白桜
 平野藤四郎には、胸を温める思い出がある。
 それは、遠い昔というにはあまりにも近い昔のこと。
 まだこの本丸を小さな足が愛らしく音立てていた頃のこと。
「ぱーぱ」
 たし、たし、と平野の掌ほどのそれはそれは小さな足が一歩一歩としっかりと地面を踏み固める。人間でいう同じ氏素性の同族たちが揃って縁側に並んで、その瞬間を、手を叩いて見ていた。
「姫。もう一歩。もう一歩だ。がんばれ」
 彼らの兄は平野の掌よりも一回り以上大きなそれを伸ばし、小さな足が一つ前へ進むたびにひとつ後ろへ下がった。一歩。また一歩、と。
 進んではまた下がるものだからなかなか追いつけず、踏みしめる足の一歩ごとにたいそう力を込めていた。
 人の歩みとはこうも難しいものなのだと、平野は初めて知った気がした。刀の身であった頃の知識としてはあっても、目にするのとはまた違った。人の感動とはかくも描けぬものであるのか。
「あー、うー!」
「姫。もう少しだ。あと少し。がんばれ、姫」
 兄が見たこともないくらい、相好を崩していた。甘いようでいて弟たちには殊更厳しい兄だった。手合せをすれば容赦なくしごかれ、手厳しい言葉とともに指導される。戦闘、日常市絵且つにおいても粟田口の名に相応しい行動を心がけるようにとうるさい。
 その兄が、ちいさな姫を目に入れても痛くないくらいに甘やかす。
 そう悪くない。きっと自分たちも同じ顔をしているだろう。
「姫!」
 滅多に荒げられることのない兄の声が、次いでどさりという音が聞こえた。
 力尽きて倒れてしまった姫はが、地面に手をついていた。
 すぐさま兄が駆け寄った。それを待たずして、姫の顔がくちゃくちゃになっていく。みっともなく汚れた頬の上を大粒が伝う。
 ぎゃんぎゃん泣き始めた姫を、ひょいっと抱き上げ、大きな手であやす。よしよし。いい子だからね。と。とびきり甘い、優しい声色だった。
「がんばったね、姫。がんばった。おまえはがんばった。私はおまえが誇らしいよ」
 自分たちですら、滅多に褒められない。手合せの時なぞ特に。その兄が機嫌をとるようにあやしていた。転んで失敗した姫を褒めちぎる。
 身内だからこそより厳しく、を地で行く兄の変わりように兄弟たちはもう慣れたものだった。
「ひーめ。だいじょうぶだよっ。いたくない、いたくない!」
「あとで薬研兄さんにお薬を塗ってもらいましょう」
「おう、任せとけ」
「薬研の薬は痛いぞー。姫、大丈夫かぁ?」
「厚兄さん。姫に意地悪を言わないでください!」
「姫。おやつを食べたらきっと治りますよ」
「そうですね。今日はがんばったご褒美に、僕と半分こしましょう」
 見物していた兄弟も兄といっしょになって姫をあやし、甘やかす。
「ひーめー!」
 何処からともなく、騒ぎを聞きつけた二人の兄と叔父がやってきておやつの時間をしらせた。
 ころりと姫の機嫌はよくなって、涙は目にも止まらぬ速さで引っ込んだ。
「姫げーんきーん!」
「早くしないと、姫の分まで俺が食べちゃいますよ!」
「鯰尾兄さん!」
 狐を連れた叔父が、姫の前でこんこん、と手を象る。最近のお気に入りのひとつで、兄の腕の中から捕まえようと躍起になる。
「こんこん!」
「いっしょに行こう」
「こんこん!」
 もう一人の同族では、こうはならない。何度やって見せてもぷいとそっぽを向いてしまうのだ。その度にしょんぼりと耳までぺたりとしているところをしばしば見かける。
「姫はもう狐がわかるのですか! 賢いですねぇ」
「あまり姫を甘やかすのもどうかと思うが」
「仕方ない。いちにぃが一番甘やかしちまってるからな」
「俺は心配だよ。将来魔性の女になったらどうしよう! だから今のうちに厳しくしておかないといけないって。……ってなわけで、姫ー! おやつ俺が食べちゃいますねー!」
「う、うぇえええええんっ!」
「鯰尾」
「やだなぁ、冗談に決まってるじゃ」
「せ・い・ざ」
「……………はい」
 今しがた泣き始めたことも忘れて、きゃっきゃと笑う声が響いた。口には楽しみにしていたおやつを頬張って。
 まだ、待ち受けるものなど知らぬ頃の話である。
「いちにぃ」
 あれから季節は何度も巡った。
 庭は寂しく咲いており、冷たい雪が白く積もる。
「平野か。どうした?」
「主のご容態は……」
 無理矢理作られた笑顔に、平野は肩を落とした。
 あれから何度も季節は巡った。
 雪の上を小さな足が闊歩したのは、一度だけ。
 平野たちは、もう一度をずっと待ち続けている。











 姫は最近「なに」が好きなようだ。
 なんでもよいのだろう。「なに」と訊ねて、答えが返ってくるのが楽しいようだ。
 かく言う自分もそれが楽しいのだから似た者同士、さすがは親子といったところか。
「なにー?」
 指差したのは、どこまでも続く青。
「あれは、空だよ」
「なにー?」
「あれは、花だよ」
「なにー?」
「あれは、山姥切殿だね」
「なにー?」
「あれは、空だよ」
「なにー?」
「これは髪の毛だよ」
「なにー?」
「あれは、空だよ」
「なにー?」
「これは髪の毛だよ」
「なにー?」
「あれは、空だよ」
「なにー?」
「……これも、空だよ」
 なるほど。同じと言いたいのか。
 自分の髪を一房摘んでみる。確かに同じと言えなくもない。
「なにー?」
「それも、空だね」
 姫とお揃い。全く同じ色の髪。
「同じだね」
「おあいー」
 まだ舌足らずな口が愛しくてならない。
 ああ、彼女が知ったら嫉妬してしまうかな。自分だけ仲間はずれにしてと。そうだといい。
 一炊の夢を抱く。
「そあー!」
「空」
「おあいー!」
「そうだね」
「そあー!」
 膝上の体温が、無邪気にぶんぶん足を振り回す。
 落ちないように支えてやりながら、柔らかい髪の毛にそっと顔を埋めた。
「そーあー!」
[newpage]


