折鶴
「たすけて」
 今もなお耳に残る。幼き少女の悲鳴と哀願。
 そして、悲痛な面持ちを。











 審神者になるために学校に通い、試験を受け、漸く自分の本丸を持てる! とスキップしかけた矢先。担当となる役人に呼び出されたのは昼も過ぎて夕方が近くなった頃だった。
 言われるがままに後をついていくと、同期たちが向かう先とは正反対へと向かっていた。
 どこへ行くのか尋ねても返しはなく、仕方なく口を結んで後に続く。
 たいして歩くこともなく、担当の役人は一つの扉の前で足を止めた。
 一瞥をよこしたかと思うと、徐にノブを回して押し開けた。
 重厚な音などなかった。静かな音、空間。驚くものもないまま。
 そして、そこに立つ人物に目を瞠る。
 可憐な少女だった。年の頃は十五もいかないのではないだろうか。かっちり着込んだ制服のようなものに着られている感じだった。
 自分よりもずっと可愛らしい、薄桃の頬や、ぷるんと音が鳴りそうな唇。大きくはないが、可憐さを窺わせる目。
 そして、腰あたりまである長い髪。
 ひとつに結われたそれは、どことなく見覚えがあった。頭からひょんと伸びたアホ毛も、似たようなところで見覚えがあった。
 心当たりが、ありすぎた。
「えっ! なにあれ! えっ、えっ!」
「お静かに」
「いやいやいやいや。え? いやいやいやいや。待って。ねぇ、待って! 待とう? ちょっと落ち着こう?」
「はい。落ち着いてください」
「無理だよ! 絶対!」
 どうして落ち着けと言えるのだろうか。無理に決まっている。
 かっちりきこんだ制服。制服の下がスカートならば、と容易く想像出来る立ち姿。
 長い髪の色は、青。浅葱に近い。
「一期一振ですやん! 一期一振が女になってますやん!」
「違います」
「嘘だ! 絶対嘘だ! 女になったんじゃないなら何っ? ……はっ。まさか、女になった上に幼児化? 設定てんこもりですか? どうしてそうなった?」
「違います」
 淡々としている担当に掴みかかるが、表情ひとつ変えない。寧ろ鬱陶しそうに手を払われた。地味に傷付いた。
 嘆息を小さく零し、首元を整えた。
「彼女の名前は……そうですね。何にします?」
「え……」
「何にします? はないでしょう! ほらー困ってるじゃないですか!」
「そうですね。じゃあ、ストロベリーさんで」
「そうじゃない!」
 仕方なく名前をおいちさんにした。一子だと紛らわしかった。
「はい。では、おいちさんは刀剣男士の眷属です」
「刀剣男士ですよねっ?」
「違います」
 担当の隣に並び立ったおいちさんは心なしか俯いているようだった。
「彼女は半神半人。つまり刀剣男士と人との間に生まれたのです」
「……へ?」
「ご覧のとおり、父親は一期一振。母親はその審神者です」
「……へ?」
 半神半人? まっさかー。そんなことあるわけ、
「……あるの?」
「事実です」
「な、なんでこんなところに!」
「まあ、話せば長くなるので割愛させてもらいます」
 要約すると、政府で長いこと育てられた彼女は審神者としての資質と刀としての資質の両方を持ち合わせていた。
 成人した彼女に問うたところ、刀剣として戦うことを選んだのだと言う。
 しかし、彼女は異例中の異例だ。刀剣と審神者との子供であるだけでなく、審神者としての身よりも刀剣であることを選ぶなど稀だった。
 そこで浮上したのが審神者を誰にするか、という点である。
 一期一振がいる本丸は有り得ない。まだ彼女に会わせるわけにはいかなかった。
 では、新しい本丸へ初期刀として与えてはどうか。
「ということで、見事精神鑑定の結果波長が合いそうな方があなたでしたので」
「どう見ても今合ってませんよね」
「というわけで、よろしくお願いします。ほら、おいちさんご挨拶を」
 彼女はおずおずと前に進み出た。
「おいちとただいま名づけられました。父は一期一振。粟田口の眷属に席を置く物です。ひらに、よろしくお願いいたします」
 これが、わたしとおいちの出逢いだった。











