「買い物じゃなかったの」
「買い物みたいなものだとは言ったが、買い物だとは言っていない」
「ふうん……」
 答えになっているようでなっていない返答を軽く聞き流しながら、私は眼前に聳える建物を見上げた。
 自宅の最寄り駅から数十分電車に揺られた末に辿り着いたのは、デパートやショッピングモールではなく、水族館だった。休日なので人の入りは多く、家族連れやカップルが主な客のように見える。こうして眺めている間にも次々とゲートに人が吸い込まれていく。
「物珍しそうだな。もしかして水族館に来るのは初めてか?」
 こくりと頷くと、ルキは「それは良かった」と満足げな微笑を浮かべた。
 彼に先導される形で入場ゲートに向かい、手の甲に再入場の際のパスになる、ブルーライトの下で光を放つインクのハンコを捺された。
 入り口からは明るい照明で照らされた天井の高いホールに繋がっていて、スタンプラリーのコーナーやパンフレットなどが置いてある。他には壁に設置された大型スクリーンとその前に背の低い椅子を並べた簡易休憩所と、出入り口が共通のため退場者用のお土産店もあった。
 ルキは薄っぺらいパンフレットを一冊手に取ると、もう片方の腕で私の手を掴んだ。繋がれた手を無言で見つめていたら「中は暗いからな。はぐれられたら困る」と尤もらしいことを宣って、そのまま『こちらから』と立て看板がしてある方へ足を向ける。何となく釈然としないまま、けれど別にさしたる問題もないので、黙って彼の背中を追った。




