元々猫のような性格の女が、白い猫耳と揃いの尻尾や手に入れて視覚的にも猫になった。更にいくつか得ている猫の気質は日を追う毎にその真価を発揮しており、まるでヴァンパイアの本能が猫のそれに取って代わられるように、彼女は完全体の猫に近付きつつあった。大きな猫を飼っているようで可愛いじゃないかと思っていた数週間前の自分を殺してやりたい。確かに可愛いが現実はそう甘くなかった。半獣化によりいくつか弊害も生じているのだ。
 そのうちの一つが睡眠に関することだった。半獣化する以前より極端に睡眠時間の長い奴ではあったが、猫化し日が過ぎるにつれてそれが顕著になってきた。興味本位で時間を計ってみたら一日の内十四時間ほどを睡眠に当てている日さえあった。
 しかし寝ているだけなら問題は無い。ヴァンパイアは永遠に等しい時を生きるもの。時間は腐る程持て余しているのである。長く生きた者ほど生きる意欲を失い、無限の時間をやり過ごすことばかりに注力するものだ。例えば彼女にとって睡眠と読書がその手段であるように。
 それはさておき、目下俺の頭を悩ませているのは、彼女が寝心地の良い場所を探して屋敷中をふらふらと歩き回り、地面だろうが床が濡れていようが汚れていようがお構い無くその場に身体を横たえて寝てしまうことだった。そんなところで野生化しないで欲しい。以前の彼女であれば自室のベッドか俺の部屋で眠るくらいだったというのに。
 ある日気が付いたら隣に居る筈のナマエが居なかった。屋敷の中で引きこもりをしているような女だから行く宛てと言えば自室か俺の部屋かせいぜい書斎くらいなものだ。そう思って順に確かめたが姿は見えない。念の為ダイニングやリビングに足を向けたがそこにも彼女の姿は無かった。まさか今更になって俺からの逃亡を図ったのか、と僅かに湧き上がる不快感と苛立ちを抱えつつ順繰りに探索して回ったら、なんと地下のプールで寝ていた。プラスチック製の硬いビーチベッドの上で丸まり俺の苦労など知りもせずすやすや眠りこけていた。安らかな寝顔に苛立ちが募り、いっそのことプールに放り込んでやろうかと思ったが、塩素臭くなった彼女の身体を洗うのも俺の役目なので手間を惜しんで渋々堪えた。肩を揺さぶって起こすと呑気に欠伸をした彼女は「寝心地が悪かった」と不満げに文句を言っていた。文句を言いたいのは俺だ。
 そんなことが二度三度あって、まあ、昼寝の場所くらい好きにさせてやれば良いか、とある種投げやりな気持ちになったので、姿が見えないことに気付いても放置してみた。するといつまで経っても姿を現さない。食事の時間になろうが就寝の時間になろうが一向に戻ってくる気配を見せない。仕方なく屋敷を探して回ったら今度は地下牢で寝ていた。叩き起こして話を聞いてみると文字通り一日中寝ていたらしい。きっとあの時探しに行かなかったら一週間経っても眠りこけていたに違いない。別に数日姿が見えないのは構わないが、ある日見たら知らない内に餓死していました、では流石に夢見が悪い。ついでに言えば、今更彼女が屋敷から逃げ出す可能性がないとも言い切れない。結局目の届く範囲に置いておくために、彼女が何処かで昼寝をし始めたら俺はそれを探しに行かなければならないのだった。
 幸いにして彼女は二度同じ場所を選ばない。プールサイドで聞いた「寝心地が悪かった」という台詞はその後彼女を見つける度に聞かされており、かつての昼寝候補地たちは彼女を満足させられなかったようだ。最初は何処を探していいか分からなかったが、回数を重ねれば彼女の行く先も自然と絞られていく。既に屋敷の半分以上の場所が候補地から削られていた。
 最初のプールサイド、次に地下牢、書斎は勿論、リビングのソファ、キッチンやダイニングの椅子の上もあった。空の浴槽も。
 頭の中で指を折りながら目的地を削っていく。今まさに何処かで寝ている猫を探している最中だった。しかしアテが外れたのか、屋敷の中を隅々まで見て回ったが彼女は居ない。先ほど除外した候補地も確認したがやはり彼女は居なかった。あいつ、今度はどんな面倒なところに隠れたのか。溜息を漏らしつつも、猫の捜索を楽しんでいる自分がいるのも事実だった。
 とはいえ屋敷は一通り見て回ってしまった。さて次は、と考えていた時、ふとガラス窓の向こうの庭が視界に入ってきた。やや西に傾いた太陽が暖かい日差しを緑の庭に注いでいる。純正のヴァンパイアである彼女は、日の光を浴びたところでお伽話のように灰になったりはしないが、元人間の俺たちよりも太陽に弱い。屋敷の敷地内であれば何処に行っても良いとは言ってあるものの、彼女はこれまで外に出ようとしなかった。だから無意識のうちに選択肢から外していたのだろう。




