の顔にあるのは、今まで見たこともないような表情だ。
 居心地が悪くなって、頬に添えられた腕を掴んでやんわり引き剥がしながら、目を逸らす。背後で寝息を立てるユイの存在が気になって仕方なくて、早く離れたいと思うのに、彼の射抜くような視線に私を逃がしてくれる気配はない。
「嫌、か?」
 柔らかい口調は意思を訊ねるものであるのに、答えは一つしか求めていない、そんな有無を言わせない雰囲気だった。
 気圧されるように小さく顎を引いて肯定すると、彼は目を細めてじっと私を見詰めたあと、すっと立ち上がった。勝手知ったる様子で毛布を取ってくると、起こしてしまわないようそっとユイの肩に毛布をかける。そして私の手を掴んで立ち上がらせた。電気を消して外に出る。
「鍵はかけておけよ」
「……うん」
 暗い部屋の中で一人眠るユイの姿を眺めながら、曖昧に頷く。隣にある彼の家を訪ねる時、手短に済む用事であれば施錠しないこともある。勿論睡眠中の女子中学生を独り残すことが心配というのもあるだろうけれど、それよりも、彼の用事が少々時間のかかることであるのが察せられて、複雑な気分になった。
 ガチャリ、と響く聞慣れた音が、重苦しいものに感じられる。
 施錠したのを見届けると、彼は手を引いたまま自分の部屋に私を招き入れた。
 男性の独り暮らしの部屋を他に見たことがないので判断は出来ないけれど、多分かなり綺麗な室内なのだと思う。さほど広い空間ではないのに、物も少なく整理整頓されているから、広々とした印象を受けた。黒で統一された調度品。私たちの家とは違って椅子に座る生活をしているらしく、キッチンが併設されたリビングの真ん中にはテーブルと椅子が二脚置いてあった。左手には六畳程度の部屋がある。扉が閉じられていて中は窺えず、一度も入ったことがないから分からないけれど、恐らくベッドなどがあるはずだ。
 この家には何度も来たことがあるのに、不思議と初めて訪れたような錯覚を抱いて、少しだけ困惑した。
 彼は私を導き、テーブルを挟んで向かい合うように置かれた椅子の片方に座らせた。自身はキッチンの隣にある冷蔵庫に向かい、ドアを開いて中を見ながら「飲み物は何がいい?」と訊ねる。
「……。オレンジジュース」
「分かった」
 食器棚からコップを取り、紙製のパックからオレンジジュースが注がれていく。
 彼自身は紅茶や珈琲を好んで飲んでいるようだけれど、ユイがいつ遊びに来ても良いようにと、冷蔵庫の中には果物ジュースが常備されていた。味に拘りがあるのか、買うのは決まって濃縮還元していないストレートジュース。少し値段が高めで美味しいもの。
 彼が戻ってきて、テーブルに一人分のコップが置かれる。向かいに腰掛け、手でどうぞ、と促された。小さく礼を言ってから、コップに口をつける。僅かにとろみのある甘いオレンジジュースが喉を潤した。
「卒業おめでとう」
「……ん、ありがとう」
「入学してからもう三年か。ついこの間のことのように感じるな。年を取ると時の流れが速くて適わない」
「お爺さんみたいなこと言うんだね。二十五歳って、まだ若いでしょ」
「そうでもない。女子高生を見ていたら嫌でも自分の老いを感じさせられる」
「ふうん」
「お前たちと会ってからだと五年か。本当に月日が経つのは早いな。ユイがお前の後ろで泣きべそをかいていたのが懐かしい。ユイは容姿も中身もかなり成長したが、お前は昔からあまり変わらないな」
「そう?」
「ああ。中学生のくせに、大人びた顔をした、可愛げのない女の子だなと思っていた。身長もあの時から今とさほど違わなかったしな」
「自分ではあんまり覚えてないよ」
「そういう淡白なところも昔のままだ」
「……」
 とても褒め言葉には聞こえないのに、彼はからかったり嫌味を言っている様子もなく、ただ懐かしむように、子の成長を見守る親のような表情で目を細めていた。
 返事に迷って口を噤むと、向こうも黙ってしまって妙な沈黙が下りる。形容し難いその空気を誤魔化すように、喉が渇いているわけでもないのにしきりにジュースを飲んでしまう。
