閣下とゆかいな仲間たち
「ああああああああああああもうバカ! なんでそうなっちゃうの! もうバカ! バカ! バカバカバカ!」
 男は、頭を抱えた。
 大きな声でいきなり喚き出したものだから他の人間も気になって、男の見ていた画面を目で追った。そして見てしまったことを後悔した。誰しもが男と同じく頭を抱え、覗き込んでいた画面から全力で目を逸らした。
 画面の中ではひとつのスレッドが動いていた。所謂スレ主と呼ばれる人物(この場合は刀剣男士を指す)すでに退席しており、代わりにスレッドで情報を共有していたものたちが阿鼻叫喚、スレ主を案じる声が絶えずにいる。
 ゲートを開ける。
 スレ主の最後の書き込みだった。
 もう一度見る。なんてしたくない。そんな勇気もない。
 嘘でしょ。なんで。やだ。待って。
 脳裡では責任問題やら本霊の怒りやら審神者からのクレームやら対応について云々かんぬん。とるものもとらず逃げ出したいが、なにぶん人間というものには良心というものが備わっているもので。その決して大きくはない良心がチクチクと罪悪感を訴えて来て。後手に回ってしまっている現状からもそれは顕著だった。
 逃げ出したい。猛烈に。だが、足を縫いとめるのは自分自身であるという始末。
 同じく画面を覗き込んでしまった上司は天を仰いだ。もはや神はいない。自分達が扱うものをぶん投げて一人ごちた。
 分かっている。これは政府のすべての人間の責任だ。担当部署ではないと逃げられない。
 敵と拮抗している、もしくは政府がおしていると考えていた。審神者と刀剣男士の力があれば、今後歴史修正主義者を完全に倒すことが出来ると。誰しもがそう思っていた。
 甘かった。敵はこちらの隙をつき、政府内部どころか審神者にまで魔手をのばしていたのだ。丁寧に種をまき、芽吹かせ、水をやり、そして今それが花開こうとしている。
 見ないふりをすることは出来る。簡単だ。口を閉ざせばいい。しかしこれは、ひいては政府の敗北に繋がる。何故なら、まかれた種がひとつであるはずがないのだ。おそらくこの本丸はプロトタイプ。上手くいけば儲けもの。上手くいかずとも今後他の花を開かせればいい。試験的に実行に移し、徐々に改良を重ね、やがては政府を打ち滅ぼす腹積もりだろう。
 それだけは避けたい。この戦いの勝利のために。そして、彼らのためにも。
 部署全員一丸となって、休暇中の職員や他部署の人間まで呼び出して解決しようとした矢先のことだった。
 ぐったりと項垂れる。もう政府のせいってことでいいじゃん。政府の落ち度ということにしてたくさん叱られて責任問題にして首とばされればいい。だって頑張った。でも無理なのだ。どう足掻いても改善できる見込みがない。無理だ。
 裏腹に、逃げてはいけないという思いがあった。それに多分逃げられない。
 しかしもう手におえないのだ。二進も三進もいかず、部署は宛ら葬式の最中かというほど暗い雰囲気に包まれていた。
 暗い葬列の中を一人掻き分ける男がいた。
 ひょっこりと部署へ顔を覗かせた男は、重苦しい雰囲気にぎょっと身を引いて、そろりそろりと足を踏み入れる。心なしか忍び足になっているのは仕方ないことだろう。
 人ごみを掻き分け、件のデスクの前に立つ。誰一人として自分に気付かないことに違和感を抱きながら恐らくは原因であろう画面の中を覗き込む。
 さらっと流し読んで、頷く。なるほど。処刑日を目前に控えた顔をそろいもそろってしていた理由がわかった。裸足で逃げ出したい顔にもなるだろう。
 彼は、逡巡する。しかしながら、ひとつ気付いていないようだ。目の前の事態に、普段は一際冷静な課長ですら同じ表情だ。リアルタイムで見ていなかったからというのもひとつの理由かもしれない。
「これ。向こうから開けてくれるってことは敵もわんさか乗り込んでくるだろうけど、私たちも突入出来るってことじゃないかな? 向こうがゲートを閉め切っていたら調査どころじゃないけど開けてくれるんだろう? ならこちらから接触も出来るんじゃないかな」
 男の声に、部署にいた人間全員が顔を上げる。しんと静まり返った中に思考が働き出す音が少しずつ聞こえてくるようだった。やがてそれは表情にも出て来て、腰を浮かせ始める。
 部長はそっと耳をおさえた。
「それだーっ!」
 部署どころか、建物全体に響き渡るほどの声が向けられるまで間もなくのことである。
 それは部署の人間全員の、あの課長も含まれたものだった。
 ちなみに耳を塞いでもうるさかったので、この部署の部長である男は静かにしようねと小言を与えたのだった。
 