 おいちを携え、本丸に辿り着いた。
 まだ手狭な感じはあるが、これからといったところか。
 おいちはあたりをきょろきょろと忙しなく見渡しており、物珍しさが窺えた。
「審神者様、こちらでございます」
 こんのすけに連れられ、大広間へと足を運ぶ。まだまだ一人と一振と一匹では広い感じだった。
「早速鍛刀しなくちゃねぇ」
「……」
 おいちは俯き、閉口した。
 粟田口は多くを占める。特に、彼女の父親であるという一期一振以外は総じて出やすい傾向にあり、彼女からしてみれば複雑なことこの上ないだろう。受け入れられないのではないかやらなんやら考えていそうだ。
「そういえば、おいちさんの刀種は? やっぱり脇差?」
「いえ。打刀です」
「マジでか」
 おもいっきり戦力だった。叔父上と同じだ。
「うーん。じゃあ、最初は短刀とかよりも打刀以上を狙ってみようかな」
「……よいのですか?」
「最初は隠蔽と偵察なくてもいいから。必要になったらその時考えるし、多分、短刀はボロボロ出るよ」
 と言ったのが、数十分前。
 そして、目の前には、
「僕は小夜左文字。あなたは、誰かに復讐を望むのか?」
 小さな背丈の刀剣男士。
「……」
「……」
「……」
「……ごめん。ごっさ来たわ。打刀以上とか嘘こいてごめんなさい」
「……」
「主?」
「あああ小夜ごめん! 誤解しないで!」
 斯くして、小夜の誤解を解きながらおいちに平謝りするという奇妙構図が出来上がった。
 なんとか諸々の事情を説明し、居住まいを正す。
「どうしよう。もう一振り……いや、四? 鍛刀しようかな。でも資材は少ないし、怪我した時にとっておきたいし……」
「そんなに戦力が必要なの?」
「ううん。でも、六人まで組み込めるから。どうせならちゃんとやりたいし」
「簡単な戦場なんでしょう? 大丈夫だよ」
 小夜がそういうものの、なかなか頷けない。
 ただでさえ二振りとも戦慣れをしていないのだ。担当にも確認をとったところ、戦場に出たことはないらしい。
「大丈夫。僕たちを信じて」
 小夜に説得され、渋々頷いた。
 そうして、一刻のち。二振りを見送った。
「……」
「審神者殿」
「……」
「審神者殿、落ち着いてください」
「無理」
「審神者殿」
「あああああ。せめてあと一振り! あと一振りだけ鍛刀しておけばよかった!」
「大丈夫ですよ。二振りとも、身体が覚えているはずです」
「刀だもんね。知ってる。習った。けどうちの子の身を案じるのは習わなかった!」
「う、うちの子」
 見送って半刻もしないうちに、否、数瞬も経たないうちにそわそわと歩き回る。はたから見れば不審者であるが、幸いにも人はいない。
 今のうちにもう一振り鍛刀しようかとも考えたが、怪我をして帰ってきたときのことを考えるとふんぎりがつかない。刀装もつけた。ばっちり金色だ。
 重傷だったら? 戦慣れしていない、不安そうだった彼女の顔が甦る。
「あああああ」
 頭を抱えて蹲った審神者のそばで、こんのすけは溜息を漏らした。
 式神といえども、感情を与えられた存在だ。少々心配性な審神者が、本当にあの問題児の主でいいのか。些か不安が過った。
 それから数刻も経たないうちに、部隊は帰還した。
「ただいま」
 鬨の声とともに。
「おいち! 小夜! 怪我は? どこか痛いところはない?」
「大丈夫だよ」
 小夜の後ろで、おいちが頷いた。
 よくよく二振りを観察して、漸く怪我がなかったことを知ると、ほっとして座り込んだ。
「こしが、ぬけた」
 へなへなと座り込んだ審神者を、二振りはきょとんとして、稍あって表情を緩めた。
 小夜は手にしていた刀を一振り手渡す。
「主。これ、見つけたんだ」
「あああああ戦力きたああああああ!」
 一も二もなく刀を呼び覚ました。
 ふんわりと桜が舞い、光が弾ける。
「僕は、ご、五虎退です。あの……退けてません。すみません。だって虎が可哀想なので……」
「……」
「……」
「主?」
 審神者は、一瞬意識を飛ばした。一刹那、刀帳を取り出し、五虎退の項目を確認する。
 多くの同族が並ぶ中、可愛らしい顔立ちを見つける。
 五虎退――派閥「粟田口」
「あれ? いち、にい?」
 小さな刀の零したセリフに確信を得る。
「説明は、任せたぞ。こんのすけ」
「ええっ! わたくしめが、でございますか? って、あ、ちょ、なんで倒れてるんですか!」
「おいち……すまねぇ……」
「あ、主!」
 普段滅多に口を開かないおいちが、慌てたていで完全に意識を飛ばした審神者に駆け寄った。
 小夜はあきれたていで息をつき、小さな仲間を見遣る。
「ごめん。ちょっと、事情があるみたいなんだ」
「は、はい……」
 さて、この小さな刀になんと説明したものか。
 審神者となるべく踏み出した少女は、意識を飛ばしたはてでも悩むはめになるのだった。