 案の定、というか消去法ではあるが、彼女は庭にいた。ユーマの家庭菜園のすぐそば、まだ手をつけられていない場所。背の低い切り揃えられた芝生に木が陰を落としている。木の葉によって日差しが弱められたその下で、ナマエは寝転がっていた。遠目から白い尻尾がゆっくりと揺れているのが見える。もはやあの姿は猫と言う他ない。良い御身分だ、飼い主の気苦労も知らずあんな場所でリラックスし切って惰眠を貪っているなんて。
 そちらへ足を向けながら、しかし予想と事態が少々異なるらしいと悟る。どうも彼女は寝ていないようで、独り言のような小さな声が聞こえてくるのだ。ただでさえ寡黙な彼女に独り言の癖など無かったはずだが、と不気味に思いつつさらに距離を詰めて、ようやく事態を飲み込んだ。
 そこには猫がいた。少しややこしいので言い直そう、半獣化している猫のナマエとは別に、見知らぬ完全体の猫がいた。彼女は投げ出した腕の上に猫を乗せ、もう片方でその毛むくじゃらの身体を撫でながら、まるで意思疎通が可能に見えるような会話らしい独り言をしていた。
「どこから拾って来たんだ?」
 すぐ傍まで近寄り見下ろしながら声をかけると、ナマエがのろのろした動きでこちらを見上げる。
「先客。私が来たらもうここにいた」
「それで猫同士親交を深め合っていたってわけか。飼い主は苦労してお前を探していたんだがな」
「そう、ごめん」
 申し訳なさの欠片もない語調で謝罪を口にしてから、ナマエは腕の中の猫に視線を戻した。人慣れしているのか彼女に撫でられても大口を開けて欠伸をするだけで逃げる素振りも見せない。隣に片膝をついて指で猫の顎を持ち上げてみると首輪がなかった。断定は出来ないが、人に自分を飼ってくれと懇願し媚びるような鳴き声をあげないところも鑑みると、どうやら野良猫らしい。人に可愛がられ餌を与えられてきた運の良い猫なのだろう。俺が触れようが気にした様子はなく、そればかりか軽く喉を撫でてやると気持ち良さそうにゴロゴロ鳴いた。
「ルキ」
「ん?」
「私に何か用があったんじゃないの」
「? そんなものはないが」
「じゃあ、どうして此処に来たの」
「お前の姿が見えなかったからな」
「……そう」
 要領を得ない問答の末、投げやりとも取れる返事をしたきりナマエは黙り込んだ。何なんだ一体、自分から訊いておいて。
 ナマエは瞼を僅かに伏せて、指先で猫の身体を擽り始めた。流石に一部とは言え自身が猫化しているだけあって、猫の心地いい部位は心得ているらしい。ナマエに撫でられる度に猫は気持ち良さげに身動ぎし彼女にすり寄っていく。そして彼女の鼻先に自分の鼻をこつんと押し付けると、今度はお返しとばかりに彼女の白い頬をぺろぺろ舐めた。親愛の証だ。懐かれるのは素直に嬉しいのか、ナマエが頬を緩めてまた猫を撫でてやる。その様は互いに毛繕いし合う猫そのものだった。
「それにしても、猫か。この屋敷を使い始めてから随分経つが、猫が迷い込んできたのは初めてだな。結界が張ってあるし猫は入って来られないものと思っていたが」
 元は逆巻の連中から身を隠すための結界だった。そうでないにしても、魔界に住むヴァンパイアが人間界で暮らすとなると色々面倒なことも起こる。魔界から彷徨い出た下級魔族が襲って来ないとも限らない。勿論俺たちにとってそんなもの取るに足らないものだが、非力な蝿だって傍でバタバタ羽音を立てていれば苛立つものだ。虫取り機があるのならそれに任せた方がストレスも少ない。加えてこの結界には人払いの効果もあるらしい。何の関係もない人間が道に迷って此処に辿り着くということはまずあり得ない。
 そんなことを考えていると、猫を両手で抱き上げて胸の上に乗せたナマエが興味なさそうに「さあ、知らない」と答えた。その瞬間脱力する。
「……はあ。お前と話していると真面目に考えている自分が馬鹿らしくなってくる」
「ふうん」
 完全に関心のない相槌を打って、胸の上で丸まる猫を撫で始めた。まあ、小鳥だってベランダに飛んでくるのだから、猫などの動物と人間への結界の効力はまた別のものなのだろう。そう結論付けて、隣で小動物同士が戯れる和やかな光景を眺めることにした。
 猫の方は完全に構ってもらう所存のようで、マッサージでもするようにナマエの上で足を踏み替えながら、時折前足を彼女の顔に向かって伸ばしている。ナマエも同族と戯れるのが楽しいのか、珍しく誰が見ても微笑んでいると分かる顔でその相手をしていた。無邪気にじゃれ合う小動物というのは見るものの胸を温かくさせるものらしい。
「ナマエ」
 気が付けば名を呼び、彼女の顔の横に片腕をついて覆い被さり唇を合わせていた。数度角度を変えて柔らかいそれを食むと、微かな吐息を漏らす声が聞こえた。顔を離せば赤い瞳が不思議そうにこちらを見上げている。
「どうしたの」
「お前たちがじゃれ合っている姿がどうにも可愛らしくて、な」
「一緒に混ざりたいの?」
「いや、遠慮しておこう。俺はお前の相手だけで十分だ」
 ふと彼女の胸元を見ればそこにいたはずの猫がいない。視線を金色の頭の向こうに向ければ、座った猫がこちらをじっと見つめていた。
「ああ、利口な猫だな。人の戯れの邪魔はしないらしい」
「どっちかっていうと邪魔したのは君の方だけどね」
「飼い主なんだから当然の権利だ」
「……前も言ったけど、君は飼い主っていうより雄猫だよ」
「ああ分かったよ、この際雄猫でもなんでもいいさ」
 頬を撫でるとナマエは気持ち良さそうに目を閉じた。先ほどの猫とほとんど同じ反応に思わず笑ってしまう。もう一度唇を合わせると、受け入れるように首に腕を回される。一度目より深く長く口付け、次に顔を上げた時には、賢い野良猫は何処かへ消えていた。



20150417
猫はきっと誰かの遣いmうわなんだやめろ


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