油断大敵 兵助→孫六 | ナノ 暖かな日差しが差し込み、心地よい風が吹く昼過ぎ。
絶好の昼寝日和といったところだろう。
仕事さえなければ昼寝に洒落こみたいところであるが、生憎、目の前には書類が積み重なっている。
事務仕事に長けた人間ならば、昼前には終わるであろう量だが、自分はこういった仕事が大の苦手。
できることなら相手にしたくない。
しかし、相手にしたくないと思っていようが、苦手であろうが、与えられた仕事である以上、やらない訳にはいかないのだ。


そんなわけで、朝からずっと書類と睨めっこをしているわけだが、長時間文字を見続けるのはさすがに疲れる。
一息つこうかと書類を置いて伸びをしていると、スパンっと、勢いよく襖が開けられた。
突然の物音に驚いて、音の方へとくるりと向き直る。
遠慮なくズカズカと部屋に入り込んできた小さな子供の姿に驚いた。
「な、何か御用でしょうか。次丸様。」
羽柴次丸様。
信長様の子息であり、秀吉様の養子となられたお方で、小姓として仕える自分の主でもある。
次丸様は大きな眼をきょろきょろ動かし、俺の部屋の中を見渡した。
「孫六はおらんのか?」
あ、はい。俺に用ではなく、孫六に用でしたか。
「此方には来ておりませんが……。」
「そうか。」
「孫六に火急の用で?」
そうであれば、直ぐにでも探しに行かなければと腰をあげようとすると、次丸様は手で制した。
「いや、そうではない。……見かけたら次丸の元へ来るよう伝えろ。」
それだけ言い残すと、次丸様はすっと踵を返して去って行った。

火急の用ではない、とは言っていたが次丸様の様子からすると早い方がよさそうだ。
先程の様子からすれば、孫六の部屋にはいなかったのだろう。言い付かった仕事が終わっているとなれば、どこかで休息でもとっているのだろうか。
と、なれば、孫六が居る場所は大体目星がつく。
疲れた頭の休息もかねて、書類の上に文鎮を置き、席を立った。



厩の近くをきょろきょろと見渡せば、木陰の下に人影らしきものが見えた。
もしやと思い近づいてみれば、大当たり。探していた加藤孫六、本人であった。
すぐ傍まで近寄ってみるが、孫六が起き上がる気配はない。寝ているのだろうか。
孫六のすぐ傍に腰を下ろし、顔を覗き込む。
閉じた眼に、一定間隔で繰り返されている規則正しい呼吸。
やはり眠っているようだ。
「……孫六?」
声をかけて肩を揺すってやると、ん、とかすかに声をあげ、反応を示したが、その目が開かれることはなく、再びすやすやという寝息が聞こえてくる。
さてどうやって起こせばいいだろうかと、孫六の寝顔をじっと見つめた。


「……綺麗だなぁ。」


思わず口から零れ落ちた。
柳眉に、通った鼻筋。
瞼を縁取る長い睫が影を落とし、小さく開いた唇は薄く色付いている。
白い肌と対照的な美しい黒髪が、さらさらと風になびく。
今は閉ざされて見ることは出来ないが、その奥にある大きな瞳が、瑠璃の様に美しいことも知っている。
容姿端麗。その言葉がしっくりくる。
初めての顔合わせの時、一目見て思わず息を呑んだ。
以来、幾度となく目を奪われ、自分は彼に恋をしているのだと気づいたのは、しばらく後だった。
想いが叶うかどうかは分からない。でも、愛しい彼を何に代えても守ってやりたい。
そう思っていることは確かだ。



ぼんやりと考え事をしながら孫六のことを眺めていると、ザッ――と、一筋の強い風が吹き抜けた。
木々の葉がこすれ合い、さらさらと音を立て、数枚の葉が風に乗り、一枚の葉が、ひらりと孫六の頭に落ちる。
そのまま動く気配のない緑の葉を取ろうと、そっと手を伸ばした。

瞬間――ぱちり、と孫六の瞳が開いた。

いつもの様に、少しばかり気怠そうでありながら、澄んだ綺麗な瞳。
「あ――。」
「……。」
交差する視線。
孫六の目が、少しばかり驚いたように見開かれた。
何をそんなに驚いているのかと少しばかり疑問に思ったが、すぐに気づいた。
頭に落ちた葉を取ろうと身を乗り出したため、孫六との距離は僅か数寸ばかり。普段からは考えられないほど、近すぎる距離。
心臓が跳ね上がり、慌てて孫六から離れた。
「いや、これは、そのっ……えぇと、頭に葉っぱが落ちてたからそれで、あの……別に何もしてないから! 本当に何もしてないから!!」
実際に何もやましいはしていないが、こんな取り繕っているとしか思えない言葉しか口から出てこず、さらに焦る。
落ち着け落ち着け、と一人慌ただしくしていると、孫六は、はぁ、と怪訝そうな返事を返し、眉をひそめて首を傾げた。
「……さっきから、何か用なの?」
孫六の問いで、はた、と何故孫六を探していたのかを思い出した。
「あっ。そ、そうだ。次丸様が、孫六のこと見かけたら――。」
来るように言っていた、と、全て言い切る前に、孫六は跳ねるように飛び起きる。
俺の横をすり抜けて母屋の方へ駆けて行った孫六の目は、そういうことは早く言って、と訴えていたように見えた。


そうだ。よくよく考えずとも、用が火急でなくとも、何かあれば叱られるのも孫六じゃないか。
そもそも、早く知らせた方がいいと思って探していたに、これでは意味がない。
孫六には悪いことをしたと思うも、後の祭りである。
己の迂闊さに頭を抱えるが、ふと、先ほどの孫六の様子に違和感を抱いた。
あの寝穢い孫六が、寝起きにあんな機敏な動きをとれるだろうか。
いや、多分、出来ない。
朝、寝ぼけ眼に覚束ない足取りの状態で、権平に引っ張られている姿をよく見かけている。
今日に限って目覚めが良かったのだろうか。
疑問に思っていると、先ほどの孫六が発した一言が脳裏を過った。



『さっきから、』何か用なのか、と。



さっきから――ということは、孫六は目を覚ます以前から、自分がその場にいたことを知っていたことになる。
だとすれば、目を開けていないだけで、とっくに目を覚ましていたのだろう。
つまり、先程、寝こけていた様に見えた姿は狸寝入り。
それならば、寝起きとは思えない先ほどの動きにも納得がいく。
面倒な厄介ごとでも押し付けられると思ったのだろうかと、苦笑いが零れた。
自分が来た時からずっと狸寝入りをして、避けようとし――。

「っ!!」

瞬間、羞恥で顔が真っ赤になった。
そうだ。
そうとなると、自分が孫六を眺めていたことも、思わず零れた言葉も、全て、彼に筒抜けだ。
顔から火が出るほど恥ずかしい、というのはこういうことなのだろう。
「俺……この後、孫六にどんな顔して合えばいいんだよ……。」
思わず顔を隠す様に頭を抱える。
一人呟いた問いかけに答えるように、一羽の鳥が、ぴぃ、と鳴いた。



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油断大敵

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