 こんのすけに説明を任せて数刻。審神者は重たい身体を漸う起こした。
「ふぁーよく寝たー!」
「おはよう、主」
「……」
「……」
「……」
「よし! この調子で今日もたくさん寝るぞー! おーっ!」
「主」
「すいませんでした」
 目覚めた瞬間、声と顔に諸々を思い出し、審神者は勢いよく布団の中へ帰――ろうとして、再びその声に身を起こすことになる。
「おいちと五虎退は?」
「今は、それぞれの部屋にいる」
「ちなみに二人の部屋は?」
「違うよ」
「……ですよねー」
 流石の小夜もそこまで踏み切ることはしなかったらしい。素直に謝辞を述べる。
「寝るときはみんな一緒にしようかな」
「どうして?」
「こんな人がいなくてさびしいのに、一人で寝るとかもっと寂しくない?」
「僕にはよく分からないよ」
「それに、おいちと五虎退をいきなり同じ部屋にするのも考えさせられるし」
「そうだね」
 説明したが、五虎退は戸惑っているようであったという。その気持ちは分かりすぎるほどに分かった。小夜の采配に感謝するばかりだった。
 兄の娘というどこの誰とも知らぬ少女。
 父親は、どこにもいない。どこかの兄だという。
 兄の気配は感じる。けれど、別なものが混ざってて不思議な感じなのだという。
 さぞや微妙な気分なのだろうと、心中を察する他ない。
「ま、それで問題は解決しないんだけどね! 寧ろこれからどしどし押し寄せる予定だけどね! 少しゆっくりペースでお願いしたいところかな!」
「……そうだね」
 顔を見合わせ、息をつく。
 どうしよう。











 夕餉はみんなでつくることにした。
 最近は、学校で料理も習う。勿論審神者も無事習得した。畑仕事や馬の世話、掃除といった必要なものを教えられた。
 だが、刀剣たちは出来るわけもなく。審神者に言われたことをするだけだった。やったこともない料理をするため、丁寧に教えてやらねばならなかった。台所の設備が整っていてよかった。そして、学校で習ったものと同じものでよかった。
 無事に終え、大広間で夕餉をとった。
 広々とした部屋に五人にも満たない人数での食事は少々物寂しいものとなったが。
 しかし、ここは会議をしながらの食事とすることでカバーした。
「今日、もう一振り鍛刀するわ。幸い、怪我がなかったから、もう一振りくらいなら大丈夫」
「五虎退の刀装は?」
「あ……だ、大丈夫!」
「主」
「一振りだったら!」
「鍛刀したら二振りだけど」
「……だ、い、じょう……ぶだよね?」
「審神者殿……」
 可哀想なものを見る目が突き刺さったが、どうしても譲りたくはなかった。
 部隊は今のところ三振り。おいち、小夜、五虎退。
 二振りでも無事だったのだ。このまま三振りで進めても問題ないだろう。次の戦場もそう難しくはないようだから。それに戦場で新たな刀を拾うこともある。それを考えると、あまり鍛刀しすぎるというのも問題だ。資材が減ることもある。
「いや……でもなぁ……」
「主。まずは刀装作ろう。僕たちと同じ特上をつけるなら、資材が必要だと思う」
「はい」
 小夜に説得され、項垂れる審神者の姿があった。
 結局、鍛刀は出来なかった。特上を作るまでに時間を要してしまった。落ち込んでいるところをおいちが慰めようとしてくれた。
「あ、みんな。今日は大広間に布団敷いて寝るから。お布団持って来て」
「みんなで、ですか?」
「うん。人数増えたらさすがに無理だろうけど、今はすごい少ないからね!」
「わぁ。楽しみです」
「はい」
 五虎退とおいちが笑い合う。気付いていないのだろうか。自然と笑えていることに。
 小夜と顔を見合わせ、自然と頬が綻んだ。
 皆布団を持ちより、大広間に敷いた。こんのすけを抱き、隣においち。反対側には小夜と五虎退が並んだ。
「じゃ、おやすみ。また明日!」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみ」
「……おやすみ、なさい」
 腕に抱いたこんのすけはとても温かかった。
 翌朝、何故か反対側の小夜を足蹴にしていた審神者は目覚めた途端もがき苦しむ短刀に平謝りすることになった。
「なんでおいちじゃなくて僕……」
「すみませんでした」
 彼の兄二振りには絶対に知られてはならないと、箝口令をしいたのである。











