「待て」
「山姥切…」
 主のあまり大きくない双眸が見開かれた。
 刀一つ持って、人気のない場所へと進む主を見つけたのは偶然もいいところだった。敵を討ち、主を探している最中のこと。
「放せ」
「嫌だ」
 眉間の皺が深くなる。
 一番付き合いの長い自分だからこそ見つけられたのかもしれない。
 主の元へ一番に呼ばれたのは山姥切だった。他の誰よりも。
 写しだからと卑下する山姥切を否定することもなく、かと言って肯定するでもなく。長い時間を共に歩いた。
 背を預けられる唯一といわれたのは、山姥切だけだった。
 他の誰よりも、長谷部や加州よりも側にいたからこそ分かった。主の行動の意味も、行き先も。
 主は制止を振り切り、山姥切の手を払った。
「残念だ」
「主」
 言うが否か。主は剣を振った。
 それは、山姥切の腹を狙った。避ける間もなく衝撃が襲う。
「おやすみ」
 眠りに落ちる寸前、主の泣き出しそうな笑顔がこびりついた。

 ――おやすみ。相棒。

 優しい掌の感触とともに、眠りの底へ落ちて行った。











 瞬き一つ。いや、それよりもずっと短い時間を揺蕩った。
「起きてください! 起きて! 起きてってば!」
 うるさい。
 のろのろと瞼を上げると、眉間に濃く皺を刻んだ女が自身の頬をビシバシ叩きまくっていた。道理で痛いと思った。
「あ、起きた。おはようございます。怪我はないようですけれど、痛いところはないですか?」
「……頬」
「大丈夫なんですね! じゃ、手入れ部屋へ自分で行ってください。そこに和泉守がいますから彼に従って。私は他の刀剣を探しに行きますから」
 嵐のように、彼女はあっという間にいなくなってしまった。
「……」
 なんだったんだ。
 山姥切はたった一言を言うことも出来ぬまま、言われたとおりに手入れ部屋へ行く他なかった。
 重たい身体をひきずって行くと、言葉通りそこには同族が膝を立てて座っていた。傍らで眠るのは彼が常日頃から敬意の念を抱いてやまない兄のような輩。
 襖を閉め、中へ入る。荒らされた室内では辛うじて手入れが出来るだけのスペースがあった。
 同族の側に膝をついて顔色を覗き込む。悪くない。
「容態は」
「今、手入れをしてもらったところだ。手伝い札を使ったから今は眠っているだけだぜ」
「そうか」
 小さな息をつく。よかった。
 同族はふっと眼差しを和らげ、山姥切へ礼を述べた。
 自分達に仲間という概念は、恐らくない。
 あるのは、同じ主の元で戦うという誇り。
 だが、兄弟の概念は恐らくある。
 同じ派閥とする山伏や堀川は兄弟と呼び合い、時と多く過ごした。他の同族よりも情を多く置いた。
 和泉守も兄弟のようなものだ。堀川と主を同じくした故あってか慕っている。兄弟の兄弟は、自分達にとっても兄弟のようなものだ。
 和泉守の顔を覗く。少しだけ顔色が悪い。傷よりも、歌仙のことが気にかかっているのだろう。いくら兄弟のようなものだと言っても、近いところに情があるだけだ。和泉守と比べるまでもない。
「俺は、何をしたらいい」
「他の奴らを起こしてきてくれ。あと、深手を負っている奴らは運んできてくれないか」
「わかった」
 歌仙を任せ、他の同族を探しに行く。
 少しの間二人だけにしてやりたくもあった。
「……」
 ぼろきれを深くかぶり、来た道とは反対を行く。

