恋ふ文
 ええ、心待ちにしております。
 ですから、忘れないでくださりませ。わたくしは、あなたの歌が好きだということを。










「露君」
 若君は、筆を止めて顧みた。
「多梓の君か。かようなところまで突然いかがなされた」
 多梓の君は若君の文机をじっと眺め、書きかけの文に眉尻を下げた。
「まだ、続けられておるのか」
「ああ、これか?」
 これ、と若君が視線を合わせたのは文である。
 書きかけの文には、流麗で細い字が綴られている。男の綴るそれとは違い、若君のそれとも違った。だが、それが真実彼のものであることを多梓の君は知っていた。
「なんとか続いているよ」
 彼が悲しみをぐっと堪えて笑うようになったのは、妻を娶ってからである。
「いつまで続けられるおつもりか」
「いついつまでも。あれの心が定まるまで」
「しかしそれではいつになることやら……」
「かまわない。私は、子供やそばめが欲しかったわけではないのだから」
 望みを叶えたはずの彼は、大して広くもない背中をしょんぼりと丸めた。
 多梓の君はやるせなさを感じつつもどうしてやることも出来ず、かと言って何かを言わないのも気が咎めた。
「それより、何か用向きがあったのでは?」
「ああ、今度の節会のことでだが……」
 多梓の君は帝の血を引く。一族や貴族の血に翻弄される姿を遠巻きに眺めていたが、ここまで哀れで、そして恋い焦がれる思いはしたことがない。
 たった一人の友にかける言葉も見つけられずに、何が友。
 しかし、それは真理である。










 今は昔のことである。
 その家にをのこがお生まれになった。北の方との間には長く子供が出来ず、たいそう喜ばれた。お生まれになったのは元気なをのこであったため、喜びはたいそう深かった。
 たった一人の跡継ぎをなくしてしまわぬように、若君と北の方は大切に育てた。をんなの着物を着せ、剣を教えず、家の奥深くでお育てあそばされた。
 それから少しして、二人目の子供がお生まれになった。
 しかし、生まれた子供を見て若君と北の方は首を傾げた。
 二人目の子供は人とは似ても似つかない姿形をしていたので、これでは何を生んだのか分からない。
 けれど、可愛い我が子であることに違いないので、をのことして育てることになされた。
 一人目の子供と違い、剣を教え、馬を教え、お子はたいそうご立派に逞しく成長された。
 お子は一人目のお子を護り、忠実にお仕えなさったのである。










「おしまい」
 きょとんと子供は目を丸くした。
 寝物語にするにはまだ早かったかなと笑って、子供の頭を撫でて眠気を誘ってやる。
 頭を差し出して、目を閉じる子供。
 しかし、うまくは流されてくれなかったらしい。
「ふたりめのおこは、なにがおかしかったのですか」
 穢れの映らない、汚れから生まれた子供は問う。
 若君は笑った。
「おかしくはなかったよ」
「でも、わかぎみときたのかたはくびをかしげたのでしょう? ひとではなかったとおっしゃいました」
「うん、そうだねぇ」
 あれは、人ではない。
 否。
 人というよりも、むしろあれは―――。
「仏様の思し召しかもしれないよ」
「そうなのですか?」
「私にも分からない」
「ちちうえにもわからないことが?」
「あるよ、たくさん」
 たくさん。
 ずっと、分からないことがある。
「さあ、もう寝なさい」
「はい、ちちうえ」
 若君は、寝息を確認してからそっと抜け出した。
 ずっと。そう、ずっと。分からないことがある。
「雨の葉」
 そっと呼びかけると、眠っていた身体が勢いよく起き上がる。
 そして、その目が怯えを含むのはすぐのことだった。
「い、いや……」
「どうした、雨の葉」
「ち、が……」
「違わないよ」
 ずっと。
 もうずっと分からないことがある。
「あ、あね……うえ。たすけっ、た、たすけ……」
「無駄だよ」
 無駄だ。
 姉上などいないのだから。
「雨の葉」
「あね、う……え」
 潤んだ眼から、一滴伝う。
「もう、逃げるのはやめなさい」
「あ、ねうえ」
「『姉上』は、いないんだ」
 縋るように伸ばされた手を叩き落とす。
 手の中に納まる身体は、鍛えていない自身よりもほっそりとしてしまった。逞しく、ちっぽけな生き物から護った姿はない。
「お前は、私の妻だ。いいね?」
「いや……」
「わがままも大概になさい。お前は私の妻で、あの子の母だよ」
「いや……いや……」
 溜息が漏れた。
 皮肉な名前だ。
 雨の葉。
 嘗て露姫と呼ばれていた姫がいなくなってから現れた姫君。
 雨の音に縋り、雨の花に身を寄せ、日がな一日涙を浮かべて過ごすに相応しい名。
 雨露を凌いでしまう、雨の葉。降り落ちる姿すら見てはくれない。
「雨の葉。愛しているよ」
「あねうえ……たすけ……」
 もうお前の好きな姉はいないんだと、何度紡ごうが聞こうとしない。丈夫に育つようにとつけられ、育てられた子供は願いどおりになった。
 しかし、恋した姫に振り向いてもらえなくなったのだからなんと皮肉なことか。
「愛しているよ」
 けれど、もうその名で呼んではやらない。

 ―――秋霖

 布団の中からしか見ることが出来ないなんて、もうごめんだ。丈夫になんてならなくていい。
 ただ、お前に私を映してもらえるなら。どんな形であろうとも。











 たとえ、心を壊しても。
     
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