 朝餉も全員で作り、食べ、朝から戦陣に趣いた。勿論審神者は留守番である。
 今日も忙しなく歩き回ろうとして、こんのすけに止められ執務室へ連れて行かれる。
「お仕事はたくさんありますからね! よい気の紛らわしにもなるでしょう! ささ、審神者殿」
「鬼かおまえは」
 ずずいと差し出された書類。その後ろ手にまだまだ隠し持っていることを知る。
 鬼か狐か。正体が怪しくなってきた狐に言われるがまま、確か式神であったはずの手に差し出される書類を次から次へとこなしていくと、時間が経っていたようだ。帰還の声が聞こえてきた。
「審神者殿ーっ!」
 とるものも放り出して、一目散に駆けだした。
「おかえりおかえりおかえりー! け」
「怪我はないよ」
「あ、はい」
「それから、これ」
「ふた……つ?」
「うん」
 差し出された二振りを受け取る。
「……」
 が、そこで止まる。
 サイズが小夜や五虎退と同じなのだ。どちらも。
 短刀で粟田口以外は極わずか。今回の戦場で拾えるものならば更に限られる。
「おいち」
「わたくしのことは、ご案じ召されませぬよう。このくらいのこと、覚悟してまいりました」
「……」
 指が、震えていた。
 未だ五虎退ともうまく話せていない。それなのに、次々とやってくる、彼女にしてみれば叔父たちに囲まれてはたして本当に大丈夫なのだろうか。
 彼女は心を決めたといった。かと言って、それは個々を思いやらない理由にしていいわけがない。
 だが、今回拾った二振りに咎があるわけでもない。それにまだまだ戦力は足りていないのだ。
 せめて、彼女の心を待つか。
 言葉を発しかけたその時、遮るように白い姿が一歩前に進み出た。
「だ、大丈夫ですよ!」
「五虎退」
「みんなも、僕と同じです。同じ粟田口だから、たくさんお話したいと思います……」
「……おいち。わたしは、待つ。今回拾った二振りがいなくても大丈夫なように。強くなるまで。だから、今回は置いておこう」
「主」
「鍛刀出来ないわけじゃないから大丈夫! 次は打刀出すぞー!」
 おう! 拳を振り上げ、意気揚々本丸へと戻って行く後ろ姿を、おいちはぽかんと見送った。
「あ、るじ」
 そして、彼女よりも少しだけ小さな手がその手を引いた。
「行きましょう。おいちさん」
「……はい」
 自分たちが案じているよりもずっと彼らの心は強かったのかもしれないと、小夜は後に続きながら思った。
 自分の兄が二振りいると言う。一振りは打刀。よく見かけるという。もう一振りは太刀。その中でもあまり姿を見かけないという。見えるのはずっと先になるだろう。
 兄二振りと並んで歩く先を想像した。
 こんな風なんだろうか。
 はじめて復讐以外のことが、小夜の心を占めた。











