黙ってみてはいられない、だって君は大切な人だから 孫六と権平 | ナノ 辺りに鳴り響く鐘の音。
その音に反応し、孫六は目を通していた書物から顔を上げた。
夕焼けの名残である赤と、夜の闇による美しい色調が目の前に広がっている。
なんだか薄暗いと思っていたが、もうそんな時間か。
本を閉じ、夜に備え油皿の用意をしていると、ふと覚えた違和感。
なんだろう、と首を傾げるが、その違和感の原因は、すぐに思い立つ事ができた。

権平がいない。

同室者である、権平が未だ部屋に戻っていないのだ。
今日、彼が与えられた仕事内容は、それほど手間のかかるものではなかった。
権平自身も、今日は早上がりできそうだと言っていたのだ。
それなのに、未だに彼は部屋にいない。
いないどころか、戻ってきた形跡もない。
急な沙汰でも入ったのだろうか。それならそれで、仕方ない。


そう思った矢先だった。
部屋の入り口で、がたん、という大きな音。
あぁ、帰って来たのかと思い、音の方に目を向けると、面食らった。
権平が襖にもたれかかる様にして立っていた。
ただ、それだけなら面食らうようなこともない。
彼は顔や体の彼方此方に、目に見てわかるほど傷をこさえているのだ。
「ただいま。」
仏頂面でただそれだけ言うと、部屋に入りどっかりと座った。
「……どうしたの?」
それ、と言うように体の傷を指摘する。
が、彼は何も答えず、苦虫を噛みしめた様な顔をしたまま、口を閉ざしていた。
権平は、普段は気おくれしがちであるが、一度これと決めると梃子でも動かない。
そういう性分であることは十分に理解している。
故に、権平の姿勢を見てわかるのだ。
これは何があったか喋る気はない。少なくとも、自分には。
変な所で意固地な彼に対し、ため息をついた。

とにもかくにも、傷をそのままにしておくわけにはいかない。
戸棚から薬箱を取り出し、権平の前に進み出る。
「ん。」
傷を見せろ、と手を差出し催促すれば、少し躊躇したもの、権平は素直に腕を差し出してきた。



一通り手当てを済ませた時であった。
「権平ー? 権平、いる?」
廊下から聞こえた兄分の声。それと同時に襖が開いた。
「作にぃ。」
「あ、孫六! もしかして権平も部屋に――って、ちょっと、その姿はどうしたの!?」
作にぃは、権平の姿を見るや、ぎょっとしていた。
身体や顔の至る所に包帯を巻き、湿布を張り付けているのだ。驚き、心配するのも無理はない。
「……大した怪我じゃないです。」
その言葉に、僕の方がむっとした。なにが大した怪我じゃないだ。
思い切り背中を叩いてやれば、い゙っ!っと、小さな呻き声を上げた。
ほらみろ。そんな様で、どの口が言ってるんだ。
権平は、何すんだ、と言いたげにこちらを睨んでいる。
が、お生憎様。ぼろぼろな状態の上、ひっぱたいた痛みのせいか、涙目になっている。そんな態で睨まれたところで、ちっとも怖くなんかない。

「……で、作にぃ?」
権平の無言の抗議を無視し、僕らのやり取りをなにやら心配そうに見ていた作にぃへ声をかけた。
何か用があって権平を探していたようだったから。
「あ、うん、そうだった。」
声をかけたことで、作にぃも思い出したとでもいうように用件を切り出した。
「助右衛門が権平の事探してるんだけど……あれなら、私が助右衛門に訳を話すから、無理しなくてもいいよ?」
作にぃは、申し訳なさそうに権平を見た。
怪我している権平を見て、無理強いしたくないと思ったのだろう。
「大丈夫です、片桐兄さん。行ってきます。」
権平は、作にぃの気遣いを余所に、さっと座を立ち行ってしまった。

「ねぇ孫六。権平の怪我、一体どうしたの?」
二人っきりになった部屋で、作にぃが聞いてきた。
しかし、僕に聞かれても困る。むしろこっちが聞きたいのだ。
だから、僕は首を横に振るしかなかった。
「そうか…。」
心配そうに眉を下げていた作にぃだったが、何か思い当ったのか、はっとし、顔を上げた。
「もしかして…助右衛門は、その原因を分かっていて権平を呼び出したのかな?」
「…!」
驚いた。その考えはなかったが、可能性はある。
急いで立ち上がり、部屋から駈け出した。
今から行けば、まだ間に合う。
「ちょっ、孫六! 待ちなさい!」
後ろから、作にぃが追いかけてくる足音がした。



