それは、机上の願いと言う
 そのしらせが耳にした時、ごとりと音がした。手にしていた辞書の音だと気付くには時間はかからなかった。この時世にしては珍しく紙媒体である。
「いっ…!」
 見事に辞書の餌食となった篁の親友(恐らく自称ではない)は、悲鳴もあげられなかった。
「……」
 そして、犯人は痛みに悶える親友を残して、目にも留まらぬ速さで教室を後にした。
「橘、大丈夫かっ?」
「し、ぬ…」
 実に素晴らしく角が直撃した(恐らく自称ではない)親友はぱたりと動かなくなった。息はあった。











 授業開始の鐘がりんごん鳴っていた。
 小野筱はうっすら繋がった意識を取り戻し、瞼を緩やかに上げた。
 予想通りと言うべきか、見慣れたと言うべきか、広がる白だけの景色。一生をほぼこの景色に囲まれて育ったせいか、今更嫌悪も恐怖もわかなかった。
「っ痛…」
 未だ痛む頭を抑えつつ起き上がると、何処かから聞き覚えのある足音が一つ。
 常であれば物音立てることを躊躇うようなそれが、こと自分のことに関しては何処からか凄まじくけたたましい音を立てて飛んで来るのである。
 自分と、もう一人。彼が後生大事にするものの前でだけは取り払われる。本人は絶対に認めないだろうけれど、親友もその中に入るだろう。
「筱っ!」
 スパンと毎度のことながらいっそ小気味いい音とともに、彼の片割れは現れた。
「篁。いい加減慣れてくれないか。そんな音を立てたらまた先生に怒られるよ」
「おまえの一大事に慣れてたまるか、バカ筱!」
「……」
 絶世の顔立ちを鬼のように歪める片割れに、小野筱は小難しい顔でむうと唸った。
 片割れの気持ちを思うと想像に絶するものがある。あるのだが、やはり大きな音を立てるのは好ましくない。ううむと頭を捻ると、篁は苛立たしげに爪を噛んでどっかとベッドに座った。
「体調は」
「だいぶいいよ」
「……そうか」
 端的ではあっても、表情からは不安や揺らぎを明らかにしていて、筱は小言だのなんだのを封じられた。だが、少しだけ取り払われた柔らかさに、束の間同じものを浮かべていることには気付かなかった。
 これだから、この片割れは。
 兄ぶらせることも、平気なふりも全然させてくれない。落ち着いて、他のものに目などくれないくせに。いつだって最強の言葉封じを使うのだ。本人は意図せず。
「ごめん。篁」
「じゃあバッタバッタ倒れるな」
「篁」
「無理なら謝るな。……謝って、ほしくない」
 筱は大きく目を見開いたかと思えば、やがて柔らかく細めた。
「ごめんなぁ」
「だから…っ」
「俺が、もうちょっとだけ丈夫だったらなぁ」
「筱!」
「おまえがそうやって心配することも、なかったのに……」
「しのぐ」
 心配をさせることは、辛い。心配そうな顔を見ることも。
 自分の身体が弱いせいで。篁や楓、両親は気が休まる時がない。友人も、篁の親友の融も。
「っ、の……バカ!」
「……っ」
 筱の手を振り払って、篁は自分よりずっと弱い片割れの身体を抱き締めた。すっぽりおさまってしまった。
「おまえが、ここにいることが一番嬉しいんだ。わかれよ」
「っ……。……そ、か……」
 きつく抱かれ、苦しいとか、息が止まりそうだとかを言おうとして出来なかった。口すら腕に塞がれていた。
 なぁ、篁。俺も、本当はおまえが心配してくれることが辛いけど、すごく、本当にすごく嬉しいんだよ。
「篁、出席日数大丈夫か?」
「おまえが言うな」
 いつまでも、おまえたちがいたらいいと思うんだ。きっとちょっと難しいのだろうけれど、俺もちゃんと頑張るから。
 筱はふふっと笑った。目尻に溢れたそれを篁が気付かなければいい。


     
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