 その日の晩。執務室にて勤しんでいた審神者の下を一振りが訪れた。言わずもがな、おいちである。
「主。失礼いたします」
「どうしたの?」
「少々、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「いいよ」
 思い至る節がないわけでもなかった。
 手を止め、おいちと真正面から対峙する。
 おいちは刀身を小脇に置いて、居住まいを正した。
「本日持ち帰りました二振りの顕現をお願いいたします」
「おいち」
「わたくしのことはご案じ召されませぬよう」
「それは、わたしの心のことだからおいちが決めることじゃないよ」
「いいえ」
「……おいち」
 彼女の瞳を見た時から、なんとなく気付いていた。頑ななその意志、覆せない決然とした言葉。
「先程、叔父上が仰いました。他の叔父上方もわたくしと話したいと」
「五虎退が…」
 一歩退いて、おどおどとこちらを窺っているような子供だと思っていたというのに。その場に居合わせなかったことが残念に思えた。
「ですから、わたくしのことはご案じ召されませぬよう。今は一振りでも戦力が欲しい時分。迷う時にありません」
「だけど、おいちのことなんだよ。おいちの心のことなんだよ。主として、心配しないわけにはいかないじゃない。戦力も心配だよ。だけど、そこをなんとかするためにわたしは学校に通って、勉強したんだよ」
「はい。わたくし、そのみこころを知っております」
「おいち」
 話は平行線を辿った。
 いつになく鋭い双眸で見つめる主を、初期刀は真正面から見据えた。
 いつだって主は自分達の事を考え一喜一憂。忙しなく過ごしていた。
 主と定めたわけではなかった。それしか道がなかったからだ。
 けれど、自分は刀の道を選んだ。そして、彼女が主となった。ならば、進む道は決まっている。
「粟田口の一振りとして胸を張れない生き方は望みません」
 まっすぐに見据えるその視線に、束の間怯みそうになった。
 が、やはりその心根は譲れなかった。
「みんなの主として、胸を張ってるんです!」
「……」
「……」
 そして、その様を陰から聞いていたのは小夜左文字。
 小さく息をついて、執務室を後にした。
 それから半刻後。二振りを手に、再びおいちは執務室を訪った。
「おいち」
「わたくしめも絶対に引き下がるわけには参りませぬ。主の刀剣として、足を引っ張るような醜態をさらしては粟田口の叔父上たちや父上に面目が立ちません」
「知るか! こちとら面目よりおいちのほうが大事じゃ!」
「なんと聞き分けのない…」
「ねぇそれわたしのセリフだよね? やめてくんない? わたしのセリフとるのやめよ?」
 でん、と立つおいちは、頑として引く気配はない。それは審神者とて同じことだ。
 彼女のアホ毛が怒りに震えるたびにひょんひょんと揺れる。
 なんてこったい。何が可憐な淑女だ。親譲りの曲者で頑固者じゃないか。
 ひょんひょん揺れるアホ毛が妙に子憎たらしく見えた。
「わたくしが大丈夫だと言っているのに何故お耳に入れてくださらないのですか!」
「入れてるじゃん! 入れてるけど、おいちの大丈夫はあてにならないんだってば! もうちょっと自分のこと大事にしよう? 可愛がろう?」
「っ、……わたくしだって!」
 おいちが声をはりあげた。滅多に声を荒げることもないのに、本丸中に響き渡るような声だった。
 稍あって、しょぼしょぼと俯いたかと思うと、彼女の口は小さく言葉を紡ぐ。
