笑顔の下に秘めたそれは
 どたどたと喧しい足音が徐々に近付いてくる。夢の中で聞くという芸当を披露する相手はいない。
 足音がぴたりとやみ、一刹那、すぱんと襖が開かれる。
「篁、少しは静かに出来ないのか」
「篠。具合はどうだ。痛いところは。苦しいところは」
「まず俺の話を聞こうか」
 同い年の弟が聞く耳を持たないのは何度言い聞かせようともなおらないことだ。短く息をついて、篠は諦めた。
「だいぶよくはなっているよ」
「完治はしていないんだな?」
「……」
 苦虫を噛み潰したような顔になった同い年の兄へ、弟はむむむと眉間に皺を刻んだ。
 時をほぼ同じくして生まれた兄は、この世に生を受けた時からまるで篁がその全てを吸い取ってしまったかのように病にかかりやすく、大きくなるのも難しいと医者に匙を投げられたこともあるのだ。しょっちゅう風邪だのインフルエンザだの流行りものを追いかけては誰にも流行を追わせることなく自分だけひっかぶって、布団から抜け出せない芋虫になる兄を篁は人一倍案じていた。母も父もたいそう心配しているが、篁も同じくらい案じているので、篠は時折同じ兄弟で自分が兄なのに情けなくもなった。
 更に、この弟の悪いところは小さい頃から将来を約束している少女を放ってしまうことにある。両親を早くに亡くしている妹で、隣近所だった小野家が仲が良かったゆえんもあって引き取った娘なのだが、篁は寂しくて泣き止まない少女に小さいながら結婚を誓い合ったのだ。それを今でもバカマジメに守り通しているというのだから拍手を送るしかない。
 まあ、本人は小さい頃から光源氏宛ら惚れていたようでもあるので一概には言えないのだが。
 額のシートを取り、新しいものへ取り替える手つきも手馴れたものだ。それよりも彼女のところへすっ飛んで行けばいいのに。何度言っても愚弟は聞く耳を持たない。同じ家に住んでいる少女も見送るのだから手に負えない。
「篠。早く良くなれ」
「無茶言うなよ」
「おまえが辛いと、俺はもっと辛い。辛いのは嫌だ」
 祈りにも似たそれに、篠は苦笑を返した。
「融にもそれくらい優しくしてやれよ」
「あいつはいいんだ」
「なんだそれ」
 ついこの間頭から水をかぶって風邪をひいた幼馴染をバカだのアホだの貶して高笑いしていた男と同一人物なのだから、篠も苦笑するしかなかった。まったく、この男は。身内以外には殊更手厳しいのだから。それが懐に入れた証など本当にこの弟は大丈夫なのだろうか。身体の弱い自分より世渡りがヘタクソなのではないだろうかと不安で仕方がない。
 それをちっとも理解していないし、大丈夫だ、で済ませてしまうし、多分恐らくきっと大丈夫なのだろうからこの弟は人間離れしているというかなんというか。
「治ったら融に何か奢らせるからな。何にするか考えておけ」
「おいおい。本人の許可とってるのか?」
「知るか」
 俺は肉だ、肉が食いたい、と太々しいこと甚だしい。
 篠は大きく溜息をついて、力なく笑った。
「じゃあ思いつくまで待ってろよ」
 忘れてしまいそうだから、ちゃんとおまえが覚えておけよ。
「ああ。いいぞ」
 人一倍寂しがり屋な弟へ口実を作ってやると、篠はすうっと眠りについた。弱々しい目を最後に視界に入れた。
 まったくおまえは。本当にそれでやっていけるのか俺は心配だよ。ワガママで、傲慢で、寂しがり屋だなんて。楓も苦労するなぁ。
 はたしてこの面倒な弟を任せてもよいものか。けれど、きっとあの儚く笑う妹はそれがいいのだと言うのだろう。まったく似た者同士とはこのことだ。
 おまえが寂しいとずっと言うから、俺もそうなってしまいそうだ。おまえたちがいなくなったらと考えると胸がぽっかりと空くんだ。
 なあ、篁――

     
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