「そういえば、いちいち起こさなくても傷が深くない人は放っておけばいいかしら」
 手間がかかりませんし。
 顔色一つ変えず言ってのけた新しい審神者へ、こんのすけはぎょっと目を剥いた。
「さ、審神者様! そのようなことを言ってはなりません!」
「あら。ごめんなさい。いえね。ただたくさんいるのを一人一人起こしてまわっていたら、重傷者がくたばってしまうのではないかと思いまして」
「ですが、言葉を選んでください…」
「ええ。そうね。ごめんなさい」
 ちっとも悪いとは思っていないような顔だ。歩調も変わらない。
 この本丸へ入った当初の、鬼気迫る様子はすっかり抜け落ちていた。
 大丈夫だろうか、この人。
 しかし、引き留めることもまた出来はしなかった。











 裏切り者!
 罵った。いくたびも、罵倒をぶつけた。
 けれども、声は決して届かない。家臣へ下げわたし、満足げに笑う男をいつか討ち取ってやろうと思った。
「へし切長谷部と言います」
 新たな世界で人の身体を得て、うっそりと笑った自分を見てよろしくと差し出された手に自然と同じものを重ねていた。
 殺してやりたい気持ちがいつしか流れていくのを感じた。
 友のように親しい間柄ではなかった。寧ろ、配下として扱われていたと思う。
 けれど、言動の端々から優しさが滲み出て来て、慈しむ手に甘やかされていた。春の日に、桜の見える縁側で膝枕をしてもらいながら頭を撫でてもらっているような感じだった。
 口上ではなく、いつしか「主」と呼んでいた。

 ――おまえは優しいな

 いいえ。
 いいえ。
 優しいのは、俺に優しくしてくれたのはあなたです。
 言葉を返そうとすると、泣きそうな顔が間近にあって叶わなかった。
 取り立てて訊くこともなかったけれど、主が自分の優しさを知らないことが不思議だった。これは自分のワガママだから、と言ってまた笑うから。
 いいえ。
 いいえ。
 あなたは優しいのです。
 俺の心の恨みを春の雪解けの川のように、優しく流してくれたのだから。
 伝わらないのなら伝わらなくてもいい。
 だってあなたは優しい。
 それは、揺るぎない。











「う……っ」
 重たい瞼を上げると、光が射し込む。
 覚醒しきっていない頭を起こして身体を持ち上げると、節々が痛んだ。人の身を得てからはすっかり愛着が湧きそうなほどに慣れた感覚だった。
 未だ覚めやらぬ頭を抱え、視線を動かす。
 やけにぼろついた印象を受ける。
 こんな風だっただろうか。黒ぽい痕、刀傷、荒らされたような痕。
 どうにも記憶と異なる。
「っ……」
 瞬間、頭から激痛が走る。
 なんだ。
 なんだ、この痛みは。
 同時に記憶が流れ込んできた。まるで仕組まれたように。
 鮮明に、走馬灯宛ら甦る記憶は意識を失う直前までのものだった。
 夕餉、緩やかなひと時、書類を片づけ切れていない主の手伝い、自身の任務の報告書。
 敵襲。
 主の元へ急ぐ自分。
 主を守り、共に戦う。
 そして、
「主!」
 ここは任せた。
 戦場を捨て置いて、行ってしまう主。
「っ、ぐ…」
 痛む箇所を抑えていると、慌ただしい足音が聞こえてきた。
 もしや。
 期待に視線を上げると、正体が現れる。
「……だ、れ……だ」
 女だった。主よりかは幾許か幼い印象を受ける。
 女はひょっこりと顔を覗かせると、表情を綻ばせた。
「あ、起きていてくれたんですね。良かった! 怪我は?」
「いや……」
「そうですか。ならば、手入れ部屋へ向かってください。和泉守がいます。後は彼の指示に従ってください。あっ、他にも怪我人を見かけたら連れて行ってくださいね!」
 山姥切にも言っておけばよかった。
 意味の分からない悔恨を残し、彼女は去って行った。
「なんだったんだ……」
 兎も角、彼女の言うことは最もだったので従うことにした。
 途中、堀川兄弟(写しを除く)を見つけたので小さい方は担いで、大きい方は引きずって歩く。二人とも手傷を負っていた。











「兄弟!」
「主がいた! 追いかける!」
「うむ! ここは拙僧に任せろ!」
 行け。
 背中を蹴飛ばし、敵と対峙する。
「さて。行かせて負けるわけにはいかないよね、兄弟!」
「うむ。行こうぞ、兄弟!」
 地を、蹴る。
 写しだなんだと、自慢の兄弟なのに卑屈なことこの上なかった兄弟が自ら走ったのだ。
 兄弟として、心残りをさせたくないではないか。
 きっと同じ主に仕えた、慕う同族も頷いてくれるだろう。
 彼は。
 考えて、やめた。
 きっと彼は心をやられることなど望みはしないだろうから。












