「生きろ」
 烏羽玉色の双眸は、燃える夕やけ色に染まっていた。
 手を伸ばす。だめだ。縺れる足を振り切る。
 ふっと、今にも泣き出しそうな顔が笑った。
「―――」
 そうして、目を開けることも儘ならない閃光が覆った。
 どうしても、最期の言葉だけが誰も思い出せない。











 瞬き一つの時間が経って、世界が開けた。
 否。我ら神にしては短すぎる時間だが、人にしてみれば随分長い時間だっただろう。
 久々に開けるような気もする瞼を上げると、閉じる前となんら変わりなく、倒れ伏す同族達。あの恐ろしい炎の痕跡はない。
 とろりと今にも閉じそうな瞼を上げて、息の耐えかけた同族を揺さぶった。
 常日頃風流だ雅だなんだと言っているから、俺よりも先にぶっ倒れるだなんて惨めたらしいことになるんだ。とは言っても、殊の外この同族であり先人でもある彼に尊敬の念をあおいでいて、声すら震えてしまっていたから届かないのかもしれない。
 ちょっと揺すっただけで刀身がぼろりと欠けてしまいかねない。
 起きて。
 起きてくれ。
 閉じられた眸子は、開かない。
 他の同族になど目もくれなかった。
 相棒の姿は、ない。
 また置いて行かれたのだろうか。
 もう一人だけ尊敬の念を抱いている同族がいたが、姿が見当たらない。二人の弟を守ったのだろう。
 ああ、あと二人。身近な同族がいた。
 ボロボロと、錆びを落とす様に記憶のかけらが甦る。
 主君が同じ義を共にしていた頃。同じ戦場で戦い、途中で別れた二振り。
 彼らは? また、別れてしまうのだろうか。
 置いて行かれる。人にも、同族にも。
 また、人の身で別れを味わうのか。この辛さを知るくらいなら、この身など不要だったものを。
 鮮血が滴るほど握りしめられた拳が悲鳴をあげた。
 それは、声なき悲鳴の代わりのようで。
 宛ら、祈りが通じたかのようでもあって。
「大丈夫ですかっ?」
 降り落ちた声に、天の救いを映した。
「これは酷い…。今すぐ彼を手入れします。こんのすけ、手伝い札はありますね?」
「は、はい!」
 ほんのり明るい髪色の、薄桃色の頬が愛らしい。
 彼女は状況に微塵も動じず、てきぱきと指示をした。
 そして、自身を振り返ると、張りを一閃。
「ぼさっとしない! さっさと運んでください!」
 捲し立てると、彼の刀身も持って立ち去った。
 茫然と自我を失ったのも束の間。何が何やら分からぬが、慌てて後を追う。
 彼女は迷うことなくズカズカと廊下を歩き、まっすぐに手入れ部屋へ歩んだ。その後ろを小さな狐が走る。
 手入れ部屋に着くと、乱暴に襖をスパンと開けて中へ入る。が、一度歩を止める。中の惨状に眉間の皺を濃くすると、焼け落ちたがらくたを蹴飛ばして刀身を置いた。
「こちらへ」
 指示に従い、背に負った同族を寝かせた。
 すると、温かな光が身体を覆い、見る間に傷を癒していく。
「練度が高いようですから時間はかかるでしょうが、致し方ありません。手伝い札は?」
「こちらです」
「ありがとう」
 彼女が見慣れたそれを翳すと、温かな光が大きくなって傷付いた身体を包む。徐々に強くなり、やがて目を覆うほどの光を発した。
 一刹那、同族の身体には傷一つ見当たらなくなっていた。
「まずは重傷者を運び込みます。あなたは中傷ですね? 手入れは後にします。ここにいて、彼を見ていてください」
 それだけ残し、彼女は来た時と同じように慌ただしく去って行った。