 そうしているうちにあっという間にコップは空になった。ことん、とコップをテーブルに置くと、それを合図に彼は腰を上げてこちらに歩み寄ってきた。椅子の背もたれに片手をついて、腰を屈め、さっきキスをしてきたみたいに顔を近づけてくる。
「この部屋に招いた意味は分かるだろう?」
「……一応」
「五年も待ったんだ。もう我慢しなくても、いいよな?」
 訊ねておきながら返事も聞かず、再び唇を合わせられた。最初は触れるだけ。次第に下唇を食んだり舐めたりし始め、舌がぬるりと中に入ってきた。微かな水音を立てながら舌を擦り合わせられ、ちゅうと吸われる。深い口付けに息が出来なくて、頭がぼうっとしてくる。待って、と言えない代わりに彼の服を掴んだら、唇が離れていった。銀色の糸が伸びて、ぷつりと切れる。
 手首を掴まれて立たせられる。そのまま腕を引かれ、閉ざされた扉の向こうに案内された。
 薄暗い部屋は予想の通り寝室らしく、シングルベッドとランプがあった。がちゃんと背後で扉が閉められる。彼は真っ暗な中でも迷うことなく進んでランプを点灯し、それから私に向き直ると、腰を抱いてまた唇を合わせた。最初から深く口付けながら、私の両脚に片脚を差し込んできて、そのままゆっくりとベッドの方に押し倒される。橙色の弱い光に照らされた顔は、やっぱり見慣れない表情をしていて、知らない人と相対している気分だ。
「予想はしていたが……全く恥じらわないんだな。顔を赤らめないどころか、動揺した様子も照れた様子もないとは」
「そう、かな」
 昔から表情が乏しい子供だった。感情の起伏もほとんどなくて、何かに心を動かされることがない。だから自然に泣いたり笑ったり怒ったり出来なかった。無理に笑おうとしても、頬がピクリと動くだけで、表情筋は働いてくれない。鉄仮面とか、人形みたいだとか、色々言われたこともある。
 彼の言う通り、口付けされても押し倒されても、恥ずかしいだとか照れくさいという気持ちはない。その先に待っているものが分かっていてもそれは変わらなくて、ただ少し驚いているだけ。自分と『優しい隣人のお兄さん』がこんなことになっている状況が不思議で堪らない。
 やっぱり恥じらう女の方が男としては嬉しいのかもしれない。私がこんな人間だというのは昔から知っているのだから、代わりの私を使うのではなく、『本命』に直接アプローチすればいいのに。彼は時折遠回りで良く分からない選択をすることがあった。
 そんなことを考えていると、彼の目がすうっと細くなる。ランプの弱い灯りに照らされた瞳に、危なげな光が宿った気がした。
「キスをした経験は?」
「……ん?」
「誰か他の男とキスをした経験はあるのか?」
「ううん」
「身体を重ねたことは?」
「ないよ」
「……そうか」
 安堵と満足が混じったような声だった。
 一般的に恋愛関係において、男は相手の最初の男になることを望み、女は最後の女になることを望むらしい。共感は出来ないけれど、彼が何を考えているのかは何となく分かった。
「もし私が誰かとしたことがあったら、どうしたの?」
 何の気なしにそう問うと、彼は意味ありげな笑みを浮かべて「さあな」とはぐらかし、話を断ち切るようにキスをしてきた。
 ちゅっちゅっと可愛らしいリップ音を立てながら下唇に吸い付き、唇が顎を伝って徐々に下がっていく。首筋に舌が這わされ、彼の手が胸元に置かれた。下から持ち上げるようにしてふにふに揉まれ、その手の動きに合わせて制服のシャツに皺が生まれる。擽ったくて身を捩り、身体を縮こまらせようとすると、内腿に彼のスラックスが擦れて、それも擽ったい。思わず漏らした吐息は、自分が聞いたこともない、高くてどこか甘ったるさのあるものだった。
「女子高生相手だと何だか悪いことをしている気になるな」
 苦笑と共に呟かれた言葉に首を傾げる。
「君が悪い人っていうのは、今更じゃないの。幼い女の子に目をつけて、優しい隣人のお兄さんの顔をしてずっと付け狙っているんだから」
