04/28 Mon 12:58:02
三成の汚名返上を目的としてる書と言っていいほど、三成が終始ヨイショされています。 知らなかった事も沢山あり、なるほどなぁと思う情報が沢山でした。 特に、最近羽柴四天王に興味を持っていたので、尾藤家が三成と姻戚関係というのは「ほほぅ」となりました。 あとは大谷さんが秀吉に成敗されそうになったとかも。 知らない情報がいっぱいで新鮮でした。
その反面、反論で三成善人を強調していながらも、肝心の資料の提示がないものも度々あり、ちょっとモヤッともしました。 ソースソースうるせぇよって言われるかもしれないけれど、やっぱり決定打に欠けます。 元々三成贔屓の本という前提だと尚の事でして……。 憶測の部分も、そうかなぁ?と首を傾げる部分もありましたが、まぁ、自論と食い違うとそうなるのは当たり前かと思うので、その辺は人それぞれですかね。
ただ、一つだけ物申したかったのは、「徳川はむしろ石田の事信頼してたよ。逆に福島や両加藤なんかの子飼いは家光の代で改易になってるからうんぬん(意訳)」って記述。 ここだけは納得いきません。 加藤嘉明家は家光の具足親を任されるほどの信を得ていて、改易の件は会津騒動の一件のせい。それに、家光自信は改易を渋っていた兆候があり、(さらに嫡子なしと減封を辞退し、領地返上を申し出た明成を説き伏せて)息子明友に石見一万石を授け、更にその後水口に加増。四代目明英の代には譜代の臣として認められているという事実があるにもかかわらず、徳川からの信がないという言い方は止めていただきたい!! (※()部分は明友が14歳の時に江戸に移り嗣子に指名されたとあるので、創作逸話の可能性有り。)
嘉明家に関しては譲りませんよ。
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