「わたくしだって……。わたくしだって、叔父上に会いたいのです……」
「おいち」
「まだ見ぬ父上。鳴狐大叔父上。たくさんの叔父上方。遠目にお姿を拝見したことはありますけれど、直に見えたのは五虎退叔父上がはじめてなのです」
「おいち」
「父上にも好いてもらえるかわからぬ身。不安でたまりません」
 彼女の父は一期一振。粟田口唯一の太刀だという。母は審神者。半神半人の粟田口の眷属。
 彼女は幼い頃に政府預かりとなったと言う。父母のいる本丸がどうなったかは何も言っていなかった。滅んだのかもしれない。そうでないのかも、しれない。
 何故彼女は手放されたのか。
 彼女が過ごすはずだった本丸の付喪神たちは、彼女を手放したのか。
 それは、彼女が幼い頃から抱えていた疑問だったに違いない。
 もしかしたら嫌われてしまったのかもしれない。だから父も母も、そして粟田口や他の付喪神たちも彼女を手放し、政府へ預けた。
 ならば、この本丸の眷属たちにはたして好いてもらえるだなどと思えるだろうか。
 否。
 不安だった。
 けれど、五虎退は言った。もっと話したいと。
 だから。
「きっと、わたくしは不安を抱えたままでは強く在れません。刀としての生を選んだ身。わたくしとて末席に座す一刀剣。強くもなれない我が身など、情けなくて情けなくてなりませぬ!」
「おいち……」
「平に。伏してお願い申し上げます。顕現を。主」
 額づき願うそれは、本物だった。覚悟も、願いも。
 唇を結ぶ。
 ならば、その覚悟を受け取ろう。
「……もし無理そうだったら、刀解でもなんでもするからね」
「ご恩情に感謝いたします。主」
「まったく頑固者が。完全に見誤っていたよ!」
「申し訳ありません」
 彼女の持って来た二振りを手にする。
 ずしっと重く感じられた。
 一振りずつ顕現するなど、方法が他にあったかもしれない。今更だ。
 一振りずつ来てくれればいいものを。心の内で恨みがましく呟いた。
 けれど、もう彼女の覚悟は決まってしまった。
 手を翳す。力を注いだ。
 鼓動が、返る。
 間を置いて、ふんわりと桜が弾け飛び、光が散った。
「秋田藤四郎です。外に出られてわくわくします!」
「前田藤四郎と申します。末永くお仕えします」
「……。うん。……うん。よろしく」
 よろしく。
 わたしと、おいちと。二人とも。
 ヘタクソな笑顔で、審神者は笑った。
 頬に伝うそれを見て、慌てふためく二振りがなんだかおかしかった。
 次いで、おいちを視界に入れ、彼女をまじまじと眺めた後に二振り揃って兄の名前を呟いて首を傾げた。また一から事情を説明すると彼らは頷いて、しかし稍距離を置いておいちを眺めた。
 彼らは小夜に任せることにした。
 残ったおいちは、ぽつりと呟いた。
「童の姿であれば、叔父上たちにも可愛がってもらえたのでしょうか」
「そうだねぇ」
 それは、子供を相手にするからだ。
 七つまでは神の眷属だという。神のいとし子。故に、愛されるだろう。
 だが、彼女は打刀より一回り小さなくらいだった。姪っ子のはずだが、姿佇まいが自分たちよりも大きいので声をかけるのも躊躇われてしまうのだろう。文字通り、どう扱っていいのやらといったところか。
「可愛がってもらえただろうけど、そうじゃなくても、可愛いんじゃないかな」
 そうやって悩むのは、彼らの中に兄への敬愛と姪っ子への愛情が既にあるからなのだと。彼女はきっと気付いていない。
 あえて言う必要もあるまい。
 いずれ彼女はそれを知ることになるのだろうから。