 今はまだ相手が中学生だから、手が出せないだけで。結婚出来る十六歳に満たないユイが何処かへ行ってしまうのを避けるため、姉の私を娶って間接的にユイとの関わりを持ち続けようとするくらい狡猾なのだ。隣に住む幼い姉妹に世話を焼いたのも、勿論親切心や善意もあったのだろうが、ユイへの下心があったのも事実なのだ。これを悪い人と言わずしてなんと呼ぼう。
 思い当たる節があるのか、彼は「それもそうか」と意地悪く笑いながら同意した。
 行為が再開される。至るところに唇を落とし、舌を這わせながら、手も色んな場所を撫で回す。いつか繋いだ時は冷たかったその手のひらが、今は少しだけ熱を帯びていて、触れるたびにぞわぞわと肌が粟立った。その熱に侵されたように、私の体温も僅かに上昇した。
 シャツのボタンを外され、下着をずらされ、中途半端に乱れただらしない格好にされ、やがて手のひらが太腿を這い上がり、指が下着の上から秘部をなぞった。彼の口角が上がる。自分でも分かるほどそこは濡れていた。指が何度も往復したかと思うと、今度は下着の中に手が入ってきて、直接触れられる。吐き出した蜜を指が掬い上げ、秘部の上の方を触れるか触れないかの加減で軽く撫でた。
「……っ」
「どうだ、痛くないか?」
「ん、変な、感じ」
 擽ったいような、微かに痛いような、不思議な感覚。ゆっくりと何度も撫でられるうちに、擽ったさの中に、ふとぞわぞわするような何かを感じて、無意識に彼の胸の辺りの服を掴んでいた。指は止まらず、ぞわぞわが大きくなってくる。気持ち良いって、こういう感覚、なのかな。いつの間にか息が少し乱れていた。
「痛かったら言うんだぞ」
 直後、今度は秘部に指を押し当てられ、先がつぷりと埋め込まれ、徐々に中に入ってくる。何とも言えない異物感。それでも痛みはなくて、服をぎゅっと掴んだまま耐える。指は内壁を押し広げるように撫で、少しずつ中が開かれていく。
「……ぃ、あ」
 そのうち二本目が入って来ようとしたところで、つきりと痛みを感じた。小さく悲鳴を上げると、動きがいっそうゆったりとしたものに変わる。徐々に徐々に、入り口から丹念に解されていき、長い時間をかけて、二本の指に痛みを覚えなくなった。
 指が引き抜かれ、下着を取り払われる。カチャカチャと音が聞こえたあと、秘部に熱い何かを押し付けられた。
「ナマエ、力を抜いて、ゆっくり呼吸をしろ」
「……ん」
 言われた通り深呼吸をするみたいに息を吐き出していると、ぐっと熱が中に入ってきた。指とは比べ物にならない質量に皮膚が引き裂かれるような痛みを感じて、思わず呻く。彼は労わるように私の頬を撫でたあと、片手を繋いで指を絡ませ、シーツに押し付けた。ぎゅっとその手を握り返し、もう片方で服を掴む。
 痛くて痛くて仕方がない。それでもやめて、だとか嫌だ、とか言う気にはなれなくて、瞑目して激痛に耐える。
「……、もういいぞ」
 気が遠くなるほどの時間を経て、ようやく熱が完全に中に入ったらしい。身体の中の異物感と、じくじくと疼くような痛み。それでも何となく、自分の身体が彼を受け入れるように馴染んでいくのが分かる。
 彼が腰を曲げて覆い被さってきた。背中と後頭部に手を添えられ、強く抱き締められる。何となく背中に両腕を回すと、腕の力の強さが増した。
「……やっとだ」
 ほっとしたような、熱に浮かされたような声色が、耳元でぽつりと囁く。
「やっと、俺のものになった」




 そのまま暫く身体を繋げたまま抱き合い、それ以上何もせずに行為は終えられた。シーツには点々と赤い血がついていて、それを片付けている間に風呂に入って来いと言われ、それに従った。浴室を出ると私の家から持ってきたらしい寝巻きと下着を手渡されたのでそれを身に着け、すっかり綺麗に整えられたベッドの上でシャワーを浴びる彼を待っていた。自分の家に戻ろうかとも思ったけれど、今日は此処にいろと引き止められたことと、私自身ユイの顔を見ることに名状し難い後ろめたさがあって、言葉に甘えることにしたのだ。
 先ほどまでのスーツからラフな普段着に着替えた彼が、濡れた頭を拭きながら寝室に来る。ベッドの縁にちょこんと腰掛けている私を見ると、頬を緩めて歩み寄り、隣に腰を下ろす。それから私の前髪をどけておでこにキスをしてきた。ついで頭を撫でられる。何故だかユイの顔が脳裏に浮かんだ。
