※本筋に関係していないようで関係しているif話は結構作りましたがこれは完全にif。本筋だとあり得ないものなので別個に考えていただければ。




 薄々気付いてはいた。けれど認めてしまえば自分の何かが崩壊しそうで、それが恐ろしくて、事実から必死に目を背けてきた。それでも日に日に大きくなる感情はもはや無視することの出来ないものにまで成長してしまった。
 原因は何だったんだろうか。敬愛するあの方とよく似た容姿? それとも共に長く過ごしたせいで情でも湧いたのか。或いは自分との共通項を見出したからか、可哀想な女だと同情したのか。しかし原因が何にせよ結論は変わらない。
 いつからか、カールハインツ様のことを考える時間が減っていた。あの方はアダムとイブの経過観察にかかりきりだし、役目を終えた駒に構うほど暇でもない。あの方に会う回数が減り、思い出す時間も減り、それに反比例するように俺の思考は彼女で埋め尽くされていった。
 最初は本当に、恨みを発散するための身代わりでしかなかった。ずっと彼女を通してあの方を見てきた。けれどふと気が付いたら俺は『あの方の代わりとして』ではなく『彼女自身』を見るようになっていた。『唯一無二のあの方の身代わり』だった、それだけでしかなかったはずなのに、自分でも知らない内に彼女を『自分にとって唯一無二の存在』に据えてしまっていた。
 大切とも違う。愛や恋という呼称も相応しくないように思う。この感情にどんな名前が付くのか自分でさえ分からない。とにかく彼女の全てが欲しい。身体も、意思も、全て支配して自分のものにしたい。彼女という存在を求める気持ちだけが膨張する。
 この世から彼女の記憶を抹消した今、彼女にはもう俺の隣以外の居場所がない。そして彼女は俺の気が済むまで憎悪の昇華に付き合うと言って、抵抗も不満も見せず、ただ両手を広げて俺から与えられる何もかもを受け止めていた。
 彼女の全てが欲しいと思う以前から、彼女は自分の手の中にあった。
 それなのに心は満たされない。望むものは手に入っているはずなのに、何かが足りない。
 そこで気がつく。確かに彼女の身体も、意思も、自分の意のままに動かせる。あの女は俺の言動を一切否定せず、冷たい無表情で全てを受け入れてしまう。けれどそれは意思を投げ捨てて俺に従順になっているだけであって、彼女自身が手に入った訳ではないのだ。言動を否定しないのは、従順さを求める上では限りなく理想的な態度だ。しかし俺と対等な存在を求める場合はむしろ裏目に出てしまう。あれでは肯定の言葉しか知らない人形のようなものだ。
 いや、人形、は言い過ぎか。彼女はちゃんと自分自身の考えや意思を持っている。俺の言動全てを正しいと肯定している訳ではない。けれど彼女の中にある『俺の気が済むまで憎悪の昇華に付き合う』という最優先事項が、彼女の言葉を奪っている。そして彼女はその事実に何の不満も抱いていない。あの女は何よりも俺の言葉を優先してしまう。妙に意固地で察しの悪いあの女は、最初に交わした約束だけを律儀に守り続けている。俺が欲しいのはそんなものではないのに。
 彼女に俺のことをどう思っているか訊いてみれば、きっとこう返ってくるだろう。『今の唯一の居場所』。そこにあるのは依存だけで、好意的な感情は何一つない。
 そもそも彼女の中には好意に該当する感情の概念がない。『大切』だとか『唯一無二』という『他より上位の存在』の枠組みはあっても、『愛』や『恋』という枠組みはない。変な話だが、俺自身彼女に向けているのは後者の感情ではないはずなのに、彼女から欲しいと思うのはまさしくそれらだったのだ。
 彼女は世界から阻害され、最後の居場所として俺を求めている。しかしそれは先に述べた通り単なる依存であり、『俺自身』を欲している訳ではない。更に彼女の中には俺の求める意味での『唯一無二』の概念が存在しない。
