愚民(あいするひと)
神宮寺家に引き取られて、一週間。
神宮寺レンは、ずっと眠り続けた。このまま目を覚まさなければ、命に関わると医師には宣告された。
神宮寺誠一郎はありとあらゆる伝を頼り、弟を診てもらったが打つ手はなしと言われた。
このまま死んでしまうなんて可哀想だ。産まれてより孤独とともに生き、やっと現れたアルファにも道具として扱われるだけ。そして子供すら跡継ぎという道具だった。
「レン・・・」
そして、その晩、騒々しさに神宮寺誠一郎は目を覚ました。
「大変です!レン様が・・・っ」
続いた言葉に、目を瞠ることになる。










静寂が打つ音に、ひっそりと耳を傾けていた。
月光に照らし出された庭園は、花々が美しく咲き誇る。誰も入れるなと言い含めてあるため、一人で過ごすにはうってつけだった。
ずっと考えていた。
意識障害となってから、厄介なと思えなかった。
ーーー早く跡継ぎを産め。そうすれば解放してやる。
一年経とうとも、妊娠の兆しが見えない番へ放った言葉。その時から、彼は彼でなくなった。
心を失い、呼び掛けても応えもしない。
ーーーバロン、あのねっ。
明るい髪色と同じく、声を弾ませてよく懐いてきた。
可愛い後輩だった。指導した後輩よりもよく懐く後輩が可愛かった。
オメガだったと知り、それは冷めた感情になった。これは、道具だと。自分の中で決めた。
けれど、五年の月日を共に過ごし、その四年を精神を壊したまま過ごした。
もうあの声が自分を呼ぶことはない。
「レン・・・」
もうどのくらい聞いていないだろう。
あの笑顔が自分を向き、なぁに、と振り返ることを。
「レン」
もう呼ぶ声は風に消えてしまう。
その時。物音が耳を掠めた。この庭園には人がいるわけがない。入るなと言い含めてあるのだから。
しかし、確かに聞こえた。
振り向き、自分の目が信じられずに目を瞠った。
そこには、手離したはずの番が覚束ない足取りで月明かりの下に佇んでいた。真っ白な服に身を包んでいるものの、すっかりボロボロになって足も汚れてしまっている。
「レン!」
走り寄り、か細い肩を掴む。
刹那、肩がピクリと震えた。
「レン!どうしてここに・・・」
壊れた彼にしてやれることはもうなかった。
だから、せめて実家に返してやろうと思ったのだ。今なら和解している実家に帰れるだろう。兄も弟を心底案じており、環境も向こうの方が彼にいいだろうと。
それなのに、ここまで歩いて来たというのか。
「どうして・・・」
「・・・・・・」
「れ、ん?」
耳を疑った。
風がさらってきた言葉かと。しかし、徐に彼が顔を上げ、自分をその瞳に映したことで確信に変わる。
「レン」
「バロン・・・」
「レン!」
「愛してくれなくてもいいから・・・そばに、おいて・・・」
力なく、神宮寺レンは微笑んだ。
五年間、結婚してから一度たりとて見なかった笑顔だった。
「おね、がい・・・バロン」
バロン、と。長い間呼ばれることのなかった言葉が、今耳に届く。
たったこれだけのために来たのか。
道具としか見ていない俺を、お前はずっと想ってきたのか。その気持ちを消し去ることも出来ず、解放されたいなら子を産めと言われてもなお。
「れ、ん・・・っ」
抱き締めた身体は、骨がまだ浮き出ていて。よくぞこの遠地まで歩いてこれたものだと感心した。
「レン・・・レン・・・レン・・・ッ」
「いい?ねぇ、バロン」
「っ、この愚民が!」
不安げに見つめる瞳。
そばにいたいがためだけに、こんな男のそばにいるためだけに、お前は。
「俺の隣以外にお前のいるべき場所はない!」
ならば、俺はその想いに応えよう。
ずっと俺だけを想っていたお前に、俺の隣と想いをやろう。
もう二度と、お前が想いを捨てられずに心を壊すことがない居場所を。
「ありがとう、バロン」

     
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