凍土に、光は咲く
 覚えているのは、花が綻ぶような笑顔―――。





「レン……?」
「ランちゃん……」
 瞠られた目。
 しっかりとした身体はすっかり細くなって、数多の女を魅了した雰囲気は引っ込んでいる。
「まま……だぁれ?」
 握られた手には、小さな手。オレンジと金色が混ざったような髪色。瞳は、凍てつくようなブルー。
「大きくなったな……アイツのガキか」
「うん……」
 誰の子供か。なんて、一目瞭然。
 数年前、遠目から見た時は顔も分からなかった。おくるみに抱かれて、小さな存在を守ろうと抱きしめるコイツのほうがずっと気になっていた。行動に移さなかったのは奇妙な罪悪感のせい。
「今はどうしてるんだ」
「実家にいるよ。流石に、オレは働けないからね。兄貴を手伝ってる」
 嘗てはアイドルとして女どもを魅了したコイツも、今ではこの通り。女を両側に侍らせても尚余っていた肩幅は丸くなり、腕なんて細くて筋肉も落ちている。今更アイドルに戻ることなんて出来やしないだろう。よくてタレント程度。
 ふと、小さな子供が不安げに見詰めてきていることに気付く。顔立ちは彫りが深いところなんかはアイツに似ているが、柔和な感じはコイツ譲りだろう。
 しゃがんで目線を合わせる。瞬間、怖がってコイツの後ろに隠れた。性格なんかはまるっきり小さい頃のアイツかもしれない。昔、企画かなんかで見た幼い頃のアイツはどうしてそのまま成長してくれなかったのかというほど可愛らしさに満ち溢れていて。まるでその願いが届いたかのように愛らしさを持っていた。
「俺は黒崎蘭丸」
「らん……?」
「おまえのオヤジとコイツのダチだ」
「おとも、だち……?」
「ああ」
 もっとも、それだけではなかったが。とは、口には出さなかった。アイツの隣で笑うコイツを見た時に、胸に秘めると決めた。一生表に出すつもりない。
 子供は、母親を見上げる。大丈夫、と首肯されると、恐る恐るといったていで、とてとてと歩み寄ってきた。
「ルフレ、です」
「そうか。何歳だ」
「よんさい、です」
「へえ、でかいな。それに、よく言えたな」
 頭を撫でてやると、嬉しそうにしていた。こういう素直なところは、コイツに似ているかもしれない。
 髪質は、多分アイツ似。細くてまとめにくそうで、パラパラしていて。ストレートに下にまっすぐなところ。コイツはくるくる内側にはねる。
 くしゃ、と最後に撫でて目線を合わせる。ケアとかはまだしているのか、ハリとかはあるが、男らしさはなくなってしまった。それは、時が経っていることを暗に示しているようだ。
「久しぶり、だな……アイツの葬式以来か」
「そう、だね……」
「マサトとも連絡はとってないんだな」
「ふふ。もう、アイドルは辞めたからね」
「七海も、心配していた」
「レディとも全然会ってないなぁ……懐かしい」
 遠い昔を懐かしむように、儚くも微笑む。
 自分とは関わりがなくなってしまった、とでもいうような。
「……連絡くらい、しろ」
 やっとのことで、それだけしか言えなかった。
 きっと、コイツの中では遠い過去の出来事なのだろう。そうしたいのだろう。過去を思い出すということは、同時に失くしてしまったものも思いだすということに他ならない。何年時が経とうと、想いは消えないはずだ。それが、夫であったなら尚更。
「うん……でも、オレ、辞めちゃったからね……」
「……バカヤロウ。なんでもいいんだよ。……連絡くらい、欲しいんだよ」
「らん、ちゃん……」
 コイツが辞めた時、一悶着あったことを今でも気にしているのだろうか。いわゆる「デキ婚」というやつで、事務所は付き合っていることすら知らなかった。俺らは知っていたが隠してやることしか出来ず、二人の逢瀬を手伝っていた。
