※少し暗い話



 身体を押し潰される息苦しさに目が覚めた。
 視界に写るのは、照明が落とされ夜に侵食された暗い部屋の天井。眠気の度合いから考えると、まだ床について三時間と経っていないのがわかる。きっと夜空の頂上には淡く光る銀色の月が浮かんでいるだろう。

「(そっか、もうそんな時期か)」

 寝起きで判然としない意識の中、ぼんやりとこの息苦しさの正体を理解する。視線を天井から自分の隣へ移せば、予想通り、ルキくんが私の首元に顔を埋め腰に腕を回して寝ている姿があった。
 起こさないよう、少しだけ身動ぎをして彼の顔を覗き込む。相変わらず綺麗な顔立ちをしているなぁと感心しつつ観察していると、微かに違和感を覚えた。念の為小声で言ってみる。

「……起きてるよね?」

 返事はない。けれど確信した。
 会ったばかりの頃は彼の寝たフリが見抜けなかった私だけれど、今では寝顔の表情を見ただけで本当に寝ているのか狸寝入りなのかが分かるようになってきた。我ながらよくここまで観察眼が磨かれたものだと思う。ルキくんに対してだけなんだけどね。

「……お前、どんどん可愛げがなくなっていないか?」

 目を閉じたままのルキくんが言った。やっぱり起きていたらしい。とはいえ声が掠れていたから、起きたのはついさっきなんだろう。多分、私が息苦しさを感じた時だ。

「ルキくんの狸寝入りを見抜けるようになったから?」
「それもある」

 ……『も』なんだ。ちょっと不貞腐れたくなった。

「だってルキくん、私の前で本当に寝てたことって、数えるくらいしかないよね? あと何ていうのかな……表情を見たら分かるっていうか」
「気持ち悪い奴だな」
「ひどい……」

 ふん、と鼻で笑ってから目を開けるルキくん。よく見ると少し顔色が悪い。その理由も簡単に想像がつく。

「……今日はどんな夢だったの?」

 出来るだけ柔らかい口調でそう訊いてみた。途端、腰に回された腕の力が強くなる。きっと今日も、顔色が悪くなってしまうくらい酷い夢だったんだろう。
 いつも私に背中を向けて眠る彼がこんな風に布団の中で抱きついてくるのは、決まって彼の夢見が悪い時だった。そして、目が覚めるほどの悪夢を見るのは、彼の精神が不安定になっている証拠。
 人間ひとりで生きて行くには限界がある。どんなに精神が強い人だって独りでいる孤独には耐えられないし、自分がこの世に存在していると実感出来るのは他人に存在を認めて貰えた時だ。だから、人間がこの世界で生きていく以上、どう足掻いても他人との関わり避けられない。まあ、彼はヴァンパイアなんだけれども。
 ルキくんはしっかりしている人に見えるけれど、心の方はそんなに強くない。それどころか、普段の様子と比べれば驚くほどに繊細で、脆い。
 他人を駒のように扱うのだって、他人が怖いことの裏返しだ。自分が信じている人に裏切られるのは辛い、でも最初から相手を信じていなかったら、裏切られたとしても『駒だから痛くも痒くもない』と切り捨てられる。そういう心の距離の取り方で予防線を張っているだけなのだ。
 素直に人に助けを求めることが出来ないルキくんは、本人も無自覚のまま、自分の中にストレスを蓄積してしまう。そしてたまに、数ヶ月に一度くらい、限界が訪れる。そんな時、決まって悪夢を見るようだ。――特に、ヴァンパイアになる少し前の夢を。

「没落した後屋敷に残った自分を、上から見ていた」

 ルキくんがぽつりと漏らす。それは、夢の内容。

「もはや人が暮らせる場所ではなくなっているというのに、『俺』は頑なにあの屋敷を出ようとしない」
「……」
「『俺』は死人のように身じろぎもせず庭先を見て日中を過ごし、夜になったら土足で踏み荒らされたソファの上で小さくなって眠る。夢に見るのは決まって没落する前の日々だ」

 訥々と語られる言葉に耳を傾ける。ただ黙って、神様に告白するように漏らされる言葉を全部受け止めるのが、こういう時の私の役目だった。

「夢の中は幸せだ。『俺』に愛情を注いでくれる両親がそこにはいる。だが目が覚めると、あるのは変わらない廃墟だけ。毎日同じ夢を見るくせに、毎日目を覚ましては目の前に広がる現実に落胆する」

 ルキくんの眉間に皺が寄る。夢の内容を思い出すのは苦しいことのはずなのに、彼は語るのをやめない。

「もしかしたら母上がひょっこり戻ってくるんじゃないか、首吊り死体は父上の悪戯なんじゃないか。そんなことを空想して、ふたりの帰りを待つために屋敷に留まる。本当はそんなことはあり得ないと理解しているはずなのに、希望に縋ることでしか絶望に耐えられない。夢の中の『俺』は、そういう日を永遠と繰り返すんだ。……気が狂いそうなほどにな」