「おいちさん、案内してください!」
「はやくはやく!」
「お、叔父上方。お待ちください」
 翌朝。おいちの手を引いて起きてくる粟田口の姿が見えた。その少し前に五匹の虎を連れたもう一人がいた。
「恐るべき早さでなじんだなー」
「そうだね」
 相槌を打って、起き抜けに顔を洗う小夜の隣でふぁとあくびをこぼした。
 よかった。一時はどうなることかと思ったが、五虎退よりもコミュニケーション能力があったのだろう。他にも粟田口がいたことから、彼らがおいちの名を呼ぶのは早かった。
 顔を洗って、厨へと向かう。
 さて。今日のごはんは何にしようか。冷蔵庫にはまだ野菜があったはずだし、米もちゃんと炊けているはずだ。やっぱり朝は和食にかぎる。
 そのうち洋食の存在を知って、朝はパンがいいと言い出すようになるまでは黙っておこう。その時が来たら、自分で勝手に焼いて食べさせよう。
 手っ取り早く味噌汁を作り、その合間に魚を焼いた。おかずははりきってたまごやきにした。そこで気力を使い果たしたので、サラダはレタスを千切るだけにした。朝からやる気なんてあるものか。
 話に聞いた限りでは、燭台切光忠や歌仙兼定のいる本丸は朝から豪勢なようで。簡単なものしか並ばない食卓にしょっぱい気持ちになる。
 彼らが来たらごはんのリクエストをたくさんしよう。うんうんと頷いて、魚を裏返す。
 朝餉の席。審神者だけが書類を片手にしていた。行儀が悪いというものは残念なことにいなかった。
「今日は小手調べにまず函館行こうか。それから行けそうだったら会津。あと一人欲しいところだけど、まずはこの五人で行ってみよう。どうせ誰か来るさ」
「隊長はわたくしが務めても?」
「もちろん」
「お任せくださいませ」
 淡く微笑みが返る。
 次の合戦場もそんなにレベルは高くない。五人もいるなら楽だろう。
 手は抜かない。
 怪我だらけで帰ってきた彼らをもう見たくなかった。
「それと、午後からは演練へ行こう」
「演練、ですか?」
「うん。日課になってるし、怪我もしないみたいだし。これだけで資材もらえるなら負けてもいいから行こうかなって」
「……」
 声が、ない。おいちだ。
 隣に座っていた彼女は、こちらを見ていない。何処かぼんやりとしていた。
「おいち」
「っ、申し訳ありません」
「いいよ。……大丈夫?」
「……はい」
 返事が遅い。
 だがしかし、おいちのことよりも優先すべきことはあった。
 口の中へとほいほい朝餉を放り込んでいきながら、今日の任務を伝える。時間はない。
「鍛刀もするよ。昨日みんなの手入れをして、そんなに資材使わないことが分かったから三回する。打刀以上を狙うつもり。戦力が欲しいしね!」
 打刀以上なら隊長に据え、何度かまわらせたい。ゆくゆくは分隊を任せようと思っている。
「予定はこんな感じ。でも、今どれだけやれるか知りたいからあくまでも予定。出陣前に二回、帰ってきてからもう一回するからね」
 予定を書き込んでいき、同じものを二枚作った。審神者用と、彼らが見られるようにもう一枚。この一枚は大広間に置いておく予定だ。
「おいち」
 視線が集まる中、おいちのものだけがぼんやりとしていた。
 その理由も、不安も分かっている。
「ダメなら、それでいいよ。いつでも逃げて帰っておいで。あとで、またがんばろ」
「あるじ」
 舌足らずな声。焦点の定まらないそれが、徐々に色を戻していく。
 決めたのだ。仮令、その道にどれほどの苦痛や困難を置くことになるとしても、躊躇いはしないと。歩けるようになるまで様子を見ることは、おいちにとってはいつまでたってもそこから歩けないのと同義。
 歩けなくたっていいと思っていた。
 けれど、それが苦しいことだってあるのだと気付いた。
 それならば。苦しくてもここでまた頑張れるようになれるのなら。がんばれ、って言ってあげられるのなら。
「ありがとうございます。主」
「うん」
 少し寂しい。
 おいちは初期刀だ。小夜と三人で、来ない粟田口を大丈夫だと言ってやった時より前から。二人から始めたのだ。
 今、粟田口は三振り。おいちと、朝餉を囲む彼らの間に遺恨はなかった。不安もなく、年相応の少女宛らに笑う姿があった。
 あの頃のおいちはいない。
 たくさん歩いて来た。これからもきっと歩いて、変わってゆく。
 きっと彼女の唯一の存在は「主」となっていくことをしみじみと感じていた。
「さーて! まずは鍛刀だ! ごちそうさまでした! おいちはゆっくりしてきなさーい!」
「はいっ」
 背中を見せて、顔を隠した。
 早く大人になりたいものだ。寂しいだなんて、恥ずかしいじゃないか。