 ――おやすみ

 ふと、主の声が響いた。











「主っ!」
「長谷部、何処へ行くつもりですかっ?」
「俺は主を追う。ここは任せた」
「馬鹿を仰い! あなた一人で…!」
 珍しいこともあるものだ。あの鳥籠の姫君が他人の心配をするなんて。
 感心している場合ではない。
 未だ言葉を連ねる同族を捨て置いて、主を同じくしたもう一人の同族を呼ぶ。
「おい、お前は厚と博多のところへ行け。粟田口は短刀と脇差が多い。鳴狐と一期一振だけでは心許ない」
「わかった。おめぇさんも気ぃつけろよ」
「お前に言われずとも」
 同族が向かったのを見届け、もう一組の同族達へ声をかける。
「ここは任せていいな?」
「ああ、大丈夫だよ」
「任せといてよ。夜は得意でねっ」
 剣を払うと同時に、いつもの調子で「戦のことだよ?」と言う。
 その言葉に戦場にありながら心が落ち着いた。
「早く行きなよ! 行って、主をぶん殴ってでも止めてくるんだ!」
「任せろ」
「長谷部!」
「……江雪。お前の弟達はお前で面倒を見ろ」
「……わかりました」
 目がかち合い、行けと背中を押した。
 悲鳴を置いて行って、主の元へと駆けだす。
「兄上!」
「宗三、小夜。私の側を離れてはいけませんよ」
「兄上!」
「宗三。終わったら、あなたもぶん殴ってやればよいのです」
「……わかりました」
 いつもは聞き分けの良い弟が珍しく言葉を濁した。
 共に主を同じくしたこともあって、普段は鬱陶しくしているのに、嫌いではないようだ。
「争いがないのは良いことです」
「兄上。争いの真っ只中だよ」
「……ええ。そうでしたね」
 自分の望むものはこの先にある。
 その先へ行くために、しなければならないことが山積みだ。
 江雪は、剣を握り替えた。
「和睦の道はないのでしょうね」











 敵の気配を感じとり、彼は飛び起きた。
 敵襲。
 あちらこちらで引っ繰り返す音、剣を交える音がした。
「鶯丸、獅子王! 起きろ! 驚きの時間だぜ!」
 既に、命の灯火が弱まっている同族の気配を感じた。
「そのようだな……」
「なんでここへ…!」
「考えている暇はないようだぜ」
 襖を叩き切って、敵が現れる。
「おいおい。襖は開く物であって切るものじゃないぜ? 母ちゃんに習わなかったか?」
 敵の剣が振り下ろされる。
 枕元に置いていた刀身を抜き放ち、応えた。
「君は親もいないのかな? 着替える暇くらいくれよ」
 戦装束すら纏えなかった。毒づくと、二人の同族の嗤う気配を感じた。
 彼らも刀身を抜き、敵と戦っていた。
 あちらこちらで命の灯火が弱まっている。今すぐにでも駆け付けたい場所がいくつもある。
 今にも消えそうだと言うのに、否、だからこそか、すぐ近くに同族の気配を感じた。
 まだ、行くなよ。
 胸の裡で引き留める。
 重い一撃を流していると、新たにやってきた敵が横から攻撃を繰り出した。応戦する間もなく、吹っ飛ばされた。
「ぐぁあああっ!」
 部屋二つ分は吹っ飛ばされた。
 同族達の悲鳴にも似た声が響く。
 辛うじて、着地の瞬間に態勢を整えることが出来た。
「鶴丸さんっ?」
「おお、燭台切か。驚いたか?」
「驚いたよ! 大丈夫かい?」
「なぁに。単なる掠り傷さ」
「その割には出血が酷いよ」
「お前に比べたら」
「ははっ。伊達男に見えるかな」
「ああ、一丁前にな」
 軽口を叩き合っていると、喋るな、と怒鳴り声が降ってきた。
 視線をやると、主を同じくした同族が敵と戦っている最中だった。
「大倶利伽羅。お前もいたのか? 驚いたな」
「いいから戦え」
「ははっ。余裕のない男は早死にするぜ」
 荒い息を必死で掻き集めながらも、立ち上がることも儘ならなかった。敵に切られた腹がじわじわと痛みを放っていた。これだから人間の身体は。弱くて、脆くて、未だに上手く使いこなせない。刀は折れたら新たに磨き上げればいいが、人間は壊れたらどうしようもない。
「だが、生身で戦えるのはいいよな」
「ふふ。そうだね。カッコつくよね」
 頭からダラダラ血を流し、一種のスプラッタになっている男もニヒルに笑った。
 自身を支えになんとか立ち上がる。
 自分を吹っ飛ばした敵が二つ先の部屋からぞろぞろと雪崩れ込んでいる。
 同族の命の灯火が今にも消えそうに弱まっていた。
「待ってろよ」
 今、行く。
 まだ消えるな。




     
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