風邪はキスから





「ほら、口開けて」

「……すみません、…あなたに、こんな事まで…」

「いいから、君は黙って食べて」


畳の香りが仄かに漂う一室で、黒い着流しを身に纏う少年は布団からゆっくりと起き上がる中華服の彼に一掬いの粥を差し出した。
そんな少年に申し訳なさそうに謙虚な様を見せる青年は、少年の顔と瓜二つ。

黒髪、そして顔付き共に似通う二人の決定的な違いと言えば、それはやはり身に纏う空気と雰囲気。
着流しを纏う少年からは、その幼い肢体と不釣り合いな刺々しい空気が微かに感じられ、そして何処か素っ気ない口調のままぐいと口元へ散蓮華を押し付ける所、不器用らしさが伺える。

他人へ向ける優しさの扱いを知らない、そんな雰囲気を感じさせた。
何せ他人を一切寄せ付けない性質である雲雀なのだから、当然目の前に映る他人が恋人であろうがそんなものは変わらない。



「…では、戴きます」


そんな雲雀に柔らかく微笑んで、風は口元へ差し出されたそれを嬉しそうに口にした。
雲雀とは違い、穏和な雰囲気を感じさせる風の空気は無意識に張り詰める雲雀の空気と共に部屋の空気さえも一変させてくれる。

差し出される粥を口にする風は仄かに頬を火照らせてはいるが、それは羞恥による感情の高揚ではない。
温かな粥を喉に通した刹那、込み上げる咳を抑え気味に小さく漏らし咄嗟に袖口で口元を覆う。



「…大丈夫?食べられないなら下げるけど…」

「っ、いえ…大丈夫です。ただ……」


苦し気に眉を寄せながら咳き込む風。
見ての通り風邪を引いてしまったわけで、それが日本に滞在している最中だった為にこうして雲雀の家へお世話になっている。

かと言っても、雲雀の家には家族がいない。
いや、この世に存在していないわけではないが住んでいないのだ。
だから、普段はこの大きな屋敷で雲雀は一人で暮らしている事になる。
そんな実態を知ったのは幾らか前だが、今一度考えて見れば寂しい訳が無いのだ。
まだ年端もいかない幼い子供が、広い屋敷で一人だなんて。

そんな事をふと脳裏に過らせてしまうと目の前の雲雀がより愛しく感じてしまう。
昨日よりも、一秒前よりも。
この幼い子供には、己が必要なのだと考えるだけで至福に満たされる。
母性本能を擽られると言えばおかしいが、そんな感情に近い。



「あなたに風邪が移らないか、心配で…」


頬を火照らせながら、愛し気な眼差しで雲雀を見詰める風。
一瞬、雲雀の瞳が動揺に揺れたのがわかった。



「移るわけない。大体、君の風邪は…」


ふい、と顔を逸らした雲雀の口からは淡々とした言葉が紡ぎ出される。
けれど、そこまで言って言葉は喉元で止まってしまった。



「ふふ、…可愛らしい事を言うんですね」

「……うるさいな、馬鹿な事言うならこれ自分で食べなよ」


雲雀がなぜ口を閉ざしたのか。
その意図を察した風は何処か悪戯っ子のような笑みを浮かべて小さく笑う。
咄嗟にキツい眼差しが突き刺さるものの、それを優しく受け止めてすみませんと謝った。



「…やはり、キスをすると風邪は治るんですね」


と、そんな風の発言に苛立たし気に眉を寄せる雲雀。
未だくすくすと笑いを溢す風に、とびきりの視線を突き刺した。
けれどそんな視線も仄かに頬を染めたままでは何の威力も発揮しない。

散蓮華を手離して、ふいと背中を向けてしまった雲雀はきっと羞恥からの可愛らしい反抗だろう。
くっとマスクを口元に戻して雲雀の身体をゆっくりと後ろから抱き締めると、咄嗟に反抗の腕が飛んでくる。



「キスで治ったんじゃない。自力で治したんだ」

「はいはい、そういう事にしておきましょう…。またキスをして、恭弥に風邪を移したくありませんからね…」

「っ、だからキスじゃ…!」


耳元で囁かれる言葉に苛立ちを募らせて、いい加減にしろと振り返った瞬間。
ゴチン!という骨のぶつかる音を鳴らして、雲雀は額に走る鈍痛に顔をしかめた。



「っ、ちょっと…なにして…」


咄嗟に己の身体に掛かる重みに目を見開いて、逃げる間も無くそのままどさりと倒された。
けれどそれは故意で押し倒した訳ではなくて。



「………なんなの、…辛いなら、はっきり言いなよ…」


己の身体に被さる身体は完全に力を失ってくたりと雲雀に身を預けていた。
意識まで飛んで、さぞかし視界もフラついていた事だろう。
なのにこの大人はそんな態度も雰囲気も微塵も見せず、頬の赤みが強くなっただけで。

そんな彼の変化に気付けなかった事にも苛立ちを覚えるが、自分の身体よりも己の身体を心配する所がまず間違いだ。
寧ろムカつく。
それほど身体は弱く無いし、風邪を拗らせたって意識を飛ばす程には滅多にならない。

人の心配よりまず自分の心配をしろと心中で怒りつつ、倒れた風の身体をゆっくりと布団に寝かせてやった。



「……キス、ね…」


キスで風邪が移らない保証は無いし、キスで風邪が治るなんて言葉はただ都合の良いように解釈しているだけだ。
キスをした相手が風邪を引く可能性だってあるのに、容易く口付けをするだなんてなんて馬鹿で愚かだろうか。

そんな治し方は好まない。
それではまるで、熱を出した相手に性行為を強要したりする事と一緒。
なぜ、そんな無謀な真似をするのだろうか。



「……まあでも、君の気持ちがわからない訳じゃない」


なぜ無謀な真似をするのか。
それはただ単純に、ただ愛しい恋人の苦しむ姿を見たくないだけ。
少しでもその苦痛を軽減させたいだけ。

あの時に風が己に口付けをした心意は勿論わからないが、もしかしたらという推測上の理解ならば出来る気がする。
少なからず自分は、目の前の風の姿を見て心地好いとは思わないから。



「かと言って、……僕は君みたいな間抜けじゃない」


目元を赤く染め上げて、マスク越しに乱れる息使いは静かな部屋にはやけに煩く聞こえる。
じっと見下げたまま風の顔を見詰め、そのマスクを顎下へと刷り下げた。

薄く開いた口元から忙しく出入りする息と、赤みを増した唇。
それを指先でゆっくりとなぞり、雲雀は触れるだけの口付けを送る。
一瞬でもわかる程の熱い熱を唇に感じて、雲雀はゆっくりと口を離した。



「…だから……風邪なんて引かないよ」


ひんやりとした掌を額に感じて、風の表情は微かに緩む。
紅潮するその頬を指先で摘まんで、雲雀は小さく微笑んだ。







........end

優しい風さん初めて書いた…
見方によっては風雲風みたいな話になりましたが、大人雲雀さん相手ならば余裕で雲風になっていたことでしょう。
優しい師匠はあれですね、攻めきれていない攻めみたいな。

しかし同じ雲雀顔でもエロエロの風受けが書けないのは何故でしょう。
敬語だからか、そうなのか…

因みに風さんが風邪を引いたのは言わずもがな風邪っぴき雲雀さんにキスをしたからです。
濃厚な方を。




2012.04.07




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