おまえの目にはなれない
「長谷部くん。今夜、抱くから」
突然の宣言に、束の間ぽかんと呆けた。
「あ、うぁ、」
やがて、言葉を発することもできなくなり、抵抗も出来ず、かと言ってしたいわけでもなく。その厚い胸板に掌を乗せ、少しだけ身体を預けるのが精一杯だった。

顔立ちをなぞる。精悍さが胸を打つ。輪郭に合わせて指を滑らした。
「ん?」
愛しさを秘めない表情が、どうしたのと、優しく尋ねる。
なにもない。なにも。
口に出すことは出来ず、身体にしがみついた。後頭部を撫ぜる手が、喉奥につかえているそれすら取り除いてしまうよう。
未だ繋がっている場所は、暫く動いていない。その手だけが優しく、喉に痛いくらいに優しく撫ぜていた。
しがみつくだけで精一杯で、そう背丈が変わらないと言うのに気遣う余地もない自分を決して責め立てはしなかった。
目の奥から次々とこみ上げるものを堪えようとするのに、その手が全てをだめにした。
仕方ないなぁというふうでもなく、本当にあんまりにも優しく愛してくれた。
次第に決壊したそれを、無骨な指が朧げな手つきですくう。
眉尻を下げ、しょんぼりと笑った。
「泣かないで」
ああまったく無理な願いだ。それだけは、どうしても聞いてやれない。
拙い手つきが、次々と零れ落ちるしずくを、傷付かないように、赤くなってしまわないようにすくった。そのせいでとどまることを知らず、彼を困らせてしまう。
「泣かないで、長谷部くん」
唇が、触れた。一瞬だけの、柔らかさも分からない。それが彼の精一杯だと知って、涙は流れる水のごとく勢いを増した。
もう一度、触れる。今度は、唇の端に。
もう一度。指が唇をゆっくり触れ、そして。
「かっこわるいなぁ」
押し殺したように、ぐっと何かを飲み込んで笑った。
「ごめんね、長谷部くん。かっこわるいけど」
そんなことない。
俺が、そうしたいのに。おまえと触れたいのに。どうして。どうしておまえばかり責めを負おうとする。
どうして、許可などとろうとする。
悲鳴は哀願へと変わる。
唇が降りてくると、今度は素直に目を閉じた。触れるだけの口づけを、長いこと離せずにいた。
「光忠」
か細く、絞り出すような声音に表情が歪んだ。
「好きだ」
「長谷部くん」
「好きだ。好きだ。好きだ。ーー好きだ……好きなんだ」
宛ら哀願のようなそれを、どんな顔で聞いているのか。見ることなど出来なかった。
背を辿って、恐る恐るしっかりとした腕が回る。男らしいくせに、頼りない仕草だ。
知っている。それが、好きなのだと。
もう愛してしまったのだと。
「光忠……」
溢れた泣き言を、彼は優しく聞いていた。

どぉん。
どぉん。
耳を穿つ音と重なって、次々と空へ大輪の花が舞い上がる。
人の世で美しいと楽しまれてきたそれは、目にも鮮やかだった。その美しさに声なく見惚れる者や、声を立てて喜び合う同族たちを微笑ましくも眺める。
「綺麗だな」
それは、何の気なしに出た言葉だった。
「そうだねぇ」
隣から声が返り、さっと全身が青ざめた。
「光忠!」
「とても、綺麗だ」
笑みを浮かべた顔に嘘偽りなく、慌てた自分が恥ずかしい。分かっていなかったようだ。
いや、と否定しかけたところで、隣に腰を落ち着けて空を見上げた。
「綺麗だねぇ」
答えられなど、出来ようはずもなかった。
しかつめらしい顔になると、くしゃりと逆に笑った。
指がのびる。
動けなかった。その指先の動きを辿るしか出来ず、頬にのび、唇に移るそれを止めなかった。
唇に、重なる。
一瞬の合間に重なったそれを追うと、見下ろす瞳があった。
どぉん。
どぉん。
同族たちの声が、耳を通り抜ける。
「 」
口づけをしたのと同じ唇が、音を象った。
それが、何を紡いだのかを知って、途端、言うことを聞かない自身の奥底が暴れ狂った。
「泣かないで」
どうして。
どうしておまえはそんな言葉ばかり聞かせるんだ。
「長谷部くん」
すっかりこの身に馴染んだ腕、胸板が閉じ込める。耳元に吐息が当たった。鼓動の音が早く、息遣いが熱く聞こえた。
「 」
今度はちゃんと聞こえたそれを、しっかりと耳と心と頭に入れて。それから、表情を歪めた。
頼む。もう言わないでくれ。
「ねぇ、長谷部くん」
温かみを持つ手が髪を撫ぜた。この色と、藤色の目が好きなのだといつしか言っていた。
おまえの蜜色の目は俺の藤からとったもかもしれないと冗談めかすと、そうだよと真剣な表情で言うのだ。だから、君のことしかもう見ていられないんだよ。だから、ずっといっしょにいてね。と。
なぁ、光忠。
おまえのその言葉が、今はこんなにも苦しい。
おまえの愛の証のようで、こそばゆくて痛いくらいだったそれが。いまはこんなにも切なく胸をしめつける。
「光忠……光忠っ!」
「泣かないで、長谷部くん」
泣かせてくれ。
「ちゃんと。いつか、ちゃんとかっこよく口づけを出来るようになるよ」
いつまで待てばいいんだ。その間におまえはどれだけ辛い思いをしなきゃならないんだ。
もういい。もういいんだ。やめてくれ。
「大丈夫だよ。僕はいつだってかっこよく決めてみせるよ」
やめてくれ。頼むから。
噛み締めた唇を優しく解かれる。
そっと滑った後、唇が降りた。
どぉん。
どぉん。
打ち上がっては咲き、消えゆくそれをもう見れやしない。
もう二度と俺は見れやしない。
こんなに悲しい口づけの思い出が残るものなんて見たくなどない。
先ほどまで楽しんでいたそれが、無惨に崩れゆく。
「綺麗だね」
ね。長谷部くん。
「また、見ようね」
嘘をつけ。見えてなどいやしないくせに。
嫌になるくらいに美しいそれをおまえは見ることが出来ないくせに。
不器用で、拙い動きで俺に触れるくせに。
「綺麗だよ」せめて俺が綺麗なのだと嘯いてくれ。
こんなにも痛い愛の言葉などごめんだ。おまえ以外、ごめんだ。
「愛してる、光忠…っ」
堪えきれず、胸ぐらを掴んだ。
額を肩に押し付けると、すぐ温かなものが覆った。
「見てよ。長谷部くん。……ほら」
どぉん。
どぉん。
空へ、大輪の花を咲かせる。
喉奥からこみあげるものを噛み殺し、苦しいものを何一つ攫ってくれない男を憎んだ。
「綺麗だね」
俺を、見ろ。俺だけを、ずっと見ていろ。
「綺麗だよ」
そうすれば、おまえは何も見えなくてもいい。
俺以外など見えなくても。
「 」
俺も、見たくない。おまえ以外など。
その目が何も映さないことを、理解(し)らずにいられるから。
どぉん。
どぉん。
夏が、嫌いになった。この前は、春を嫌いになった。次は、秋を嫌いになって、冬を嫌う。
それでも、綺麗だと笑うおまえはずっとここに残っている。
瞼の下で、最後にその目に映った記憶を呼び覚まそうと努めた。
長らく重ならない目だけが、記憶にこびりついていた。
     
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