perfume from my lover
夜。一風呂楽しんでから、兄と二人で使っている寝室へ戻る。
今までは脇差で一部屋だったが、人数が増えてきたことと、あのぽやぽやしている兄を一人に出来ないということから二人部屋へと移動した。最近仲間になった幸運を呼ぶ王子を含む脇差達は同室だ。
自分だけ兄弟と同じ部屋にしてもらったことになんとなく罪悪感もあるわけなく、仕方ないなという感じだった。
想像してみてほしい。
絶世の美女も裸足で逃げ出す美貌。仏門にあった純潔無垢な身の上。
そして、あの自称じじいと同じ天下五剣。
そう。同じなのだ。刀派は違うと雖も、あの見た目だけの中身じじいと同じなのだ。
つまり、この兄も放っておいたら何をしでかすか分からない。
同じ派閥である以上に、兄の性格もよく知っていたので主に懇願して同室にしてもらったのだ。
あまりに必死で、主を筆頭に本丸の他の刀剣もこれはヤバいのが来るぞと腰を上げたという。
兄は今左文字兄弟の長兄のところへ行っている。風呂から上がるころには一度戻ると行っていたが、部屋はまだ暗かった。
どうせ仏門同士話が長引いているのだろう。
暇だから平安生まれの鳥類刀剣の驚きの手伝いでもしようかな。きっと主命第一の刀剣が眦を吊り上げて怒るだろう。それに、弟第一の刀剣も正座をさせて説教にかかるだろう。
なんて面白そうなんだ!
よし、そうしよう。今すぐ行こう。
一度荷を置いて、部屋へ特攻しようとスキップでもしかけた。
その時、部屋の前の木に何かが結びつけてあるのを見つけた。
近付いてみると、それは白い紙だった。
珍しい。
彼は目を瞬かせた。
常であったならば、平安貴族が好みそうな紙を使って、色だとか箔だとかに凝ったものであるのに。
木に紙が結びつけてあるのはこれが初めてのことではない。
恋仲である同じく刀剣と交わしている。
彼は同じ派閥の物達と同室で、要は面倒くさい者達同士ひとまとめにされたのだが、五人も同じ部屋にいる。
自身も昔は脇差部屋、今は兄と二人きりでなかなか夜二人になることは出来なかった。
時折、彼らが気を使おうとしてくれることはあったが、こっそり辞退していた。なんとなく気を遣われることがむず痒くもあった。
そうして選んだのが手紙だった。
平安生まれの刀らしくやりかたもおなじく平安宛ら。よもや木に括りつけて恋文を送るなどど誰が思ったか。
今では兄もよかったですね、と温かい言葉をかけてくる始末である。
大勢に見守られていることが面映ゆい中。手紙のやりとりは絶えることなく行われ続けた。
手紙といっても、歌のやりとりだ。
返歌は翌晩木に括りつけておけば勝手にとっていく。
さて。今日はどんな歌をくれるのやら。
珍しく真っ白な紙を広げ、歌をよむ。
しかし、そこには何も書かれてはいなかった。
絵も、歌も、文字も。
真っ白なだけ。
だが、それは彼のものであることは間違いなかった。
ふんわりと香る、彼の焚き染めた香。僅かに混ざり合うようにして、別なにおい。
「これは……
「青江」
青江が何かを思い出しかけた時、ふと呼ぶ声がして振り向く。
「やあ、数珠丸。おかえり」
兄は閉じているのか開いているのか、長くバッサバッサな睫毛を伏せ、顔を向けた。
「どうしたのですか。難しい顔をしていますよ」
「ああ。ちょっとね。……ああ、ちょうどいいや。これ、なんのにおいか分かるかい?」
「においですか?」
紙を兄の前まで差し出すと、首を傾げながらも手で仰いで香りを嗅ぐ。兄は少し間を置いて、ふむと考えこんだ。
「ひとつは、とても強い香りです。もうひとつは、弱い香りですね」
「そうそう。もうひとつが分かんないんだよねぇ」
「いいえ……これは……」
「ん?」
兄は、つと青江を見詰めた。
そして、
「これは――」
その日、三条の部屋では大宴会が行われていた。
一週間に一度、下手をすれば二、三回の頻度で行われる大宴会は三日月を筆頭に主や次郎などを主軸として行われる本気のガチンコ飲み会だ。最近、日本号や彼に引っ張られて長谷部など酒に強い者達も混じるようになった。
「あははははっ、あははは、あははははっ」
主は楽しいことが大好きなので、陸奥守の腹踊りに大爆笑である。右手に酒、左手につまみを持って、ずっと口も動かしている。
ちなみに、主は婚期真っ只中の独身女性である。しかし、本人はまったく結婚など気にもせず、寧ろ刀剣達と飲むために仕事を頑張っているので、彼らもそんな主の結婚など考えてもおらず、正直な話女性とも見ていなかった。残念なことに。
この飲み会は一度入ったら次回からは強制参加である。逃げようとしてもどこからかメンバーが現れ、強制的に連行される。
これが一週間に一度だったり、日が空いていれば問題はないが、下手をすれば三夜連続ということもある。
しかも、主はワクだ。その上、残らない。おまけに飲んでいる時と普段のテンションはそう変わらないので傍迷惑な話である。
主は出陣するわけでもなく、専らデスクワークのため翌日眠いだけだ。その時近侍が長谷部ならまだいいのだが、歌仙や一期だとくどくどと長たらしいお説教から始まる。ここで大事なのはどれだけ長谷部になるように仕向けるかが重要である。
そんなくだらないことに頭を使って、飲まないという選択肢はからきしなのだから長谷部もいい迷惑である。嬉しそうだが。
