隣合せの恋 浅三浅 | ナノ 両片思い









ぶつり、という音と共に流れ落ちる髪。
それから一拍おいて、使い古しによって切れた結い紐が地に落ちた。
あぁ、遂に寿命か。
そう思い、紙の上を走らせていた筆を置いた。
そろそろ替え時だろうと思っていたが、消耗品は使えなくなるまで使った方がいい。
そんなことだからお前の部屋は物が多いと、虎之助に小言を言われるが、誰が困るわけでもないし、もったいないだろう。
懐に入れておいた新たな結い紐を取り出し、髪をかき上げた。


と、その時だった。


「三成殿。少し、よろしいでしょうか?」
襖越しに声をかけられ、動きを止める。
後ろに振り向き、どうぞ、と声をかければ襖が開く。
声色で分かってはいたが、自分の上役である浅野長吉が姿を見せた。
「お忙しいところ、すみません。」
「浅野殿、何か御用ですか?」
「先日の協議、三成殿がまとめたとお聞きしたもので――髪、どうかしたのですか?」
普段から結い上げられている髪が降りていることが気になったのか、長吉は首を傾げている。
「別に……結い紐が切れたので、新しいもので結いなおそうと。……まとめた資料なら、左の棚の二段目です。どうぞお持ちください。」
入り口のすぐ近くにある棚を指し示した。
「あ、ありがとうございます。では、失礼して……。」
そう言い部屋に踏み入った長吉を一瞥し、髪結いを再開した。
が、どうにも上手くいかない。
手から滑り落ち、上手くまとめることが出来ず、自然と眉間に皺がよる。
わずらわしい。思わず溜息が出た。

「すいません、三成殿。失礼します。」

その声に目を向けると、いつの間にか、長吉は自分のすぐ後ろにいた。
思いもよらぬことに驚いていると、するり――と、手から結い紐を抜き取られた。
「あ……!」
「髪をこちらに向けてください。私が結いましょう。」
そう言うと、自分のすぐ後ろに腰を下ろす。
随分と、苦戦しているようなので、と言う彼は、少し笑っていた。
普段、見ることのない顔を目の当たりにし、どきり、と胸が高鳴る。
先程の無様なところを見られていた恥ずかしさと、沸き立つ想いを隠す様に、前を向いた。
「……仕事が残っているので、するなら早くしてください。」
素直に頼めない自分が恨めしかった。



乱れを整える為だろう。
表面を撫でるように、髪を手で梳かれる。
「……っ。」
自然と、顔が火照り、胸を打つ鼓動が早くなる。
長吉の手の動きを敏感に感じ取ってしまう。
毛の一本一本、先の先まで神経が通っているかのようだ。
勿論、そんなことはありえないのだが。

「綺麗な髪ですね。」
突然かけられた声に、びくり、と体が反応を返してしまった。
「手入れ、大変なのではないですか?」
腰の辺りまで延びている、下ろされた自分の髪。
赤みを帯びた髪は、見たところ痛んでいる様子はなく、手櫛で引っかかることもない。
しかし、そう言われても、なにか特別手入れをしているわけではない。
直毛は元々の髪質であるし、櫛通しは誰でも毎朝するだろう。
強いて言うならば――。

「一月に一度、髪を切っているだけです。」
「切る……毛先を、でしょうか?」
「はい。」
痛むことが多い毛先を切り落とすために、戦の陣中や、特別忙しい時でなければ行っている。
しかも、それもごく簡単なことであり、特別時間をかけているものでもない。
それも、髪の質を保つため、というより、櫛に引っかかると面倒だから行っていることだ。

「成程、そうですか。手間をかけて、伸ばしているのですね。」
「この程度、手間というほどの事でもない。誰にでも出来ることです。」
ふん、と鼻を鳴らしてから、しまった、と気づく。
そんな気はないのだが、また横柄と取られる様な言い草や態度になっているではないか。
しかし、内心慌てる私を余所に、こういった態度を取った後、殆どの人間が返すような不満気な声は帰ってなかった。
「誰にでも出来ることですが、それを定期的に継続させることは、誰にでも出来ることではありません。」
自分の想定していたものと違う言葉、とても柔らかい声。
「ここまで伸ばすのも、大変だったでしょう。」
そう言って、また髪を撫でられた。
その手つきが、壊れ物を扱うかのような、とても優しいものに感じ、また胸が高鳴った。

「あの……早く、してくれませんか。」
緊張だとか、恥ずかしさだとかで、先ほどからずっと落ち着かない。
ずっとこのままでいるなど、此方の身が持たない。
「あ、すみません……では、失礼します。」
髪を上げるためだろう。
首筋に手を差し込まれ、ぞわり、と何かが体を駆け巡る。
瞬間、先ほどよりずっと近い、今にも背と密着しそうな距離間に気づく。
一度意識してしまえば体は勝手に反応し、体中の熱が顔に集中してしまったかのように、かっと熱くなった。
脈打っていた心の臓が、周りに聞こえるのでないかというほど、うるさく音を立て始める。
息苦しくて呼吸が止まりそうで、頭がぐるぐるとかき回されるようで。
熱い、熱いあついあついあついあつい。
駄目だ、これ以上は……っ!



気が付くと、その手を振りほどいて結い紐を引っ手繰っていた。



自分でも何をしているんだと、はっとする。
きっと赤くなっているだろう顔だとか、咄嗟にしてしまった行動だとか、気にしている場合ではなかった。
なにか、なにかいわないと――っ!


「き、紀之介に、やってもらいますっ!」


そう言い残し、部屋を飛び出してしまった。

紐を引っ手繰った時、彼は少し驚いているようにみえた。
いきなりあんなことをしたのだから、驚いただろう。
止めてもらうにしても、もっと別のやり方がいくらでもあったはずだ。
いや、それより、もし、不快な思いをさせていたらどうしよう。
もし、傷つけていたらどうしよう。
もし、嫌われたりしたら……。
今更になって、ぐるぐると思考が駆け巡る。
あぁ、もう!何をやっているんだ私は!





三成の突然の行動には驚き、思わず動きを止めしまった。
はっとした時には、彼は既に部屋を飛び出していた。
「み、三成殿!」
廊下に顔を出し、呼びかけたものの、既に姿はない。
先程の三成の顔。あの顔は、一体何を意味するものだったのか。
こそばゆさや不快からのものか、何か彼の逆鱗に触れてしまったのか。
あるいは――いや、自惚れの可能性もある。考えるのはよそう。
いつまでも部屋に居ては迷惑だろうかと思い、当初の目的であった資料を手に取り、部屋を後にした。

簡易に閉じられてた紙の束。
ぱらぱらと流す様に目を通すと、先の協議の内容が、細かくかつ、分かりやすく整理され記されている。
彼の性格を表すように、美しく整然と並ぶ文字。
文字をなぞると、先程の彼の言葉がよみがえった。


『き、紀之介に、やってもらいますっ!』


三成の友であり、同室である人物の名前。
いつも、彼に結ってもらっているのだろうか。
心を許し、信頼しているだろう彼と、毎朝、雑談でもしながら。

そう思うと――。
「……吉継殿が、羨ましいですね。」
零れ落ちた言葉と共に、胸の奥がきゅっと締め付けられる。
勝手な想像で、なにを思い悩んでいるのだろう。
もし、それが事実であったとしても、こんな小さなことで嫉妬など、なんと大人気ない。
雑念を払うように頭を振るも、一度脳裏に過った光景は易々と消えてはくれない。
ああ、もう、全く。

「恋とは、存外厄介なものですね……。」

小さな溜息が、一つ零れた。



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