 ゲートの前に集うのは、この本丸の刀剣男士。総勢五十を越える彼らがひとところに集まれば圧巻だった。
 彼らの目には決意が宿る。なかでも、一歩前に進み出た男は色濃く持っていた。
「私にお任せを」
 粟田口長兄一期一振は、反論の余地を許さなかった。嘗ての主を思わせる金色の双眸には、自身が記憶を失った炎がゆらりと映されていた。
 決然とした声音に、息を飲む間もなく進み出る影はもうひとつ。
「俺にかかればこのくらい容易いな。驚くまでもないぜ」
「鶴丸殿」
 五条の一振り鶴丸国永は責めるような視線を受けて、挑発的に笑った。真っ白な戦装束がどこか映えるようだった。
「これは私が始めた戦。貴殿がかぶる必要はございません」
「なんだ君。負け戦にでも出ようってか。やめとけやめとけ。なーに太閤の一振りが弱気になってんだ。そんなんじゃ君、弟たちにだって行かせてもらえないぜ」
「鶴丸殿っ……叔父上」
 食い下がろうとした一期の肩に手を置いたのは、同じく粟田口同派の鳴狐。刀工国吉に打たれた唯一の刀は表情の読めない顔で見詰める。
「行かせない」
 一言。ただ一言が重い。
 茶目っ気混じりに狐を象った指先が、ちょこんと一期の鼻を突いた。
 なおも言い募ろうとしたが、言葉が浮かんでは喉元で留まってしまう。自分が正しく間違ってないはずなのに、どうしてか間違えているような気がしてならなかった。
「いち兄。俺っち達も行くぜ」
「薬研」
「そうだぜ! 俺の極めた力を見せてやるってんだ! な、厚」
「もっちろんだぜ。ま、鯰尾兄の活躍はないけどな」
「なんだとー!」
「鯰尾、厚」
 修行の旅へと出て行き、強さを極めた弟たちが頼もしくもあった。
 しかし。一期は首を縦に振らなかった。目を伏せ、優しげな顔を消す。
「おまえたち。聞きなさい。……おまえたちだけは行かせない。絶対に」
 たとえ、鳴狐が許しても。
 弟たちは目を瞠り、声をそろえて反駁する。口々に言い募るそれらを真正面から受けとめ、しかしながら決して意見を変えなかった。
 自分達を侮っているのか。兄よりも強い。何を言われようとも。
「頼む」
「そりゃずるいぜ、いち兄……」
 弟の非難に、反論はしなかった。
 いつもは優しい兄で、時に厳しいこともあるけれども弟たちは強いとその実力を認めてくれていた。審神者が躊躇ったときには弟にお任せあれと、粟田口の誇りを口遊むような一振りだった。
 その兄が己の私情だけで頭を垂れたのだ。弟を行かせたくない。ただそれだけのために。弟が強いと誇り、信じた兄が。
 何も言えなかった。弟たちは悔しげに唇を噛み、いっそ憎めればどんなに楽かというほどに睨み据える。
 まったくしょうがない男だ。もっともらしく説得したり、感動の場面なんていくらでも作れたろうに。バカ正直に話して頭を下げる阿呆がどこにいる。
 そういうところが嫌いではないんだよなぁ。鶴丸はほくそ笑んだ。
「つーるさん!」
「お、貞坊」
「アンタも他人事じゃないぜ」
 なに、と言いかけて思い至る。何故この同胞がこちら側にいるのだ、と。
 鶴丸の胸裏など掌中のうち。とでも言うように、にぃっと笑う。
「止めてくれるなよ?」
「おい、貞坊」
「俺が鶴さんを見てないと。な?」
「……………貞坊」
「ははっ! 降参だな?」
 絞り出すような声に完全勝利を確信した太鼓鐘貞宗は、小気味いい笑顔で鶴丸の背中をバシバシ叩いた。痛みに喘ぐ気も起きなかった。
 少し離れた位置、足止め部隊に名乗り出なかった面々より後ろの方から短い息が漏れる。
 気だるげな雰囲気を漂わせつつ両脇の小さな頭を撫でる男は、明石国行。
「うちも行かせてもらいます」
「国行?」
 やる気がないことを宣言する彼の珍しい行動に、愛染は目を瞠った。もう一人の同胞もくりくりとした目を見開いていた。
「国俊は来たらあかんで」
「っんでだよ!」
「当然やろ」
 にべもなく、頭に置いていた手は離れていく。
 追いすがろうとする愛染を振り返ることもなく、明石はゲート前へと行く。
 保護者気取りも大概にしろよ。やる気ないとか言って、すぐ保護者面して一番めんどくさいことをするくせに。内番も戦もめんどくさいってやる気ないくせに。なんでこんな時だけ。
 修行して強くなったのに。まだ俺は保護対象? 一緒に戦えないのか?
 悔しさで、じんわりと涙まで出てくる。こんなときばっかり!
 何か言ってやりたい。ふざけんなとか、バカヤローとか。気を付けてなんて言ってたまるか!