「……」
 鍛刀が行われた部屋では、審神者が突っ伏していた。
 頭上では、煌々と火が燃えている。奇妙なほどに部屋は静かで、炎の音だけが静かに聴こえた。
 鍛刀は、行われた。ふたつ。
 が、映し出された数字――時間は決して望んでいなかったものだ。
 初鍛刀の青い短刀は天を仰ぐ。
 流石にこれはない。元々鍛刀に運がなかった方だが、日増しに酷くなる一方だ。
「主、出陣の 時間で……きゃああああ! あ、主!」
「お、いち」
「いかがなされたのですっ? だ、だれぞ、主が、主が…っ」
 何処からか、パタパタと足音が駆けてくる。
 耳ざとい彼らのことだ。騒ぎを聞きつけて一目散にやってくるのだろう。
 辛うじて息のあった小夜は、力ない声で止めた。
「大丈夫、だから」
「しかし、主がっ。小夜殿まで」
「うん。大丈夫」
 大丈夫と、言う声にも力が無い。
 審神者は返事もしない。これは毒でも盛られたのでは、と顔を青ざめさせた。その時。
「あれ」
 小夜が、二つの数字を指さす。
 ひとつは、一時間と半分。
 そして、もうひとつ。
「……え?」
 父親譲りの金色の目が、揺らぎ、ゆるゆると瞠られる。
 ふたつめは、三時間と半分足らず。
「…っ」
 おいちは産まれて少ししてから政府に預けられた、刀剣男士と人間の審神者との間の子だ。その素性は一見しただけで分かる。空を映したかのような美しい髪色。黄金を焼いたかのような双眸。父親とくくりを同じとする戦装束。
 誰しもが彼の太閤の愛刀を連想するだろう。
 彼女の父親一期一振は所謂レア刀と言われるもので。他の刀に比べて顕現率が低く、戦場、鍛刀いずれも珍しかった。故に、他の三振りも含めてレア四太刀とくくられることが多い。
 さて。レア四太刀の彼らは鍛刀でも顕現するとは先にも述べたとおり。時間は顕現の高い他の太刀と比べて、少し長い。
 通常の太刀は三時間。
 比べて、彼らレア四太刀と言われる四振りは三時間と半分足らず。
「ち、ち…うえ……」
 奇しくも、望まずと鍛刀されたのはおいちの父一期一振と同じだったのである。
 この本丸には未だ短刀どころか、脇差、打刀、太刀が来ていない。戦場もろくに走っていない。
 だと言うのに、僅か二日ほどで一期一振を顕現してしまったのである。剰え、この喜ばしくない状況で、だ。
「……」
 審神者は、ダイイングメッセージを書きかけて意識を失った。ご丁寧に現実を直視せず白目をむいて。
 バカじゃないのバカじゃないのバカじゃないのわたしーっ! いきなり一期一振出すとかなんなの天才なの知ってる! ってそんな場合じゃない!
 おいちも言葉をのんだまま、二の句が継げずにいる。
 当然だ。やっと叔父たちに慣れたところだ。それがいきなり一期一振の登場だなんて。戸惑うどころじゃない。
 彼女の心――核心を傷付けることだ。
 おいちを視界に入れ、蒼褪めた美貌に息が止まる。
「……いや」
 否。
「まだよ」
 ぐっと、おいちの肩を掴む。
「まだよ……まだ、おとうさんって決まったわけじゃない! それに」
 審神者の顔つきは、決然としたそれに変わる。おいちは続きを促すことが出来なかった。
 審神者はキッと時間を睨む。
「もし、おとうさんなら即刀解するわ!」
「あ、るじ……」
「ごめん、おいち。あなたの傷を抉る真似して、わたしったらぶっ倒れてる場合じゃなかったわ」
「主」
 後頭部をぐっと掴む。そこだけが熱を持つ。
 痛いほど力の入ったそれは、けれど、彼女の心まで届いたかのようだった。
 彼女の見据える先を、追う。
 三時間と半分足らず。
 すぐそこまで父親との再会の足音が聞こえてくる。
 本当の父親じゃない。けれど、叔父たちとは違う。同じ分霊同士なのだ。たとえ顔貌が同じで中身が異なっていたとしても、おいちには初めて会う父だった。
 政府は徹底して父親には会わせなかった。おいちがどうなるか分からなかったからだ。
 今日は演練に出る予定だったから、はじめて見える父に心はざわついていた。大丈夫だと、逃げてもいいと、審神者が後ろで強く立っていてくれているから踏ん張ることが出来た。
 これは予期してなかった。おいちは思う。
 赤の他人と、同じ本丸で過ごすのとでは違う。
 違う。が。
「主」
 頭を振って、審神者の手を払った。
「わたくしは、大丈夫です」
「だけど!」
「粟田口の末席に座すもの。いつまでも主に守られていては父にあわせる顔がありません」
「そんなこと」
「わたくしが!」
 そんなことない。
 審神者の言葉を遮って、声を荒げた。
 審神者は言葉を飲み込み、行方を失った。
「わたくしが嫌なのです。逃げ道があり続けるのもつらい。いつまでも向き合えないということは、いつまでも背中を見られていることと同義」
「おいち」
 おいちは、ふんわりと笑った。
 彼女がそうして笑うのは初めてだ。
「わたくしも刀剣です。主を守るためにこの身を振るいたいのです」
 悲しげな素振りなど露ほどもなかった。ともすれば、それこそが真実なのだと丸のみしてしまいそうな。震える指先が心を証明してくれなければ気付けなかった。
 触れる。大袈裟にはねた。そっと包むように彼女の手を握った。
 言葉は不要だ。
 視線を合わせた。がっちりと重なり、向き合う。
 おいちの双眸が強く彩る。ひとつ、肯く。
 二人は揃ってその数字を見上げた。
 三時間と半分足らず。
 戦へ行って帰ってくるまでには分かる答。
 おいちは刀身に少しだけ触れて、鞘へおさめた。
「では、行って参ります」
「気を付けてね」
「はい」
 静かなたたずまいで、おいちは後にした。
 三時間と半分足らず。
 その数字を振り返り、やがて審神者も後に続いた。
 やることはたくさんある。
 気にかけたい、この手の中に抱えていきたいものもたくさん。
 ひとつずつ。少しずつ。持っていくのだ。
 自分と、みんなと。抱えて歩いて行く。



