※暗く長いだけの殺伐とした話
※暴力的な表現あり


   1

 人生を円滑に進め成功を掴み取る上で必要な要素に、主人の手足となり働く従順な『駒』が挙げられる。
 俺は貴族の子息としてこの世に生を受けたため何不自由ない生活を送ってきたし、それなりに広い屋敷には父上が雇った使用人達が沢山居る。一見『駒』は既に所有しているように見えるが、しかしあいつらは本質的な意味で俺に従っている訳じゃない。いずれ父上ではなく俺自身に従う従者が必要になる。
 世の中には案外馬鹿な大人が多いものだ。使用人を見ていて嫌という程にそれを実感した。まともな教育を受けず、地面に伏して主人の与える金に縋るしかない愚かな階級の人間なのだから当然と言えば当然だ。雑用をさせる分にはそれで問題はない。だが俺の仕事を手伝わせるとなったら、使用人達のような知恵のない大人は役に立たない。
 ならば、将来俺が家督を継ぎこの家を拡大していく上で必要となる利口な『駒』は、その時になって知恵のある大人を探すよりも、幼い子供を飼育してしまった方が手っ取り早い。
 その人材としてナマエという少女は最適だった。
 父上が懇意にしていた貴族の男が病気でこの世を去った。男の妻は数年前に事故で他界しており、男の血縁者は皆途絶えてしまっていて、男の一家がその一族最後の生き残りだったらしい。
 夫婦の死亡によって遺されたのは一人娘。引取先はおらず、また幼く資産の運用方法を心得ていない彼女には、薄汚いハイエナ共に陥れられ財産を国に没収され、本人は路地裏に捨て置かれるような未来しか待っていなかった。
 そこで名乗りを上げたのが父上だ。資産を引き継ぐ代わりに少女を養子にするという判断を下したのである。男と最も交流のある父上がその行動を行うことに、反発をする者はいても実際に妨害出来る者は居なかった。
 そういう訳でナマエは晴れて我が家の娘となったのだ。
 恐らく優しい父上のことだから亡き友人の資産に目が眩んだ訳ではないだろうが、父上より家柄が良かったその男の資産は莫大なもので、母上がえらく喜んでいたのを覚えている。
 ナマエは俺より二つ年下だった。年が近いこともあり、俺は彼女の世話を一任された。彼女を俺の下僕にしてやろうと思ったのはその時だ。


   2

「お兄さま、お呼びですか」

 手に持った鞭でナマエの足元からほんの数十センチ離れた床を叩けば、驚いた彼女がびくりと肩を震わせた。

「俺の前でその呼び方をするのはやめろ。父上は俺とお前を兄妹のように育てたいらしいが、俺はそんな風にお前を扱うつもりはない。これで何度目だ? お前は何度言ったら俺の言葉を理解する?」
「ご、ごめんなさい……ルキさま」

 躾において大事なのは、彼我の力差を見せつけることだ。その手段として名前の呼び方とは、単純でありながら意外にも重要な役割を担っている。
 父上の使用人が俺の大切にしていた模型を壊した時、鞭で罰を与え『家畜』と呼んだことがある。床に顔を擦り付け許しを請いながらも、あの男の顔が屈辱と憎悪に歪んでいたことを知っている。
 それでもあの男は俺に逆らわなかった。人間としてのプライドがあるのなら、死に物狂いで俺を殺すことだって出来た筈なのに。
 何故か? 簡単だ。
 俺を殺せばあいつは父上に殺されていた。もしくは解雇され路頭を迷うことになっただろう。どちらにしても地獄に変わりはない。そう、つまりは恐怖。反抗心を抑え付けるほどの恐怖を感じさせれば、人間を従えることが出来るのだ。

「ここに呼ばれた理由は分かるな? 説明してみろ」
「ルキさまの設けられた期限内にルキさまのお部屋の清掃を終了出来ませんでした……ごめんなさい」
「本当にお前はどうしようもなく愚鈍だな。部屋の清掃すらまともに出来ないとは」

 とはいえ、生まれてこの方貴族の娘として生きてきたのだから、清掃なんてろくにやったことはないだろう。
 そんなこと最初から理解している。俺は単に躾の口実を作っただけだ。愚鈍なナマエはそれに気付いていないようだが。
 威嚇するようにパシンと鞭で床を叩けば、面白いくらい思惑通りにナマエは怯え、目を瞑った。

「失敗した者には罰が必要だ。床に手足をついて這いつくばれ」
「えっ、そんな、お兄さまっ」
「その呼び方はやめろと先ほども言った筈だ。……更にキツいお仕置きが必要だな? ほらどうした、言う通りにしろ」