―――――



失礼します、と声をかけると、部屋の中の影がゆらりと揺れた。
「権平か、入りなさい。」
襖を開いてから、一礼し、部屋へと入る。
座りなさいと指示された場所に腰を下ろすと、糟屋兄さんも、俺と向き合うように腰を下ろした。

「さて…。何故、呼び出されたのか分かっているだろう、権平。」
普段は糸の様に細められている兄さんの目は開かれ、俺の目を捉えた。
少し吊り上った切れ長の目にも、投げかけられた言葉にも、威圧感がある。
正直言って、怖い。だが、引くわけにはいかない。
だって、だって。
「権平。」
「俺は、悪い事をしたと思っていません!」
糟屋兄さんから目を逸らすことなく、きっぱりと言い切った。
糟屋兄さんは驚いたように目を見開く。俺が喰いかかるとは思わなかったのかもしれない。
だが、これは俺の確固たる意志である。何と言われようと、この考えは変わりません、と、俺は兄さんから顔を背けた。
少しの沈黙。
糟屋兄さんが咳払いをし、沈黙を解いた。
「権平、まずは話を聞きなさい。」
そう言われ、糟屋兄さんの顔をちらりと盗み見る。目にも、言葉にも、先ほどのような威圧感はない。
その様子を悟り、糟屋兄さんの方へと向き直った。
「先ほど、三人の奉公人が権平への懲罰の要請があった。だが、問答無用で懲罰を下すつもりはない。此度の事、三人の申すことにはいささか疑問が多い。故に、何故このような事に至ったのか…その話をお前から直接聞きたかっただけだ。」
話してくれないか、と糟屋兄さんは促す。
始めは、話すことに躊躇したが、俺も、誰かに話したかったのかもしれない。
ぽつりぽつり、と零れはじめた言葉は、次第に歯止めが利かなくなるほど流れ出ていった。



事の発端は、近道をしようと普段は使わない屋敷の裏を通った時の事だった。
三人の男たちが何やら話し込んでいた。愚痴や悪口、だろうか。話に夢中なのか、俺には気づいていなかったようだ。
嫌な場面に出くわしてしまった、と眉を潜めた。
悪口を立ち聞きしてしまったのだ。いい思いはしない。
だが、関わりのない俺が、事情も知らずに首を突っ込んで、無用な争いをするのもどうかと思う。
ここは、俺は何も見てない、何も聞いていない…と、やり過ごすのが一番だろう。
そう思って、気づかれぬうちに道を引き返すつもりだった。

「あと、あの孫六という餓鬼。何故お次様は、あのような餓鬼を重用するのだ?」

その言葉に、思わず足が止まってしまった。
「どのように取り入ったかはいざ知らず…であるが、抜け目ない餓鬼だ。」
「将来の出世と引き換えに、上役へ体を差し出したのではないか?」
「はぁー成程、それでお次様へ重用するよう口利きを?」
「御顔立ちの良い者は、そういう保証のかけ方が出来て羨ましいものですなぁ。」
「流石…元、貧賤者は考えることが違うな。」
馬喰などではなく男娼だったのではないか、などと、笑いながら罵っていたのだ。

秀吉様に養子として引き取られ、今や我が子同然に可愛がられている御次丸様。
気に入られ、能力が評価されれば、将来的に上役を頂く可能性もあるだろう。
だが、孫六はそのような下心を持って仕えているわけではない。
孫六が御次丸様にいたく気に入られているのは事実だ。
何故かは知らないが、何かにつけて言い付けられるという話は本人から聞いていた。子守より、将来のためにも雑役で構わないから政務に関わりたい、と言う愚痴の一部として。
馬の扱いをみれば、馬喰をしていたということも納得できるし、なにより孫六は身売りを酷く嫌っていた。顔立ちが良い分、もしかしたら馬喰時代にも何か因縁を付けられたのかもしれない。
そう言った孫六の苦労や苦悩も知らずに、身勝手な不満から孫六に対して下劣な烙印を押している彼らに対し、怒りで体が震えた。


