吾輩と主
 吾輩はアレキサンダー。シルクパレスの女王に仕える、崇高なる伯爵の忠犬だ。
 主の名前は、カミュ。通称であり、本当の名前はもっと長いものだが割愛する。これはシルクパレスに長きに伝わる仕来りで、女王と大切な者しか知ることが出来ない。故に、あまり顔も知らない者達に教えることは出来ない。
 主は女王に仕える騎士である。
 主は女王を殊の外慕っており、その忠誠心は並々ならぬものがある。なければ、遠く離れた日本という異国の地でアイドルなどという俗世に塗れたことをしていないだろう。
 主が日本へ赴いた理由はただひとつ。女王のためである。主の所属する事務所のボスを女王がお守りしたいと願われたので、シルクパレスを離れることの出来ない御身に代わって主が赴かれた。
 現在、ボスの危機を遠ざけはしたものの、主は未だ油断は出来ないと日本に残っておられる。勿論、忠犬である吾輩も主に従いこの永久凍土からは遠くかけ離れた国で主の側近くにある。
 主の一日は早い。朝は優雅にお茶を楽しまれた後に朝食、そしてティータイム。朝のひとときを楽しまれた後は準備にとりかかり、颯爽と出て行かれる。
「アレキサンダー、留守は任せたぞ」
 かしこまりました、主。無事に守って見せましょう。
 主は一つ頷くと、扉の向こうへ消えて行った。






 主は仕事に合わせて行きも帰りも不規則である。
 しかしながら、今日は昼にはお帰りになられた。
「やあ、アレキサンダー」
 主と共にやってきたのは、オレンジ色の髪が美しい男だ。色気のある仕草と、マダムレディを虜にする優美なる微笑みが印象深い。
 名を神宮寺レン。主の後輩である。
「今日はアレキサンダーのためにとびきりおいしいものを買ってきたから楽しみにしていてね」
 ふむ。よい心がけである。
 顔を撫でる手つきも絶妙で、流石は主の運転手である。
「ただいま、アレキサンダー」
 おかえりなさいませ、主。
「留守をよく守ってくれた」
 いいえ。もったいないお言葉。
「バロンにもとびきり美味しいデザートを買ってきたよ」
「ほう」
「すごい行列だったんだよ」
「そうか」
 単調な応えだが、主の口元はうっすらと三日月を象っていた。主は表情の変化が乏しい方だが、長年主に仕える忠実なる吾輩にとっては些細な変化すら手に取るよう。
 甘味に心惹かれる主にしっぽも踊るというものである。
「じゃあ、用意するから待っててね」
「ああ」
 流石は主の忠実なる僕というところか。吾輩に次ぐ忠誠心である。主のほんの些細な表情の変化も読み取り、にっこりと笑ってキッチンへと入った。
 このレンという男は吾輩が認める唯一の男である。主によく仕え、吾輩にも心配り忘れない完璧な男である。
 他にもトキヤや真斗といった後輩も見かけるが、主が運転手の役目を任されているのはこの男だけである。
 一番よく見かけるのはセシルという男だが、主に口答えばかりするのであまり気に食わない。ネコのようだし、主をしょっちゅう怒らせる。それに比べレンといったら! 吾輩達がシルクパレスへ帰る時には、日本を任せてもよいだろう。
 レンは主へとデザートの給仕をし、次に吾輩の分もぬかりなく給仕した。最後に自分の分をテーブルに並べた。なるほど。流石よく出来た男だ。
 今回はひんやりと冷たいゼリーのようだ。吾輩のものはまた別であるが、主は冷たさとフルーツの甘さがよく引き立てられたデザートに表情を綻ばせている。
 主が口を付けたのを見届け、吾輩も食す。
 うまい。レンが持ってくるデザートはいつもはずれたことなどないが、毎回新たな味との出逢いが待ち受けている。
「バロン、おいしい?」
「ああ。よくやった」
「ふふっ。光栄だよ。アレキサンダーは?」
 うまいぞ。
「そうかい。おほめにあずかり光栄だ」
 ああ。ありがたく受け取るがいい。
 レンもうまいうまいと匙を進める。
 レンはデザートの類があまり好きではないようだが、自分のものは甘さ控えめのものにしたようだ。レンがうまいと食べるならば事実なのだろう。嘘はつかない男だ。それに、嘘を並べたとしても主は容易く見抜く。
 レンと優雅なるひとときを過ごした後、仕事があると言って夕方前には帰ってしまった。
「またね、バロン」
「ああ」
 主も珍しく見送っているので、吾輩も倣う。
「アレキサンダーもまたね」
 ああ。また来るがいい。
「またおみやげ持って来るね」
 楽しみにしている。
 扉の奥へと消えていくレンを名残惜しく見送る。
 主は鍵を閉めると、部屋の奥へと戻ってしまった。
 主。主。
「どうした。アレキサンダー」
 頭を撫でる手つきは優しい。
 書を開いた主の傍らに座り、目を閉じる。