 ナマエが俺の顔と鞭を交互に見て逡巡している。命令に従うことを躊躇う理由は彼女の中に残っている理不尽への不満か、貴族としてのプライドか。そんなものどちらでもいい。これから俺の下僕になるのだから。
 彼女の迷いを断ち切らせるようにもう一度鞭を床に叩きつけると、ナマエは弾かれたように床に這いつくばった。

「ナマエ、聞いたことはないか? 一本鞭というのは、力加減を誤ると骨が見える程肉を削いでしまったり、場合によっては骨が折れてしまうこともあるらしい」
「……っ」
「さて、俺は機嫌が悪いから手加減は出来ないが、安心しろ、父上や母上には見つからないように服で隠れる場所を打ってやる」
「やっ、やだ、――痛っ!!」
「おい五月蝿いぞ、喚くな」
「痛っ、痛っやだやだ痛い! ふえっ、くっ、うぅ」

 二回、小さな背中に鞭を叩きつけたところで、大きな瞳からぼろぼろと涙を零してナマエが床に崩れ落ちた。小さな右手が何かに助けを求めるように床を這う。革靴の底でその手を踏みつけてやると、骨が革靴と硬い床の間で擦れてゴリっと嫌な音を立てた。
 ナマエは指の痛みに呻くが、鞭の痛みの方が尾を引いているらしく更に悲鳴を上げることはなかった。

「まだ二発しか打っていないし、服も裂けてない。そんなに喚くことじゃない」
「やだ……もうやだ……帰りたいよ、ふぇ、うっ、お母さん……お父さん……」

 彼女は幻覚でも見えているのか? 瞳はグラグラと揺れていて焦点が合っておらず、譫言のように父と母に呼びかけている。踏まれていない方の腕をこちらに伸ばしてくるのは、俺が彼女の両親どちらかにでも見えているからか。
 その幻覚を吹き飛ばすように手を踏みつける足に力を込め、

「お前の両親は死んだ。父上に拾われたからこそお前は浮浪児にならずに済んでいるんだぞ」
「うう……お母さん……お父さん……置いていかないで」

 踏まれた痛みで幻覚から覚めることはないようだ。自由な左手が何かを探すように床を撫でている。
 生憎俺はナマエの妄言に付き合ってやれる程暇じゃない。それにこんな状態の人間に躾をしてもその恐怖を覚えているとは思えなかった。効果のない躾は実に無意味なものだ。そんなものは躾をする側のストレス発散にしかならないし、俺は別にストレスを抱えていない。
 これ以上騒がれても鬱陶しいので、ナマエの両腕を背中で縛り上げて、口の中にハンカチを突っ込み、このまま寝転がしておくことにした。そのうち使用人の誰かが見つけてくれるだろう。それまで頭でも冷やしていれば良い。


   3

 人間とは成長する生き物だ。
 ナマエを引き取ってから早くも半年が過ぎていた。使用人がするような雑用にも慣れてきたのか、最近は俺の気に障る失敗をすることも殆どなくなった。下手をすれば使用人より働き者かもしれない。
 俺との力関係を理解させる躾も順調に進んでいるし、そろそろ次の段階に進めよう。

「ナマエ、お前は前の家でどれくらい勉強していた?」

 書庫で本を探しながら後ろに控えるナマエにそう問いかけると、戸惑ったような空気が伝わってきた。質問の意図が理解出来ていないらしい。

「勉強……っていうのは?」
「貴族の一人娘の大半は、将来家業拡大のためにどこぞの貴族の男と政略結婚させられる。それは知っているか?」
「はい、お父さんから聞いたことがあります」
「将来嫁ぐことで家を継ぐ女に勉学は必要ない。自分で資産を運用する訳ではないからな。それなら裁縫や料理といったことを学ばせた方がよほど男受けが良い」
「はい……」

 目当ての本を見つけた。本棚から引き抜き中身を確認する。随分昔に俺も読んだことがあるものだ。パラパラとページをめくれば長年開かれなかった本特有の紙の臭いがした。

「もう一度問うが、お前はどの程度勉強をしていた? 言い換えれば、ご両親は将来お前に、政略結婚と自力で家業を回すことのどちらを選択させようとしていた?」

 振り返って出入り口のすぐ横に立っているナマエを見ると、難しい顔をして考え込んでいた。恐らく記憶を探っているのだろう。将来の自分の処遇という視点で両親の行動を評価したことがないらしい。
 ややあって、

