どうして気付かないのか。
 なまっちろい腕。女のように白くか細い。否。女のものだ。男であるにしても柔らかすぎる。
 どうして気付かないのか。
 視線を遣ると、あの気位が人一倍高い古いだけが取り柄の三条ですら気付いていない。神剣連中や平安連中ですら。まったくこれだから置き刀は。蔵に仕舞われて長らく経って現世へと呼び寄せられたから耄碌したのだ。
「初めまして。おれは、この本丸へ新しく派遣された審神者だ。よろしく」
 可愛げのないことに、笑顔も見せず男装した人間は言った。
 なんと傲慢な。ニンゲン如きが末席と雖も神を使うと言うか。
 不快感をありありと示す中、彼らと自分が見ているものがまったく異なることを悟った。気丈にもしゃんと背筋を伸ばし、まっすぐに目線を逸らさない。
 震えてもいない。言い換えれば、それは相当に気を張り詰めていることと同義である。
 どうして気付かない。
 置物連中だけではない。実戦連中ですら、否、この中の誰も気付いていない。自分以外誰も。
 切りかかられても真正面から対峙する。
 剣筋は危うげで、慣れていないことが瞭然だ。だが、誰も気付かない。不思議なことに、まるで目くらましでもかけられたかの如く。
 どうして。
 ギリギリで躱し、刀身を奪う。それは短刀だから出来たことだ。弱り切って、今にも折れかけていたからこそ。真実剣を扱うものならば、仮令ほんの少しでも習っていたならば、やすやすと奪うことが出来ただろう。
 兄刀が剣を向けても、冷然と見下した。
 おまえたちはしもべなのだと。自分に仕える立場なのだと明確にし、それだけを置き残して。
「いいか。よく聞け。お前らを全員手入れし、ここを『ブラック本丸』から良き方へと変えることがおれの使命であり望みだ。仮令、刀解をおまえらが望んだとしても叶えてやるつもりはない。覚悟しておけ」
 少女は、一度も自分達を見ることはなく立ち去った。
 初対面で好奇心はにょきにょきと刺激され育っていった。遠目から眺めるようになり、彼女の生態は日常を擽るには十分だった。
 翌日には鳴狐を近侍にし、二人がかりで大掃除にとりかかっていた。
 時折、面白おかしい声が聞こえてきて、耳を欹てながら縁側でひなたぼっこをした。
 なんとまあ元気で溌剌とした女なことよ。
 しかし、嫌いではない。元気であるのも、溌剌としているのもいいことだ。好きだ。
 だが、元気すぎるのはいけないことだ。
 夜中、一人こっそりと部屋を後にする彼女に気付いてしまった。
 まったく自分の観察眼には感服だ。
 夜闇に紛れてひっそりとゲートへと向かう彼女を追う。管狐を言い含めてゲートの向こうへ消えて行ってしまった。
「青江の旦那、こんなところでどうしたんだ?」
「おや。薬研くん。ちょうどいいところに来てくれたね」
「? 本当にどうしたんだ?」
 首を傾げる薬研に事情を説明し、ゲートへと向かう。
 よかった。息をつく。
 夜目で目が慣れ始めていたところだったが、彼の体調が良好だった。どろりと彼に纏わりついていた黒い靄のようなものも薄らいでいるようで、血走っているようだった目が本来の彼の色を取り戻していた。
「やあ、こんのすけくん! これから僕は彼女の後を追うから、後は任せたよ。薬研くんに準備してもらっているからね」
「あ、青江殿!」
「彼女のことは任せておいてよ」
「よ、よろしくおねがいいたします!」
 心底案じている表情で(とはいっても管狐なのでよく分からないが)、いつまでも見送っていた。ふっと笑いかけると、少しだけ表情に変化を来したような気がした。
 ゲートの向こう側には瞬く間に辿り着いた。
 血煙のにおい。渦巻く戦意。土煙が戦塵とともに舞い上がった。
 すん、と懐かしい戦場の記憶が香る。
 嗅ぎ慣れたにおいが遠く離れたものとなっていたことに苦笑を零した。
 彼女の行方は――気配を探り、まず敵のものを感じ取った。あっちか。足は向く。
 彼女の気配は感じられない。だが、敵は必ず彼女を襲うだろう。素人かどうかすら嗅ぎ取れなくなっている同族達と違い、素人を明確に嗅ぎ分ける歴史修正主義者ならば彼女の気配を読み取るだろう。
 予想通り、敵は彼女をいたぶっていた。
 唇を噛み締め、敵を睨み、対峙する。弱々しい光が敵を射抜いた。
 死ぬ。
 殺す。
 二つの感情がせめぎ合い、一方が打ち負かそうとしているのにもう一方が見えない力となって叩き潰さんとしている。
 かち合ってすらいないのに彼女の視線が自分を射抜いた気がした。
 瞬間、全身を鳥肌がくまなく覆い尽くした。
 歓喜。
 得も言われぬ感動が湧き上がる。
 身体は身勝手だ。思考が何かを動かせる前に向かっていた。
 救い出した彼女は、弱々しい女だった。抵抗もまともに出来ない女だった。
 あったのは、彼女を守れた誇りだった。