 でも、言えない。言いたいのに。たくさん言ってやりたいことがあるのに。
 蛍丸はじっと愛染を見詰めていたが、稍あって明石を見詰める。もう一度愛染を見たかと思うと、離れていく背中を追いかけた。
「蛍」
「俺は国俊じゃないもん」
「あかんて」
「じゃあ国行も戻る?」
「蛍」
 横に並んだ小さな同胞は、丸い目を向ける。キラキラと、曇りない双眸が明石の痛いところを突く準備をしていた。
「きかないよ」
 ほぅら。明石は嘆息した。
 ともすれば、愛染より聞き分けの悪い小さな怪獣は明石の言うことなんて知ったこっちゃないと言う。
 どう説得したものか。思考を巡らせて、そう経たずにやめた。無駄だ。
 それに嬉しかったのだ。一人で背負いこむつもりだったけれど、蛍丸が一緒に来てくれて嬉しかった。愛染や蛍丸に看取られず、虚しく折れて還ることも片隅にはあった。蛍丸はそういうところも含めて来てくれたのだろう。たとえ、自分が看取ることになったとしても。
「蛍。離れたらあかんで」
 もうその時点で負けなのだと、明石国行は悟ったふりをした。
 ちっくしょう。愛染は歯噛みした。ぐぬぬ、と二人の背中を睨む。
 ぴょーんと飛び出す。
「出順したいやつら! この指とーまれ!」
「国俊っ?」
「あーらら」
「うっせぇ! 国行の言うことなんて知るか!」
 そっちが勝手にするならこっちだって勝手にしてやるのだ。
 反面、明石は蒼褪める。
 自分達よりもよっぽど危険な任務だ。敵陣のまっただなかを突っ切るのだ。足止めの非ではない。
 なんなら今すぐ変わ……いや、足止めも危険だ。なら残ってもらわねば。
 諫めようとしたその時、一匹竜がその指をとった。
「光忠、おまえは残れ」
「……オーケイ。任せて」
 燭台切は引き留めることもなく、あっさり頷く。
 大倶利伽羅は一瞥だけ寄越すと、ふいと視線を外した。
「俺も行くぜぇ」
 ひっく。甘酒とともに来たのは、不動行光。その手はちゃんと指をとった。
「に、兄様。兄様! 行って! 行ってください!」
「……仕方ありませんね」
 宗三左文字は、未だ晴れやらぬ心の中で安堵の息をつく。
 弟の複雑そうな顔を目の当たりにして、その気持ちが分からなくもなかった。
 戦は嫌いだ。争いなどなければいい。けれど、主がいない方が嫌だ。主は大事だ。そのためならば、戦いだろうと争いだろうと。その道が殺生を行くとしても。迷うことはなかった。
 宗三は物分りがよすぎる。本当は行きたいのだろうに。行けばいいのに。小夜を守らなければと重石を乗せてしまっている。おまけに自分が強くない、守れるほどに強くないとも思っていて江雪にお願いするのだ。普段は滅多に願い事なんてしないあの弟が。
 あなたは思っているほど強くないなんてことはないのですよ。
 私はたしかにあなたに守られて、和睦の道を歩んでいるのです。
 言葉にはせず、そっと愛染の手をとった。いつか伝わればいいと思う。伝わらなくてもいいと思う。弟たちと歩む道はこの先も等しく続くのだからそれでいい。

「別にいいのによ……」
 小さくこぼされた言葉に、江雪は淡く微笑む。
 なるほど。あのひねくれた弟が構いたくなるのが分かる気がする。一番下の弟と違って感情豊かで、構ってくれるなというくせに構ってほしそうにこちらを見る。今だって宗三が案じてくれることに、嬉しさを隠せないでいる。
 どれもみな可愛い弟のようなものなのかもしれない。
「おやおや。みんな感動の別れだねぇ。僕も情熱的にねっとりと別れて見せたいよね」
 やれやれ。青江派の一振りは、にっかりと笑った。
「行くのですか」
「もちろん」
 君の出番はないよ。兄のような、けれど兄ではないような同胞へ言い捨てる。
 閉じた目の先で何を考えているか分からないような男は、何も言わなかった。
「私もぬしさまをお救いしたいので仲間にいれてくだされ」
「おお、小狐や。俺はかすていらでよいぞ」
「がんばるんだよ」
「連れ帰って来られなかったら分かってますね?」
「無事で戻れよ」
「おぬしらはもっと他の者たちを見習え」
 三条の一振り、小狐丸はむっと眉を顰めた。
 どこもかしこも愁嘆場を演じているのに、まったく同じはらからながら空気が読めない。三日月にいたっては旅行気分か。
 はらからのせいで恥ずかしい気持ちに見送られながら、最後の一人となった。
「さて。第二陣は誰が行く?」
 と言いつつ、へし切長谷部は自ら参戦する気満々だった。他の部隊に入らなかったのは、この本丸を支えることを第一としていたからであって第二ともなれば出陣していいだろうという腹積もりである。本当ならば救出部隊に入りたかった。速い馬でいの一番に助けだし、一番の側近になりたかった。
 が、主の刀としてワガママを言っている場合ではないことは百も承知。行きたい欲望をぐっと飲み込んでいたのだ。
「我が黒田の姫が行くっていうなら、俺が出ねぇわけにはいかねぇだろ」
「姫言うな。安心しろ、貴様は既に入っている」
「おお、おお。こりゃ信頼していただいてなによりってか」
「阿呆」
 長谷部に続いたのは、日本号だった。
 どうにもこの黒田の槍は長谷部をお殿様の刀と面倒を見たがる節があり、迷惑なことこの上なかった。正三位だなんだとえばりくさって、姫だなんだと傅く。ああ面倒くさい!
