熟れすぎ片想い 光泰←重治 | ナノ 2月14日。
日本において、もっともチョコレートが世に出回る日は、間違いなくこの日だろう。
本来、愛する男女が互いの思いを確かめ合う日であるバレンタインという記念日。
どう紆余曲折して、日本ではチョコレートを渡す日になったのか。それについては諸説あるようだが、どの説にせよ、チョコレートによる利益を得るがために製菓会社が掲げたコマーシャルが大ヒットし、そのまま浸透したという軸はぶれないようだ。
近年においては、恋い慕う相手のみならず、友人や家族、世話になった相手にもチョコレートを渡す事例も多くなり、もはや、バレンタインという記念日本来の意味を成しているのか疑問である。
まぁ、お祭り好きとされる日本人なのだから、楽しく騒ぐイベントになるきっかけがあればいい、というだけなのだろう。



(……と、そんなことを思いつつも、それに浮かされて、チョコレートを作っていた私も私ですがね。)

ふっ、と思わず溜息が漏れる。
商店街の一角にある書店。
その書店を営む重治もまた、つい先日のバレンタインというイベントに浮かされ、好意を寄せる人間へチョコレートを忍ばせた一人である。
ごくごく普通の、簡単に作れるトリュフチョコ。
もとより想いを伝えるつもりはないし、見返りも求めていない。
あわよくば、そのチョコレートが彼の口に入れば幸い、という程度だ。
そうだ。正直言って、自己満足の為に作ったのだ。
誰にするわけでもない言い訳を、心中繰り返しながら返品商品を作り上げる。
丁度、その伝票を書き上げた時だった。

「おー重治、お疲れ。」

昔馴染みの声に、ペンを置き、顔を上げた。
「お疲れ様です、光泰。」
着流しに、杖を突いている男。親友の光泰であり、チョコレートの送り主でもある。
もっとも、彼は、自分が作ったチョコレートを受け取っていることなど、気づいていやしないだろうが。
「ん、まだ忙しかったか?」
「いえ、全く。見ての通り、お客さんもいませんし、丁度一区切りついたところです。」
「お、そうか。」
「お茶でも入れてきますね。」
そう言うと、光泰の返事を待たずに席を立つ。
実は、光泰は重治の元に訪れる際、小一時間ほど世間話をしていくのが通例となっている。
別に誰かが決めたわけではないのだが、ほんの数分話すつもりでも、ついつい話し込んでしまうのである。
光泰もそのことを見越してか、いつからか、配達や商品の入れ替えの忙しい午前や、帰り人が賑わう夕方といった忙しい時間を避けて来るようになった。
なので、既に長居することはわかっているのだ。
「おう、悪いな。」
背で受けながら、カウンター裏の給仕室も兼ねている事務室に入った。
急須に湯を入れて少し待てば、お茶の葉が開き、ふわりと緑茶の香りが立ち上る。
温めた二つの碗を、美しい萌黄色で満たして戻ると、先ほど私が腰かけていた椅子に座っていた。
「光泰、それは私の椅子ですよ。」
適当な所に碗を置いて指摘する。
一日の約四分の一を座って過ごす私が、吟味に吟味を重ねたうえで買った椅子だ。
私にとって非常に座り心地が良い椅子であり、そこが定位置なのだ。
要するに、そこを退きなさいと。そういう意味を込めてにっこりを笑いかける。
「えー俺は足が悪いんだから、少しはいたわってくれてもいいだろー?」
口を少しばかり尖らせる光泰。全く……仕方がない。
事務室の椅子を一つ掴んで持ってくると、こちらに坐りなさいと促す。
仕方ねぇなー、と光泰は腰を上げると、その椅子に座った。


「あ。そういえば、昨日のチョコはどうでしたか?」
暫く他愛もない雑談を続けたあと、それとなく聞いてみた。
自分の作ったものを紛れ込ませておいて、白々しく聞く自分の浅ましいこと。
でも、やはり気になるものは気になるのだ。
「おぉ、美味かった。なんか高そうなチョコもあって……あぁ、そうだ。それで思い出した。」
ぽん、と手を打つと、光泰はカバンを漁り始めた。
「何を探しているんですか?」
「んーとな、昨日お前さんから貰ったやつなんだが……おう、これだこれ。」
彼が取り出したお目当ての物に、私は目を見張った。