 ゆうらりと瞼を上げると、広がったのは見慣れない天井だった。見たことはある。よく思い出せなかったが。
「やあ。お目覚めかい?」
 声の赴くまま、視線を移すと緑色の髪を流した男が見下ろしていた。緑というには深い色合いだ。湖の辺に伸びる葦のようだ。
 まじまじと男に見惚れていると、彼はにっこりと笑った。
 否。
「気分はどうだい?」
 にっかり。その名の通り、夜に姿を現す幽霊のような笑顔が浮かぶ。
 名を思い出すと昨夜の記憶がまざまざと蘇った。青江は頃合いを見計らって声をかけた。
「ぐっすり眠っていたからね。起こさないでおいたよ。だけど、まさか四日もずっと眠っているだなんてね。物語の中の深窓の姫君もそんなにぐうすか寝てないよ」
「わ、る」
「ああ、勿論謝罪は要らないよ。僕は君をこっ酷くいじめてやりたいだけなんだから」
「……」
 先手を打たれ、ぐっと押し黙る。にっかり笑顔の奥の瞳が怪しく光る。
「いいね。君を口で打ち負かすだなんてなかなかない爽快感だったよ」
 ぐうの音も出ない。とは正にこのことか。
 誰にも言わず黙って戦場に出た上に(管狐には言ったが)助けられ、剰え傷の手当てをされた身では居心地悪いことこの上ない。身の置き場がなく居た堪れない気持ちでいると、隣からクスクスと揶揄うような笑い声が耳に届く。
「青江」
「いやいや。いいねぇ。君みたいな強気な女の子を黙らせるのは」
「……強気なつもりはない」
「そうだね」
 ふっと柔らかな笑みへ変わり、青江の指先が前髪を払った。
「そうだね。君は、気を張りすぎだね」
「……」
 自身が女であることなど、青江はとっくに知っているだろう。
 最初出逢った時、どんな顔をしていただろう。恨み辛みが集中砲火する中、一人一人の顔を確り見ていなかったことに今更ながら気付いた。
 最初からこんな顔はしていなかった。それだけは言える。
 まるで慈しむような、それでいて優しげな面立ち。見詰められた瞬間背中をぞっと寒気が走った。
「ぐ、っ…」
「あーこらこら。ダメだろう? 起き上がっちゃ」
「さ、わるな…っ」
 飛び起きた途端、布団の中へ逆戻りした。身体中を激痛が走り、刺された痛みが甦った。
 青江が手を伸ばすも払いのけた。
 気持ち悪い。
 得体のしれない視線に晒された気分だ。
 睨まれているというのに当の本人はにっかり笑顔。
 それでもなお、身体を横にしようとしないのをみかねて青江は笑顔を消した。
「なんなら張り飛ばしてもいいんだよ。ろくに剣も扱えないくせに戦場に出るだなんてマネをしたんだからね」
「それは」
「僕達のため? それとも言うことをきかないから? なんだっていい。それは僕達への侮辱だよ。――戦いを舐めるな。僕達はあの地で、命のやりとりをしているんだ。やるか、やられるか。死ぬか、生きるか。昨日今日剣を触ったのが初めての子供に出られても迷惑だ」
「……」
 それは、真理だ。
 資材がない。日課をこなさねばならない。
 理由はいくつもあった。
 だが、それは彼らの誇りと比重すべき問題ではなかった。
 傷付けたのだ。誇りを。
 影を落としたのをまじまじと青江は眺めた。
 言い過ぎたとはまったく思わない。どんな反応をしているのか観察していた。
「ま、その身体の傷が治るまではゆっくりしていることだね。こっちに誰も来ないように見張ってあげるからね」
「青江」
「じゃ、お大事に」
 言葉を聞く前に、青江は襖の向こうへ行ってしまった。

