「まぁま」
くん、と裾を引く小さな手に、要は我に返った。
「どうしたんだい」
小さな体を抱き上げると、少し考えるそぶりを見せてから、なんでもないと首を振った。
ぎゅうと抱きしめると、ぽかぽかと温かい。子供体温にぐりぐりと頭を押し付けると、小さな手が応えるように伸びる。
それすらも可愛くて、要は笑みを零した。
三年前。要は、隆生に番にしてくれと乞うた夜。激しく抱かれた後、ひっそりと寺を抜け出した。
当て所なく彷徨い、辿り着いたのがここだった。家に帰りたくなかったので、住職に頼み込んで置いてもらった。嫌な顔一つせず身元が分からない要を快く受け入れてくれた住職は、要に部屋も一つくれた。
もう戻れなかった。押し込めた本音が、目を覚ました隆生にぶちまけてしまいそうだった。
優しいだけの、運命に従った番なんてごめんだ。虚しいだけだ。
だから、逃げた。胸に抱えた気持ちも押しくるめることも出来なかったから。
しかし、運命とは皮肉なものだ。
隆生の元にはもう戻れない。最後の熱だけを抱えて生きていこう。
そう決めた要を嘲笑うように、三ヶ月後、腹の中に命が宿っていることを知る。
なんで、と責めた。ここにはいない運命の人を呪った。今になって、まるで離れた二人を繋ぐように。
到底受け入れられず、要は住職が目を離した隙に自殺を試みた。
ある時は、首を。
ある時は、手を。
またある時は、心臓を突いて。
けれど、どうしても死ねなかった。
ならばと、飛び降りてみたが、すんでで止められる。住職には引っ叩かれ、母親が子供を愛さなくてどうする。その子供は、一体他に誰に愛されるというんだ、と叱り飛ばされた。
渋々産むことを決めたが、難産の末に漸く要は娘を抱いた。悪阻は相当酷かったし、食べ物はちっとも喉を通らない。子供一人抱えている身で太らなければならないのに日に日に痩せていき、母子共に危険だと念を押され、流すなら今だと医者には説得された。その度に小うるさい住職が蹴飛ばして追い出した。
一日以上も陣痛に耐え、ようやっと産んだ娘である。
要はもう娘を殺せなかった。
隆生の面影を強く受け継ぐ娘を見るたびに心は痛み、もう切れてしまった縁を惜しむばかりだった。
しかし、愛することも出来なかった。
娘が乳離れするようになると、ふらと姿を消しては飛び降りようとする。水面に映った自分をうっそりと眺めながら魂を吸い取られたように飛び込もうとする。
住職はおちおち眠れもしないとカンカンだった。
ちゃんと産んだ。死にそうなくらいの痛みに耐えて、一人で苦しんで。ここまで育てて、乳離れも終えて。
なら、もういいだろう。
要は、決めていた。
名前も付けてあげられない娘の、葦色の目が嫌だった。愛していないわけではない。愛情はある。だからこそ、もう切れてしまった人の子供の顔を見ているのは辛かった。それが、叶わぬ想いと知っているから尚更。
もう自分は用済みだろう。やれるだけのことはした。ここの住職は人がいいし、任せても大丈夫だろう。自分がいなくなっても、まだ小さいのだから母親はいなかったものだと忘れるだろう。
娘を、下ろした。
重たくなっていく体。ぽかぽかと温かい体温。
生まれて、生きて、成長している何よりもの証。
「ここで待ってて」
「まぁま」
「ちょっと、行ってくるね」
帰ってはこないけれど、と心の内で呟いて。
要は娘を置いてふらと歩き出した。
「まぁま」
娘の呼ぶ声がする。不安に駆られる声。
けれど、言いつけ通りちゃんと待っていようとする。
「まぁま」
今にも泣き出しそうな声。
後ろ髪を引かれる思いだった。
それも、自分の願いに掻き消されるのだけれど。
「まぁまっ」
終に、それしか喋ることのなかった娘。
どれだけ言葉を教えても、話しかけても、娘はそれしか喋らなかった。喋ってみて、と言っても、ふるふると首を横に振った。
「まぁま!」
わんわんと、とうとう泣き出した。
だが、要は振り返らなかった。立ち止まることも、また。
決して、しなかった。
     
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