そして、気が付いた時には、男の一人を殴り飛ばしていた。


「――という訳です。」
流石に三対一では分が悪くこの様ではあるが、騒ぎを聞きつけた人が止めに掛からなければ、三人全員殴り倒せたはずだ。
止めに入った人物は、事を荒立てることを望まなかったのだろう。その場を収めると、上役や秀吉様には報告せぬからこれにて終いにしろ、と告げて立ち去った。
しかし、やつらの気は済まなかったのだろう。だから俺に対する懲罰要請がきた。
きっと、話をでっち上げて。
本当に胸糞悪い。

糟屋兄さんは俺の話を聞き終えると、腕組みをし、顔を伏せた。
暫くの沈黙の後、考えがまとまったのか、組んだ腕を解き俺の目を見据えた。
「今は戦場でもなければ、多事多端でもない故、厳しい取り締まりはしていない。だが、それだけの騒ぎ、もし戦場であれば最悪死罪だ。それは分かっているだろう、権平。」
「…っ!」
軍内部における争いの御法度。冷静に、その重大さを突きつけられ、返す言葉もない。
でも、それでも。
「それでも、俺は――!」
「待て、権平。話はまだ途中だ。」
糟屋兄さんは俺の前に手を突出し、言葉を妨げた。
「そのことはきちんと覚えて置きなさい、という意味だ。他意はない。証言が事実であればその三人、非が無いとは言えん。私には権平が嘘を言っているようにも見えない。それと、これは私の偏見もあるが――権平があそこまでしたんだ。訳ありだとは思っていた。」
そう言い終えたところで、糟屋兄さんはにこりと笑った。
見慣れた糸を引いたような目に、ほっと、力が抜けた。
「事実であれば、許しがたい中傷だ。権平のしたことは多少やり過ぎかもしれないが、非難されるのはお前ではない。」
「糟屋兄さん……。」
「その止めに入った者にも事情を聞いておこう。残念なことに、このことは既に秀吉様の耳にも入っている。が、きちんと事を弁明しよう。権平に懲罰が下ろうとも、軽い謹慎程度だろう。なに、心配せずともあの三人にも、なにかしらの懲罰が下るさ。」
だから、あとは私に任せなさい、と髪を撫でられた。

その言葉に、今更ながら関係ないこの人に多大な迷惑をかけたんだ、と思い立った。
そう思うと、酷く申し訳ない気持ちになった。
「……ご迷惑おかけして、すみませんでした。でも、我慢できなかったんです……。孫六のやつ、家復興させたいんだってすげぇ頑張ってるんです。それなのに、あいつらそんな孫六のこと、何も知らないくせに、あんな、こ、といって……。」
感情が抑えきれず、目からぽたぽたと水滴が落ちる。
泣くつもりなんてなかったのに。でも、一度溢れ出たそれは止めることができなくて。
「お、おれっ…くや、しくて……ゆる、せ、なくて……っ!」
糟屋兄さんは、うんうん、と相槌を打ちながら、俺を抱きしめて背中を撫でた。
全部出してしまえ、というようなその優しい手つきに、子供の様にしゃっくりを上げながら、泣きじゃくってしまった。



――――――



「成程、そういう事だったんだね。」
部屋の前で僕とともに聞き耳を立てていた作にぃは、納得したように頷いていた。
そんな作にぃとは違い、僕の心は晴れなかった。晴れるはずもない。
だって、結局のところ、あの怪我の原因は僕だったわけだから。
ちっ、と思わず小さく漏れた舌打ちとともに、音を立てない様その場から離れた。
「えっ、ちょ、ちょっと孫六っ!」
作にぃも慌てて、僕を追ってその場を離れた。

似たようなことを陰で言われているのは知っていた。
表立ったことはされていないが、地味な嫌がらせだって無いわけじゃなかった。
でも、そんなことを一々気にして引きずったり、屈したりほど僕は弱くないし、暇じゃない。
放っておけばよかったんだ。
なのに、あんな奴ら相手に本気で怒って……。
「……権平の馬鹿。」
本っ当に、馬鹿。
戻ってきたら、めいっぱい怒ってやる。本音ぶちまけてやる。
なんでそんな無茶したんだって。そんな怪我こさえるぐらいならするなって。
こっちは凄く心配したんだことも、でも、少し…ほんの少しだけ嬉しかったことも。

それから、それから―――。





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