肩に頬を当てて目を閉じる。身体中を彼の匂いに包まれているような錯覚を抱き、それがひどく心を落ち着かせる。大きな手のひらが一定のリズムで背中を撫でるのが眠気を誘う。眼孔の奥から瞼が重くなって、生理的欲求に逆らわずに目を閉じた。
「眠いのか?」
 内緒話でもするような小さな声が耳元で問う。うん、と返そうとしたけれどそれが言葉になったかは分からない。眠気を増長させるように猫耳の根元を指で揉むように触られて、意識が遠ざかっていく。身体から力が抜けるとそれを支えるように腰を抱く腕が強くなる。
 彼の身体に抱きついて頬を擦り寄せる。猫になってから初めてこんな体勢をしたのだけれど、本当に自分でも信じられないくらい落ち着いてしまう。この両腕に命を奪われそうになったことは一度や二度ではないのに。勿論、私の身体も命もとっくの昔に彼に明け渡したのだから、今更彼に殺されることを恐れる必要なんてないのだけれど、それでも、これほどまでに好意的な感情を抱く日が来るなんて思っていなかった。
 絆されていると思う。甘やかされているとも思う。
 猫耳と尻尾が生えた。たったそれだけのことだというのに、彼はペットを可愛がるがごとく以前にも増して私に構うようになったし、こうなる前の私だったら不気味なその行動から慎重に遠ざかったはずなのに、今はそれが心地よいとさえ思う。それが理性がなく自分の本能に忠実な猫の、飼い主や親猫に甘えたいという衝動から来ているのか、それともこうなることを私が望んでいたのか、今は分からない。答えを知りたいとも思うし、何かが壊れてしまいそうで怖い気もする。だったら無理に答えを出す必要なんてない。
 彼に身体を擦り寄せていると、心にぽっかり空いた穴が温かい何かで満たされていく感覚がする。刺激があるわけじゃない、気分が高揚するわけでもない。ただ同じ事ばかりを繰り返し擦り切れて色褪せた日常が、ほんの少しだけあったかくなる。それが嬉しい、と思う。獣になる前には手に入れられなかった感覚だ。ずっとこの感覚に浸っていたいと思う。だから、この何の役にも立たない猫耳と尻尾を免罪符にして、衝動のまま生きてみたい。
 これは彼に甘えるということなのだろうか。猫を思い切り甘やかしてくれる彼なら、きっと何も言わずに受けとめてくれるんじゃないか、という期待をした。いつの間にかそれ程までに彼を信頼している自分に自嘲しながら、そういった理性的な考えには暫く蓋をしておくことにした。都合の悪いことを気付かないふりするのは得意だから。




 意識が浮上してくる。まだ寝ていたいという欲求に従おうとして、けれど両腕が投げ出されていることに違和感を覚えて、重たい瞼を無理矢理持ち上げた。確認してみると体勢が変わっていた。ルキに背中を預け、後ろから人形みたいに抱き締められていたようだ。いつの間にか壁際に移動していて、彼も壁に体重をかけて眠っている様子だった。
 お腹で組まれている手に自分のものを重ねてみる。白くて骨張った手の甲を指で擽るように触っていると、猫と戯れているような気分になる。さしずめ短毛種の黒い雄猫と言ったところか。彼は自分のことを飼い主だと言っているし、普段の生活で世話を焼く彼に私も同じ印象を抱いているけれど、本質的なところで彼は猫だと思う。意外と気紛れなところとか、マイペースなところとか。
 ふと思い立って、彼の腕の拘束を緩めて身体を反転させ、眠っている彼と向かい合う。それから指を彼の髪に通してみた。黒い猫っ毛。私より少し硬いけれどふわふわしたそれを指や手のひらで弄んでいたら、より小動物と戯れている気分が増した。
 今度は頬でも摘まんでみようと思って、両手を頬に添えて顔を覗き込んでみる。すると青みがかった黒い瞳と視線が交わった。
「起きてたの?」
「あれだけ弄り回されれば誰だって起きる」
 眠りを邪魔されたからか、鬱陶しそうに眉根を寄せて言い捨ててから、眠気を振り払うように数度瞬きした。それでもまだ眠いらしく、私の身体を抱き寄せて首に顔を埋めてくる。大きな猫に甘えられるのってこんな気分なんだ、と納得しつつ、片手を彼の背中に回してもう片方でまた髪を撫でた。
「君にも耳、生えないかな」
「……寒気がする。冗談でもそういう馬鹿なことを言うな」
「冗談じゃないんだけど」
「だったら尚のこと悪い」
 もし猫耳が生えるのならこの辺だろうか。指先でその辺りをなぞりながら、黒い三角の耳を頭に生やした彼を想像してみた。愛玩動物になるだけで彼の冷たい真顔だって少しくらいは可愛らしさが出る気がした。
「おい、まさか想像してないだろうな」
「してたよ」
「お前……」
 不機嫌そうに怒気を含ませて唸った後、私の腰を掴んでベッドに押し倒した。覆い被さりこちらを見下ろす彼は声から推測できる通り不機嫌な顔をしている。
「こんな面倒な事お前だけで十分だ。大体お前のそのふざけた猫耳と尻尾だって治る兆しがないんだぞ」
 呆れ混じりの説教が右から左へすり抜けていく。もっと別のことに意識が捕らわれてしまう。
「うん……ね、ルキ」
「なんだ」
「一緒に寝よ?」
 押し倒されると自然と身体に距離が出来る。動物が仲のいい個体と身体を擦り合わせて親愛の情を示すように彼と身体をくっつけていたい気分だった。生き物が恋しいってこういう気持ちなのだろうか。まだ眠いので出来ることならついでに寝たい。
 首を傾げてそう言ったら、彼は暫し押し黙って睨むように私を見下ろし、それから上体を起こして目元を手のひらで覆い溜息をついた。
「……一応訊いておくが、その『寝る』は普通に睡眠をとるということだな?」
「? うん」
 彼が言葉の裏に潜ませている意図はよく分からないが取り敢えず頷いておくと、今度は肺からすべて酸素を吐き出したのではないかと思うほど深い溜息を吐いた。目元を覆っていた手を外し、私の腕を掴んでベッドの上を移動させる。彼も隣に身体を横たえ、私の頭の下に自分の腕を敷いた。一緒に寝てくれるらしい。布団を喉元まで引き上げてからもう片方の手で腰を抱き寄せられる。押し倒されている時より近くなった距離にほっとしながら、彼の胸に手を当てて自分からも擦り寄っておいた。
「こうしてるとよく眠れる気がする。君の匂い、すごく落ち着く」
「……」
 首のあたりに鼻を押し付けて彼の匂いを肺一杯に嗅ぐと、擽ったそうに身動ぎされた。見上げると何とも形容し難い表情をしているルキと目が合う。
「どうかした?」
「……いや、気にするな。お前はもう黙って寝てくれ」
「ん」
 何故だか懇願にも聞こえるように言われたので、彼に抱き締められて安心したのとベッドの心地よさでぶり返してきた眠気に従い、瞼を閉じた。




20150417
答えを知らないことがふたりの幸せ


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