話は昨日のことに戻る。
この書店には、綺麗な包装が施された小さな菓子の山が出来ていた。
その内容物は、ほとんどがチョコレート。中には飴や煎餅など、チョコレート以外の菓子も見受けられたが、それは極わずかである。
日頃、お世話になっていますので……と、いう言葉と共に渡された菓子たち。世間で言われている言葉に言い換えれば、世話チョコというやつなのだろう。
いや、もしかしたらそれは建前で、本命のものもあったのかもしれない。でも、それは自分にとってはどうでもいいことだ。
この事例が、2、3件なら別に構いはしない。
が、この書店は、市内にある数少ない書店。ご近所の個人の他に、商店街に立ち並ぶ店や、学校、病院、会社といった大きな施設にもお世話になっている。そのお得意様方によって支えられている、と言っても過言ではないだろう。
顧客が多いこと自体は喜ぶべきことであるが、この日に関してだけは幸か不幸か。
普段から頻繁に店に足を運んでくれる常連客を始めとし、配達に回る先々でも同様の待遇。
どこに行ってもチョコレートが付いて回るのである。

そうなると、一人一人の渡す量が少なくても、人数が多ければ総量は随分なものとなる。
とても一人で食べきれる量ではない。
それを、今日と同じくしてやって来た光泰に押し付け…もとい、御裾分けする。
これは、もはや毎年の恒例となっていた。
ただ、今年はその中に、自分の作ったチョコレートがこっそりと紛れ込んでいた、という点だけが異なる。



その紛れ込ませていたチョコレートが、今、目の前に突き出されている。



「――え……と、それが、なにか?」
もしかして気づかれてしまったのか。
いや、それはないと思いたい。でも、もしそうだとたら?
だとしたら待ってください、まだ心の準備が。
平静を装うも、背中に嫌な汗が伝うのが分かった――が。


「いやなに、このチョコ、手作りみたいだったからな。だったら、お前さんが食った方がいいんじゃねえかと思ってな。」


これが何かの漫画であれば、ズッコケるシーンだっただろう。
構えていたことが馬鹿らしくなるほど、思い切り肩透かしを食らった。
そうだ、この天然鈍感男が気づくはずがない。そんなのとっくの昔からわかっていたことじゃないか。
今回のチョコレートだって、気づくはずないと踏んで紛れ込ませたのだし。
気づかれなくてよかった、と思う反面、本当のところは気づいてほしかった、とも思ってしまう。
この複雑な心持ちとは、全くもって長い付き合いなのだ。

何とも言えない表情をして溜息をつく私に、光泰はきょとんとした顔で見ている。
「どうした?」
「……なんでもないですよ。」
それを誤魔化す様に、茶を啜った。
そういえば……彼に押し付けるチョコレートは、毎回市販の物ばかりだったな。
「別にそんな気を遣わなくてもいいですよ、貴方が食べて構いませんから。」
昨日の残りのチョコレートもあるし、今、光泰が持っている箱の中に入っているチョコレートは、思った以上に沢山できてしまい、味見もかねて幾つか事前に食べている。
少し甘さ控えめな、何の変哲もない普通のトリュフチョコであったが、自分はもともとチョコレートが特別好きなわけではない。
その味見で食べたチョコレートだけで、本当にしばらく食べなくていい程だ。
まぁ、そんなこちらの事情など、彼が知っているはずもないのだが。
「こういうもんは、渡す相手を想って、一生懸命作るもんなんだろ? 一個ぐらいは食ってやったらどうだ。」

……えぇ、そうですよ。そうですとも。
貴方の事考えながら作りましたとも。彼の好きな物の傾向から、甘すぎない方がいいだろうと思い、ミルクチョコだけじゃなく、スイートチョコも混ぜましたとも。たかが香り付けの為だけに、ちょっと値の張るラム酒を使いましたとも。もし、貴方の口に入ることがかなうなら、わずかな一時でも美味しいと思ってもらえたなら、それだけで十分だと、そう思いましたとも。
だから、それは貴方が食べる物であって、私が食べる必要性はないんです!
そう言ってやることが出来たなら、どんなにいいことか。

そんな考えを巡らせる私を余所に、光泰はチョコレートの箱を開けた。
「ほら。」
甘い香りの、褐色の球体を口の前に突き出される。
「全部食べろとは言わんさ。無理そうなら、残りは俺が食ってやる。」
一個だけですよ、と仕方なく口を開ければ、口の中に放り込まれた。
当たり前のことではあるが、一昨日と同じ味、同じ香、同じ食感である。
ほんのりラムの香りがして、あとを引かない程度の甘さ。
良いものを使ったから、素人作りながらも、それなりの味ではないかとは思う。
ちらりと、光泰の方を見れば、同じようにチョコレートを口にしていた。
しばらくチョコレートを味わってから、目を細めてふっと口元を綻ばせた。
「美味いなぁ。俺は好きだな、このチョコ。」
私も現金なものだ。
そんな彼の顔を見て、彼の言葉を聞いて、あんなに食べ飽きていた物が、美味しいと思えてしまうのだから。
「……よかったですね。全部食べていいですよ、それ。」

あぁ、やっぱり彼の事が好きだ。
そんな気持ちが言葉となって溢れてしまわないよう、押し留め、お茶と共に飲み下した。



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