名もない小さな猫が屋敷の庭に紛れ込んでから三日ほど経った。大きな猫、もといナマエは相変わらず寝心地の良い場所を求めて屋敷の中や敷地の範囲内の庭などをうろうろしていて、目を離すといつの間にか隣からいなくなっていることは最早当然のことのようになっている。そして、それは今日も例外ではない。

食事の後片付けを終えてからルキがナマエの部屋を覗くと、当たり前のようにナマエはいなかった。食事を作る為に部屋を出たときナマエも一緒にこの部屋で本を読んでいたのでそのまま戻ってきてはいないだろうかと淡い期待を抱いていたが、どうやらそうではないらしい。つまり、また屋敷内を寝てまわっているのだ。
部屋の中で唯一動いているのは太陽の光を浴びて一定の動きを繰り返す玩具の置物だけ。この前のようにあの置物に異様な集中力を向けていたら探す手間が省けるのにと思いつつも、ルキは頭の中で次にナマエが寝ていそうな場所を絞り込んでいく。考え始めてから間も無くルキは客間を見に行こうと決め、足早にナマエの部屋を出た。





それから数十分後。ルキはいまだにナマエを見つけることができずにいた。
屋敷は一通り見て回ったし、廊下で会ったコウやキッチンにいたユーマ、リビングにいたアズサにもナマエが何処にいるか知らないかと聞いた。しかし何処を探しても誰に聞いてもナマエが見つからない。
ナマエを探し始めて暫くはルキも簡単に考えていた。今まで地下のプールにあるプラスチック製のビーチベッドや庭など思いも寄らない場所に寝ていることもあったが、これでも段々ナマエを探し始めてから見つけるまでの時間は短くなってきているし、候補地も回数を重ねる度に減ってきている。いい加減かくれんぼの鬼役にも手馴れてきた。今回もそこまで手こずることなく見つけられるだろう。そう頭のなかでは思っていたが、時間が経つにつれその考えは薄れていき、今ではその時の自分がどうかしていた気にさえなってくる。
しかしそれにしても見つからない。寝心地の良い場所を求めているだけのナマエが意図的に隠れているはずはないと分かってはいるものの、この調子だとあともう三十分は見つからない気がする。
ルキはこの状況を少なからず楽しんではいるが、躍起になっているわけではない。別に用があって探しているということでもなく、ナマエを見つけること自体は急いでいない。放置していたらいつまでも戻ってこないのは実証済みだからこのまま見つけられなかったら次の食事の時ダイニングに姿を現さないのは目に見えているが、逆に言えばそれだけなのだ。そうなったらまた探しに行けばいい。それならばこれ以上無駄足を踏むよりも一旦捜索を諦めたほうが得策だと判断し、ナマエが何処にいるか分からないままルキは今いる部屋から自分の部屋へと帰ることにした。
そうとなれば部屋に戻ったら本を読もうとルキは書斎に寄り道をし、数冊本を持って自室まで帰ってきた。空いている方の片手で部屋のドアを開けると、一つを除いてはいつもと変わらない殺風景な部屋があった。…そう、一つを除いては。自分がいつも寝ているベッドである。
いつも掛け布団は綺麗に整えているはずなのに、明らかに不自然に掛け布団が盛り上がっている。丁度中で人が丸まって寝ているかのような、そんな山ができていた。ルキがまさかと思いながら持ってきた本を机に置き、ベッドに近づいて掛け布団を剥がす。するとまさにそのまさかで、さっきまで探しまわっていたナマエが人の気も知らずにすやすやと寝ていた。


「………はあ」


思わず脱力し、溜め息を吐く。自分の部屋で寝ているとはまた想定外だった。灯台下暗しとはよく言ったものだとルキは苦笑した。
一方布団を引き剥がされたナマエは重たそうに目蓋を開きこの部屋の主であるルキを見上げていた。その視線を受けたルキがナマエの寝ているベッドに座ると、ベッドのスプリングがぎしりと音をたてる。


「まったく……いつ戻ってきたんだ?」


言いながらルキが右手でナマエの頬を撫でると、ナマエはベッドに両手を付きゆっくりと上体を起こした。ナマエは頬に添えられたルキの手に目を細め、眠たそうにルキの身体に擦り寄る。それを受け止めながら首の後ろにゆるゆると腕を回されたあたりで、ルキは両手でナマエの頬を包んだ。
両頬に手を添えられたナマエが小首を傾げると、ルキは少しだけ開いていた唇にそれを重ねた。じゃれて甘咬みするように唇を食みながらルキはナマエが膝に乗りやすいよう体勢を整え、腰に腕を回してナマエの身体を引き寄せる。するとナマエがそれに応えようとルキの膝に乗ろうとして首の後ろに回した腕に力を入れた。
そしてすっぽりとナマエがルキの腕の中に収まるとどちらからともなく唇が離れ、微笑を浮かべたナマエがルキの視界の真ん中に映り込んだ。


「……おはよう、ルキ」

「…ああ、おはよう。屋敷の中を探しまわっているうちにお前が懐に入っているとは思っていなかった。……いつからいた?」

「…多分、三十分も経ってない」

「ならその前は何処にいたんだ」

「……忘れた。先に行ったところはよく眠れなかった」


そう言うとナマエはルキの肩に額を擦り付けた。もうこれ以上は喋る気はないらしい。ルキはマイペースなナマエに呆れ、また溜め息を吐いた。
どうやら単純に入れ違いになってしまっていただけらしい。眠れなかった部屋がどこだったのかは置いておくとして、気に入らなかったそこを出てからはずっとここで寝ていたようだ。戻ってきて正解だったとルキは改めて思った。
リラックスした様子でゆらゆらと揺れる尻尾がふとルキの視界に入り触ろうと手を伸ばすと、するりと尻尾が伸ばした手に巻きついた。これでは好きに触れないと思いながら決して悪い気もせず、尻尾を触っていない手で髪を撫でる。そんなことをしていると肩に顔を埋めているナマエがおもむろに顔を上げた。


「……ルキ、一緒に寝よう?」

「………またか」


ルキがそう言うのも無理はない。ナマエが半獣化してから言うようになったこの台詞だが、同じようなことを言ってきて結局一緒に寝てしまったことは少なく見積もっても片手では数えられない。甘やかしていると言われてもルキに反論の余地は殆どなかった。
一緒に寝てしまうことに関して何か問題があるのかとルキに聞くとすれば、恐らくそんなことはないという返答が返ってくるだろう。しかしナマエと一緒に寝るとルキは毎回ナマエのペースに巻き込まれ、必要以上に睡眠を取ってしまう。いい加減それを自制しなければならないと考え、ルキはナマエの誘いを珍しく断った。


「…悪いが、お前の昼寝に付き合っていたら俺は何もできない。膝ぐらいなら貸してやるが。…どうする?」

「……うん、それでいい」

「なら少し離れろ。体勢を変えるぞ」

「ん…」


断る代わりにとルキが提案した内容にナマエはこくんと頭の重さに任せたように頷き、ルキの申し出を受け入れた。思っていたよりあっさり聞き分けのいい返答をするとナマエはルキの手に巻きつけていた尻尾と首の後ろに回していた腕を下ろしルキから少し離れる。
その間にルキは近くにある机の上に置いておいた本を適当に一冊手に取りながらナマエが膝に頭を乗せやすいようベッドに深く座り直した。ナマエの方に向き直り「おいで」と自分の膝を軽く叩いて示す。
それを見てナマエはゆったりとした動作で頭をルキの膝に乗せ、背中を丸めた。少し前ルキの腕枕を固いと言ったことのあるナマエだが、さっきまでルキの手に巻きついていた白くて長い尻尾はまた心地良さそうにゆらゆらと揺れていた。
それを目の端で捉えながら片手で本を開き、もう片方の手で眠たそうに小さく欠伸するナマエの猫耳を撫でる。この部屋に来る前にいた部屋でよく眠れなかったからか、ルキに先程起こされたばかりだからなのか、ナマエは今にも寝てしまいそうだった。
本を読みながらそんなナマエを見ていたルキは、ふと一つの疑問に思い当たった。ナマエがこの部屋にいること自体は不思議なことではないが、それはルキが連れてくるからだ。自分からこの部屋にやってくるというのは珍しい。先程まで屋敷の中を探し回っていたときにルキが自分の部屋を無意識に候補地から除外していたように、まさかくるとは思ってもいなかったのだ。
ただそんな疑問を抱きつつも、どうせ次に行きたいところがなかったか、自分の部屋よりも手近に同じぐらいよく寝ているこの部屋があったからというどうでもいい回答が返ってくるのではないかとルキはすぐに思い直した。ルキから見てナマエがいつでも意味のある行動をしているとしたらもう少し考えるのだが、如何せん半獣化してからは特に意味のない行動をしていることが多く、すべてを真面目に取り合っていても仕方がないのだ。
しかしこのままナマエを寝かせてしまうのもルキとしては面白くない。折角見つけたのだからもう少しぐらい会話に付きあわせてやるというつもりで先ほどの疑問をナマエに投げかけた。


「…ナマエ、一つ聞きたい」

「……なに」

「どうしてここで寝ていたんだ?いつもとは言わないがよく寝ているここで寝るのと、自分の部屋で寝るのはそう大差はないと思うが、俺はここで寝るぐらいなら自分の部屋で寝ていたほうがお前は快眠できると思っているんだが」

「……好きだから」

「………この部屋がか?」

「うん。…よく寝れるから、気に入ってる」

「…………」


何気なく聞いたものの、ルキはまさか自分の部屋を気に入っていると言われるとは思っておらず面食らってしまった。可愛げのない回答を聞く準備をしていたのにとんだ誤算だ。
そもそも屋敷の何処で寝ても「寝心地が悪かった」と文句を言っていたというのに、その口から「気に入ってる」という単語が出てきたことにも少なからず驚いている。思えば今までこの部屋の寝心地はどうかと訊いたことはなかった。
間接的にではあるがその質問にも答える形になったナマエの回答にルキは思わず耳を撫でていた手を止めていたが、先程からずっとナマエを誘っていた睡魔の妨げになることは全くなかった。


「………おやすみ、ルキ」


おはようと言ってから五分も経っていないのに小さな声でおやすみと言うと、ナマエは会話もそこそこに目蓋を完全に閉じてしまった。きっと耳を撫でていようがいまいがナマエが早々に寝てしまうという結果はあまり変わらなかっただろうが、それにしても睡魔に身を任せる早さはいっそ清々しいものを感じる。
ルキはまた溜め息を一つ吐き、手に持っている本に再び目を通し始めた。器用に片手で本のページをめくりながら、ナマエの髪や耳を撫でる手も動かす。白くて大きな猫が耳を澄まさなければ聞こえないような小さな寝息を立てながら自分の膝に頭を預けている状況にルキはふと笑みをこぼし、その横顔に触れるだけのキスを落とした。



end
―――

気に入ってる(屋敷の中で寝てまわるのをやめるとは言っていない)


20150423


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