「弦一郎、聞いているのか」
「ああ」
「あと約四分四十七秒程度で昼休憩が終わってしまう。箸を進めた方がいい」
「ああ」
「そこは口ではないぞ」

 弦一郎がおかしくなった。
 今朝から何を訊こうが何を話そうが或る一点を惚けたように見つめている弦一郎は気味が悪くて仕方が無い。部活の朝練の際にも赤也の打った球を顔面に当て鼻血を出しても尚ぼんやりしていた。そのお陰で赤也が怯えていた。内心俺も今の弦一郎には近寄りたくないのだが放っておけば何を起こすか分からない。現につい先程教室内の机に足を引っ掛けて躓いた。次は階段から落ちるやもしれないと考えると冷や冷やする。そして現在進行形で弁当の入っていたであろう煮物を摘んだ箸を鼻まで持ってきている弦一郎に肝が冷える。どう対処すべきか悩んでいる所今の状況には充分な救世主が現れた。精市と呟くようにそちらに顔を上げれば全てを察したかのような笑みを浮かべて弦一郎へ近付いた。

「なあ真田」
「ああ」
「顔気持ち悪い」
「ああ」
「存在が気持ち悪い」
「ああ」
「聞いてないよね。無視とか最悪。折角弦一郎がいつもと違って珍しく存在感が無くて煩くなくていつも以上に気持ち悪いから心配でわざわざ教室まで来たっていうのにその反応は本当無いよね。俺のそれは有り難迷惑だった訳か。ならいいよもう心配なんて微塵もしないから。俺の方から無視してやる。あとで泣きついてきたって遅いからな。絶対だぞ。真田も話し掛けて来るなよ」
「ああ」

 ぷるぷると肩を揺らして「馬鹿ぁっもう知らないっ!」と弦一郎に怒鳴りつけた精市はやはり何処か傷ついたような表情をしていた。まあその原因を作り出したのは精市自身なのだが。ふてくされた精市は最後までちらちらと恨めしそうに弦一郎を見て振り返りながら教室を出て行った。壁に掛けられた時計を見て俺もそれに続くように教室を後にした。後ろ髪を引かれるという意味がこの時良く分かったような気がした。


20110919/告別