 半ば唸るような告白を終えて、ルキくんは私の鎖骨の辺りに頭を押し付けてきた。腰に回された腕の力がまた強くなる。必死に縋りつくみたいに。

「夢の中の『俺』の恐怖が、それを見ている俺にも伝わってくる。それからふと思うんだ。父上や母上のように、お前まで俺の元を去ってしまったら、と」
「……」
「これが笑わずにいられるか? この俺が、お前を失うことを恐れているんだ。ただの家畜如きを相手に……なんてザマだ、情けない、そう思うのに、恐怖は消えない」

 喉の奥で笑うルキくん。なんて自嘲的で、空虚な笑いなんだろう。普段の傲岸不遜で自信に満ちた外面の皮が剥がれ落ちた、彼の本当の姿を前に、心臓がギリギリと締め付けられるような痛みを感じる。

「……目が覚めて、お前が隣で眠っているのを確かめた時、どうしようもなく安堵した。そしてまた、思う。こいつもいつか俺の前から居なくなるんだろう、とな」
「大丈夫だよ、私は絶対ルキくんの前からいなくなったりしない」
「人間の絶対ほど信じられない言葉もないな。人の気持ちなんて容易に変わる。今のお前がそうだからといって、これから先もそうだとは限らない」

 これも、予防線だろうか。
 いつか私も彼の目の前から居なくなる、そう思っていれば、実際そうなった時に彼の傷が少しだけ軽くなるから、こんな言い方をするのかもしれない。
 ルキくんが私を必要としてくれている。私がいなくなるのを恐れるほどに。それがどうしようもなく嬉しくて、同時に悔しかった。どうして信じてくれないんだろう。私は死ぬまで彼の側に居るって、とっくの昔に決めているというのに。
 でも、きっと言葉じゃ伝わらない。ルキくんは私の言葉なんて信用してくれないだろうから。何かを言う代わりに、彼の背中に腕を回した。抱きしめられるのに応えるように。『大丈夫だよ』って伝わるように。強く強く抱きついた。
 ルキくんは擽ったそうに僅かに身動ぎしてから、深く息を吸って、吐いた。

「お前の身体は温かいな。懐かしい、随分昔に捨ててしまった感覚だ」

 ルキくんの縋りつくような腕の力が緩んで、今度はやんわりと片手で抱き寄せられ、もう片方の手で髪を梳かれる。優しい手つきが気持ちよくて、うっとりと目を閉じた。

「……お前が腕の中に居れば、少しはマシな夢が見れそうな気がする」
「ふふ、じゃあ、良い夢を見れるようにおまじない、かけておくね」
「やめろ。鈍臭いお前に呪いなんてかけられたら、さっきよりも酷い夢を見そうだ」
「……」

 随分酷い言い草だけれど、ルキくんが先ほどよりも幾分自然な笑みを浮かべていたから、良しとしよう。それに、おまじないを断られたのはちょっぴり悔しかったけれど、ルキくんが積極的にそんな可愛らしい物を頼っていたらそれはそれで気持ち悪い。
 そんなことを考えていたら、ルキくんが瞼を閉じた。それから暫くして、彼の表情が本当に寝ている時のそれに変わる。そういえば、彼が私の前で寝顔を見せるのって、こういう悪夢を見た後だけだったな、と気がついた。

「――おやすみ、ルキくん。よい夢を」

 私のおまじないは逆効果らしいけれど、これくらい願っても良いだろう。既に眠りに落ちた彼に小声でそう言ってから、私も目を閉じた。



 ルキくんは一生私の言葉を信じてくれないと思う。ご両親が目の前からいなくなったことは、彼の心に深い傷痕を遺した。心の傷は時が癒してくれると言うけれど、ルキくんの傷は時間でも癒せないほどに深く、強く、惨く、刻まれている。時を経る毎に傷口は膿み、痛みは大きくなっていく。彼はその痛みから決して逃れられない。
 私がどんなに言葉で「大丈夫、いなくならないよ、信じて」と言っても、彼の心の傷を癒せはしないし、ルキくんはその言葉を受け入れることを頑なに拒み続けるだろう。何故なら、彼の根底にある人間不信は依然消えないままだからだ。けれど、それでも構わない。
 心の変化を恐れ、今の私の言葉を信じてくれないのなら、彼が不安になる度に、何度だって自分の気持ちを伝えよう。何度だって態度で示そう。それで彼が少しでも安心できるのなら、それで良い。
 以前ルキくんが「俺はヴァンパイアだから、睡眠時間なんて殆ど要らないし、それも最低限で良い」というようなことを言っていたけれど、彼の睡眠時間が極端に短い理由は多分、それだけじゃない。
 長く眠れば眠るほど、夢を見る可能性は高くなる。悪夢を見る可能性も比例して増えていく。悪夢を見てしまうかもしれない、それが怖くて、彼はろくに睡眠を取ろうとしないのだ。
 そんな彼が少しでも気持ち良く眠れれば良い。私なんかがそれを手助け出来るのなら、これ以上幸福なことはない。心からそう思った。


おくびょうものによいゆめを


(20140130)


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -