7

 ナマエちゃんが話してくれた昔話は、レイジさんが教えてくれた話に少し肉付けした程度の情報量だった。けれど、本人から語られると、言葉の重みが違った。
 ナマエちゃんは話し終えたあと少しすっきりした顔をして、「……こんな話したの、ユイが初めてかもしれない」と感慨深げに呟いていた。初めて。わたしが、ナマエちゃんの、初めて。ナマエちゃんにとってそれは大した意味のないことなのかもしれないけれど、何だかそれがとても嬉しくて、胸の辺りがぽかぽかした。
 そして同時に感じる寂寥感。
 ナマエちゃんは、たとえ半分人間の血が混じっていたとしても、れっきとした吸血鬼で、わたしより遥かに長い時を生きてきた。当然、彼女の父親の城で暮らしていた幼少期も、わたしの幼少期の数倍の時間のことを指していると思う。
 なまじ人間の遺伝子が混じっている分、他の吸血鬼よりも「他人と共に居たい」という人間のような感情が強いのに、本人は純血じゃない、というより、本来餌であるはずの人間の血が混ざっていることを不気味に思われて、異端な存在として扱われてきた。
 他人の視線に怯え、広い城の自室に鍵をかけ、ひとりきりで長い時を過ごす。それはどれほど寂しいことなんだろう。わたしには想像もつかなかった。
 ナマエちゃんはひとりが好きだと言っていたけど、それはどこか、自分を慰めるために嘘をついているような気がしてならなかった。

「ナマエちゃん」
「……ん?」
「わたしがずっと一緒に居るから、だから泣かないで」
「? よく分からないことを言うね。泣いてないよ」
「……わたしが言えることじゃないのは分かってるけど、聞いて」

 唇が震える。こんなの、土足で人の心に踏み込むようなものだ。わたしが口を出して良い話ではないのかもしれない。けれど、我慢出来なかった。

「ナマエちゃんが、すごく寂しそうな顔をしているから」
「……」
「ね、手、貸して?」

 わたしがそう言うと、意図が分かりかねるといった様子で不思議そうに首を傾げながらも、ナマエちゃんは手を差し出してくれた。わたしは差し出された手を両手で包み込む。肌が触れた瞬間ナマエちゃんがぴくりと震えたけれど、構わず、力を込めた。
 吸血鬼特有の冷たい肌だ。

「……ねえナマエちゃん、もし他の人と一緒に居るのが怖いって、過去のことに怯えて心を閉ざしているなら、わたしがそれを開いてあげたい」
「別に私は寂しくないけど」
「本当に?」
「……」
「わたしには、そんな風には見えない。お願い、わたしを信じて。わたしがずっと一緒に居るから。そんなに寂しそうな顔をしなくて済むように、ずっと」

 紅い瞳を伏せて、ナマエちゃんは何かを思案しているようだった。自分の寂しいという気持ちを隠すために、そして自分自身の感情さえも騙してしまうために被っていた仮面。それが剥がれ落ちてしまったように、今のナマエちゃんの顔には悲しみや寂しさといった感情が剥き出しに浮かんでいた。
 それから、わたしの手を、握り返してくれた。

「……ユイの手、あったかいね」
「ふふ。人間だから。半分はナマエちゃんと一緒」
「……うん」

 そして。口もとがゆるく弧を描いた。ナマエちゃんが笑っていた。
 初めて見たナマエちゃんの笑顔は優しさに溢れていて、最初に感じていた「死」の香りなんて微塵もなかった。見ているだけで心があったかくなるような、そんな柔らかくて優しい笑顔。
 思わず見惚れていると、「ユイ」と呼ばれたのに一瞬返事が遅れてしまった。

「なっなに!?」
「……ユイは健気で可愛いね。ありがとう、気持ちは貰っておくよ」

 そして、わたしの片手をとって口元へ持っていくと、童話の中で王子様がお姫様にするような仕草で、軽くくちづけを落とした。

「……やっぱりナマエちゃんもヴァンパイアだ」
「そうだけど」
「(さらっとそんなことしちゃえる辺りが他の逆巻兄弟とそっくりだ……)」

 女の子に、しかも唇や頬じゃなくて手の甲にキスされただけなのに、何でこんなにドキドキするんだろう。わたしは胸に手を当てて、意味もないのに心臓のうるさい鼓動をおさえようとした。


   8

 ナマエちゃんの部屋にノックをして返事を待たずにお邪魔する。今は吸血鬼たちにとっての朝で、人間にとっての夕方。学校に行くために、意外と寝坊助なナマエちゃんを起こしに来たのだ。
 毎日のこととは言え、やっぱり許可を得ないまま他人の部屋に入るのは気が引けて、なるべく足音を立てないようにベッドに近づいた。ナマエちゃんは寝ている時まったくといって良いほど寝息をたてない。呼吸をしているのかすら危ういくらい静かだ。
 じっと、寝顔を観察する。やっぱり近くで見ても肌がすべすべだ。同性として羨ましいくらいだ。思わず手を伸ばし触れそうになって、直前で慌てて引っ込めた。
 まだ学校までは時間的に余裕がある。わたしが早起きしてしまったので早めに来ただけだ。ナマエちゃんにはしっかり寝てもらいたいから、いつもの時間まで待つことにする。

「(それにしても、本当に綺麗な顔だよなぁ。みんなのお父さんに似てるらしいけど、お父さんってどんな人なんだろう……)」

 紅い瞳に見つめられると目線を合わせることすら恥ずかしくなってしまうので、ナマエちゃんの顔をここまでじっくり観察出来る機会は滅多にない。せっかくなのでわたしは不躾とは思いながらもナマエちゃんの顔を眺めていた。

「(……そういえば、ナマエちゃんが吸血してるところ、見たことないな。この辺にキバがあるはずなんだろうけど)」

 閉ざされた唇の向こう、犬歯の辺りを見て、吸血鬼のもつ鋭いキバを思い浮かべた。

「(……いつ吸ってるんだろう。吸血鬼なんだからずっと吸わない訳にはいかないし、わたしの知らないところで吸ってる筈なんだよね。……誰の血を吸ってるのかな。……なんか、嫌だな)」

 あれ? 自分は変なことを考えているのではないか?  そう思うけど、心の声が止まらない。

「(……もし、もしナマエちゃんが吸血するなら、わたしの血を吸って欲しいな。ナマエちゃんに吸われるなら、多少貧血になっても良いやって思える。他のひとに吸われるより、ナマエちゃんに吸われたい)」

 ナマエちゃんのキバの辺りを見つめていたら、身体が勝手に動いていた。
 気づいた時には、わたしはナマエちゃんの白い頬にくちづけを落としていた。自分が何をしたのか自覚した途端頭が真っ白になった。

「(なっ、何してるんだろうわたし……っ! ナマエちゃんは女の子なのに、何で触りたいなとか思ったんだろうっ、っていうか、なんでキスしちゃったの……!?)」

 うわああと頭の中でパニックになるけれどやってしまったことはもう取り返しがつかない。幸いナマエちゃんは眠っているし、彼女の顔を見ていたらまた変なことをしでかしそうだったので、わたしは頭を冷やすためにも急いで部屋を出た。



 だからわたしは知らなかった。
 ナマエちゃんは、寝坊助は寝坊助でも意識がはっきりしている状態で起き上がることの出来ないタイプの人で、わたしが部屋に入った時はとっくに起きていて、つまり。
 わたしのやってしまったことをすべて知っていたのだ。



(20131212)
やっちまったぜ


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