幾望
それは、父の脱殻を燃やし、残りをツボに収めた日。

「風谷六花。―――おまえを、迎えに来た」

漆黒のローブをまとった長身の男が、手を差し伸べた。
男は、痩躯にも見えたが、そうでもないように見えた。差し伸べられた手は意外とゴツゴツしていて細くはない。骨が太くしっかりしていた。
俺は、ツボを強く抱いた。今まで意識していなかったが、不安を感じる場面で無意識に縋ってしまうということは、そういうことだろう。ろくでもない父親だったが。
「風谷高治。おまえの父親の願いだ」
「と、さんの……?」
先日死んだばかりの、今は残り物がツボの中に収まっている父親の願いという言葉に驚きを露わにした。
ろくでもない父親だった。愛された記憶なんてない。いつも殴る蹴るの暴力三昧。ちゃんと会話を交わした記憶もない。いつも無口で、タバコばっかり吸っていて、酒浸りで、機嫌が悪くないときは殴らない。
唯一マシだったことは、賭け事に金を費やさなかったことか。おかげで借金はない。どこで何をして働いていたのか知らないが、金は適当にあった。
だからと言って、今までされてきたことが消えるわけじゃない。殴られた痕も蹴られた痛みも消えない。死んだからと言って帳消しになるほど、父がやってきたことは軽いことじゃない。
それなのに、突然現れ、父に同情しろとでも言うのか。この男は。ありもしないデタラメをでっち上げて……。
沸々と怒りがこみあげてくる。男を睨み付けると、意外そうに双眸を眇めた。
「アンタいい加減にしろよ。そんな嘘ついてどうなるって言うんだよ」
「嘘?」
「父さんが俺のために、なんて言うわけないだろっ。俺のことが嫌いなんだから!」
だから殴られたのだ。気に入らないと、蹴られたのだ。
そうでなければ、理不尽に暴力をふるわれた日々の説明がつかない。
しかし、男は否定した。違う、と。
「確かに風谷高治はおまえに暴力をふるっていた。しかし、願いに偽りはない」
「まだ言うか……!」
「『どうかお願いします』」
「は?」
突飛な発言を返された。バカにしてんのかとも思ったが、表情はいたって真剣そのもの。
「『私は、あの子をちゃんと愛してやれなかった』」
「っ、」
まさか。
男のセリフが俺の動揺を煽った。
「『きっとこれからも愛してやれない。……妻によく似たあの子を見るたびに、妻を思い出して、やるせなさをぶつけてしまう』」
母親は、俺が小さい頃に死んだ。病だったという。
記憶に母の顔はなく、写真は一枚も残っていなかったからどんな人だったのか知る術もない。父に聞く、なんてことはしなかった。
「『だから、私が死んだら……お願いです。あの子が寂しくないようにそばにいてもらえませんか。私はもうすぐ命を絶つ身ですので、あげられるのはこの命しかありませんが』」
嘘だ。
そんなはずはない。
だが、男は嘘を語っているように見えない。まっすぐ射抜くように俺を見つめていて、逸らすことも出来ない。息苦しいくらいに、その視線は俺を捕えて放さない。
「だ、だ……。………う、うそ……だ……」
段々本当に呼吸困難になってきた。息を紡ぐたびにひゅうひゅうと、音がすり抜ける。
男は嘆息を零した。
「嘘ではないと言っている」
「だって!」
だって、愛されたことなんてない。話しかけても顔を顰めて、そばに行ってもどこかへ行ってしまって、手を繋いでくれたこともない。
母さんが生きていてくれたら、と何度思ったことだろうか。何度、ここにはもういない、帰ってもこれない母さんを恨んだだろうか。
何故、一人で残していってしまったのか。
何故、俺を生んだのか、と。
俺を生んでくれた、たぶん、愛してくれただろう人までずっと恨んできてしまった。
それなのに、こんなことあってたまるか。
俺が、長いこと心に患ってきたものは無意味だったってことかよ!
「……。おまえの両親は愛し合っていた。おまえが生まれたときも、喜んでいた」
「だったら……!」
「だが、おまえの母親―――風谷志乃華が死に、風谷高治はおまえを愛せなくなった。おまえが、死んだ母親にそっくりだからだ」
「え……」
そっくり?俺と、母さんが?
顔も見たことない、母さんが?
恨んだことしかないのに、母さんが、俺と似ている……?
「風谷志乃華に生き写しのおまえを見ると、三人で過ごした日々を思い出し、風谷高治は苦しんだ。おまえを愛したいのに、いなくなってしまった妻の面影を追い求めてしまいそうだった。だが、最愛の妻が残し、任せてくれた子供にそんなことを出来るはずもなかった。何より、」
男は、一旦言葉を区切った。伏せていた瞳が、また俺を映す。
どくん、どくん、と心臓が音を立てていた。その先を、続きを俺は知っている気がしていた。今まで蓋をして見ようとしなかった真実にぶち当たっている。
「何より、おまえを息子として愛していた」
「……っ、」
「だから、自ら死んだ。おまえを、愛せないならば、暴力をふるうしか出来ないならば、と」
「……、……っ…………」
「だが、おまえを一人残してしまう心残りはあった。自分がいるよりかは、と死を選んだが、一人にしてしまう心残りもあった」
男は淡々と話すのに、俺は聞くだけで精一杯だった。
話された真実は、開けてはならないパンドラの箱だった。ずっと鍵をして蓋をしていた、見ないように心の奥底に仕舞っていた箱。
それは、
「俺が風谷高治の魂を回収するとき、契約を交わした」
遠い昔の記憶。
覚えていないふりをした、記憶。覚えていないことにして、自分は悲劇のヒロインだから仕方ないと無理矢理納得させて、痛みを見ないふり出来るようにした記憶。
今は、それが胸を痛めつける。
「風谷高治の魂を俺の力とし、輪廻の軛から外れる代わりにおまえの―――風谷六花を一人にしない、生涯寂しい思いをさせない」
叩き落とした手が、また伸ばされる。
「おまえのそばにずっといる」
男の目が、俺を見据える。その瞳は真剣ではあるが感情がない、などと思っていたが違った。
熱い男の目だ。その瞳に、男の心を映した綺麗な目だ。
俺は、今度こそその手に一回りは小さい手を重ねた。
「おまえの命が尽きるまで、終生をともに在ろう」
「……う、ん………」
震える声に、男はそっと抱擁で答えてくれた。
「俺は、叢雲。おまえの一生を守る者の名だ。覚えておけ」
「……はい」
その背中に、そっと手を回して答えた。
     
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