 仕方なく、あくまでも仕方なく加わることを不承不承に承諾してやり、他の面々を見遣る。
「ふん。天下五剣の名が泣くな。誰一人として手を挙げないとは。ならば、俺が行くしかあるまい!」
 例の如く尊大に言い放った兄弟分を、鶯丸は少しだけ驚いたように見ていた。振り返ることのない同胞に束の間目を奪われ、やがてふと笑う。
「迷子になるなよ」
「誰がなるか!」
 大包平は、吠えた。
 振り向くと、兄弟分は微笑を浮かべて見ていた。少しだけ目を瞠る。
 やはり兄弟分と言うべきか。そこに宿るものが分かってしまう。口数が少なく、自分をからかうことにしかやる気を出さない男だけれど。
 ふんと鼻で笑う。拳が合わさった。
「行って来い」
「ああ。吉報を待てよ」
「ま、行くとはまだ決まってないがな」
「黙ってろ、鶯丸!」
 せっかくいいかんじで終われたのに台無しだ!
「おまえ静かに来れないのか」
「鶯丸に言え!」
 しっかり長谷部にも呆れられながら、大包平は堂々と加わった。
 その後に続き、一塊から意気揚々と手を挙げる一振り。
「はいはーい! 僕も行きまーす!」
「おっしゃ。いっちょ男見せて来い。国広!」
「おまえなら簡単だろう」
「ま、俺たちがちゃーんととどめておくから頑張ってよね」
「おまえは休んどけば? 僕だけで十分だよ」
「はぁっ? 俺だけで十分だし!」
「兄弟……」
「うむ。無事の帰還を待っているぞ!」
 同派や兄弟分は感動の別れもなく、さりとてあっさりとしてるわけでもなく。背中を押していく。
 堀川国広はひとつひとつに丁寧にこたえてから、軽い足取りで続いた。
「huhuhu。私の出番デスね」
「村正」
「心配しないでクダサイ」
「おまえ、遠足じゃないんだぞ」
「アナタが私をどう思っているかよくわかりマシタ」
 千子村正はちょっとだけ真顔になって、別方向にかっとんだ同派の男に背を向けた。
「村正……脱ぐなよ」
「アナタちょっとは心配してクダサイ」
 村正は、真顔で背を向けた。
 何言ってるんだアイツ、と蜻蛉切は後ろ姿を見送る。
 ここで折れようが生きようが心配などしていなかった。村正はやりたいようにやる男だ。ならばその死すらも本望というものだろう。
 心配なのは、主と再会出来た喜びで脱がないかどうか。それだけだ。
 残り一振り。誰が行くか、視線と視線が交錯する。
 小夜左文字は、誰も進み出ないのを見て次兄に背を向けた。
「小夜」
 縋るような声音に、振り返る。
 その目は、同じ色をしていた。だけど縋られてやるわけにはいかなかった。
「兄様」
 知っている。この兄が自分のために残ってくれたということ。本当なら救出部隊に入りたかったはずなのに、弟を守らなければと長兄に託したことを。小夜の行動はそれを無碍にしている。
「行くよ。僕は」
 意志はかたく、説得を試みても徒労に終わるだろう。
 宗三はきゅっと唇を噛み、弟の顔をじっと見つめた。
 行かないで。
 言わなかった。弟はもう振り返らない。
 長兄を見遣る。止める気はないようだ。視線だけで送り出している。
 これを強くなったと言っていいのだろうか。弟を死地へ送り出し引き留めもしないことが。
 けれど、あの兄ですらたえているのだと思うと出来なかった。
「みんなーがんばってねー! でないと、俺ら出陣すっからな」
「な、鯰尾っ?」
「不甲斐ない成果出すんならとーぜんだろ、いち兄」
「うっ……」
「一本とられたね」

 足止め部隊
 一期一振、鶴丸国永、明石国行、鳴狐、太鼓鐘貞宗、蛍丸 捜索、救出部隊
 愛染国俊、不動行光、にっかり青江、大倶利伽羅、小狐丸、江雪左文字
 捜索、救出第二部隊
 へし切長谷部、千子村正、大包平、堀川国広、小夜左文字、日本号

 そして、見習いの周囲には平野藤四郎率いる短刀を主とした面々が囲んでいた。




 その男は、突然にやってきた。
 否。突然というには語弊がある。男はたしかに呼ばれてきたのだから。
 男が姿を現すと悲鳴やらなにやらが響き渡った。よそから注意をちょうだいすること二度目。
 特に、件のスレッドを発見した雨四光はあんぐりと顎を落とした。
「閣下! なんでこんなところにいるんすか!」
「呼ばれた」
「はぁああああっ? アンタが? なんでホイホイ来てんの?」
「手が空いていたから来たまでだ。それに国を揺るがす事態を前にして、手を空けないわけがなかろう」
 男は、冷たい印象を受ける容貌をしていた。二つの目は物事を容易く見抜くようで、目の前に立てば真贋すらも手中におさめられるだろう。黒い軍服はおそらくは正装と呼ばれるものの類で、長い足、手、美しい姿勢にふさわしい。
 冷たい印象を与える顔立ちを変える風もない視線を受け、雨四光はがっくりと項垂れた。その矛先は部長へ向けられる。
「なんでこの人呼んでるんですか! ていうか、なんでこの人を呼びだせるんですか!」
「おまえがここに入った時に閣下直々に挨拶に来てくれたからな。よかったじゃないか、愛されているぞ」
「閣下ァアアアアアアッ!」
「弟子の上司に挨拶をするのは当然だろう」
