夜明けの海でちいさく泣いた 高虎と嘉明 | ナノ 文禄の役
1593年9月頃の話










たまたま目に入っただけだった。

嘉明のもとに慌てて駆け寄る人物。伝令だろうか。
険しい顔をして、何やら伝えているのが目に見えた。
先ほどまで、いつもと変わらぬすました顔をしていた嘉明だったが、その報告を聞き、目を見開く。
顔を真っ青にしており、やつにしては珍しく、目に見えるほど動揺しているのが遠目でも分かった。
日の本にかかわる事であれば、軍全体に行き届く伝令が来るはずだ。
とすれば、やつ個人に来たもの。

「おい、一体何があった。」
嘉明から離れたのを見て、伝令にきてた兵をひっ捕まえて問うた。
初めは口を閉ざしていたが、いずれ全軍に知れ渡る事だと判断したのだろう。
しかめ面のまま、そいつは幾何か声を潜めて言った。
「…西生浦陣中にて、加藤作内光泰殿が没したとのこと。」
「!? っ…そうか、作内殿が。」
それを聞いて、合点がいった。
加藤作内光泰。嘉明を引き立てた、やつにとって言わば恩人の一人だったはずだ。
そんな人が亡くなったのだ。動揺するのも無理はない。
が、今は状況が状況だ。
何かしでかさなければいいが…。



そう案じていた矢先のことだった。
陣中で、此度の作内殿の死が、暗殺によるものだという噂が流れ始めた。
作内殿と此度の戦のことで口論となった、石田治部少輔が一枚噛んでいるというのだ。
作内殿が倒れたのが、宮部兵部少輔が取り持った治部との宴直後だというのだから、皆一様に信じている。
だが、本当にそうだろうか。

日の本を離れる直前のこと。
たまたま見かけた作内殿の顔色は酷く悪く、無理を押しての出陣だったことは、容易にわかった。
思うに、治部を嫌う者が憶測で言ったことを、誰かが真に受けたのではないだろうか。
治部を嫌うものは多い。物言いと態度で、必要以上に敵を作っている。
だから、こう言った流言は、日の本を立つ前から耳にすることは多かった。
今回も、そうして流れた流言である可能性は否定できない。

だが、今はそれより気がかりなることがある。
俺たちの居る熊川の城に、小西摂津守を訪ね、治部が来ているということだ。
この間の嘉明の様子が脳裏をよぎり、嫌な予感がした。



夜更け。夜風に当たっていると、陣離れに嘉明を見かけた。
他に人気はない。供も付けずに、どこかへ向かおうとしているようだった。
後を追い、肩を掴んで止める。
「おい、わっぱ。こんな夜更けにどこへ行くつもりだ。」
「!」
嘉明が振り向いた瞬間、やつから物凄い殺気を感じた。
が、それも一瞬のことだった。捕まえたのが俺だと気づいたからか、その殺気は消えた。
いや、隠したという方が正しいのかもしれない。
嘉明は顔を逸らしたが、隠しきれない殺気が滲み出ているのが分かる。
「…お前には関係ない。」
「そんな殺気振り撒いているようなやつ、見過ごすわけにはいかねぇな。」
やつはちっと舌打ちをした。
「道を急いでいる。今すぐその手を離せ。」
俺の手を振り払うと、再び歩みを進めようとした。

「治部のところか。」

ぴたりと動きが止まった。
嫌な予感が、的中した。

「…だったらなんだ。」
「庇うわけじゃないが、まだ治部の仕業と決まったわけではないだろう。」
「……。」
「日の本を立つ前、作内殿をお見かけした。随分と顔色が悪かったのを覚えている。」
「……ぅ…。」
「…お前は知ってたんじゃないか?あの頃の作内殿は病で…もう…。」

「違う!!」

嘉明は、俺の言葉を遮り、思い切り胸ぐらを掴んだ。



「殺されたんだ!!あの人は!!」



あぁ、そうか。
声をかけてから、初めてかち合った嘉明の目を見て察した。
殺気だけじゃない。悲しみ、不安、疑心…様々な感情が渦巻いている。
こいつも、わかっていたんだ。
作内殿の病に侵さていたことも。命が、既に尽きようとしていたことも。
単なる流言であり、まだ治部の仕業と決まったわけではないことも。
自分がとろうとした行動は、明らかに軽率なものであることも。

やつだってそれなりに場数を踏んで、苦労をしてきている。
確証のないことを、安易に信用するようなやつじゃない。
こいつだって、根拠のない流言だと理解していたはずだ。

ただ…自分の信頼する恩人の死。
それだけ、どうしても受け入れることが出来なかった。
そのうえ、病死だ。
自分にはどうすることも出来ない、どうあがいても変えようのない事実。
困惑、絶望、虚無感。そして、自分が壊れそうなほどの悲しみ。
やり場のない思いを、どうすることもできなかったんだろう。


そんな中、舞い込んできたのが先の流言だ。
流言が本当か嘘かは、今のこいつにとっては、どちらでも構わなかったんだろう。
やり場のない思いを、どうにかして紛らわせたかった。
その結果が、先ほどの行動だったんじゃないだろうか。



「…んなことしたって、どうにもなんねぇだろうが。」
「…っ。」
「治部が死んだところで、作内殿が生き返るわけでもない。それどころか、今の情勢を考えろ。お前のしでかしたことで、こっちまで巻き添えくらうのはごめんだな。」
そう諭してやると、嘉明は、俺の胸ぐらを掴んでいた手を離し、顔をそむけた。
俯いて、爪が食い込むほど手を握り締めて震えている。
その姿は、嘉明の小さな体をより小さく見せた。
俺は羽織を脱ぎ、嘉明の頭に被せてやった。
やつがそれを払いのけることはなかった。すっぽりと中に納まり、姿が覆い隠される。
「俺は何も見ちゃいない。聞いちゃいない。」
だから、泣きたければ泣けばいい。


「あの人は…僕にとっては師で…。」
「あぁ。」
「恩人で…。」
「そうだな。」
「父、の…よう、な…ひと、で……。」
「わかってる。」
「…っ……!」


それ以上、何も言わなかった。
言えなかったのか、言わなかったのかは分からない。
時折、息をつめる様な音と共に、ぱたぱたと地面に落ちる水滴。
それは、地面を色濃いものに変えていった。



俺は何をしてやるわけでもなく、ただ嘉明の側にいた。
あの時…秀長様が、亡くなられた時。こいつが俺に、そうしていたように。
ただ…。

『俺は何も見ちゃいない。聞いちゃいない。』

そういったはずなのに。そのつもりであったはずなのに。
目を閉じた暗闇の中で、微かに聞こえた嘉明の泣き声が頭から離れなかった。



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夜明けの海でちいさく泣いた

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