そろそろ眠ろうかな、おふとんをひいていると 戸の隙間からひとすじの青い光がさしていることに気づく。ほそく、しかしこうこうと明るい線をたどって外に出ると おおきなまるいお月さま。わぁ、とおもわず声がもれた。こんなに圧倒的なのにどこかやさしくて なによりかろやかに浮かんでいるのはどうしてなのかしら。夜着にはんてんのまま、縁側を数歩あるいて、やっぱりもっと近づいてみたくて 屋根の上へとあがった。

さえぎるものがない空では、お月さまをひとりじめしているような気分だ。つめたい瓦の上に座り、立てたひざにほおづえをついて 青白い光とむかいあう。今夜の月は、おうとつまではっきりしている。


あの文以来、家からはなにも連絡はない。こちらからお返事をだしていないこともてつだっているのかもしれないけれど わがままを言ってもいいのなら、この状態をもうすこしだけ満喫していたいのだ。三郎次くんの許婚ではなくなり、これからどうするかも決まっていない 宙ぶらりんな時間を。
わたしはおそらく 三郎次くんと結ばれるためだけ(だけ、と言っては乱暴かもしれないけれど)に生まれ、三郎次くんのお嫁さんになるために生きてきた。つよく自覚を持つことはできなかったけども、生まれる前から決められていた祝言って そういうものなのじゃないかな、とおもっている。だからいまわたしは 遊ばれなくなったおもちゃのような、糸の切れた傀儡のような 甘さのないお砂糖のような。自由で不安定でとてもまっしろ。

ちょうどそんなことを考えていたとき、背中のすぐうしろで金属音がした。ふり返ると、すぐ近くに鉤縄の鉄鉤が引っかかっている。すこしでもずれていたら痛いことになっていたな とひやひやして下をのぞきこんだ瞬間 額にものすごい衝撃がはしり 目の前で星が散った。何が起こったのかわからず 揺れる視界にいっしょうけんめい焦点をあわせていると、すぐ先に額をおさえてうずくまる影。


「いって…」


聞き憶えのある声におどろく間もなく、忘れていたけれど ここは屋根の上。均衡をくずした人影が、ふちのほうへとぐらり傾く。


「あぶない!」


とっさにつかんだ腕は引き締まっているものの とても力強いものだった。屋根のへりに手をかけ、体勢をたてなおしたのは もう気づいていたけれど 三郎次くんだった。顔をあげるなり、怒号がひとつ。


「てめえ、殺す気か!」
「ごめんなさいっ」


両手で引っぱりあげると 三郎次くんも自分のちからで 屋根の上に立つ。装束の砂をはらいながら 彼は睨みを深くする。


「こんな時間に何してんだよ」
「月が…」
「は!?」
「月が、きれいで」
「はあああ?」


未知の生きものに遭遇したかのような視線を贈られて わたしはぎゅっと身を縮めた。


「三郎次くんは」
「…昼間、焔硝蔵の点検が」
「あっ」
「終わらなくて近道を…って、何だよ」


干渉には気をつける という決意を ついこの間あらたにしたばかりなのに。また余計なおしゃべりをしてしまった。三郎次くんの形のよい眉がいっそうひそめられ、ま もういいか。おしゃべりしたって。お月さまのせいか、わたしの気分はとてもかろやかなものだった。


「なにか、知ってる?」
「目的語を言えよ」
「婚儀の約束がどうしてなしになったのか、わたしのもらった文には書いてなかったの」


三郎次くんはすこしはなれたところに座り、ぽつりと話した。


「本人たちの意思もすこしは尊重する方向になったんだとよ」
「…そうなの」
「じいちゃんがいなくなってだいぶ時間も経って、親父たちも頭が冷えたんだろ」
「……」
「くのいちの奴らには盛大によろこばれてたじゃねえか」
「でも わたし、ここを出ていかないといけないかも。約束がなしになったら、いる意味がなくなってしまうもの」


ふいにおとずれた沈黙をかきけしたのは、大きなためいきだった。


「…お前、ほんと主体性ねえのな」
「そうかなあ」
「好きでもない男からやっと解放されて やりたいこととかあるだろ、ふつう」


目をとじて、しばらく考えてみる。さむさのゆるみかけた風がふきぬけた。こうして、夜ひとが眠る間に春はやってくるのかもしれない。


「わたし、ふつうではないのかしら」
「…勝手にしろ」


ひらりと屋根を下り、ひろい背中は闇のなかへ消えてしまった。まだにぶく熱いおでこをさすりながら、わたしも帰って寝ようかな。



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