 海の中から晴天の空を見上げているような、綺麗な青い空間だった。通路側に照明はほぼなく、水槽の向こう側にある淡い光が、擬似的な太陽のように水中に射し込み、ぼんやりと通路も照らしている。
 高い天井まで嵌め込まれた硝子の向こうで、名前だけは知っている生き物が悠々と水の中をたゆたっていた。小さな子供が硝子に両手をついて、しきりに中を覗き込んでいる。その数メートル後ろから、特に何かを探すわけでもなく、景色の一つとして視界に収めながら、順番に観覧していく。
 生物の分野にさほど興味は無かったものの、普段は目にしない生き物をじっくりと観察するのは、中々に興味深い体験だ。アーチ状に硝子を嵌め込まれた通路のような、下から魚を見上げることが出来る場所にくると、まるで自分まで海の中にいるような、神秘的な気持ちにさせられた。
 手は繋いだまま、ほとんど言葉も交わさず進んでいく。時折パンフレットをみているルキが今いるエリアと対応した海の名前を挙げる以外は、何も会話はなかった。
 そうして中間地点に辿り着き、巨大な水槽の中で鮫やエイが泳いでいる姿を眺めていたら。ふと、隣から視線を感じた。ルキの顔を見上げれば、やはり彼は水槽ではなく私の顔を見ている。しばし目を合わせていると「どうした?」と小さな声で問われた。用事があるのはそっちじゃないのかと疑問に思いつつ、彼がそれ以上何も言わなかったので、かぶりを振って水槽の方へ視線を戻す。けれど彼はまだ私のことを見ているのが分かった。
 またゆっくり通路を進み、次の水槽の前に来ても、やはりルキは水槽ではなく私の方を見ていた。もしかしたら最初からずっとこんな調子だったのかもしれない。
「折角来たのに、ちゃんと見なくて良いの」
「水槽に閉じ込められてただ泳いでいるだけの魚介類より、お前の顔を見ている方が楽しい」
「……」
 この人は何のために水族館に来たのだろうかと内心呆れた。わざわざ遠出をしてまで来たがったのは彼だというのに。
「なんだ、何か言いたそうな顔だな」
「……。別に」
 知性溢れる理性的な大人の男性然としていながら、彼は意外と奇行が目立つ。さも当然といった顔でよくわからない言動をすることがままあるのだ。面倒なので追及する気にもなれず、それきり口を噤んだ。
 そうして最後のエリアを見て回り、入った時とは別の通路からホールに戻った。急に現れた照明に少し目が眩んだ。
「俺も水族館なんてあまり来ないんだが、それなりに面白かったな」
 見るべきものを見ていない彼が何を面白かったと評しているのかはいまいち判然としないが、聞いたところで彼の意見を理解が出来るとも思えないので適当に首肯しておいた。
「さて、メインは終わったが、まだ時間がある、か」
 ルキは携帯の時計を確認していた。隣から画面を覗き込むと、入場してから二時間ほどが経っていた。ちょうどお昼を少し過ぎた時間だ。
「そうだな、飯でも食べに行くか。何が食べたい?」
「……魚」
「お前……美味しそうだとか食べられそうだなんて考えながら水族館を回っていたのか。呆れた奴だな」
「そういうわけじゃないけど。今言われて浮かんだのが魚だっただけ」
「お前は豚の屠殺映像を見ながら豚肉を食べられるタイプの人間というわけか」
「君も同じでしょ?」
「まあ、そうだが。ユイだったら暫くは肉全般が食べられなくなりそうだな。食べられるお前は精神が強いのか、それとも図太いだけなのか」
 呆れた様子で投げやりに言ったあと、ルキは出口の近くに開かれたお土産コーナーを眼をやった。
「取り敢えず昼食はお前の希望に添った店をあとで探すとして。どうせだから何か買ってやろう。ほら、来い」
 腕をくいっと引かれて、もう辺りは薄暗くなくはぐれる心配もないのに、何故かまだ手が繋がれていることに気が付いた。
 お土産コーナーの中に入る。中央の円形の柱を囲むように設置された棚に、イルカやサメやカメをデフォルメしたぬいぐるみが並べられていた。他の陳列棚には同じデフォルメデザインを使われた文房具やストラップ、菓子類、他に食器やアクセサリーなんかも置いてあった。
 ぐるりと店内を一周しながら、時折目についた商品を手に取る。イラストを印刷された硝子コップなど、普段使い出来そうで可愛らしいものが沢山ある。ユイに買って行ったら喜びそうだ。
 そんなことを考えながらユイへのお土産を選んでいたら、また隣から視線を感じた。どこか楽しげな顔をしたルキが私を見ていた。
「なに?」
「そうして小物を選んでいる姿は流石に女の子だな。意外と可愛らしいものが好きなのか」
「その言い方、悪意を感じるんだけど」
「そう穿った受け取り方をするな。微笑ましいと言っているだけだ」
「ふうん、まあ、別に良いけど。ユイにどうかなって思って」
「ああ、確かにあいつは好きそうだな」
 生活に困るほど貧乏というわけでもないのに、私たちの家には物が少ない。私自身は物に執着しないし、ユイも物欲に乏しい方だ。あの子の性格を鑑みれば、家で普段使い出来るものが喜ばれるだろう。あとはもうひとつ、携帯につけられそうな小さなビーズストラップかぬいぐるみでも買って行こう。
 そう思い立って移動しようとしたところで、いつの間にか手が解放されルキが居なくなっていたことに気付いた。さして不都合はないのでそのままぬいぐるみのコーナーに向かい、邪魔にならない程度の大きさのものを選定しにかかる。短い毛の手触りがいい、イルカのぬいぐるみにしようと決めたあたりで、いつの間にか隣から居なくなっていたルキが右手に何かを持って戻ってきた。
「何をしていたの?」
「先に買い物を。ナマエ、右の横髪を耳にかけてくれ」
「?」
 意味はわからないが言われた通り横髪を右耳にかける。
 ルキは手に持っていたもの――小さな薄青の紙箱の蓋をぱかっと開いた。中にあったのは背中を丸めたイルカのイヤリングだ。小ぶりなシルバーの土台の上に塗料でイルカが描かれ、表面はつやつやしていて光沢がある。片方を取り出すと蓋を閉めてはこはポケットにしまい、私の右耳に手を伸ばしてきた。それから少しして、耳朶に微かな圧迫感。イヤリングをつけられたのだ。彼が指で弄ぶように弾くと、垂れたイルカの揺れる感覚が伝わってくる。
「結構似合っているな。可愛いよ」
 首を捻って右耳を確認しようとしても、当然小ぶりなイルカが見えるはずもなく、早々に諦めた。
「君、こんな可愛いものつけて歩く趣味あるんだね。どうせならイヤリングじゃなくてピアスにすれば良いのに」
 私のことを『意外と可愛らしいものが好きなのか』とからかっていたが、ルキも大概だと思う。彼は右耳に三つピアスホールを開けていて、いつも黒の石を嵌めているけれど、そこにこのイルカが加わった光景はさぞ滑稽なんだろう。
 するとルキは脱力したような変な表情になった。
「何を勘違いしているのか知らないが……それは俺のじゃない、お前に贈るためのものだ」
「どうして?」
「は、どうしてときたか……。そうだな、今日付き合わせた礼と詫びとでも言っておこう」
「ふうん……。じゃあ、ありがたく貰っておくね」
「そうしてくれ」
 右手の人差し指でイルカを弾いてみる。やはり視界の外にあるが、イルカがゆらゆら揺れているのは分かった。
「ユイへの土産は決まったのか?」
「うん。少し待ってて、買ってくる」
 その場を離れようとしたら、ルキの手が私の腕から硝子コップの箱とぬいぐるみを抜き取り、先にレジに向かってしまった。慌てて後を追うと勝手に会計を始めてしまう。財布を出しても「こういう時は男にやらせるものだ」と意味のわからない言葉と共に制された。何故隣人と外出しただけで相手にお金を払わせなければならないのか、腑に落ちず言い募ろうとしたが「あとは連れて来てやれなかったユイへの詫びだ」と付け加えられ、お金を出しても受け取って貰えない雰囲気だったので仕方なく引き下がっておいた。
 水族館を出て、駅に向かう道すがらで見つけた個人経営の料理屋で焼き魚定食を食べ、そのあとは隣駅にあるショッピングモール内の本屋で時間を潰した。何か予定があるのかとルキに聞いたが水族館以外は特にないらしく、であれば早く家に帰ろうと提案するも、何故かやんわりと引き止められ、結局帰宅したのは日も落ちた頃だった。
 ルキは時折私の右耳をじっと見て、遊ぶようにイルカを指でつついて揺らしていた。そんなに気に入ったのなら自分で着ければ良いのに、と言ったら、呆れの混じった苦笑を浮かべられた。




20150512
ナマエのいうルキの奇行=ナマエへのアプローチ
ルキの意図は何も伝わっていない
1と同じでナマエ17、ユイ13、ルキ24


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