 俺がどれだけ彼女を求めても、あちらから同じものが返ってくることはない。自分の手の中にあるはずなのに、彼女に執着していると自覚した途端、決して手の届かないところへ行ってしまった。物理的にも精神的にも手が届かなければまだマシだった。しかし彼女が自分の隣にいる分、本当の意味で手に入れることが出来ないこの現実は、彼女が隣にいない場合よりも余計に惨めだった。
 いくら求めても、どう尽くしても、欲しいものは何も返ってこない。こんなの、まるでカールハインツ様の時と同じじゃないか。




「どうしてそんなところまであの方に似ているんだろうな、お前は」
「……なに、突然」
 あの方を嫌うナマエは不愉快そうに眉を寄せた。赤い瞳に鋭く冷たい感情が滲む。容姿が酷似していると自覚しているから、なおのこと類似性を指摘されるのが嫌なのだ。指先で目の下に触れ、そこから頬、そして薄い桃色の唇を撫でた。昔はカールハインツ様によく似ていると思っていたが、今はもう、彼女の顔が彼女にしか見えない。
 こんなに簡単に触れられるのに、決して手に入らない。
「結局、俺は昔からずっと無い物ねだりをしていただけなんだ」
「父さんのこと?」
「それもある。が、今は違う」
「ふうん」
 さほど興味がなさそうに返して、じっとこちらを見上げてくる。血のように赤い瞳。俺に手を差し伸べてくれない、二人の瞳。
「その目、やはりカールハインツ様にそっくりだ。一歩引いた場所から俺を見下ろしている。無い物ねだりをする無様な姿を高みから見物するのはさぞかし気分が良いんだろうな」
「君が何を言っているのか、よく分からないんだけど」
「ああ、そうだろうな。むしろ自覚がない分、お前の方があの方よりも悪質かもしれない」
「……」
 今度は分かりやすく不機嫌に顔を歪めた。それがどんなものであれ、自分の言葉が彼女の感情を動かしたことに喜びを覚える。一歩引いた傍観者から、少しでも同じ土俵へ引き摺り出せたような気になれるのだ。
 自覚がない。彼女の全てがそうだった。自分が俺にどんな影響を与えたか、俺にどんな不満を抱かせたか、知りも気付きもせずに、ただ自己満足の献身で接してくる。彼女に自覚がない以上、自分からこの葛藤を口にするのも癪で、しかし察しの悪い彼女は俺の内心など知る由もなく、結果として状況は膠着し、ただフラストレーションだけが募っていく。
 そっと両手をナマエの首に添えてみた。両手を使うまでもなく片手で掴めてしまいそうなほど、細くて華奢な首だ。喉元に親指を添えて、軽く力を込める。
「お前は酷い女だ。俺をここまで貶めておきながら、自分は澄ました顔をして無関係を気取っている」
「……君、さっきから何言ってるの?」
「なあ、どうしたらお前は手に入るんだ?」
「……?」
 意味がわからないといった様子で細い眉が寄せられた。それはそうだろう。彼女の中では、「自分はとっくの昔に俺に全てを捧げた」ことになっている。彼女の中に好意という概念がない、俺という存在を求めない、そのことが気に食わないと、俺が考えていることなんて気付いていない。
 更に親指に力を込めた。気道を圧迫され、整った顔に苦しげな色が浮かぶ。それでも抵抗を見せない。どうせ俺になら殺されても良いとでも思っているのだろう。彼女の全てが欲しいと願う俺にとって命を捧げられているのは喜ばしいことのはずなのに、ただ冷静にこの状況を受け止めている彼女に無性に苛立ちが募った。
 何よりも腹立たしいのが、俺にはまだ彼女の首をへし折るだけの心構えがないということだ。
 きっと彼女を殺せば楽になれる。彼女の意思が消滅してしまえば、決して手に入らないそれを直視しなくて済む。ただその存在を永遠に自分のものに出来る。それなのに、未だ捨てたはずの人間の価値観を引きずっている俺には、彼女を殺すことが出来ない。まだ生きて隣にいて欲しいと思ってしまう。
 細い首から手を離して、片手でこめかみを押さえた。頭が痛い。