 本当は、ずっと心にしこりとなって在った。
「五虎退叔父上!」
「は、はいっ。えいっ」
「甘い!」
「ここです!」
「……」
 ふと、青い同族の方を見遣る。
 心ここに非ず、といったところか。ここではない何処かをじっと見つめている。視線の先でもなさそうだ。
「小夜殿」
「誰だろうね」
 その意味を察して、おいちは同じ方を見詰めた。
 ずっとしこりとして在った。
「行こう。主が待ってる」
「はい」
 目前まで、敵は迫っていた。
 その身軽さで間合いを一気に詰め、押しこむように刺す。ぐぉおおおお、と唸り声が上がった。一瞬の間に、距離をとった。
 振りかぶり、倒れた。
 どすん、と大きな音をたてて地へ沈んで行く相手を眺めつつ、よそを見遣る。
 他の敵はどうやら屠ったようだ。こちらへ駆け寄ってくる。
「おいちさん!」
「こちらは全て片づけましたよ」
「お怪我はありませんか?」
「はい。叔父上かたもご無事なようで安心いたしました」
 小さな叔父たちは、揃っておいちの腰あたりに抱き着いた。小さな顔が見上げ、ほうっと息をつく。
 三人まとめて抱き寄せる。
 稍あって、五虎退がそういえばと腕から離れた。
「おいちさん、これ、拾いました」
「これは…」
「帰ったら、あるじさまにお願いして顕現してもらいましょう」
「はい」
 小さな一振り。彼らと同じ小さな同族だ。
「その前に、主へ首級を献上しなければ」
 ずぉおん、ずぉおん、と足音をたてる敵。
 刀身を抜き、かまえる。
 小さな同族たちも刃を向けた。
「粟田口が一振り、おいち。参ります!」
 地を、蹴る。
 後ろから短刀の同族たちが続いた。
「はぁあああっ」
 身の丈にあった刀を、振りかぶった。
 戦場にあり、しかしながら頭の中は顔も見たことがない父のことでいっぱいだった。
 わたしの存在を認めてくれるだろうか。
 抱き締めてくれるだろうか。
 娘と、呼んでくれるだろうか。
 父と、呼ぶことを許してくれるだろうか。
 ずっと羨ましかった。父娘に、なってくれるだろうか。
 主が握ってくれた手の感触が、じんわりと胸の中で温かく思い出された。













 三時間も経たずして、一行は帰還した。
「おいち、おかえり」
 昨日とは打って変わって、落ち着いたていで審神者が出迎えた。
「ただいま戻りました」
 おいちに続いて、小さな同族たちも後に続く。
「どうだった?」
「はい。人数が増えたために、以前よりも容易く敵の首をとることが出来ました。こちらをどうぞ」
「ありがと」
 戦場で拾った一振りを手渡すと、審神者はその場で顕現した。
「秋田藤四郎です。外に出られてわくわくします!」
「ありゃ」
 桜が吹雪く中、現れたのは既に主力として出陣した一振りと同じものだった。
 あちゃあ、と天を仰ぐ審神者の横で、おいちは目を丸くしていた。
 ドロップがかぶることはそう珍しいことではない。が、漸く慣れたと思った矢先にこれである。はたしておいちに耐えられるか。
 かぶった刀剣は練結し、より強くなるための糧とするのだ。この本丸ではまだかぶったことがないためしたことがなかったが、こうも早くかぶらなくてもよいだろうに。
 しかし、同じ戦場に出陣したのだ。腹を決めていなければならなかった。
「おいち。この子、練結するよ」
「主?」
「たしかに力が欲しいけど。でも、その力も必要だから」
 分かってるね。暗に、言い含めた。
 おいちの瞳は揺らがなかった。
「はい」
 少しだけ安堵を覚えつつ、顕現した秋田藤四郎を戻した。彼も納得の上だ。
「じゃあ、まずは小夜から」
「わかった」
 側で見守っていた小夜は、二つ返事で頷くとその刀を取り込んだ。淡い光となり、秋田藤四郎が小夜の一部となるのが分かった。
 光が放たれ、瞬きひとつの間には消えていた。
「少し休んで行きなさい。それから、会津へ行ってきてね」
「かしこまりました」
 少しの間、休息をとって、彼らは再び戦場へ赴いた。
 三時間と半分足らずは、まだ。














 大きく振りかぶった刀が、飛び退く寸前で振り下ろされる。
「くっ」
「おいち!」
 ともに戦っていた小夜が声を荒げ、駆け寄らんとする。
 その隙間を縫い、さっと影が通る。
「とう!」
「前田叔父上!」
「おいちさん、ご無事ですか!」
「はいっ」
 敵とおいちの間に立ち塞がる姿は凛々しくも勇ましく、これこそが父と同じ名を冠するものだと猛々しくもあった。
「わたくしは、大丈夫です。それよりも、あちらをお願いいたします」
 隊長のおいちの指示をひととおり仰いで、前田は自分よりも上にある姪の顔を見上げた。
「おいちさん」
「はい」
「あなたを失っては、僕たちはあわせる顔がありません」
「……はい」
 たった一人の娘。打刀の彼女を、短刀の身と雖も守る。それこそが、彼らの――粟田口の矜持だ。
 おいちには理解出来ていても、それだけだ。
 じっと小さな目が見据える。
「生きてください。必ず」
「はい。必ず」
「生きて、いっしょにいちにぃに会いに行きましょう」
「……叔父上」
「いちにぃのことですから、先に顕現した僕たちを羨むに決まっています。たくさんお話して差し上げると決めているのです」
 ふふっと笑って、唇に笑みを浮かべた。
 彼女の言葉を待たず、背中を向けて行ってしまう。
「おいち」
「ええ」
 ほんとうにわたくしは親不孝ものですね。
 おいちの中には主だけだった。そして今、叔父たちが在って、小夜もそこに在る。
 こんなにたくさんのものを抱えて、父の下へ広げに行くのだろう。風呂敷に包んだそれを、顔を綻ばせて。
 刀を、かまえる。
 死にたいとも、生きたいとも思ったことがなかった。
 今、猛烈に生きることだけを考えていた。














