「うれしいなぁ」
 彼は、笑った。










 私が好きになったのは、名を馳せた殺人者でした。
 それなのに、彼と出逢ったのはいつだったのでしょう。覚えていません。
 疲れて、くたくたになった帰り道。
「花はいかがですか」
 道端で花を売る彼に、私は恋に落ちました。
 それから、私は仕事から帰るときに必ず彼がいる道を通りました。同じ場所で、茣蓙も敷かず、ちんまりと座ってたった何本かの花を売る彼の隣に座りました。
 花を買ってくれる人は全然いませんでした。花は枯れてて、萎れてて、商品になるようなものではありませんでした。
 道端でくたくたになった花を売る彼を、道行く人は顔を顰めてじろじろと眺めました。鼻を覆う人もいました。
 帰り道、彼の隣に座る少しの時間。
 けれど、そこに言葉はありませんでした。
 いつも花を買って、ありがとうございましたと、頭を下げて笑う彼を見詰めるだけでした。
 ある日のことでした。
 彼は、殺人者になりました。
 皆が指をさし、彼を殺せと言いました。
 違う。彼はやっていない。
 私の言葉は風に浚われました。
 だから、私は彼を連れて逃げました。
 あなたを何処か遠い世界へ連れて行ってあげる。誰もあなたを虐げることのない、あなたに優しい世界に連れて行ってあげる。
 けれど、彼は途中追捕の手に落ち、とうとう息をしなくなりました。
 私は泣きました。泣いて、泣いて、泣きました。
 彼は震える手で初めて私に口を開きました。
「うれしいなぁ」
 彼は笑いました。血も、涙も流しながら、彼は言いました。
「うれしいなぁ」
 私の涙に触れて、彼は頬を緩めました。
 そうして、彼はいなくなりました。
     
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