「アンタはそういう立場じゃねーだろって言ってんだよ!」
 ああ言えばこう言う。頭痛の種がひとつひとつ増えていく。部署の人間も遠巻きに見ることしか出来ずにいる。
 雨四光は、大仰に息をついた。
 閣下と呼ばれる男は真実爵位を賜っている身分だ。王族に名を連ねている。公爵位を賜りながらも歴史修正主義者との戦いに貢献し、政府の中でも絶大な権勢をふるっている。つまりおいそれと見えることなどかなわない雲の上の人なのである。
 賜った名は、出身地から平鷹。もしくは、段幽。
 雨四光は公の弟子だ。といっても、雨四光自身はいたって普通の人間である。しがない官公人だ。祖父の知り合いで師事を受けることになったが、その祖父も一般人だ。どこでどう知り合ったのか、謎は未だに解明されていない。当初は身分を知らなかったために師匠と呼び、懐いていたが、月とすっぽんほども違う身分の差に白目をむいてぶっ倒れた。
 じいさん、なんでそんな人を紹介してくれたんだ。
 そんな記憶も今や懐かし……くはない。つい昨日のことのように頻繁に思い出している。
「おまえ、私がつけてやった名はどうした」
「あんな名前やですよ」
「せっかく考えたのに……」
「それより公おひとりですか? もっと応援呼んでいると思ったんで……………まさかあの人達呼んでないでしょうね」
「どの人達か分からないが、知り合いは呼んである」
「うわぁあああああああああ」
 何故なら、公はその美しい見目に反し、やることなすこと突拍子がないのだ。
 彼の従える刀剣男士が苦笑しているのが、公の後ろから丸見えだ。諦めろ、という顔をしているのが幾振りか。
 悟った。呼びやがった。
 一瞬飛ばしかけた意識をぐわしっとすんでで掴み取る。
 何度この人の突拍子もないトンデモ行動に振り回されたか数知れない。そのたびに泡吹いて倒れているのだ。懐かしがれるわけがない。
「アホですか! あの人達も暇じゃないんですよ? そんなホイホイ呼べるような人じゃないんですよ」
「快く了承してくれたが」
「そらアンタに頼まれたらね!」
「なら今から断りの連絡を」
「閣下! コイツの言うことはきかなくていいんで!」
「そうか」
「そうかじゃねぇえええ!」
 公の刀剣たちは、気苦労が絶えないなとか、放っておけばいいのに貧乏くじを引きたがるやつだなとか。口々に言い募るのに助けを寄越す気はさらさらなかった。ひどい。
 刀剣たちにしてみれば慣れたもので、公の唯一の弟子といってもいい雨四光が毎度会う度公の無茶ぶりを阻止しようと尽力しては呆気なく散る様を目にしているので今更だ。自分本位な節のある神の末端である自身たちをしのぐ人間に人道を説くことは、もはや彼らの辞書には記載されていない。そんなもの削除だ削除。
 そして、泣く泣く公に連れられ場所を移す。
 向かったのは、地下の一室。ここは本丸とを結ぶゲートである。同じものは地上にもある。こちらを使うことは滅多にない。
 緊急ゲートを、許可だのなんだのめんどくさい手続きをふっとばして使えるのは公がいるからだ。おまけに解析班やゲートを扱う部署の本職たちの選りすぐりが待機しており、現在向こうとこちらを繋ぐための準備に入っている。たった一人の審神者とその本丸のためだけに。
 ともすれば、件の審神者は運がいいのかもしれない。公を引っ張り出してみせたのだから。本人からしたら二度とごめんだろうが。
 部屋の中には数人の審神者と、彼らの付喪神たちが待ち構えていた。
 やっぱり来たのか。雨四光はげっそりとした。急な呼び出しにも関わらず勢ぞろいしていた。
「丼愛好会の方々です」
 公に代わり、雨四光が紹介する。
「左から、ご老人がカツ丼、女性が天丼、まんなかは……あれ誰だ? ……オホン。その隣の男性が豚丼、最後に一番右の女性が牛丼です」
 部長は目を瞬かせ、
「ふざけてる?」
「マジです。審神者としての名前です」
「マジか。いや待て。めっちゃ聞いたことある気がしてきた」
「でしょうね」
 徐々に顔を蒼褪めさせた。
 こうなると思ったから止めたのだ。
 彼らはいずれも歴戦のつわものたちだ。
 カツ丼は老齢ではあるが、審神者としての活躍はめざましく政府でも一目を置かれている。
 天丼は若い女性だ。本丸も引き継いだものではあるが、祖父やそのまた祖父からであり、審神者を代々輩出しているサラブレッド。戦績も彼女へ変わってから落ちることなく、こちらもまた政府のおぼえがめでたい。
 豚丼は若い男性だ。天丼よりも少し年嵩である。彼はれっきとした審神者でありつつも、自らも戦場に立ち敵を屠る所謂戦闘系審神者と言われるもので、その実力は神である刀剣たちに勝るとも劣らない。
 その隣に並ぶ牛丼も同じだ。但し、二人は物凄く仲が悪い。会う度に喧嘩をしている。彼らの刀剣男士たち同士はそう仲は悪くないのだが。ちなみに、今現在こちらのことなどおかまいなしに喧嘩の真っ最中である。ここにラブがあればどれだけよかったか、とは彼らの友人の言である。
 丼愛好会とは。