「……ね」
「なんだ?」
「どうして私なの」
「何のことだ」
「年の差を気にしているのかもしれないけど、私とユイは四歳しか違わないんだよ。ユイが高校卒業するのを待って、それからユイに直接プロポーズすれば良かったのに。どうしてこんなに、回りくどい方法を選んだの?」
「……意味が分からないんだが」
 彼は怪訝そうな顔をしていた。きまりが悪くて誤魔化しているのだろうか。今まで話題に挙げることを避けてきたけれど、そろそろ結論を出さなければいけない。
「君、ユイが好きなんでしょ。でもまだ結婚出来る年齢に達していないから、代わりに私と婚姻関係を結んで、ユイと間接的に一緒に居られるようにしたんでしょ」
「は?」
 本当に不可解といった表情で首を傾げた。私もつられて首を捻る。数十秒間互いの真意を探るようにじっと視線を交わらせ、やがて彼は目元を片手で覆って深く深く溜息を吐き出した。
「……鈍い鈍いとは思っていたが、ここまでとはな」
「なんのこと?」
 人生に疲れ切ったような重苦しい溜息が再び漏らされる。手を外した彼は呆れと疲労が綯い交ぜになった微妙な顔つきで私を睨んだ。
「俺が告白しプロポーズした相手は誰だ」
「私」
「今日俺が抱いた相手は誰だ」
「私」
「俺がいつユイに好意があるような素振りを見せたんだ」
「初めて会った時から、ずっと」
「……」
「……」
 彼の目付きが心持ち険しいものになる。
 ユイは彼のことを優しいお兄さんだと思っているし、恐らく好意も抱いている。幼いユイに世話を焼き、可愛がっていた彼もまた同じ気持ちなのだ。両思いのふたりを見守っていこうと思っていた。
 だから一年前に告白とプロポーズをされた時、そんな婉曲的な方法を選ぶ必要なんてないのに、と困惑した。ふたりは両想いなのだから、あとは時間の問題だったのに。
 ユイが自分の口から想いを告げる前に暴露してしまうのは気が引けて、その時は口を噤んだのだけれど、現状を正しい方向に修正するために致し方ないと、それとなく彼に説明して、考え直すよう提案してみた。
 するとまた、溜息。
「知らぬは本人ばかり、か。俺のことはおろか、自分の妹の感情まで見誤るとは……本当に鈍感なんだな」
「……?」
 首を傾げると、左頬を摘ままれ、びよーんと引っ張られる。ちょっと、痛い。
「ユイが好きなのは俺じゃなくてお前だ。あいつが俺を慕っていたのは単なる隣人の兄としてだし、俺があいつを可愛がっているのも妹のような感覚と変わらない」
「……何が言いたいのか、よく分からないんだけど」
「……お前、それはわざとなのか? 俺に直接的な言葉を言わせようとしてるんじゃないのか」
「なにが?」
「……くそ」
 小さく悪態をつくと、眉を寄せて押し黙る。暫く沈黙し、やがて何かを決断したような顔で私をじっと見た。
「ユイと一緒に居たいからお前と婚姻関係を結んだんじゃない。お前と一緒に居たいから、プロポーズしたんだ」
「……」
「俺が好きなのはお前だ」
「…………」
「おい、待て。どうして頬を引き攣らせて逃げ腰になるんだ」
 思わず距離を置こうとすると、手首を掴んで引き戻される。せめてもの抵抗だと追及を逃れるために視線を逸らしても、顎を掴まれ目線を合わせられる。黒い瞳は剣呑な光を帯びていて、無言の圧力が理由を言えと脅迫していた。
「……初めて会った時から思っていたんだけど」
「……」
「……」
「なんだ、口ごもるな。言いたいことがあるならはっきり言え」
「……君って、本当に変な人だよね。大学生が小学生に目を付けるなんて変だと思っていたし、危ない人だなって警戒していたんだけど、それ聞いてもっと変な人なんだなって思い直した」
「……」
 途端、眉間に険しい皺を寄せた彼が、私のおでこをぱしんと軽く叩いた。



20150511
ナマエ18、ユイ14、ルキ25


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