 三時間が少し過ぎてから、おいちたちは帰還した。
「おいち!」
 昨日の面影を残し、ぱたぱたと慌ただしく駆け寄る審神者を抱きとめる。
「怪我は?」
「少し掠った程度です。それも刀装が防いでくれました」
「よかった」
「主のおかげです。ありがとうございます」
「わたしは出陣出来ないんだからこれくらい当然なの。みんなは? 大丈夫だった?」
 一様に頷く中、おずと前に進みでる。しろがねが美しい五虎退だった。
「あるじさま。誉をいただきました。撫でてください」
「わっ、ほんと?」
 今まではおいちが全て誉をかっさらっていた。体格のせいもあるが、戦場に長く身を置いているせいもある。おいち以外でははじめてのことだった。
 五虎退の連れる五匹も褒めてと言わんばかりに足元で腹を見せていた。
「おめでとう! よくやった!」
「……へへ」
 帽子がずれ落ちるくらいぐしゃぐしゃに撫でた。面映そうにしながら、されるがままだった。
「みんなもおつかれさま。怪我があったらちゃんと手入れするから言ってね。午後は昼餉をとってから、ゆっくり演練へ行く予定だから慌てないでね」
 羨ましそうに見つめていた彼らも、審神者の指示にはしっかりと耳を傾ける。おもいおもいの顔つきで。
 彼らの顔を一人一人見詰める。
「鍛刀。そろそろ行くよ」
「はい!」
 少女は表情を作って、震える手を反対の手で押さえた。
 鍛刀の部屋へ赴く直前、小夜が呼びとめる。その手には戦利品が握られていた。
 気のせいか短刀よりも少しだけ大きい気がした。重みも違った。おいちのそれより小ぶりであるから打刀ではないはようだ。
 兎にも角にも顕現してみないことには始まらない。手にした刀剣を呼び起こす。
 桜、吹雪く。光が放たれ、人一人の姿が現れる。
「すみませーん! こっちに兼さん……和泉守兼定は来ていませんか? あ、僕は堀川国広です。よろしく」
 目の大きな、穏やかな面立ちの少年といっほうが差し支えのない年の頃だった。粟田口とは異なる制服のような戦装束をまとっている。
「はじめまして。脇差、でいいのかな? わたしはここの審神者です。こっちはおいち。ちょっと訳ありだけど仲良くしてね。あとは小夜に前田に秋田。よろしく」
 手を差し出すと、にっこり笑って握り返された。温かい。
 こちらこそよろしくお願いします、と人好きのする人のいい笑顔が返された。
「あ、あと兼さんはいないよ」
「そうですか……。でも、これから会えますよね!」
「もちろんよ!」
 頷いて、いっしょに鍛刀の部屋へ向かう。
 兄弟が出るかもしれないと道すがら話すと、嬉しそうにしていた。
 堀川には二人の兄弟がいる。太刀と打刀。二振り。
 彼自身は、本物かどうか分からないらしい。本人はまったく気にしていないようだが。なにより、まだ見ぬ兄弟に思いを馳せてスキップでもしそうだ。それほど同じ同族でも兄弟とは違うのだろう。
 数字は、どちらも同じになっていた。
 ふたつの鍛刀部屋の前で、審神者は気合いを入れて頬を張る。
「いよしっ」
 一振り目。打刀と思われる部屋へ入る。心の準備がしたかった。
 が、
「やあやあこれなるは鎌倉時代の打刀鳴狐と申します。わたくしはおともの狐でございます!」
「……よろしく」
「……」
 心の準備にはならなかった。審神者は頬をひきつらせた。倒れなかっただけまだマシというものかもしれない。
 鳴狐は視線を審神者から外し、その奥へと投じる。物静かな、あまり語らない瞳がじっと見つめる。見詰められた本人は身をかたくしていた。
「おや? 鳴狐。いかがいたしました?」
「鳴狐」
 静かな瞳が、審神者を振り向く。
「先に、もう一振りやっていい? ――説明は、いっしょにさせて」
「……わかった」
 もう一振り。隣の部屋では、三時間と半分足らずが漸く終わり、顕現を今か今かと待ち構えているところだ。
みなそわそわと落ち着きがなく、審神者としても早く落ち着きたかった。
 もう一振りの部屋へと入る。
 同じ鍛刀部屋ではあるが、緊張は倍以上だった。
 ごくり。誰かの唾を飲み込む音が聞こえた。
 小さな叔父たちはおいちの手を握って、みな足元に固まっていた。
「あ、堀川。ごめんね。違ったみたい」
「いえ。気にしないでください」
 逆に気遣われてしまった。
 多分、気付かれていた。緊張をほぐしたかったのだと。
 それでも、にっこりと笑って言ってくれた心遣いをありがたく頂戴して、未だ顕現を待つばかりの刀剣と対峙する。
 手を翳し、顕現させる。
 特有の桜が溢れんばかりに咲き誇り、光は眩いばかりに弾け、やがてその身を現す。
「私は、一期一振。粟田口吉光の手による唯一の太刀。藤四郎は私の弟たちですな」
 審神者は、ひとつ息をついた。
 知っていた。
 三時間と半分足らず。その時間を見た時、予感として微風程度だったものが、時間が来ると確信として来た。それは、独楽のような芯のしっかりととおった風だった。
「わたしがここの審神者だよ。よろしく――一期一振」
 差し出した手を、なんの躊躇いもなくとった。
「はい。主殿」
 太閤が持つに相応しい悠然とした笑みを湛えて。