 事の発端は公である。丼ごはんを食べたことがないと知ったカツ丼によって発足された、公へおすすめ丼をプレゼンするだけの会だ。後に初代天丼が入り、豚丼と牛丼が入った。
 まだ雨四光が公に師事を受けていた頃、賭け麻雀に連れて行かれた。勝ったら自分のおすすめ丼を全員に食べさせることが出来、負ければおすすめ丼を食べなければならない。
 ちなみに、公は三色ごはんと答えたらしいが丼ではないと却下されたらしい。うどん、スペシャル丼と悉く棄却されたので未だに活動は続いている。
「あ、公の秘書は海鮮丼です」
「マジか」
 細君はヘルシー丼、息女はうな重だということは言わなかった。
 一人顔も知らないものを見遣る。フードをかぶっているため顔どころか性別も分からない。本人も知られたくないからかうつむきがちだ。
 はて。新しく入ったメンバーだろうかと首を傾げていると公が紹介する。
「あの御仁は親子丼だ」
「やっぱり丼なんすね」
「なぜ親子丼はいいんだろうか」
「めちゃめちゃ丼じゃないすか」
「三色ごはんも丼に入っているだろう。三色丼とも言うし」
「俺に言われても知りませんよ」
 む。公は眉根を寄せた。そんなアホなことで悩むなら、この面々を呼び寄せることに悩んでほしかった。
 丼愛好会は行方不明の審神者捜索と救出へと向かうらしい。
 そして、公と雨四光。それからもう一人が本丸へ乗り込むと説明を受ける。このもう一人も公の知人のようだ。
 彼らは全員一部隊ずつ引き連れて来た。もしもの場合を考慮し、本丸を守る手も必要と考えての判断だ。公をのぞいて。
 公は本丸を持っていない。出陣を出来ないから意味がないと、こちらへ居をかまえている。細君や息女も守られているためその必要がない。
 そのため、公は全員を引き連れていた。いつも全員を引き連れぞろぞろ歩いているので見慣れた光景ではあるが、一部隊ずつしか引き連れなかった面々と比べ、軍服を纏った付喪神が全部隊そろっているのは圧巻の一言である。
 集ったつわものたちを前に、感嘆の息を漏らす。
 負ける気がしない。
 審神者も本丸も大丈夫だ。知らず、希望の光が一筋。
 ゲートは、まだ開かない。




 ゲートの前に立つのは、足どめ部隊。
 救出部隊は少し後ろで馬に跨っていた。
 第二部隊は待機メンバーとともに更に後ろで待つ。
 ゲートを操作するのは加州清光。
 今正に、ゲートは開かれようとしていた。
 全員抜刀し、その瞬間を今か今かと待ち構えていた。足どめ部隊は本体の調子を念入りに確認し、しかしその鋭い眼光はゲートに注がれている。「んじゃ。気を付けて、ってのもおかしいけど。いってらっしゃい」
 頼んだよ。
 僅かな光とともに、ゲートは開く。
 足どめ部隊は本体を構え、襲いくるであろう敵を睨み据えた。第二部隊含む待機メンバーも漏れ出た敵を屠る役目がある。
 救出部隊は、その瞬間馬の腹を蹴った。嘶きがあがる。馬は駆け、ゲートへ突っ込む。瞬きの間にゲートの向こうへ飛び込んで行った。
「全軍、進撃せよ!」
 足どめ部隊隊長一期一振は、刀を天高く掲げた。
 雄叫びがあがる。
 禍々しい気を放つ敵が、ゲートの向こう側から現れる。一、二、三……。
 予想通り。敵は数えきれないほど大勢引き連れてきた。全員殺す気だ。
 本丸へ先陣を切った敵は、しかしながら足を踏み入れたその瞬間に地響きのごとく唸りをあげ風塵へと帰した。
「おやまぁ。余裕があるようで」
 にこやかに言い捨てるのは、隊長一期一振。
 鶴丸はひゅうと口笛を吹いた。
「ははっ。おまえに言われちゃそいつも驚きだろうよ!」
「年甲斐もなくはしゃいでしまってお恥ずかしいかぎりです」
 思ってもいないことを、と心の裡で毒づく。
 目が笑っていないぞとつっこんだところで、光が失われるだけだ。
 あいつは若いからなぁ。年寄めいたことを言うようだが、はやる気持ちをおさえきれずにまず首をかっ飛ばしたのがその証だ。
「ま、俺も腹にすえかねているものがあるんでね。三日月には負けるが年寄の働きを見せようじゃないか!」
 横に、一閃。刀を払う。瞳孔は開き、口元はゆかいゆかいと歪められる。
 笑っていないのは一期と五十歩百歩だ、と太鼓鐘は呟く。
 もっとも見た目は大人、中身は子どもな二人と違って、太鼓鐘は自分をいうものをよく分かっているつもりだ。
「分かってんだろ。俺がブチギレてることくらいよぉっ!」
 小さいと、油断してかかってきた敵を脳天から刺す。
 自分を分かっていない二人と比べて、太鼓鐘はよく分かっているつもりだ。敵をぶち殺したくてたまらない己の本分というものを。
「俺とそうたいして変わらないじゃないか」
 こりゃ驚きだ。鶴丸は一人ごちた。
 それにしても、とゲートを見遣る。
 敵は際限なく押し寄せる。嫌な方向で予想が当たってしまった。
 これでは救出部隊が戻るのが先か、こちらが全滅するのが先か。
 こんなことなら主を逃がすんじゃなかった。舌打ちを溢す。胸あたりを刺し、もう一度刺す。刃向ってくる前に蹴り飛ばして抜いた。
 不安が渦巻く。胸の裡にかかる靄を取っ払う間もなく敵は襲いくる。こちらの気持ちの問題など待ってはくれない。