 事務所は猛反対し、堕ろせ、とまで言い出す始末だったが頑なに二人は拒んだ。スターリッシュとカルテットナイトが全面的に擁護し、マサトなんかは実家の力を使おうとした。
 結果、渋々事務所は二人の結婚を認め、ひっそりと式を挙げた。コイツは事務所を辞めて、アイドルも辞めた。
 それでも、二人は夢のような時間を過ごしていた。が、それも長くは続かず。
 悲劇は唐突に訪れる。それも、最悪の形で。
 娘が産まれてすぐのこと。産後間もないコイツの身体を気遣って、一人出かけたアイツを襲った交通事故。飲酒運転のトラックが突っ込み、即死だった。
「ありがと、ランちゃん」
 ふわり。と、あの時と変わらない笑顔。
 俺が、一番好きだった笑顔。
 灰になるまで燃やされる、アイツを見送るやつれたあの顔とは違う。ずっと、心の裏に思い浮かべてきたもの。
「っ、らん、ちゃ……?」
 手を取ったのは、無意識のことだった。すぐに我に帰り、自分の行動を顧みたが、引き下がろうとはまったく思わなかった。寧ろ、決意が固まった。
「レン」
「な、なに?」
「俺と、結婚してくれ」
「……は?」
 途端、レンの声が急激に冷めていくのが分かった。当然だろう。子供一人抱えて精一杯生きているコイツにしてみれば、俺の台詞はバカにしているとしか思えないようなものだ。
 それでも、もう誤魔化せない。
 悪いな、カミュ。お前が悪い。一度は諦めたこの恋を思い出させたのは、お前だ。
「ずっと、好きだった。カミュとお前が付き合う前から」
「なに、いって……」
「守らせろ、とか言うつもりはない。お前は、立派にソイツを守ってるのに、俺にはそんなことは言えねえ。―――けど、お前の残りの人生を隣で歩きたい。もう、アイツに先をとられたくねえ」
 再会した時は、こんなこと言うつもりなかった。でも、儚く笑って、何からも距離をとって変わってしまうレンの、変わらない笑顔を見たらもう止められなかった。
 お前の笑顔の隣で見つめていたい。
「頼む、レン」
 らしくなく、跪いて手を取る。息をのむ音が耳元で聞こえるようだ。
「愛してる」
 まっすぐに、見詰めた先にあるブルーの瞳が見開かれる。
 そして、たおやかな顔立ちに朱が走り、双眸が逸らされた。
「……ここ、公道なんだけど」
「……あ」
 そう言えば。
 いい見世物になっており、観客は拍手喝采、写真まで撮られている。
 この俺が公開プロポーズをしたのか……。一瞬、魂がすっぽ抜けた。
 が、そっと手を握られて我に返る。
「よろしくおねがい、します……」
 恥ずかしげに伏せられた瞳が是を出した瞬間、俺は腕の中に最愛の人を抱きしめていた。










「ママ!パパ!もう朝よ、遅刻しちゃうわよ!」
 眩しい光が差し込むとともに、甲高い声が朝を告げる。
「えっ、ウソッ。わ、ホントだ。ランちゃん、起きてっ」
「……ねみぃ」
「だから言ったでしょ。今日朝早いのに……」
 隣で勢い良く身体を起こして、慌てる姿はなんとも可愛い。そして、昨晩の情事を思い出して言葉に詰まる姿は筆舌に尽くしがたい。
 もう一度、その裸体を暴いてやろうかと身体を起こしかけた時、もう一度甲高い声がキャンキャンと喚いた。
「パパッ、早くお仕事行かなきゃダメでしょ」
「……ああ、分かってる」
 まったく誰に似たのか。あのまま可愛く成長してくれればよかったのに、すっかり小姑になって。アイツの血がそうさせたのか。
「ルフレ、走音は?」
「もう起きて朝ごはん食べてる。パンとサラダとスクランブルエッグと、あとウインナーとベーコンを焼いた」
「ありがとうっ、味噌汁は?」
「スープを作ったわ」
「さすが、ルフレ、ありがとう」
 愛娘にキスを一つして、レンは階下へ下りて行った。
 残されたのは、娘と俺のみ。