「多分……お父さんは私に自分で家を回させようとしていたと思います。家庭教師の先生方が教えて下さったのは、帝王学とか経済学とか、あとは音楽とかでした」
「ふむ、賢明なご両親だな。良い答えだ」

 頭の悪い人間には家業を回すことは出来ない。家を継ぐこと自体は簡単だが、その馬鹿の代に移った時点で没落していくのがオチだ。ましてやナマエのように女が家を継ぐともなれば、周りの貴族達に舐められないよう、それなりの振る舞いや知識が必要になってくる。
 その点で言えばナマエは『女でも家を継ぐに足る知能を持っている』人間だということだ。
 これは俺にとって好都合だった。俺がナマエの世話をしているのは雑用をこなす使用人にするためじゃない。将来仕事をする際に補佐役となる人物に育てるためだ。そのためにはそろそろ勉学の方も叩き込んでやらねばならない。

「手始めにこの本を読め」

 先ほど本棚から探し出した本を手渡す。ナマエは恐る恐るそれを受け取り、ひっくり返したりしながらそれが何の本か確かめていた。やがて心底不思議そうな顔でこちらを見上げてくる。
 当然だろう、その本に書かれているのは裁縫や料理とは程遠い内容だ。

「使用人ごっこは終わりにしよう。久しぶりの勉強だぞ」


   4

 また半年が過ぎた。
 ご両親が家を継がせようと思うだけあって、ナマエはそこらの使用人より遥かに頭が良かった。俺が教えればするすると飲み込み定着させていく様は、教えている側としても面白い程だ。将来役に立つ人材になりそうだと、俺は自分の計画が順調に進んでいることに安堵した。父上は実に良い拾い物をしてくださった。
 最初の半年間俺のナマエに対する扱いを見て不安げにしていた父上も、同じ場所で勉学に励む俺たちの姿を見て安堵したらしかった。兄妹として上手くいっていると思ったのだろう。実際には明確な主従関係があるわけだが。
 父上には気付かれないようにしなくてはならない。優しい父上のことだから俺を止めるに決まっている。
 女の使用人が置いて行った紅茶を含みながら本を読み進めていると、ナマエがうかがうようにじっとこちらを見ていた。質問があるらしい。

「何が分からないんだ?」
「あの、ここの文章なんですけど……」

 恐る恐るといった様子で質問してくる姿からは、主人の手を煩わせてしまう申し訳なさと、それでも正しい知識を得たいという勤勉な感情が読み取れた。ナマエは本当に良い素材だ。
 質問に答えてやりながら、先ほど口にしていた紅茶にちらりと視線を移す。これを持ってきた使用人の女は、主人の目を盗んで廊下で下らない雑談に花を咲かせるような女だ。
 以前あいつの行動が俺の気分を害したので、躾として右手に鞭を打ったことがある。その際うっかり手加減を忘れ肉を削ぎ落としてしまったのだが、廊下で同僚に「傷が残る」と愚痴っていたのが偶然聞こえてきて、それで顔を覚えてしまった。傷が残るなど知ったことではないが。
 向上心の欠片も無い下賤な階級の女だ。だからこそ使用人なんて職に就いているんだろうが。

「――という訳だ」

 考え事をしながら教えていたら終わっていたらしい。ナマエは唇を小さく動かして内容の反復をし、俺の言葉を自分の中で噛み砕いている。

「理解したか?」
「はい! ありがとうございますルキさま」
「勉強の進み具合はどうだ」
「ルキさまの教え方がすごく分かりやすいのでたくさん進んでます。以前雇っていた家庭教師の先生方よりも」
「……随分頭の悪い家庭教師を雇っていたんだな」

 俺は自分でも頭の良い方だと自負しているが、まだ子供だ。知らないことも沢山あるのだから、家庭教師なんかに勝てる訳がない。
 雇う家庭教師の質はその家の財力に左右される。要は家柄の良し悪しを表すパラメータになる訳だ。ついでに良い家庭教師を選ぶためには雇い主の頭も良くないといけない。
 ナマエの家は俺の家より階級が上なのだから、前者の財力に関してはひとまず置いておくとして、後者の雇い主の頭――彼女の父親の知能は、的確な家庭教師を選出することが出来なかったということである。
 随分頭の悪い家庭教師を雇っていたんだな、というのはそれをふまえた皮肉だが、ナマエは全く気付かない。

「ルキさまの頭が良いからですよ」

 そう言ってにこにこ笑っていた。
 俺が彼女を利用するつもりで勉学を教えているとは微塵も気付いていないのが丸分かりな、俺を信じ切った笑みだ。
 ナマエは頭は良いが性善説を地でいく間抜けらしい。



(20131204)


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