 こんなことなら救出部隊に混ざればよかった。一人ごちる。
 が、どうせすべての責任をおっかぶって一人折れようだなんて考えてる男を放っておけるはずがなく。無駄に年だけは食っているので仲間のそんな心情に気付かないわけもなく。無駄な思考にすぎないのだ。
「早く戻れよ」
 祈りに過ぎない。神の末端に座す身でありながら、誰へ祈ると言うのか。けれど、祈る。
 救出部隊へ後を託し、目の前の敵に集中する。八つ当たっている自覚はある。
 一方、救出部隊は愛染を先頭に敵陣のまっただなかを突っ込んでいた。こちらも嫌な予感がぶち当たり、ゲートの向こう側には敵が犇めいていた。
 次々と押し寄せる敵をいちいち相手などしていられない。襲いかかってこようとするものを馬で蹴飛ばし、刀で薙ぎ払う。
 先陣を行くのは、愛染。その後ろを青江と大倶利伽羅がかためた。さらに後ろには不動と、両脇には江雪と小狐丸。
 なるだけ速く進んでもらうために露払いは短刀以外が請け負う。短刀は機動優先。他の面々はなんとか追いつきながらも防衛に徹する。なるべく戦闘は行わない。あくまでも防御のみ。
 敵陣のまっただなか。真っ暗なゲートの中を駆る。徐々に馬は加速し、転げ落ちないように手綱を握るだけでせいいっぱいだ。
 主。
 主。
 心の裡で呼びかけた。
 どんな姿でもいい。生きていてくれ。死なないでいてくれ。
 たとえ、同胞が折れても。ただひとり付き従った同胞よ、折れてでも守ってくれ。
 呼びかけにこたえはない。
 どこにいるかなんてわからない。気配を探ることも出来ない。ただひたすらに主だけを思って駆ける。道はあると、己に言い聞かせて。
 そして、
「ウォルァアアアアアアッ!」
 光は、射す。




『ゲート開きました!』
 そのときは、ついにやって来た。
「おっしゃ、行くぞ。おまえらーっ!」
「うぉおおおおお!」
「なんであの人たち今円陣組んでるんですか」
 救出隊は、円陣を組む。
 少し離れた位置から冷静につっこむのは、雨四光。横に立つ公も感情のない目で見遣る。
 自身の初期刀は、と見ると耳を塞いでいた。最初からそうすればよかったと己も倣う。残念ながら僅かに聞こえてきたが。
『システムオールグリーン。行けます!』
 その合間にも管制室の向こうでは準備を怠っていなかった。が、円陣もやまなかった。 
 いったいどうするのか。声をかけた方がいいのか。迷った末、躊躇する。お近づきになりたくない。
 ふと、隣から物凄い勢いで駆け抜ける。慌てて目で追うと、公が猛スピードで走っていた。
 あの人走れたんだ、と斜め上の感想を抱きながらぼけっと見る。めっちゃ速い。
 あ、と思う間もなかった。
 光り始めたゲートの前に円陣を組む一向へ、地を蹴り、高く跳び、
「さっさと行け」
 おみ足を背中へとめり込ませる。
 一瞬のことだった。
「いっでぇええええええええ!」
 寸前で気付いたカツ丼はひらりとよけ、ついでに天丼を抱きこんで救出。その見事な手腕に拍手をする。
 着地と同時に親子丼の手を掴み、くるりと背を向けた。
「覚えてろぉおおおおおおお!」
 背後で、不穏な叫びがあがっていた。
「私たちも行こうか」
「………」
「どうした」
「イエナニモ」
 この短い時間で余計なことは言わないに限ることを学んだ。
『平鷹公。雨四光、苔八四〇九二。いつでも行けます』
「ああ。来たか」
 公の声に視線を辿り振り返ると、いつの間に来たのか壁際にもたれかかる男がいた。
 背丈は同じくらいで、顔立ちも表情がとびぬけてないくらい。いや。言葉を変える。表情がない、なんてものじゃなかった。人間とは思えないほど宛ら機械じみていた。
 あれは、なんだ。疑問が口をついて出る。
 本当に人間か。含まれた意味に、公は一瞥し、何を考えているかわからないおそらくはなんにも考えていない表情で淡々とこたえた。
「私の知り合いだ」
 またか。
 王族でありながら、
「来てくれたか」
 男は、ひとつ頷く。
 いや。性別すらもあっているのか。分からない。温度などまったく感じない、表情がちっとも動いていない。目も、顔全体も。
「では、行こうか」
 男と思われる人物を上から下まで見ていると、彼の初期刀が眉を顰める。隣の初期刀が見過ぎだと小言を漏らした。
「ほんっとあの人って変なのばっか拾ってくるんだよな」
「君が入っていないことに俺は驚きを隠せないけどね」
「当たり前だろ」
 自分ほど平凡な人間はいない。自負すると、初期刀は苦笑を漏らした。
 公がゲートへ行くのを追って、自らも足を踏み込む。後ろから正体のわからない男もついて来るのがわかった。
 あれ。そういえばアイツ名前きいてねーな。
 そして、世界が黒へと変わる。
 真っ暗だった。なんとなく公がいるところだけが分かり、後を追う。隣を蜂須賀が同行する。
 空間はすぐに終わりを迎え、小さな光が大きくなっていき、やがて一気に視界が開ける。
「誰だっ?」
「歴史修正主義者にしては人間のようだが」
 着いた!
