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ごめんね。ごめんね。ごめんね。彼女はまるで壊れた機械のように、淡々と言い続ける。僕はその言葉をそれとなく聞き流しながら、彼女の腕に消毒液を染み込ませたガーゼをあてがい続ける。


彼女の白い腕に整然と並ぶ、あかい、線、線、線、線、線。うっすらと消えかけたものや、深く生々しいもの。痂が覆うものや、まだ血が乾ききっていないもの。さまざまな線が彼女の腕を、まがまがしく、美しく、彩る。


「今度は、どうしたんですか?」
「……わからない」


一番新しい線に、ガーゼをあてがう。彼女は視線を離さない。じわりじわり。真っ白いガーゼが、赤色に染まる。じわり、じわり。彼女のいのちを、僕は吸い取る。


「あなたが傷つく姿を見たくないことは、知っているでしょう」
「……うん」


彼女の腕に包帯を巻き付け、するりと撫でる。じわり。あかい染みが、広がる。ふと、思う。はたして彼女は、痛みを感じないのだろうか。こんなにも沢山の線を刻み付け、自分を痛め付け、何になるのだろうか。


彼女は痛みを感じないのかもしれない。だがしかし、彼女に自分自身を傷つけさせる程の何かが起こり、そしてその痛みが無数のあかい線となって、彼女が傷ついたことの証となっている。


何故、何が、そんなにも、彼女を。人形のように、ただそこにいるだけの生き方をしている彼女を、傷つけるのか。美しい、あまりにもうつくしい、彼女のそのかんばせ。それを歪ませる、何かとは、はたして、何なのか。


「どうしてですか?」
「……レギュラスが、離れちゃうから」


じわり、じわり。包帯の赤い染みが、広がり続ける。痛いのかと問うと、僕がいなくなるのが苦しいとささやき、ごめんねと彼女はまた、機械のように言った。


「私が、傷つかないと、レギュラスは、…………。」


私なんか、忘れちゃうから、止められないのよ。彼女は美しいかんばせに、夢のように美しい微笑を浮かばせる。


あなたのことを忘れるなんて、できないのに。彼女が言葉をつむぐ瞬間、僕は世界で一番しあわせで、僕のセカイは、僕と彼女の、ふたりきりになる。


嗚呼、なんて、嗚呼。美しい、その、かんばせ。傷だらけの、こころを覆う、あかい、線。胸が、わななく。背筋に、甘い震え。切ない。苦しい。愛しい。彼女を、僕が、嗚呼、どうして。こんなにも、こんなにも、いとおしく思うのか。


耳元で、名前をささやく。彼女の甘い吐息が、もれる。蜜のような声で、名前を呼ばれる。からだが、脳が、とける。どろりとしたモノが、あふれる。いとおしい。いとおしい。いとおしい。指先を、触れ合わせて、見つめ合う。それだけなのに、息が、できない。いとおしい。彼女が、彼女の、すべてが、いとおしい。


「愛しています」


壊れかけた、人形のような彼女を腕に抱く。もれる吐息は、安堵を孕む。ああ、もう、大丈夫。これで、彼女は、いきていく。うつくしい、あかい線を増やし続け、生と死との間を行き来しながら、それでも。そうまでしても、彼女は僕の為に、いきる。


「……レギュラス、わたし、しあわせ、ね」


彼女が縋るように腕を絡ませる。いとおしい。いとおしい。いとおしさが、せり上がって、苦しいくらい、いとおしい。


どうか、このままで。僕を魅了して止まない、あかい、線。彼女の腕に並ぶ、あかい、線。


はたして、僕が愛しているのは、彼女なのか。それとも、彼女の腕の、線なのか。わからない。わからない。わからない。けれど。彼女がいとおしい気持ちは、紛れもないのだ。


ああ、もしかしたら。僕も、彼女も、おかしいのかもしれない。いとおしいくて、いとおしくていとおしくて。それ以外、もう、わからないよ。


(2010)

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