次は。
 次は、――





 月に一度の通院はこれでもだいぶ少なくなった方で、生まれた頃は週に何度も通っていた。
両親は不甲斐ない僕を愛してくれた。一人っ子だったからその愛情は飛び抜けて大きく、僕は一心に受けながら育った。
 目が見えない僕を育てることに苦労が絶えなかったと思う。周りと比べてあまり泣かない大人びた子だと言われていたけれど、小さな頃は少し歩けばなにかにぶちあたり、頭を打つことも多かった。泣かないから気付かれないこともあって、目を離した隙に傷を負った僕に気がつかないまま抱き上げた母が悲鳴をあげたこともあった。
 大丈夫?痛かったわね、と今にも泣き出しそうになりながら頭を撫でてくれる母の手が不思議と心地よかった。
 頭を撫でられるのは好きだったため、母も、そして父も何かあればわしゃわしゃと僕の頭を大きな手でかきまぜてくれた。年を経るごとに母の手は少しずつ小さくなっていったけれど。父の手は年々しわがれていくようだった。大きいはずのその手が弱く感じることもあった。
大人になるまで、僕は途轍もなく果てし無くも長い旅路を歩いていた。
 人の一生とは瞬きひとつぶんくらいだと、その成長を時折眺めるくらいであったけれど。
 なんともまあながいながい道のりなのだろう。その前途には多くの困難が待ち構え、乗り越えたと思えば次の困難が大きく立ちふさがり、行く手を塞いでさあこえてみろと大音声で宣う。いざゆかんと壁を登ると、そこには更に試練が待ち構えていて、人間とはかくも生きにくい性分なのだと実感した。
 よくもまあ人は生きるものだ。
 かくいう僕も例に漏れず人の身にしても短い半生を生きている。
 目が見えないけれど、僕はそう悪くないと思ってる。いじめとやらを受けることもなかったし、両親の愛情を大分に受けた。
 けれど、時折懐かしくなる。
 生まれつき目が見えないために持つことも叶わなくなった刀や、はばきの音。血と硝煙のにおい。興奮冷めやらぬ戦場。明確な敵と対峙する高揚感。
 僕らはもう刀でさえ持つことは出来ない。
 それでも、僕は手をぎゅっと握りしめる。
 刀の代わりに白杖。カンカンと音を立てて、僕はここにいると言う。
 ここに、いる。








 カンカンという音が、コンコンというノックの音に変わった。地面が少しだけ柔らかくなった。喧騒は煩わしい音がなくなり、少しだけ静謐を秘めた。ひっそりとした話し声が耳に届かない程度になった。
 


 とうろりとうろりと瞼が落ちる。眠たくなるような温かさだ。太陽の光が射しこんで、畳の上を優しく照らす。強くない風がそうっと吹いて通り過ぎる。
「ねぇ、長谷部くん」
 ねぇ。
 呼吸ほどの身動ぎが返る。
「とても楽しかったね」
 一日が充実していた。
 むせかえるような血のにおいの中に身を置いたこともあったし、昂ぶりがおさまりきらず拳骨を食らったこともあった。
 ほぼ毎日厨を任されて、たくさんの同族たちの腹を満たして朝早くから慌ただしかった。夜は故国を同じくした同族たちと酒を酌み交わすこともあれば、酒の肴を作ってやることもあった。どうしてもとせがむので、次の日に遠征や出陣が控えていても仕方ないなぁと最後は用意してやるのだ。口では不承不承のていをとりながら、顔は誤魔化せていないのだろう。いつもいつも作ってとせがむ同族たちは、自分の作った料理を求められて嬉しいという本心を見透かしていたに違いない。
 ああ、でも。
 でも、揃って全員生まれが古い妖怪のような同族たちや、ご神刀兄弟、故国を同じくした由縁ある同族たち。どれもかれも誰かひとりは酒豪が混ざっていたので、疲れているときは本当に酷だった。嬉しいけれど、寝かせてくれないのだ。
「とても……とても、とても。……楽しかった」
 微かに指が硬直を解いた。
「ねぇ、長谷部くん」
 優しい温かさに包まれて、心地よい。干したばかりの布団で眠るような感じだ。
「君と過ごした時間。愛してるよ」
 目を忍んでは、くちづけをかわした。指がそっと触れるだけの心の音を早まらせた。手をとって頬を赤くする君を見ては、愛しさで胸がいっぱいになった。
「次は……」
 次は。
「ねぇ、次は、どうしようか……」
 どんな一生を送ろう。誰かに使われるためではなく、自分で戦うことの興奮を知った今、手放せはしないだろう。
「また、目が見えなくなるといいな」
 見えないのか、と悲しい顔をしてそっとくちづけを降らせてくれた。何度も。何度も。この時だけはいつも恥ずかしがらなかった。
 可哀想に。そこに見えたのは、愛。無限の愛だった。
 また、君にくちづけをしてもらいたいから。見えないほうがいいなぁ。
「そう、だ……ね。君が、いないと……」
 そう。どんな一生でも君がいないと意味がない。くちづけをくれない命だなんて、きっと輝けもしないだろう。
「また、逢おうね」
 約束だよ。
 小指を絡ませ、動かない口角を緩ませた。
 戦いに明け暮れるのも悪くない。
 主が過ごした戦いのない平和な世界も悪くない。刀をとることもなく、誰かの命がむざむざ奪われない世界。
 君が、いる世界なら。
「次は、平和な世界がいいね」
 戦いに明け暮れた一生だった。多くの手に委ねられ、最期には燃え尽きたが、自らを振るうのはそう悪くなかった。生まれがきるためのものだ。本分をまっとうできるというのはこの上ない喜びだ。
 だから、もういい。
 次は、平和な世界を生きてみたい。その世界を君と生きてみたい。新たな扉を開いて、君と一緒に。
「また、ね。長谷部くん」
 ほんの少しだけ待っていようか。
 ゆうっくりと、とうろりと落ちる瞼に従って、優しく息を止めた。
 淡い光が集まり、肢体を包んだ一刹那には、眩く発光した。
 残されたものは、刀一振りたりとてありはしなかった。
     
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