「殺さなくて良いの」
「今はまだ、な」
 自分の感情が上手く制御出来なくて苛々する。こんな女相手に心を乱されている自分が情けない。けれどカールハインツ様に似ていて、尚且つ自分との共通点も多々あるこの女だったからこそ、ここまで貶められているという必然性も感じた。
 思わず深い溜息が口をついて出た。
「幸薄い君の幸福がますます逃げていくね」
「俺に溜息をつかせている原因に言われたくないな」
「何もした覚えはないけど」
「……どうせそれも無自覚なんだろうな」
「なにが?」
 こてんと首を傾げて問い返される。無邪気ともとれるその反応に閉口してしまう。
 何もした覚えはない、自分はただ君の意思に従ってきただけ。彼女は意図していないだろうが、まるで「ここまで堕ちているのはお前自身が選んだ道だ」と突き放されているような気分だった。
「今改めてお前が俺の手に負えない女だと実感した。出来ることならお前を拾う前に戻ってやり直したいくらいだ」
「なら、今捨てればいいのに。吸血鬼の人生は長いんだから」
 俺だってそうしたいが、それが出来ればここまで苦労はしていない。
 再び生まれた欲しいものが手に入らない、それが分かっているのに、だからといって手放すことも出来ない。彼女自身と、かつてのカールハインツ様への感情が合わさって俺の精神を苛む。この父娘はどこまで俺を地獄に突き落とせば気が済むのか。加えて何度も言ったように、こいつの場合自覚がない分始末に負えない。
「もし、俺がお前に『そばにいてくれ』と言ったら、どうする?」
「……変なたとえ話だね。君はそんなこと言うような人に見えないけど。でも、もし君がそれを望むなら、私は従うよ」
「だろうな、お前ならそう言うと思っていた」
 予想通り過ぎて脱力する。俺に従う、そこに彼女自身の意思は介在していない。けれど俺にはこの望まない献身の姿勢をどうすることも出来ない。自分の内心を語ってやるつもりもない。何よりそれをしたところで彼女の中に俺の求める『特別』の概念が芽生えるとは思えなかった。
 また溜息が口をついて出る。下にいるナマエがぱちぱちと瞬きした。
「君がそんなに落ち込んでいるの、珍しいね」
「別に落ち込んではいない。ただ自分が思いの外愚かだったことを自覚して憂鬱になっているだけだ」
「そう」
 お疲れ様、なんて心のこもっていない労りの言葉と共に白い手が伸びてきて、俺の頬に添えられた。
 こいつの血を吸ってやるつもりで組み敷いていたが、自己嫌悪とどう足掻いても変わらない現状に疲れて何もかも投げ出したくなった。腕の力を抜いて細い身体に倒れ込めば、苦しそうに身を捩る。それを両腕で抑え込み、仄かに甘い香りのする白い首筋に顔を埋めた。
 思考を辞めてしまうのは人型の生き物である特権を捨て野生に下る蛮行だ。だから思考を停めるのは嫌いだった。それでも、もう考えるのも面倒になってしまった。どれだけ悩もうと、俺を地獄に突き落としている張本人は澄ました顔して隣に立っているだけなのだ。けれど、決して手に入らないのだとしても、俺が望む限り彼女はその場に居続ける。ならばその地獄の中で、諦めに身を投じて全てを放棄してしまえばいい。
 ところで、ひとつ引っかかっていたことがある。彼女に同じものを返して欲しいと願う俺は、彼女が自分に好意を向けることを望んでいる。つまり、俺は。
 ……いや、考えるのはよそう。碌なことにならないだろうからな。



20150209
素材は良かったはずなのに調理方法で全てを台無しにした。ま、まあ……思考回路がルキくんっぽいなと少しでも思っていただければ成功……。
長女への感情を好意に当てはめているあたりがこの話がこのカテゴリに放り込まれ完全ifと称された所以です。


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