「おや?」
 一期一振が気付いたのは、それからすぐのことだった。
 視線は当然おいちの方へ向いている。
 青いような、それでいて期待を捨てきれないような顔が父親を映していた。
「おまえは……」
 失礼ですが、あなたは。
 一期一振ならそう言うだろう。
 しかし、彼はすぐに気付いた。否、魂に刻まれていたのだ。
「わ、わた……くし……」
 反芻して、失敗する。己の名すらも言えなかった。
 初めて対面する父親を前にして、逃げ出すことも出来なかった。足も、手も、はたまた喉や心臓ですら自分のものではないかのようで。
 父上。これが、わたくしの父上。
 これが父上!
 嬉しかった。同時におそろしかった。
 目を合わせていられないというのに、目線を逸らせない。
 まじまじと眺め、稍あって、一期一振は距離を詰めた。
「私の娘だな」
 確信を得た言葉に、心臓が跳ね上がった。
 たすけて。誰にともなく、呟く。言葉にならず、心の内で放たれたそれを聞き届けたものはいなかった。
「はじめまして。私は一期一振。おまえの父親と同じわけみたまだ。よろしく」
 一期一振は、少しだけ屈んだ。目線があうと、柔らかく細めた。
「わた、くし……」
 わたくしは――。














 覚えている記憶はない。
 政府に預けられたのはずっと小さな頃だったという。他にも同じ理由であったり様々な所以で預けられた自分と同じ人たちと過ごした。
 ある者は審神者になった。
 ある者は一般人になった。
 またある者は政府に身を置いた。
 自分と同じく刀剣の道を選んだ者は少なかった。
 否。刀剣として戦場を駆けた者はいた。殆どは審神者であり、半神半人として、多くの刀剣を本丸で預かる身となっていたのだ。
 審神者となれば安全だっただろう。どの道を辿ろうといずれ父親と同じわけみたまと会うことになるだろうとは聞いていた。
 どの道を選ぶか。
 政府の人間に問われた時。真っ先に刀剣としての道を選んだ。
 道を決めていたわけではない。しっかりとした理由があるわけでもなかった。
 後悔はなかった。何度も政府の人間に意志を訊ねられた。変わりはないかと。
 変わらなかった。確かな理由もないままに。
 そのままに、粟田口の戦装束に身を包んだ。
 父親と相対して、理由がわかったわけでもなかった。
 けれど、後悔もしなかった。













 温かさを感じて、おいちはハッと我に返った。
 腰のあたりを見ると、いくつもの目がこちらを向いていた。案じるものではない。
 がんばれ。がんばれ。と。
 そうだ。おいちは知っていた。はじめから無条件でそばにいて、手を引き、愛してくれた叔父たちを。自分よりもずっと小さな存在でありながら、それでもずっと強い彼らの生き様をその目で確と見ていた。
 握り返すと、一様に柔らかく細められる。父と同じその目が。
 もう一度顔を上げたとき、そこには笑みが浮かんでいた。歪でヘタクソだった。
「わたくしは、おいちと申します。――ちち、うえ」
 一刹那、息も出来ないほどの感覚が襲う。ぎゅうぎゅうと苦しくて、胃まで来るほどの衝撃。
「ああ。もちろんだよ!」
 そこにあるのが笑顔だと、知らない筈のその顔さえも見えた。















「なるほど……」
 感動はひとまず、彼らの間に割って入るのは勇気が必要だったがやむなく中断させた。
 一期一振は小さな弟たちと自身の叔父とも出逢えたことを喜び、全員が広間に集まった。その間に三回目の鍛刀も行った。一時間半だった。
「つまり、おいちは私と同じわけみたまの娘であり、父親はここにはいないのですね」
「うん。誰が父親かも分からないみたい」
 政府は、頑なに父親を教えなかった。おいちの精神状態を気にしたのか、面倒を厭ったのか。いずれにしろ、おいちも覚えていることがなかったから手持ちの情報はない。
 ゼロから父親を探すことをしなかった。おいちは探したいと言わなかった。積極的に探さずともいずれは会うだろう。
「では、私が今日からおいちの父親でかまわないかな?」
「え?」
「は?」
 おいちと審神者以外は、それがいいと頷いていた。
「いつかは本当の父親に会うかもしれないが、ここにはいないんだ。何処にいるともしれないんだし、私が可愛がっても問題ないだろう?」
「いや。まあ。そうなんですけどね」
 言い差して、そっとおいちをうかがう。あ、ダメだこれ。驚きすぎてなんも考えられないやつだ。
 審神者が答えるわけにもいかず、かと言って賛同するわけにもいかない。
「おいち」
 芯の通った声が、黄金色の瞳とともに娘へと向けられる。
 ま、膝の上デスケドネー。
 一期一振はこの部屋に入り、下座に腰を落ち着けると、おいちの手を引いて自分の膝上に座らせた。文句も抵抗も封じ、頭の上に顎を乗せ、だらしなく相好を崩していた。その周りを小さな粟田口の叔父たちが囲み、更にその隣に鳴狐が座り、和気藹々としていた。堀川や小夜、粟田口以外の刀剣はその様子を微笑ましげに眺めていた。
 粟田口の叔父たちはにこやかに兄と姪を見守り、各々も兄を羨ましげに見ていた。彼らの小柄な身体付きでは、逆に抱き上げられそうだが。
 その体勢で話を促されてひとつやふたつと言わずみっつやよっつ、いや、百は物申したいことがあったがひとまずとして、大事なことでもあったので渋々切り出した矢先にこれである。
 この一期一振、やけにグイグイ来るな。誰だ、白馬の王子だと言ったのは。見た目同様中身も絵本から飛び出してきたそれだと。見た目は頷けるが、中身は少し違うように思う。
「きっと一期一振殿も喜んでいるのでしょう。自分の娘ではなくとも、娘も同然の存在が顕現してすぐ目の前にいたのです。目に入れても痛くないほど可愛いと思うのはおかしいことではありません」
「なるほど」
 だが、それはおいち次第だ。
 やはり先程から驚きすぎで我に返る間もないようだ。
 さてどうしたものか。腕を組み、彼らを眺める。
「ま。とりあえず、ごはんにしよっか」











