頬杖が似合う君は
(ニルアレ/現パロ/ヨーロッパ)

※小説家ニール
※画家アレルヤ








速足に歩く今の俺は、このゆったりとした優雅な街にはさぞ不釣り合いなことだろう。優雅とまではいかないかもしれないが、少なくともこの街には気品がある。ビルに囲まれた都心部のように、なんでもかんでも詰め込んだようなゴタゴタした街じゃない。古くから街を支えてきた、煉瓦造りの家々の誇らしげな姿。互いに肩を並べるように建つそれらはやけに静かで、この寒さに互いに身を寄せ合っているようにも見えた。

伝統ある職人達が多く住むこの街が、俺は好きだ。(俺の場合は職人と言えば職人になるのかもしれないが、職人と言うよりもアーティストに近いかもしれない)
とは言ってもこの街に来たのもつい数ヶ月前のことで、まだまだ知らないことも慣れないこともたくさんある。速く歩く癖も、時間に追い回される都心部での生活の一つだった。此処に来て最初に驚いたのも、住人の歩くスピードだ。都心部では皆何かに急かされるように歩いていたのに、この街の人達は時間にも縛られることなく自由だった。

此処では、そんなに急ぐ必要もない。時間ならたっぷりあるんだから。そう考えると急いで歩く自分がバカバカしく思えるのだが、それでも速足になってしまうのはまだ都心部での生活習慣が抜けきってないこともあるが、やはりこの寒さのせいだ。


厚手のコートを着ても風は冷たく感じられ、冷え込んだ空気が頬に当たる度に冬の深さがまじまじと感じられる。無意識に手を温めようとするのは職業柄というべきか。白く生暖かい息が触れるだけで気休め程度の温もりで歓喜する指先を摩りつつ、ふと文房具屋のショーウインドーを見ると昨日までは飾られていなかった万年筆が展示されていた。



何度もこの道は通ったが、その度に新しい発見をする。小さな発見から大きな発見まで。都心部で暮らしていた頃には気づかなかったものばかりだ。

路地の上にあるどこまでも澄んだ高い空。石畳の隅に咲いた小さな花。澄み切った汚れを知らない空気に、透き通った水。夜には星が空一杯に輝いていて、朝日の神々しさも夕焼けの切なさも、全てが初めて見るものだった。






本屋を曲がり、メインストリートから一本奥に入った道。少し坂になったその道の途中に、俺が通う店がある。
マスターが趣味で運営しているような、小さな煉瓦創りの喫茶店。どこにでもあるようなその店に、俺はほぼ毎日通っていた。来ない日は一ヶ月に一度か二度ある程度で、(まだ数ヶ月しか経ってないが)この店の初老のマスターとも仲良くさせてもらっている。OPENと書かれた木製の看板は、マスターの孫がプレゼントしてくれた物だと聞いた。マスターには言ったことはないが、ちょこんと申し訳程度で添えられたクマの絵が彼に若干似ていると思っている。


すっかり剥げてしまった、恐らく金色であっただろう取っ手を掴み、一歩足を踏み入れただけで季節ががらりと変わったようだった。

室内一杯に広がる、まろやかな薫り。深呼吸しなくとも体の奥まで染み渡る、珈琲特有の苦みと暖かさ。外との温度差のせいか、先程まで痛い程冷たかった体は表面からジワジワと温まり、ぬるま湯に浸かっているような気持ち良さに包まれる。


「いらっしゃい。ああ、ディランディくん、今日も元気そうで」

「お蔭さまで。マスターも元気そうでなによりです。いつものお願いします」


目元に大きな傷があるマスターは無表情で口数は少ないものの、愛想はそんなに悪くない。
いつもの、と言うのはマスターが煎れる珈琲のことだ。種類こそ少ないものの、彼が煎れる珈琲は他のどんな珈琲よりも美味い。濃さといい温度といい、全てが俺好みであり、マスターはそれを当たり前のように出してくれる。