 この時ばかりは、主譲りの気性が恨めしく思えた。
 主といっても、旧い主だ。一度燃え焼けて記憶も失われてしまっているので、真に譲り受けたのかも怪しい。
「――」
 部屋へ足を踏み入れると、褥に横になっている少女の瞼が震えた気がした。
 気のせいだったか。
 その後身動きしない少女を見遣って、小さく息づく。
 桶に入った水で手巾を冷やす。少女の全身を拭ってやると、心なしか浮かない顔が晴れた気がする。
「私も、年か」
 この頃、とみに幻影を見る気がする。
 はては、この手で手放した娘が出てくるものだから手におえない。
 今、何処にいるのだろうか。健やかであるだろうか。
 自分譲りの髪色。彼女譲りの愛らしい顔立ち。
 誰もが祝福し、愛しい幼子を可愛がった。
 唯一人をのぞいて。
「――」
 早く。目を覚まして。
 一緒に探しに行きましょう。私達の娘を。もうずっと昔に手放してしまったから、姿かたちが分からないだろうから。早く。
 私達の生があるうちに。
「いちにぃ」
 ぼんやりとしていると、障子の奥から高い声が聞こえた。ひっそりと足音を忍ばせて部屋に踏み入る。
「乱。どうしたんだい」
「主は?」
「眠っていらっしゃるよ」
「そう……」
 隣に座る弟の頭を撫でてやると、少しだけ強張った表情が和らいだ気がした。
「主、起きないね」
「そうだね」
「いちにぃのせいなんだからね」
「そうだね」
「なんでそんなところだけ前の主さんに似ちゃったのかなぁ」
「本当……私も、そう思うよ」
 愛したはずの人を捨てて、年若い女へと走った。二人の子をもうけたが、一人は夭逝。一人は戦火に燃えた。子孫も、亡い。
 どうしてここまで似てしまったのだろうか。燃えて、焼けて、記憶もないのに。
「元気かなぁ」
 それが、少女のことではないことは分かっていた。
 そうだねぇと返して、思いを馳せる。
 小さな手だった。握り返す力も強いのに弱々しく、すぐに振りほどけてしまう。だのに、放したくなかった。
「また、会えるかなぁ」
「会えるよ」
 会いたい。とは、言わない。
「薬研がね、お薬をたくさん作ってるの。姫は主に似て嫋やかだろうから、病に罹りやすいかもしれないって。どこか悪くしてるかもしれないって。いろんなお薬」
「そうか」
「薬研だけじゃないよ! 鯰尾兄さんは馬糞を集めて、姫に酷いことをしてる人がいたら馬糞の中に埋めようって言ってる」
「それはそれは」
「いちにぃも埋められちゃうんだからね!」
「そうか」
 きっと、それはとてもおそろしいことなのだろう。
 おそろしく、楽しくて。
「博多はね、今のうちにお金を貯めて何不自由なく育ててやるんだ、って息巻いてるよ。長谷部も協力してる」
「長谷部殿まで」
「ボクは姫を可愛くしてあげるんだ! 加州と一緒に考えてるんだよ!」
「ありがとう。乱」
「……うん」
 泣いてしまいそうなほどに弱々しい声音だった。泣いたのかと思った。
 唇をぎゅっと結んで、顔をくしゃくしゃにして。それでも泣いていなかった。もう涙も枯らしてしまった。
「会いたいよ。姫」
 そうだね。
 そう返してやりたかったのに、言葉が詰まってしまってかなわなかった。
「あるじぃ……おきてよぉ。いっしょに、さがしにいこ? ボクたちもお手伝いするから。ね? だいじょうぶだから」
 あまり主を煩わせるんじゃないよ。そう言うことも出来なかった。
 席を外し、その場を後にした。
 ひやりと冷たい夜風が染みる。この本丸はずっと雪景色だ。
 ああ、外は今いつなのだろうか。
 あの子は、寒い思いをしていないだろうか。この手にあれば、外套をかけて温かくしてやるのに。
 それでも、自ら手を放した以上、探すことはしてはならないのだ。
 探すときは、少女とともにと決めている。
「――」
 ふと零れたのは、もう何度目にもなる最愛の娘の名前だった。
 二人で名付け、少女が一度も呼ぶことはなかった名前。

 ――……。寒いから、手袋でも買おうか。

 ――あ、うー

 ――おまえは私に似ているから、きっと寒さに弱いだろうね。ちゃんと温かくしているんだよ。

 ――うー

 ――おまえはまだ小さいから。大きいものにくるまってしまえばとても温かいだろうね。

 ――あーあー

 ――私も、そのくらい小さくなりたいな。そうしたら、おまえと二人でくるまれただろうにね。

 ――あー

 ――……。……。すまない。……すまない。

 不甲斐ない父で。おまえと母を守れない父ですまない。

 ――可愛い私の娘。その先にただのひとつの憂いもないことを祈っているよ。

 雪に紛れて、涙は冷たく凍った。
 小さな手は、それでも自分の手を探していた。
 その手を握らないと決めたのは、自分。
 温めてやるのも、もう。
「――」
 かなうならば、おまえがうまれることのない時までやり直したい。
     
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