 夜。
「おーつかれちゃーん!」
「こんばんは、カミュ」
「よう」
「貴様ら……」
 突然の客人の来訪に、主は両眸を開いた。
「今日はお仕事早く終わったから、みんなと相談してミューちゃんちで飲もうって話したんだぁ!」
「……貴様らだけで勝手にしろ」
「ほらほらぁ。親睦を深めるためだよ」
「いらん。事前に連絡でもすればいいものを」
「そしたらミューちゃんダメって言うし、おうちの鍵閉めちゃうでしょ?」
「……」
 主の仲間の中で最年長という男は、なるほど。強かだ。
 主を押しのけて部屋の中へズカズカ足を踏み入れる。
 おい、待て。主の許しもなく入るでない。
「あ、アレキサンダー。久しぶり! だいじょうーぶ。ちゃぁんとおみやげも持ってきてるよ! レンレンのおすすめだから間違いなし!」
 うむぅ。レンを使うとは小賢しい。しょうがない。主のお仲間ならば許してやらんでもない。
「アレキサンダー!」
 主。お仲間との親睦を深めることも大事ですぞ。
「寿……」
「ごめんね、カミュ。僕は真斗からお菓子作ってもらったから」
「……あまり長居するでないぞ」
「はーい! ありがとん、ミューちゃん!」
 長い嘆息を零して、主は後に続いた。
 主はお仲間に厳しいようだが、吾輩は嫌いではない。
「よう、アレキサンダー。元気してたか」
 特に、主はこの黒崎という男を毛嫌いしているようだ。
 だが、この男は吾輩への気遣いを忘れず、毎回手土産を持参してくるのである。撫でる手つきも手慣れたもので、心地よい。
「アレキサンダー……」
 主。誤解なさらないでください。吾輩の一番は主ですぞ! この男には撫でさせてやっているのです。
「おい、カミュ。キッチン貸せ。どうせなんもねーんだろ」
「……生半可なものでは許さぬと思え」
「ありがとうございますと土下座させてやるよ」
 黒崎以外と主はリビングへ行き、テーブルを片づけて持ち寄ったものを食している。
 吾輩にも手土産を持ってきてくれたので、主が手を付けたのを見てから吾輩も口をつける。
 こいつらもなかなかの目を持っている。土産が外れたことがなく、吾輩の口にあうものだ。
「ほう。これはいいものだな」
「でっしょー? レンレンってほんっといいとこ知ってるよね!」
「ああ。黒崎はよい後輩を持ったようだ。……うちのバカネコと変えてやろうか」
「あ? アイツも可愛いもんだろ」
「ふん。トキヤか来栖でもいいぞ」
「ダメダメェッ! トッキーは絶対渡さないんだからねっ」
「翔は僕の後輩だよ」
 なるほど。皆後輩が可愛いようだ。
 主もなんだかんだ言いながらセシルを可愛がっているようだし、そういうものなのだろう。
 吾輩もレンは可愛い。それと同じだろう。
「まあ、那月は貸してあげてもいいよ」
「あやつの菓子は死人が出る」
「おとやんも絶対あげないんだからねっ」
「いらん」
「おら。出来たぞ」
「うっわー! 美味しそう!」
「あついうちに食えよ」
「いっただっきまーす!」
 その日、主は皆と飲み明かし、いつの間にかこてりと眠ってしまわれた。
 主。お風邪を召してしまいます。
「あ、アレキサンダー。ありがと!」
 寿は吾輩の持ってきた布団を主に被せた。
 主を起こしてしまわぬように、美風がベッドへと運ぶ。むむ。こやつ、小さき身形でありながら物凄い力だ。
「ぼくたちも寝させてもらおうかな! アレキサンダー、いい?」
 良いぞ。客室を使うがいい。客人をもてなさずに返すのは伯爵家の名に傷がつくからな。ゆっくり休むがいい。
「ありがとん!」
 さて。吾輩は主の御身をお守りしよう。
 ベッドルームへと足を運び、ベッドの傍らに腰を下ろす。
 おやすみなさいませ、主。良い夢を。

     
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