 あくびを一つ。仕事に遅れるつもりはないし、レンは起きてしまった。ここにいつまでいても仕方ない。
「もうっ、パパったら。ちゃんと起きてよね」
「わーってる」
 カミュとレンの娘は、案外すんなり俺を受け入れた。曰く、カミュが死んでから意気消沈していたレンが頬を染めて元気になるのを見て、この人なら、と思ったそうだ。
『ママをよろしくおねがいします』
 律儀に、丁寧な可愛げもクソもない台詞を言われたのを今でも覚えている。
『ママと、ルフレを、だろ?』
 頭をくしゃ、と撫でると、何故か顔をくしゃくしゃにして泣き出したのは今でもいい思い出だ。やっぱり今になっても何故泣かれたのかは分からないが。
「パパ、聞いてるのっ」
「ああ、聞いてる。おはよ、ルフレ」
「……おはよ」
 悔しげに睨んでくるところは、アイツにソックリでおかしくてならない。だが、可愛いのだからそれもまた面白い。
 着換えてリビングに下りると、レンが甲斐甲斐しく四歳になったばかりの子供の世話をしていた。
「もう、走音っ。零してるよ」
 うとうととしながらスープを一生懸命飲もうとしているが、口の端から次々と零れているそばから拭き取っていた。どこか慈愛に満ちており、だからやめないのだと思う。
「こら、走音。ちゃんと起きて食べなさい」
 十代も後半に差し掛かった娘が、弟を見咎めてプリプリ腹を立てた。
 口を開けば「愚民」呼ばわりだったアイツからどうやったらこんな怒る姿も可愛い娘が産まれるのか、今でも不思議だ。やはり、レンの血が大きいのだろうか。
「うーねえちゃ」
「走音もお兄ちゃんになるのに……」
「いいよ、ルフレ。もうちょっと、弟でいても。ルフレも、ね?」
「わ、私はいいの!」
 パタパタと二階に上がってしまう娘を見届けて、息子の正面に座る。今では家事もこなしてしまう娘は、親離れが早くて少し寂しい。
 食事を終えると、レンは未だ走音にかかりきりだった。可愛いのは分かるが、腹に子供がいるのにまだ甘やかしていたらギャップについていけなくなるのではないか、と心配している。元来、レンは甘やかしだから余計に。
「走音、食べるときはちゃんと食べろ」
「あい」
 俺が一言言えば、ちゃんと目を開けてご飯を口にする。だが、俺が言わなければしないような子供でもあるということなので、内心は複雑である。一家の大黒柱としてはいいんだろうが、母親としてはどうなのだろうと一瞥すると、ちょっとだけしょんぼりとしていた。
 仕方ない。レンが甘やかすからなのだが。
 横顔に、キスを落とす。
「レン」
「ランちゃん、子供の前で……」
「どうせすぐソイツが出てきてこんな時間もなくなる」
「だけど」
 つべこべ言う口を塞いだ。
 小難しいことばかり考えて、結局空周りばかりしているんだといつになったら気付くのだろうか。気付かなくていい、と思うと同時に、そこが腹立たしくも思う。
「……少しは俺も構えっつーんだ」
「え?」
「別に」
「パパー!ママー!イチャついてないで早く準備しちゃってよ!」
「あ、ああ……」
「もう、ランちゃん早くっ」
 準備を済ませた娘に邪魔され、レンは離れていってしまった。名残惜しく思いつつも、時間はなかったので、仕事に行くことにした。
「あ、ランちゃん」
 玄関にパタパタとレンが駆け寄ってくる。
 何か忘れ物でもしただろうか、と思っていると、そのまま頬にキスが一つ。
「待ってる。いってらっしゃい」
 真っ赤に染まった顔が、またパタパタと離れていく。
「……不意打ちだろ」
 これじゃ、仕事なんて行けねえよ。
「パーパー!はーやーくー」
 蹲った俺を、娘がバシバシ叩いて急かした。
     
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