 彼女はごく平凡な人生を順調に歩んできた。優しい母、優しい父、優しい兄。何不自由することなく、心もまた同じ。
 何れは誰かと結婚し、温かい家庭を持つのだろうと思っていた。
 それが壊されたのは、政府の人間という値の高そうなスーツに身を纏った人間が訪れたからだ。
 彼女は大学を卒業し、一社会人となっていたため、家を出て一人暮らしをしていた。帰宅時間を知っていたかのように、さして冷たくもなっておらず、鼻も赤らんでいないその人達は彼女の部屋へ押し掛けた。
 曰く、彼女に審神者となってほしいということだった。
 数百年前の歴史修正主義者の政府・本丸急襲事件により、審神者の数は激減した。なんとか残った政府で立て直したが、未だ戻らず。新たな審神者を募るも、急襲事件により志願者は減った。
 彼女には審神者としての力があり、その力を政府のために使ってくれないかという依頼だった。
 突撃してきたわりには、丁寧な物腰と説明だった。だからと言って一概に頷けるわけでもなかったが。
 通常であれば、新しい本丸を持つのだが、彼女は違った。
 とある本丸を引き継いでほしい。
 それは、彼女の遠い遠い、それこそ血の繋がりも微々たる遠い先祖が運営していた本丸だった。しかしながら、急襲事件により崩壊。彼女の遠い祖先は死に絶え、遺されたのは祖先の愛した刀達だけだったと言う。
 そもそも、何故祖先が死んだのかと言うと、急襲に刀剣達は反撃したものの突然のことだったため敵の勢いが激しかった。次々と今にも散りかける命達。
 祖先は、その命達が散る寸前に術をかけた。
 祖先は刀剣達と戦場へ出る勇ましい人で、歴史修正主義者と戦いボロボロの身体だった。立っているのもやっとの状態でかけた術は、本丸全体を守るものだった。悪しきを排除し、強い結界を築くことで中の者を永久に守る。
 それは、本人にしか解けないものだった。
 辛うじて一命をとりとめた刀剣達はその術により命を長らえた。しかしながら、術のために誰も結界の中へ入ることが出来ず、未だ深い眠りについているという。
 それから政府は長い時間をかけて術を解ける人間を探したが、誰にも成し得ることは出来なかった。
 その矢先に選ばれたのが彼女だった。
 祖先の直系の子孫はいなかったが、血縁者はまだ存命していた。その中でも祖先に一番近い血の濃さと、力を持つのが彼女だと言う。
「お願いいたします」
 政府の人間は頭を下げ、彼女へ慈悲を願った。
 審神者となれば、現実社会で生きていくことは難しくなる。人間界へ行くことは出来るが、歴史修正主義者と戦うために油断も許されない。
 政府がサポートを行うが、それでも最後は自身の力である。
 更に、数百年前から歴史修正主義者の力は増している。
 平穏か、情か。
 彼女は選択を迫られた。
 決断は早かった。
 彼女は家族へ手早く別れを済ませると、祖先の本丸へと向かった。
 そこには、分厚い結界が張られており、触れただけで弾き返される。
 全身全霊の力を注ぎ、結界を解くと、破片が降った。

 ――たのむ

 何処からか、声が聞こえた。

 ――たのむ

 必死に絞りだした声に、彼女は頷いた。
 中は荒れ果てており、彼女は近くにあった部屋へ入った。
 そこには既に目覚めている刀剣と、傍らには重傷を負っている刀剣が倒れ伏していた。
 彼女はキッと眦を釣り上げた。
[newpage]

 燃える本丸。
 長い間友と過ごした記憶の宝箱がボロボロと焼け落ちていく。
 次々と友は倒れ、今にもその命を落とそうとしていた。
 自身を守って、或いは友を守って命を終えようとしている彼らをつぶさに感じ取っていた。
 切ってはまた現れる敵。どれだけ倒しても蟻のように何処からともなくやって来る。
 やがて、一つの命が終わりを迎えようとした。
 同時に、腹が決まった。
「さびしいなぁ」
 長い間、共に飯を食い、同じ時間を過ごした。共に戦場を駆け、時には野営をして星を数え、酒を飲んで語らった。
 どれも思い出す事など出来はしない。いつだって鮮明に覚えている。いくら年を重ねようとも、彼らとの歩みはとても楽しかった。
 けれど、その命の瞬きを掬うことが出来るのは自分だけだと知っている。他の誰にも出来はしない。
「長谷部。ここを頼んだぞ」
「主っ?」
「ここは、任せた」
「主……? 主っ、主!」
 長く苦楽を共にした男を捨て置き、場を離れる。
 敵の気配のないところへ行き、剣を下ろした。
 さびしい。
 けれど。
 長い術を唱え、次第に光が爆発する。
「やめろ、主! 主!」
「……ああ、見つかってしまったか」
 いや。初めからそこにいたのだろう。周りには敵の残骸があった。
 その傍らには、彼の兄とも慕っている友が散りかけていた。
「生きろ。和泉守」
 生きろ。友よ。
「―――」
 光が全てを食らい尽くす寸前、遺した言葉をはたして彼は聞き取れただろうか。そうだといい。もうこれだけを伝えられたら十分だ。
「主ぃいいいいいいっ!」


     
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