俺は存外その声が好きなんだ。













 戦塵が吹き荒れる。ぞろぞろと敵が周りを囲む。爛々と黒光りする目が悦楽を映した。
「つ、る。つる……」
「ここだ。俺は、ここにいるっ」
 握り返した手が冷たくなっていく。今正にここにあった体温がひとつまたひとつと失われゆく。
 もうその美しい目も使い物にならなくなっているのだろう。視線が合わない。目の光はなく、俺を探して彷徨う。辛うじて閉じられていないがそれも奇跡のようなもので、時間の問題だ。
「なぁ、三日月。なぁ……」
 こんなバカなことってあるか? 三条の打った天下五剣が俺を置いていくのか? 天下五剣一美しい刀なんじゃないのか? それが、こんなところで、戦塵の中、全然美しくない有様で。
 おまえが、俺を置いていくのか?
「つる…」
「三日月っ」
 声すらも美しい男だった。しかし、か細く振り絞られたそれは雑音混じりだった。おいおいやめてくれよ。天下五剣の麗しい声が、最期の声が、弦の切れそうな琴のようじゃないか。

 ――つる

 あの声が。今もなお耳馴染む声が。遠く、霞んで行く。
「も、一度……あい、た…」
「バカやろう!」
 死なない。
 おまえは、絶対に死なない。
 五条の師作が、五条よりも先に死ぬものか。弟子に負けるというのか。バカを言うな。
 おまえは、死なない。絶対に。
 ぐん、と手が伸びた。襟元をぐわしっと掴む。
 どこにそんな力が残っていたんだ。生きるのに使ってくれよ。
 言葉を封じる気迫を、月の浮かぶ夜空から感じ取る。
「おま……り、……ゆ、く……たっ」
 掠れ掠れの声だった。
 三日月。
 ぽっかりと、頭に穴が空いたようだった。俺はちゃんと声を紡げただろうか。
 淡い光がぽつぽつと灯る。瞬きの間に、一番美しい男を攫った。
 刀だけが砕けた状態で残る。
 すがりつこうと指を伸ばす。
 無情にも塵芥へとなり、風に乗って跡形も無くなった。
「ばか、やろうっ」
 こんな驚き望んでいなかった。
 全部消えちまいやがって。俺はこれから何に縋ればいいんだ。
 また会いたい、だなんて。心だけここに置いて行くなよ。俺の中のおまえも攫っていけよ。
 本当におまえはいつもいつも。傲慢で、自意識過剰で。
「みか、づき……」



「おお、国永。ちょうどよいところに」
 学生にしては年寄りぶった口調で、月を夜空に浮かべた男は言う。
「どうした?」
 振り返った男は雪だった。ふわりと揺れる白雪を乗せたようで、瞳には満月を浮かべている。夜空に浮かぶ月は三日月とすれば、白雪に浮かぶのは満月である。
「うん。いいんじゃないか?」
 手渡された書類にざっと目を通して、白雪は頷いた。
 好々爺とした夜空の男は、そうかと満足そうに頷き返した。
「すまんな。礼を言う」
「ははっ。こんなことおやすい御用だぜ」
 夜空が和らいだような微笑に、ちょうど居合わせた女生徒たちが可愛らしい声をあげてざわめきたった。白雪の男を素通りして、女生徒すべての目をかっさらって、見事にこの場を大舞台に仕立て上げて大役を演じているようだ。
 しかし、男の目はふわりと落ちる白雪へと向けられる。
「しかしまあ、おまえは目立つな。何処にいても見つけられる」
「そうか?」
「ああ。「おまえ」を探すよりも、この頭を探した方が早いな」
「じゃあ、ヘタに変えられないな」
「当然だ」
 白磁の肌が、すらりと細い指先が一房白雪をつまんだ。
「こんなに美しい髪。なくしてしまうのはもったいない」
 瞬間、遠巻きに見物していた女生徒たちの悲鳴に似た歓声があがった。
 白雪は耳を塞ぎ、次いで目の前の男が首を傾げているのを見て溜息を零しそうになる。
 まったくこの男は。こと自分の興味があるもの以外にはとんと示さないのだ。これだけ衆目を集めておきながら。
 男はすぐに観衆にすら興味を失い、白雪を上から下までまじまじと見つめた。
「しかしよくもまあここまで白く出来たな」
 そこには、ふわりと揺れる白雪ほどではないが、真っ白な学ランがあった。シャツだけではない。スラックス、上着にいたるまで白いのである。
「意外と簡単だぜ?」
 ニッと悪戯ぽく笑って見せた。
 制服は勿論黒い学ランである。が、白雪は自身で真っ白へと改造したのである。
 しょっちゅう先生に追い掛け回され、すっかり常連である。いい加減諦めてくれればいいものを、とは本人談であるが、先生たちもいい迷惑なのである。
「改造なんて出来るのか」
「まあな」
「おまえは時折妙に器用だな」
「褒め言葉として受け取っておくぜ」
 この夜空を映した三日月の浮かぶ双眸を瞳を持つ男は、白雪の親戚だった。幼少の砌からの付き合いである。それはもうこの学園に入るまでも、入ってからも、付き合いは続いており随分長い。
 昔から何かと世話をやいてやったせいもあってか、この学園の生徒会長にブッチギリで選ばれた時も当然の如く補佐となった。夜空の男の推薦もあったが、それに反対する者もいなかった。
 というわけで、お互いになんでも知っているような感じだった。
 白雪が、昔は白雪ではなかったことも夜空の男は知っていた。
 白雪の髪はふわりと揺れる、白雪の色である。しかし、これは地毛ではない。元の色はありふれた黒だった。
 ある時男は言ったことがある。

 ――元の髪色を忘れてしまいそうだな

 それでいい。
 それで、いい。
 元の髪色なんてどうでもよかった。この夜空に移してほしいのは白雪のような色。ふわりと揺れて、真っ白な世界。
 昔を懐かしんでいると、夜空の男は首を傾げていた。
「ほらそろそろ行かないと」
「ああ、すまん」
 また放課後に。生徒会というちっとも甘くもない約束をして別れる。
 後ろ姿が遠くなって、白雪は漸くその場を後にした。
 はずむ髪を一房とる。あまりいたみはない。丹念に手入れをしているからだ。
 懐かしい。

 ――何処にいても見つけられる

 うそつき。
 君はずっと見つけてくれないじゃないか。ずっと。
 まったく嫌味なことである。全部持って生まれたのに、肝心のものを持って来るのを忘れてしまった。
 対して夜空色の瞳。三日月が浮かぶ、美しい夜。藍か紫か。黒に溶かし込んだような色。
 白雪が忘れてしまっているものを持って来ているというのに、白雪が忘れずに持って来たものを忘れてしまっただなんて。
 会いたいと、もう一度会いたいと願ったくせに。
「君が忘れてどうする…」
 白雪は今にも泣き出しそうな顔で、苦笑を零した。
 最期の言葉が、姿が。生まれ落ちた時から頭を離れないのに。

 ――今度はおまえの隣でゆっくり死にたい

 俺だけが、虚しくもその願いを叶えようとしている。
 もう生まれた時の姿はかけらもない。顔形くらいだろう。この顔だけが同じでよかった。真反対の色を持つとは考えてなかったけれども。
 それでも、約束だけが胸で光っている。
     
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