気がつくと、私はコンパートメントの中にいて、レギュラスと向かい合って座っていた。どうして私はこんなところにいるのだろうかと首を傾げて、先ほどからじっと窓の外を見つめているレギュラスに倣って、私も窓の外に目を向けた。窓の外は真っ暗で、何も見えないにもかかわらず、レギュラスはただじっと、まるでそこに何かがあるかのように窓の外を見つめ続けていた。 私は視線をレギュラスからコンパートメントの中へと移して、自分が置かれている状況を確認した。はじめこそ知らない場所に知らない間にいたことに対する不安のようなものがあったけれども、よく観察してみると、ここがホグワーツ特急のコンパートメントだということがわかった。 私はそこここに向けていた視線をレギュラスに定めなおして、先ほどから一言も発しない彼の冷たい横顔を見つめた。窓ガラスが鏡のようになっていて、レギュラスがふたりいるような錯覚が起きた。唐突に、私の目の前にいるレギュラスはレギュラスではないような気がして、言い知れない不安が首をもたげた。 私の目の前にいるレギュラスは、私が知っているレギュラスそのものであるし、美しい黒髪も、憂いを帯びた灰色の瞳も、固く結ばれた唇も、私の記憶にある彼と寸分違わぬものだった。それなのに、それなのに、このレギュラスはレギュラスでないという思いが、今や確信に変わっていた。 「星が見える」 「……え?」 「外を見て。星が見える」 レギュラスは窓の外を見つめたまま、唐突に言葉を発した。私はいきなりのことに戸惑ったけれども、言われた通りに窓の外に視線を移した。先ほどまで真っ暗だったはずなのに、いつの間にやら窓の外は一面星の海に変わっていて、私は思わず感嘆の声を漏らしてしまった。 「……きれい」 「あれが、レグルスです」 「レグルス……」 レギュラスが指差した先に目を向けると、白く輝く星が見えた。レグルス。獅子座の王様。私は言葉も忘れてその星を見つめ続けた。まばたきをするのが億劫になるほどに、窓の外の景色はうつくしくて、私とレギュラスの間に言葉はなく、彼方へと続く星の海を見つめ続けた。 「レギュラス」 「はい」 「ここは、どこ?」 「……わかりません」 一度も私に向けられることがなかったレギュラスの視線が、ゆっくりと私に向けられた。私もその視線に応えるように、レギュラスを見つめた。真正面から見たレギュラスは、やっぱり私の記憶と寸分違わぬレギュラスで、だけど、やっぱり違った。 私達は見つめあった。それがどれくらいの時間だったのかはわからない。数瞬だった気もすれば、永遠にも思える。どうやらここは、理解の範疇を超えたセカイなのだと漸く気がついた。一瞬のような永遠が過ぎて、レギュラスはおもむろに口を開いた。 「だけど僕は、行かなくてはいけません」 どこにとは、聞けなかった。否、聞いてはいけないような気がした。レギュラスの声は至極落ち着いていて、目を閉じてずっと聴いていたい響きを持っていた。だけどどこか悲しげで、そして揺るぎない彼の決意が滲んでいた。私は軽く目を伏せて少しばかり逡巡してから、レギュラスの瞳を真っ直ぐ見つめた。 「私は、何をすればいい?」 「……何も、何もしなくていい」 「レギュラス、」 「あなたは、────」 気がつくと、私は自分の部屋の中にいて、ベッドの上で見慣れた天井を見上げていた。先ほどまでの出来事が思い出されて、ああ、あれは夢だったのだと納得した。ゆっくりと上半身を起こして、ドレッサーの鏡に映った自分の姿を見つめた。さっきまで見ていた夢の中の私は、目の前の鏡に映った私と比べて幾らか幼かった。どうして今更になってあんな夢を見たのか、私にはまったくわからなかった。 「……レギュラス」 あなたは、生きていてください。生きて、大人になって、そしてゆっくり死んでください。時々、僕を思い出してくれるだけで、それだけで僕は、それだけで、じゅうぶんだから。だから、あなたは生きていてください。 「……私、生きているよ」 目を閉じると、目蓋の裏側にあのうつくしい星の輝きが蘇った。うつくしくて、やさしくて、強い、彼の輝き。懐かしくて、いとおしくて、少しだけさみしくて、涙がこぼれた。私は、生きている。あなたを思って、今日も、明日も、私は生きる。 (2011) |