 ――戦いを舐めるな

 脳裡に彼の言葉が響く。
 何もない掌をじっと見遣り、事実そこには何もないことを悟って小さく息をつく。
「戦い、か」
 舐めていたわけではない。が、自身の行動で誇りを傷付けてしまえば同義だ。
 ろくに剣も握ったことがない手で、体術すら身に付けていない身体。
 無謀だった。

 ――気を張りすぎだね

 そうだ。気を張っていた。
 彼らを刀解などさせるものかと。主と認めさせ、ここをブラック本丸からより良き方へと変えるのだと。それだけを考えて。
 それだけしか考えず。
 再び顔を上げた時、そこには決意が宿った。











 夜。
 誰しもが寝静まっている時分。
 青江は嘆息を零した。
 またか。
 ひっそりと部屋を抜け出し、人目を忍ぶ彼女の姿がその先にはあった。
 あれだけ言い聞かせたと言うのにまだこりないらしい。重たい身体に鞭打って、壁を伝ってやっと歩けるような状態で一体今度は何をしでかしてくれるというのか。
 後ろからこっそりと後をつけると、彼女は離れへと向かった。
 本丸には幾つか離れがあり、彼女が使っているのは執務室とは別の清浄な部屋だった。手入れ部屋ともまた違うが、彼女を療養させるために庭の手入れを久々に行ったのは記憶に新しい。
 別な離れへと入っていく彼女を追い、扉の隙間から覗く。
 そこは、手合せのために設けられたものだった。割と初期段階からあるそこは本来ならば内番の手合せで使われるはずだったが、長いこと使われていなかったためか、ところどころ時間の経過を感じる。
 まさかと思っていると、木刀を抜き、振り下ろし始めた。
「うわぁ……」
 マジか。マジだ。
 バカだ。バカがいる。こんなバカを初めて見た。
 一心に振り続ける彼女から視線を外せない。あんぐりと口を開けた。
 いくら素人は黙って引っ込んでろと言われたからって、言われたその日に、怪我も治っていない身で鍛錬を始めるとは誰が想像しただろうか。女の身でありながら、なまっちろく細い腕で。型すらきちんとなっていない。あれではただ振っているだけだ。
 思わず天を仰いで息を大きく吐き出しかけたところで、我慢ならずスパンと扉を開けた。
「青江?」
 バカだ。バカだバカだとは思っていたが、コイツは本物のバカだ。
 土足でズカズカ上がりこみ、彼女の黙然で止まる。
 ほぼ同じ目線にある彼女が不安を宿していた。
「あお…っ」
 次に口を開いた時、その細い首に手刀を下ろしていた。
「バカにつける薬はもう痛みしかないよね」
 冷然と、腕の中の彼女を抱いて呟いた。
 審神者の寝ていた離れまで軽々と抱きかかえて運び、布団の中へ放り投げた。
 暫くは起きていられないだろうが、先程のこともある。念には念を入れておくべきだ。
 目覚めても歩き回ることが出来ないように少々荒っぽいことをして、離れを後にした。
 刀剣達が一塊になっている大部屋へ行くと、待ち構えていたように鳴狐と薬研が出迎えた。
 彼ら二人を連れ、近くの部屋へ場所を移す。
 事のあらましを聞いた二人は呆れて二の句も継げなかった。
「おいおい、青江の旦那。そりゃマジか」
「流石に冗談ではなかったみたいだね」
「マジか……」
 とんだはねっかえりのじゃじゃ馬娘じゃねぇか。
 甥の言葉に同意するかのように、鳴狐は目を閉じた。
「兎に角、今は交替で見張るしかないよね」
「ああ。そりゃそうだ」
 なにしろ一度単騎で簡単な函館と雖も出陣した前科がある。刀剣から人間の肉体を与えられた自分達ですら単騎出陣は厳しいというのに、女の身である審神者ならばと思うとぞっとする。目を離せば鍛錬に打ち込むのだろう。仮令、外に出なくても。
 目下の目標はあの人の言うことなんてミミクソほども聞いていないだろう審神者を、せめて全快するまで布団に縛り付けておくかが重要になった。
 更に、迂闊にホイホイ出歩かれでもしたら他の刀剣がどう動くか。
 今でこそ気付いていないが、怪我を負った彼女は正にカモがネギ背負って自分で鍋を拵えてくれたようなものなのだ。あの時とは状況が違う。
 まるでそのことをちっとも理解していない、しようともしていない傲慢な審神者に何故自分達がこんなにも頭を悩ませなければならないのか。頭が痛いばかりである。
 翌日。目覚めてすぐにホイホイ出歩こうとした審神者に、三人がかりで布団へ縛り付けたのは言うまでもないことだった。






     
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