 瞼がやけに重たい。開けたくないな。このまま微睡から沈みたい。眠りの宮殿はさぞいたれりつくせりだろう。
 しかし、好奇心に負けてあげてしまった。
 驚きのないことなどつまらない。自分の性格を恨むでもなく、苦笑する。
 光が、差し込む。
 今は朝か昼か。
 身体がなんとなく重い気がした。起き上がるのも億劫で、口喧しい同族達にここぞとばかりにお説教されるのも覚悟の上で瞼をとろとろと下ろした。
 何故だか酷く怠かった。指一本動かすことですら。
 ああ、怒らないでくれよ。驚いてもいいから。もうちょっとしたら起きるから。
 とろとろと、微睡みのそこへ沈んでいく。
 意識は遠のき、優しく包み込んだ。












「和泉守」
 手入れ部屋へ行くと、言葉通りそこに膝を立てて座る同族の姿があった。
「おう」
「歌仙は……」
「さっき手入れをしてもらったところだ。今は終わって、眠っている」
「そうか」
 同族が兄のように慕う男の顔色はいいが、逆に傷のないような男の顔色は悪い。
 肩に乗せた同族を見せてよいものか悩んで、どうせすぐにばれることに思い至った。
「堀川達を見つけた」
「国広っ?」
 彼の相棒を下ろすと、慌てて駆け寄る。
 序でに引きずったもう一人も部屋の中へ入れた。
「中傷のようだ。取り敢えず連れて来た」
「すまねえ。礼を言う」
「山伏も傷を負っているようだ。後は任せてもいいか?」
「ああ」
 顔色がより一層悪く見えた。なんとなく席を外した方がいい気がして、断りを入れて立ち去る。
 手入れ部屋を後にし、来た道を戻る。その間、何振りもの同族の姿が浮かんでは消えた。
 同じ主を持った者。
 家族のような者。
 そして、主。
 なんとなく胸に渦巻く予感は考えないようにした。きっと考えてはいけないのだ。

[newpage]

 まったく可愛くないやつだった。
「へし切長谷部。変な名前でしょう?」
 皮肉気に笑うところとか。
「主命とあらば」
 なんでもかんでも主命と言って一向に心を開かないところを隠すところとか。
 だけど、いつも窺っている。自分の一挙手一投足をつぶさに見逃すまいとじっと見ている。物陰からひっそりと。
 バカだなぁ。可愛いやつだなぁ。
 あんなに可愛くないのに、どうしてこんなに可愛いことをするんだろう。
 きっとお前は知ったら恥ずかしがってもうしてくれなくなってしまうだろうから。だから、私の胸にひっそりと隠しておくとしよう。
 お前は私を優しいとことあるごとに言うけれど。
 そう言ってくれるお前だから可愛いんだよ。











 爆音とともに、本丸が一部破壊されたのを感じた。
「敵襲かっ?」
 素早く戦闘態勢を構えるその日の近侍に続き、自身の刀剣を構える。
 多くの足音と、次々と響く破壊音。
「主、私の後ろから離れないでください」
 剣を抜き放っていると言うのに、自分の動きを制する男をじっとりと見遣る。どこ吹く風、否、敵の気配を探っていて気付かない。
「何故本丸へ…」
 本丸は強固な結界が張られており、だからこそこの場を本丸と選び、審神者が配置されている。故に、審神者も安心して過ごせる。
 敵の気配を追い、部屋を出ると視界の範囲にこちらへぞろぞろ向かってくる骨がいた。大勢引き連れて宛らパレードだ。ハロウィンでもないというのに。
 剣を構える。
「主にあだなす敵は切る!」
「じゃあ、私はそのおこぼれをもらおうか」
「主」
 暗に下がれと視線が訴える。聞いてやる義理はない。
 視界の奥で、敵がこちらへ突撃する。
 立ち塞がる男を蹴り飛ばし、剣を振る。
 不意を打たれた敵は倒れる。が、その後ろから次々と迫りくる。
「長谷部、寝ころんでいる暇はないぞ!」
「あなたが蹴ったんでしょう!」
「文句を言っている暇があるなら、やれ!」
「御意!」
 言葉と同時に、振る。
 気配を辿ると、他の刀剣達も交戦していた。
「長谷部」
「なんでしょう」
「ゆくぞ」
「はい」
 剣を構える。名だたる刀工が作ったものではないが、長年連れ添った相棒だ。どんな代物よりも頼りになる。
 背中の近侍と同じくらいに。
「うぉおおおおおっ」
「はぁっ!」
 敵へ突っ込む。
 たった二人だというのに、背中に近侍の熱さを感じて、不安など微塵もなかった。
     
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