 朝餉の残りと、簡単に作って昼餉の席にありついた。
 新しく来た堀川は厨が得手なようで、今晩から早速メインで手伝ってもらうことになった。一期一振と鳴狐は皆の動きを見ながら、短刀たちの相手をしてやりつつ手伝ってくれた。
 いちにぃ、みてみて。
 盛り付けならお任せください!
 僕は切るのを主に任されました!
 すごいすごいと褒めながらも手は止めないあたり慣れたものだ。
 おいちは手馴れているね。
 さりげなく娘を褒めることも忘れない。
 頬を少女らしく染め、こくんと頷く姿は宛ら恋する乙女。相手は父親だけど。
 おいちはまだ父親に慣れないらしい。一期一振の父親発言に返事も出来ていなかった。食卓の席でも話しかけられても曖昧に返事するだけだった。それでもめげない一期一振に、拍手喝采、あっぱれと言いたい。何処が白馬の王子だ。あんな図太い王子がいてたまるか。
 にこにこと、無視されても嬉しそうに。
「おいち。嫌いな食べ物はないのかい?」
「あ、ありません」
「偉いね。……せっかくだから、食べさせてあげようと思ったのに。残念だな」
「いちごー。そういうことはちゃんと隠そうね!」
「申し訳ありません」
 そんなにこやかに言われて反省したと思うやつがいるか、バカヤロウ。
 ちゃっかりおいちの隣を陣取って、ずっと見られてたら食うに食えないだろうに。さりげなく言うことも出来ず、味がしなさそうな昼餉を口に運ぶおいちを助けてやりたいのは山々だが相手は多勢に無勢。粟田口全員とやり合うのは無理だ。
「一期」
 いや。
「みんなも。そんなに見詰めてたら、食べにくいよ」
 いた。
 一人だけ。粟田口に属しながらも、他の面々と立ち位置が異なる存在。唯一の国吉作。
「おいち。ごめんね」
「い、いえ!」
「……鮮やかだ」
 さすが皆を取りまとめられる叔父だ。
 あのおいちですら緊張がほぐれたように笑っている。
「午後からの演練だけど、一期と鳴狐は今回見学ね。隊長はおいち。他は出陣といっしょで、小夜、五虎退、秋田、前田。それから堀川も今回は入って」
「お手伝いなら任せてください!」
「堀川は初陣だからみんなの動きを見ながら学んで。勝たなくてもいい。その代わり、糧にして」
「はい!」
「おいち」
「はい」
「父ちゃんにカッコいいところ見せてやんな」
「は、はいっ」
「おいち……!」
 堀川はこの本丸唯一の脇差だ。本差を支える刀として、まずは戦闘に慣れ、補佐をする刀をよく見ておいてもらうのが本懐である。
 一期一振と鳴狐はおいおい。名刀と名高い一期なら戦慣れも早いだろうし、なんなら堀川と短刀を入れて出陣してもいい。短刀がなかなか練度が上がらないため、おいちと交替で出陣させるべきだろう。もう少ししたら遠征へ行けるようにもなる。その時に隊長を務められるよう準備せねば。
 最後のたまごやきを放り込んで、手を合わせる。
「ごちそうさまでした! じゃ、わたしは演練の準備をしてくるから、みんなもちゃんと食べて準備しておいてね」
 勝たなくてもいいと言ったが、あれは嘘だ。
 本当なら勝ってほしい。刀の本分だってそうだろう。
 けど、負けることに少しでも落ち込みたくないから嘘を言った。勝って。負けないで。言葉を飲み込んで。
 良い審神者ではないけれど、嘘をつかない審神者にもなりたいものだ。
 そのために、邁進せねば。
 審神者はわざわざ口実を作って、部屋へと閉じこもった。編成、それぞれの特徴をもう一度頭に入れて、今後の作戦を練る。
「仕事もそれくらい真面目にやっていただけるとありがたいんですけれどねぇ」
「それは、やだ!」














 演練会場は人でにぎわっていた。そちらこちらで、五虎退と同じわけみたまや、前田のわけみたま、堀川の兄弟のわけみたまを見かけて最早物珍しさが吹っ飛ぶ。筋肉マッスルが堀川の兄弟だと言われた時は思わず見比べてしまったが悪気はないので許してもらいたい。
 全員を連れ、受け付けをし、対戦会場まで足を運ぶ。
 開けた場所になっており、同じくらいの練度の審神者同士でぶつけられるようだ。
 しかし、同じ練度といっても刀剣のレベルは違う。一戦目は打刀が多かった。
 まだ練結強化もしていない、戦場を二、三度駆けたに過ぎないひよっこでは短刀や脇差の速さを生かし切れず敗北して。
 落ち込む彼らを宥めつつ、二戦目。太刀が率いる大太刀と太刀の混合で、力押しできた。こちらも押しきれずに敗退。
 休む間もなく、三戦目。
「おや?」
 相手は、練度が最高点まで達した打刀一人。
「だからなんで主は僕一人をいかせるんだ! 雅じゃない!」
「うっせー! 俺の饅頭食べたの忘れたとは言わせないからな!」
「だからあれは鶴丸が出したんだと言ったじゃないか!」
「じゃあおまえも一人遠征させるぞ!」
「雅じゃない!」
「……えーっと」
 どうやらお仕置き中(?)のようだ。
 が、そんなことはこちらには関係ない。
「みんな。相手は絶対強いけど、速さで撹乱しまくって押して押して押すのよ。幸い、持ってるのは盾じゃない。投げ物も持ってないしね!」
「かしこまりました」
「いってらっしゃーい」
 ふう。審神者は、息をついた。
「よろしかったので?」
「ん? うーん……うん」
 その質問の意図するところに苦笑を零し、やれやれと溜息を零した。
 続けて二戦。負けに負けた彼らを誰一人入れ替えることもなく投入した。
 後ろ姿は宛ら、
「いやぁ。やる気に満ち満ちてるね!」
 敵を前にした巨神兵団。ずしん、ずしん、という足音がこちらまで聞こえてくるようだ。
 決して意図したわけではないが、そうなってしまったことに今更なにもないが、相手もちょうどいいタイミングで単騎出陣してくれた。おかげで皆が「舐められたままでいてたまるかこのやろう」という顔つきになっている。あのおいちですら。
「今日の晩御飯は奮発してあげたいなぁ。よし、一期。後で万屋へ行こうか。いっしょに」
「よろしいので?」
「うん。店じまいしてるかもだけど、奮発分くらいは買えるでしょ」
「主殿! わたくしめと鳴狐はいかがいたしましょう!」
「おあげ買ってきてあげるからみんなを見てて」
「かしこまりました!」
 こんこん、と鳴狐が象って頷いた。
「でもあんまり財布の中身ないから手加減させてね」
 結局、敗退を喫したものの、夕餉の奮発で皆一様にして意気揚々と四戦目へと向かい、見事初勝利をおさめたのである。
 言わずもがな、五戦目も勝利を得た。
 その日の夕餉はちょっぴり奮発したステーキ肉とおいなりと決まった。