 ゲートの前で敵と対峙する刀剣たち。剣戟を交わしつつ、驚愕の目でこちらを映す。
「我々は政府より派遣された部隊である! こちらの本丸より発信されたと思しき掲示板を目にし、急遽部隊を派遣した」
「政府が?」
「なんと……」
「ま、まって! じゃあ、主は今政府に?」
「いいえ。ですが、ご安心召されよ。救出部隊がすでに向かっている」
 彼らの表情に安堵が浮かび、ほっと胸を撫で下ろしている。
「全員、敵を足止めしろ。雨四光とは私とともに本丸内部へ。陸奥守、薬研。ついてこい。見習いのもとへ案内してくれ」
「……こちらです」




 暗闇の中を駆ける。
 どこまで行けば辿り着くのか分からないままに。
 馬は疲労も見せず、まだまだ加速を続けていた。尻が痛くなり始めていたが気にはならなかった。
 敵は際限なく押し寄せていた。いったいどこから来ているのか。奥からわいてくる。はたして奥とはどこなのか。
 感覚すらも闇へ溶け込み始めていく。
 先頭を走る愛染は索敵などしようがないほどに暗い闇と、主の気配などまったくしない焦りからどんどん心が冷たくなっていくのを感じていた。急速に最悪を迎えても大丈夫な準備をしているようだった。
 まだ先なだけだと言い聞かせる。
 大丈夫。きっと生きている。
 不安が部隊を渦巻く。主を助けに行くことが出来る。たったそれだけで天を突き抜ける勢いだったのに。
 汗を拭うふりをして、不安を払った。 大丈夫。大丈夫。
 信じているのは、自分でも主でもなく。主とまた過ごせる未来だ。
 大丈夫。大丈夫。
 襲いくる敵を払う。
 大丈夫。きっと。あの強い刀がそばで守っている。だから。
 だから、不安を払う方法を教えてくれ。不安を感じない強い心をくれ!
 汗が頬の上から伝う。
「ウォルァアアアアアッ」
 刹那。
「いたぁっ。おい、こっちだ! 来い!」
 目の前に、影がふたつ。否。その後ろに多くの影がある。
 それは、自分達と同じ姿。
「おまえたちの主を救いに行くぞ!」
 正しく、それは光にも似た。
 不思議なことに、目の前にいる自分たちとまったく変わらない同じ姿をした同胞たちを神様だと思った。同じ付喪神の分霊だというのに、自身もそこに名を連ねているというのに。
 ああ、神様。
 祈るでもなく、感謝するでもなく。
 こたえられた救いに、声が漏れた。



「行けるか?」
『はい、いつでも行けます!』
「聞いてたな? 俺たちは政府より派遣された部隊だ。おまえたちの主を救出するために派遣された!」
「俺たち、の……」
「ゲートが開いたおかげでこちらから干渉することが出来た。今、おまえたちの主の足取りを追っている」
 管制室ではゲートの使用歴を洗い出し、彼らの主が降りた時代を調査したところだ。
「俺たちについてこい。おまえたちの力が必要だ」
『時代検証完了。ゲート接続完了。時代は織豊! 審神者、刀剣男士転送までカウント十。……三、二、一。時空転送開始!』
 白い光が現れる。彼らを包み込み、一瞬にして呑みこんだ。
 瞬きの後、彼らは地に足を着けていた。
「よかった……」
 織豊にはまだあまり強い敵はいないと聞いている。自分達で十分に対応できる。敵と遭遇してもなんとか逃げ切れるだろう。
 彼らの前に光が射し込む。
「総員、これより俺が指揮をとる。索敵せよ!」
 男の声に、短刀や脇差といった面々が周囲を見渡す。注意深くうかがい、気配を察する。
「敵影はないようだね。だが、人間の気配もない」
 ここにはいないか、生きていないか。息があっても小さなものか。
「君たちの初期刀は?」
「山姥切だ」
「なら、大丈夫。彼は卑屈な態度に反して忠義心はバカみたいに強いからね」
 それが慰めに過ぎないと分かっていても、笑みを禁じ得なかった。


     
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