ここはブラック本丸ではないというのが不幸中の幸いだろう。一期や歌仙などはある意味ブラックだと口を揃えるが。
ここで一番重要なのは粟田口兄弟を、一期にばれないように参加させることだ。
彼らの願いで同室にしているが、言い換えればそれは飲み会に参加するにはあの弟愛の凄まじい兄という難関を越えなければならないのである。叔父である鳴狐は手を振って見送ってくれるが、兄一期はあまり良い顔はしない。どころか、朝帰りにでもなると必ずといっていいほど、翌早朝からお説教が待っている。
これにはあの規律に厳しい長谷部も巻き込まれるため、比較的主に協力的である。
小夜も兄達に止められているが、たまにジュースを持参して宗三についてくることもある。今剣は平安生まれのバケモノだと一期も左文字兄達も放置だ。
愛染は保護者がいってらっしゃいと見送るが、基本的に飲めない。が、雰囲気は好きなのでやはりこちらもジュース持参だ。
今日も主主催の大宴会は開かれていた。三条を筆頭に、次郎や日本号などの呑兵衛。甘酒参加の不動。宗三、陸奥守、長谷部、薬研。
飲めるが弱いし残る燭台切は既にぶっ倒れている。
石切丸は彼へ掛け布団をかけてやって、こっそり溜息を零した。
ああ、辛い。
飲み会は嫌いではない。不満もない。
ただ、恋仲の相手に会えないことが辛い。
気がまぎれるやもと、飲み会も進んで参加しているがどうにも晴れない。
一度主が気をきかそうとしてくれたが、彼はどうにも恥ずかしがりのようで。気をつかわれたと知ったら余計に会い辛くなるだろうと辞退した。
会えなくなって、手紙をかわすようになった。
箔や紙に凝って、思いの丈をたった数字に乗せる。歌以上の気持ちを込めないのは、込められなかったからだ。不思議と歌だけならなんとでも言えた。兄弟刀には笑われたが。
だが、今日は何も書かなかった。真っ白な紙に、自身の愛用している香を移した。
自身のものと、もうひとつ。
さて、彼には分かるだろうか。分からなくても伝わるだろうか。
会いたい衝動に任せたが、気付かれなければそれもまた寂しい。
結局どうしたって変わらないのだ。
彼に会いたい。会って、抱き合いたい。それが果たされなければ。
「ねえ、長谷部さん。今度わたし出陣してもいいかしら?」
「あ、主! それは危険です!」
「友人もね出陣しているようなの。彼女は剣を習っていたようなんだけれど、わたしは習っていないでしょう? だから、毒ガスでも撒き散らして、後ろから長谷部が圧し切ってくれればきっと最強のコンビになるわ……」
「ぐ……っ」
「あるじー! 長谷部を困らせるのやめてあげてー! 保護者に怒られるよー!」
「あはははっ、あはははは! いやあ、ここ最近ストレスたまってて……恥ずかしいっ」
「最後なんで照れたんでしょうねえ」
「なんならアタシが教えてあげるよ!」
「言ったな? 言ったな? 明日早朝から叩き起こすよ?」
「やっぱやめとくわ」
「次郎ちゃんに裏切られた!」
宴会の中心では今日も主がバカなことを言っている。こういったことはしょっちゅうあるためいちいち付き合ってたらきりがない。
最近本気で主が剣を習おうとしているため、そろそろ冗談にも出来ないのだが。
ふう、と小さく息をつく。
楽しい輪を乱すのは申し訳がないので、こっそり部屋の外へ出る。途中退室でない限り、厠休憩などは認められているので放ってくれるだろう。
少し風に当たろう。
気落ちした心を冷まそう。
障子を開け、さっと外へ出る。幸い、彼らは気に留めなかったようだ。
ひっそり障子を閉めて、縁側に腰を下ろす。
今日は、新月だ。
部屋の明かり以外光がない。
月一つない空を見上げる。
そこに、あるはずのものはない。
涼しいが、少々肌寒い空気に身を当てる。
人の身というものは面白いもので、刀の頃は感じなかった冷たさだとかを感じる。刀だった頃とはまた別だ。
この戦いが終わり、刀の身へもう一度戻った時。この感覚を懐かしく思うのだろうか。
刀であるはずなのに、人の感覚を持つなど。おかしなことだ。
ふっと笑う。
すると、視界の端に目に留まる。
それは、手紙だ。
木に括りつけてあったそれを解く。少し高いところにあったが、比較的身体の大きな石切丸には問題なかった。
「おや……?」
木から解き、手元で見ると目を瞬かせた。
それは、自身が送ったものと同じく真っ白な紙だ。
恋仲にある彼は、石切丸に付き合って紙にも凝ってくれた。手紙の中でもそれはそれは思いの丈を綴ってくれた。少々彼風にアレンジしてあったが。
中を見ると、やはり同じもののようだ。送ったものと同じく真っ白な紙だ。
これは一体。
首を傾げ、取り敢えず香を確かめる。
「っ、」
瞬間、息を飲む。
送った時と全く異なる香り。自身の愛用するものとは全く別のもの。
そして、それはこっそりとほんの少しだけ忍ばせた香。
「困ったな……っ」
天を仰ぎ、顔を覆う。
気付かれるだなんて面映ゆいものだ。その上、意図を組まれて、手紙を返されるなんて。
まったく彼には驚かされるばかりである。
石切丸はそうっと宴会場を覗く。
まだ気付かれていない。
今のうちにと、足を忍ばせて向かった。
今日だけは許しておくれ。
きっと君は兄君に揶揄われてしまって、顔を真っ赤にして怒るかもしれないけれど。
今日だけは。
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