忍跡


 彼は他の人とは少し違った。何が違うのか、それは人の心が水のように彼の中に入り込んでくることだった。
 例えば誰かと話していたとする。すると会話とは違った相手の本音、いわゆる感情が脳に直接送り込まれてしまうのだ。もちろんそれは彼の意思とは無関係にどんどん送り込まれる。産まれてからずっとそんな環境にいた彼にとってそれは想像を絶するような精神的ストレスとなった。いつしか彼は誰とも話をしなくなり、孤立していった。





「なあ跡部、次の授業休まへん?」
「…てめえ一人で休んでろ」
「跡部が休まな意味ないんやけど」
「あ?どういう意味だ」
「…自分ひどい顔してんで」
 ちょうど近くにあったトイレへ連れ込まれ鏡の前に立たされる。なるほど、忍足が心配するのも無理はない。元々白い肌は今は青白くなり、目の下には隈ができていた。
 原因は連日行われたパーティーだろう。父が主催したパーティーなだけあって俺は休むことができなかった。教室にいても頭が割れそうな程他人の感情が雪崩れ込んでくるというのに100人以上は集まるであろうパーティーは地獄でしかなかった。
「これくらい、平気だ」
「あーはいはい、ほな屋上行こか」
 俺の意見を無視してぐいぐいと引っ張っていく忍足に過保護だと呆れつつ、どこか嬉しく思う。

 入学して数週間、俺は周囲から孤立していた。むしろ自ら孤立するようにしていた。
 教室はうるさすぎる感情が混沌としていた。そんな中、俺は耐えられるはずもなくいつも吐き気に悩まされていた。
 その日も朝からたくさんの感情が押し寄せ、耐えきれず教室を出た。しかし、思いの外影響が大きかったのか、体がふらつき誰かにぶつかってしまった。このわけのわからない力は誰かと触れ合うことが一番クリアに感情が流れ込んでしまう。追い討ちをかけるかのような感情に備える時間などなく、目を瞑り体を強ばらせるしかなかった。けれど、いつまで経っても何も聴こえず、無音の中にいるような静けさしかない。おかしいと思い目を開ければ、目の前には心配そうに覗き込む男がいた。雑音だらけのこの世界で、彼からは感情が一つも伝わってこなかった。それが忍足侑士と知り合ったきっかけだ。


 特に抵抗することもなく屋上に着く。
「横になり」
「だからって膝枕でかよ」
「せやで。こんなん俺にしてもらえるなんて跡部は幸せ者やなあ」
「…あほか」
 結局忍足に押され、柔らかくもない忍足の足に頭を乗せた。なんだかんだ俺は甘いのだ。誰よりも一緒にいて安らげるこいつに。
「そういや昨日、部活に来るん遅かったな」
「ああ、呼び出されたからな」
「…誰に?」
 ワントーン程声が低くなったのは気のせいだろうか。気には止めず、話を続ける。
「誰だっていいだろ。こういうプライベートな話はしたくねえ」
「せやけど気になるんやもん。なあ、その呼び出しって告白か?」
「だから言わねえって」
「なあ、言うて」
 こういうときに心がわからないのは不便だな、と思いつつ、忍足がどうしてこんなにこだわるのか俺にはよくわからないままだ。
「しつこい、お前には関係ないだろ」
「ある」
「はあ?…っ!?」
 突然背筋が凍るような冷たい感情が身体中を駆け巡った。怖い、なんだこの感情は。嫉妬、独占欲、征服欲、愛憎。よくわからない。どれも当てはまるようで当てはまらない。そんな感じだった。
「これまで必死に隠しとったんやで?ほら俺、心が閉ざせるしなあ。それに跡部は人一倍、感情に機敏やったし」
「なんだ、これ」
「俺、跡部が好きやねん。けど、どうやら俺の愛は行き過ぎとってるらしくてな。跡部のこと、大切にしたいと思う反面、思いっきり傷つけたくなるんや。なあ跡部、それは告白やったか?せやったら相手は誰?二度と跡部に手え出せへんようにしたるから」
 つ、と頬を撫でられ、その言葉が本気だとわかり、ぶるりと体が震えた。
「そんな怯えた顔せんといて。…泣かせたくなるやん」
 これまで隠してきた忍足の感情はどれも狂気じみていた。
 俺は為す術もなく、忍足の感情にのまれてしまうのだ。















―――――――
思い描いたものとちがくなった






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