俺がこの喫茶店に毎日通う理由は二つあって、一つは純粋にマスターの珈琲が美味いからだ。都心部の"高級"と言われる珈琲など比べものにならない程に。豆自体は高価なものではないらしいから、マスターの腕が良いのだろう。


「今日は寒かっただろうから、少し熱めにしておいた」

「ありがとうございます。こうも寒いと、外に出るのも嫌になりますね」


真っ白な汚れ一つないカップは、冷えきったた手には直接触ると熱すぎる程の温度だった。ジンジンする指先は心臓がそこに移動したみたいに熱くて、しかしそれがかえって気持ち良い。
少しだけ熱めなものの、今日も変わらぬ味と匂いを堪能していた時、背後からまたあの音が聞こえた。空気の流れが少し変わり、冷たい風が吹き込んでくる。少し顔を上げてみれば、木製の扉が丁度閉じられたところだった。


「こんにちは」

「いらっしゃい」


入ってきたのは背が高い、アジア系の男。この寒いのにコートも着ないでセーターにマフラー、薄手のジーンズという恰好の彼が、俺がこの店に通うもう一つの理由だ。

すらっとした体つきに、爽やかな笑顔。切れ長の瞳の下には、緑や黄色の絵の具が微かにこびりついている。恐らく、画家かその弟子かのどちらかだろう。此処は職人の街だ。俺が毎日万年筆を持つのと同じように、彼もまた毎日筆とパレットを持つ人間なのだろう。

そんな彼が、俺は何故か気になっていた。興味だとか好奇心だとかに似た感情だとは思うのだが、どうもしっくりくる表現が見つからない。文字を生業にしている身からすれば失格なのかもしれないが、どんな言葉で表そうとしても困難だった。


「あの、珈琲を。あと、パンケーキを一つ」

「うむ。そうだ、家内が一昨日ジャムを作ったんだ。良かったら食べてやってくれ」

「ありがとうございます。是非」


彼はマスターと二・三言言葉を交わすと、カウンターに座る俺に向かって頭を下げた。笑顔付きということで、俺も片手をあげて微笑んだ。話したことはないものの、彼とは見知った間柄だった。
名前は確か、アレルヤ。ファミリーネームは知らない。マスターが彼をアレルヤと呼ぶのを聞いたことがあり、名前としてはあまり聞かないその言葉を俺は覚えていた。毎週日曜日のこの時間。アレルヤは必ずこの店の窓際の席に座る。彼は俺が初めてこの店に来た時も、彼はこの席にいた。頼むものは珈琲の他にも様々で、パンケーキやアップルパイなど甘い物が多いようだ。

俺がいつも座る席からは丁度彼の様子が伺えて、目が合うこともしばしば。その度に顔を赤らめ、ぎこちなく笑う彼には初々しさを感じていた。
いつも通り窓際の席へ着いたアレルヤは、マフラーを取ると頬杖をついた。よく見れば、シャープな頬を支える細い骨張った指にも様々な絵の具が付着している。

俺はこの、彼が頬杖を付く姿が好きだ。外を見つめる彼の目は窓から降り注ぐ光のせいかキラキラ輝いていて、パッと見黒髪に見える髪は光が当たれば深い緑色をしている。

一体、彼の視線の先には何があるのだろうか。一度俺があの席に座った時、俺の目に映ったものはガラス越しの古ぼけた街灯と石畳、花壇の花に時折通る通行人や鳥くらいだった。俺も景色を見ることは好きな方だ。しかし流石に2時間も3時間もジーッと見ていられる程じゃない。


彼の銀色の瞳には、俺には見えない何かが写っているのだろうか。


すっかり空になったカップを持ち上げると、マスターがちょっと笑って頷いた。豆を挽く音と濃い薫りに包まれて、俺はいつも通りアレルヤの姿を頬杖をついて眺めるのだった。





頬杖の似合う君は
(いったい何を見ているの?)




―――――――

お気づきの方もいらっしゃると思いますが、実はマスターはスミルノフ大佐(笑)孫はソーマとマリーです^^
もっとちゃんとした形で出してあげたい……!



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