 おいちを置いて、一期一振と二人で万屋へと赴いた。
 他の審神者や刀剣男士たちと行き交い、比較的レアと言われる一期一振だけでなく、見たこともない美しい刀や珍しくないと言われる刀たちが審神者の隣にあった。
 ほう、と目移りしてしまう。あんな刀がいるのか。いずれ会う日が楽しみだ。
「主殿、お気を付けて。前を見て歩きませんとぶつかってしまいますよ」
「あ、ごめん。ありがとう」
 さりげない仕草で、一期一振に腕を引かれる。抱き寄せ、離れないようにと恭しく手をとられた。
「……」
「いかがされました。主殿」
「いやぁ……」
 彼の有名な白馬の王子に手を引かれ、少女マンガ宛らの展開になっているのにまったくドキドキもしないのも問題だなぁ。
 彼女の初期刀であるおいちの父親だからかもしれない。
「一期は好きな食べ物はないの?」
「はい。今は、おいちが食べているところを見るのがとても好きです」
「父親だねぇ」
「ええ」
「おいちは意外とお肉が好きみたいだよ」
「なんと! では、たくさん買って帰らねばなりませんな」
「五虎退は苦いお野菜が苦手みたい。だから果物とか甘いものなら好きかなぁ」
「では、苦手を克服できるかもしれませんな」
「それはどうだろう」
 前田は好き嫌いがなくて、秋田は大根やにんじんなどの根菜が苦手なようだった。前田はたまごやきをおいしそうに食べているし、秋田はまだ好きなものが見つからないみたいで、苦手なものと戦うばかりだ。
「一期もこれからだね」
「はい」
 万屋へ行く道すがら。一期は弟たちや娘だけでなく、小夜のことも聞いた。
「小夜も?」
「はい。同じ本丸で過ごすのですから。みんなのことを知りたいのです」
「へえ」
 てっきり粟田口だけでまとまるのかと思っていただけに、一期一振の発言は予想していなかった。感心していると、面映ゆそうに後頭部をかいた。
 万屋に着くと、奮発して少しだけいいお肉と食材を買いこんだ。一期一振は勿論荷物持ち要員だ。
「主殿。買い過ぎでは?」
「何言ってんの。これからたくさん増えていくんだよ!」
「ああ。そうですな」
「むしろ足りないかも……」
「そうしたら、また私を荷物持ちとしてお使いください」
「次は鳴狐かおいちもね!」
「おいちは女子ですので、その分私と鳴狐叔父上が持ちますよ」
「おいちも力持ちだけどなぁ」
「これは男……いえ。父として生まれた矜持ですので。仕方ありませんな」
「ふぅん」













 本丸へ帰ると、皆が出迎えてくれた。
 おいちはひょいっと荷物を持ってくれたが、すかさず鳴狐が持って、きょとんとしていた。
 ああ、これが男の、叔父――否、大叔父の矜持なのか。実際目の当たりにして頷く。
 荷物は彼らに任せて、おいちと二人で鍛刀へ赴く。そろそろ三回目が終わっているはずだ。
「さーて。誰が出るかな」
「時間は打刀なのでしょう?」
「うん。また鳴狐かもしれない……」
「多分違いますよ」
「だといいけど」
 数字は鍛刀を終えたことを示していた。
 早速顕現させる。
 桜が吹雪き、光が弾けた。
「山姥切国広だ。……なんだその目は。写しだというのが気になると?」
 光の花吹雪の中から現れたのは、金色の髪に緑柱石色の瞳をフードで隠したいでだちの少年だった。中には、どこかで見覚えのある戦装束を着ている。
 そして、どこかで聞き覚えのある名前。
「堀川ーっ! 堀川堀川堀川ーっ!」
「な、なんだっ?」
 挨拶する間もなく、部屋から出て行った審神者が堀川国広を呼びに行く姿が見られたと言う。
 後ろ姿に唖然として、びくびくとしていた山姥切国広に、おいちは苦笑を零すしかなかった。
「堀川! 来た! 兄弟! 来た! 来たよ!」
「本当ですか、主さん!」
「なんか根暗そうな子!」
「兄弟だ!」
「早く来て!」
「はい!」
「……根暗で悪かったな」
「お気を落とさず」
 審神者の代わりに宥めるおいちの姿は、誰にも見られなかった。
     
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